晩夏
晩夏のことでございます。
わたくしは旦那さまと奥さまの屍体を見付けました。
今、あの家がどうなっているのかはわかりません。
わたくしは十四の頃から、ある家にお仕えしておりました。当時はめずらしい、西洋風のお邸に、がらす張りの果樹園、ひろいお庭には噴水もあって、お仕えすることになった時には誇らしかったものです。
お邸には大旦那さまと、旦那さま、奥さま、それに、生まれたばかりの若さまがいらっしゃいました。
勿論、めしつかいは沢山おります。敷地の隅にあるめしつかい用の家で、わたくし達は暮らしておりました。ご家族は優しく、めしつかいを意味なくさげすんだり、遊び半分でいじめるようなかたはいらっしゃいません。
いえ、ひとりだけ居ました。若さまです。
若さまはそれはもう、可愛らしいかたでした。
まるまるした手に、やわらかい頬、くるくるした大きな目。絵に描いたような可愛らしい子どもです。
ですが、可愛らしい見た目と違い、若さまはいたずらがお好きでした。それも、少々度が過ぎたものです。
わたくし達めしつかいを、旦那さまの杖をつかって転ばせたり、大旦那さまのお昼寝を邪魔してめしつかいの所為にしたり……奥さまに禁じられているのにお菓子を食べたいとだだをこねて、仕方なしにお菓子をこしらえた料理人がくびになったこともございました。
若さまはとても可愛らしくてらっしゃるので、旦那さまも奥さまも、若さまに甘かったのです。
その若さまも、成長するにつれ少しずつ、いたずらはしなくなりました。勉学に精を出し、旦那さまの希望どおりに都会の学校へはいられて、夏休みとお正月にだけ帰ってくることが続きました。
若さまが十歳になった頃、奥さまが身ごもり、下の若さまが生まれました。
わたくしはその頃、女中のまとめ役になっておりました。
奥さまは、下の若さまが生まれると、体調を崩してしまい、しばらく入院することになりました。旦那さまや大旦那さまは、子守を雇うと仰せでしたが、奥さまがそれをいやがって、わたくしや、長く仕えている女中達で、下の若さまのお世話をいたしました。
下の若さまは、若さまよりももっと可愛いかたでした。お世話をしているわたくし達を見ると、にっこり笑って、それにあのやわらかくてあたたかい手、あの感触はどれだけ経ってもはっきりと思い出せます。
下の若さまはすくすくと育ち、半年ほどで奥さまが退院してからも、わたくしや数人の女中でお世話をいたしました。奥さまも下の若さまの相手はしていたのですが、まだお体が本調子ではなかったのです。
夏になって、若さまが戻り、下の若さまをかまいたがりました。
いたずら坊主でなくなった若さまは、まだつたい歩きもできない下の若さまを抱えたがり、下の若さまが泣くと懸命にあやそうとしていらっしゃいました。わたくし達はそれを微笑ましくみまもったものです。
あれは不幸な事故だったのです。
わたくし達が目を離したのがいけませんでした。
晩夏の頃、下の若さまが乳母車から落ちて怪我をしました。
若さまとふたりで居た時のことです。
旦那さまも奥さまも、若さまを責めました。
若さまがわざと、下の若さまを乳母車から落としたのだと、そう責めたのです。
若さまは弁解しましたが、旦那さまも奥さまも信用なさいませんでした。旦那さまは若さまをひどく殴り、若さまは耳を切って、血を流されました。
わたくし達は若さまがそんなことをしないと知っています。若さまは、下の若さまが可愛くてしようがないのです。
ですが、乳母車から落ちた下の若さまが大声で泣きはじめた時、若さまがそれをあやそうとして、下の若さまが流した血で服を汚したのが、旦那さま達には疑わしく思えたのです。
その時は、大旦那さまがとりなし、若さまがその日のうちに学校に戻ることで決着がつきました。
それから、若さまは休みになって帰ってきても、ご実家なのに長居されることはありませんでした。
旦那さまも奥さまも、若さまが下の若さまに近付くのをいやがるからです。旦那さまは、居てはいけない場所に居たと、そんな理由で若さまをひどく打擲することが幾度もありました。いつも持っていらした杖で何度も打つこともありました。わたくし達は、若さまを不憫に思いましたが、なにもできることはありませんでした。
その時のわたくしは知らなかったことですが、若さまは学校での成績が芳しくなく、ご学友と喧嘩をして怪我をさせたり、先生に反抗したりして、旦那さまを困らせていたようです。
それが、下の若さまのことでご両親に冷たくされているからなのか、それともそういう乱暴な行動がもとで旦那さま達が若さまを疑ったのか、どちらが先なのかは存じません。けれど、若さまがわたくし達にいたずらをするかわりに、ご学友を相手にやんちゃをしていたというのは事実のようです。
若さまも下の若さまも、すくすくと成長していきました。
下の若さまは、とても可愛らしく、お美しいかたでした。ですが、病弱で、よく熱を出して寝込んでしまわれます。それもあって、旦那さまも奥さまも、下の若さまは学校へやらないと決めたようです。下の若さまはそれを不満に思っておいでのようでした。
ご両親が若さまを軽んじられる所為か、下の若さまも同じように、若さまを軽んじているようでした。
夏とお正月、ほんの短い間戻ってくるお兄さまなのに、下の若さまはどことなく若さまを軽蔑しているように感じました。あまりお喋りもせず、挨拶さえもしないでぷいとどこかへ逃げてしまうことがあったからです。
それは、わたくしだけが感じていたことではありません。めしつかい達は、若さまは粗野で口下手だけれどお優しいのに、下の若さまにはそれがわからないようだと、噂をしたものです。
ですが、下の若さまがななつになった年、わたくしは見ました。下の若さまが、帰ってきた若さまの制服を羽織り、楽しそうにしていらしたのを。
それは、学校にあこがれてなのか、お兄さまにあこがれてなのか、わかりませんでしたが、わたくしには大変可愛らしい行動に思えました。
若さまは軍にはいられて、二年間、まったくお戻りになりませんでした。
旦那さま達は、下の若さまを跡取りにすると決め、大旦那さまに、そのゆるしを得ようとしていました。
おじいさまがゆるしてくれれば、お邸もなにもかもお前のものになるのだぞと、下の若さまに何度もおっしゃっていました。下の若さまがそれを理解していたのかどうか、わたくしにはわかりません。
ただ、若さまを排除しようとしているご両親に対して、険しい表情を見せることがありました。下の若さまは、おもてに出さないだけで、若さまを敬愛していらっしゃったのだと思います。
旦那さま達が大旦那さまのゆるしを得る前に、大旦那さまは亡くなりました。散歩の最中に転んで頭を打ってしまわれたのです。
お年を召していたといえ、まだかくしゃくとしていらした大旦那さまが亡くなって、わたくし達はひどく動揺したものです。
見付けたのは下の若さまで、大好きなおじいさまの屍体を見付けた下の若さまのお気持ちを、旦那さま達は心配しておいででした。下の若さまは、暫くお食事を拒んでしまいました。
若さまが戻っていらしたのは、下の若さまが十一歳になった年です。
若さまは立派な体格で、力も強く、目もよくて、軍では士官でした。ですが、体を壊して、除隊されたのです。
旦那さまも奥さまも、ますます若さまを軽んじるようになりました。下の若さまは、お兄さまを面罵し、気にいらないことがあれば打擲するお父上を見て、とても怯えていらっしゃいました。
若さまは療養の為に、よくお散歩をしておいででした。
週に二度、医者が往診に来て、若さまを診ていきます。下の若さまが心配そうにその様子をうかがっているのを、何度も見ました。下の若さまはお優しく、若さまを心配していらしたのです。
次第に、おふたりでお散歩をするようになり、さすがにご兄弟で、端から見ても仲がよくてらっしゃるのがわかりました。
若さまが療養にはいって一年が経ち、小康状態になったからと、旦那さまが若さまに、軍へ戻るようにおっしゃいました。
お夕食の席でのことです。下の若さまがまっさおになっていたのを覚えています。
若さまは、お邸の居心地が悪かったのだと思います。旦那さまの言葉に逆らわず、わかりましたと項垂れておいででした。旦那さまは、すぐにでも電報を出すようにといっておいででした。
その後はどなたも喋らず、食器の音と、虫のすだくのが聴こえるだけでした。
その晩、わたくしは若い女中と、旦那さまと若さまの云い争いを耳にいたしました。
若さまは、あんまりだ、というようなことをおっしゃっていました。
旦那さまは、お前には関係ないとおっしゃっていました。
わたくし達は、はずかしいことに、おふたりの会話を盗みぎきしました。
下の若さまのことです。旦那さまは、下の若さまを学校へやろうとしておいででした。若さまは、それは可哀相だ、そんなことをしないでほしいと、そう訴えていました。
わたくし達にはその気持ちはわかりました。下の若さまはお体が弱く、神経質なところがあり、女中が添い寝していた頃には、悪い夢にうなされては泣いてらっしたのです。ご家族やわたくし達から離れ、学校へ行くのは、下の若さまにはつらいことでしょう。
ですが、旦那さまは強硬でした。その声になにか、厭わしげな色があったように、今になれば思います。
わたくしは女中と、若さまはお優しいのだとかなんとか話して、その場を去った筈です。
晩夏の朝は寒うございました。
わたくしは、旦那さまに、その時間に起こしに来るようにと命ぜられていたのです。
会合があるとかで、その為にいつもよりはやく起きる必要があるとのことでした。
わたくしは勝手口からお邸にはいり、廊下に出、近くにあるめしつかい用の階段を通って、二階にある旦那さまと奥さまのお部屋まで参りました。
ところが、扉を叩いてもおふたりはなにもおっしゃいません。わたくしは迷ったものの、扉を開けました。旦那さま達は、そこに居ませんでした。
いつもなら、まだ寝ていらっしゃる時刻なのにと、なにかおかしなものを感じた記憶がございます。
わたくしはお邸のなかをうろつきまわりました。おふたりはいらっしゃらないし、なんだかざわざわと、おそろしいような雰囲気がしていたのを覚えています。わたくしは不安でした。静かで、なにひとつ動こうとしないお邸のなかが、いつもお掃除をしたりお食事を運んだりして過ごしている場所なのに、来たこともないおそろしい場所に思えたのです。
わたくしはおふたりをさがしあぐね、どうしてか、二階から玄関広間へと通じる大階段へ足を向けました。その時自分がなにを考えていたのか、自分でもわかりません。
わたくしは大階段の途中で座り込んで頭を抱える若さまと、大階段の下で折り重なって倒れた旦那さまと奥さまを見付けました。
わたくしは悲鳴を上げたのだと思います。
若さまがはっと、わたくしを振り返りました。若さまは破れたシャツを身につけて、寝乱れたような髪で、鉛のような顔色でした。
若さまの顔には血がついています。
わたくしは腰を抜かして、動けませんでした。
その時、下の若さまが、泣いたような目で、腫れた頬で、清潔な寝間着姿でやってきました。どうしたの、と不思議そうにいいました。
若さまが立ち上がって、僕が殺したと叫びました。
若さまは捕らえられ、わたくし達は警察のかたに話をきかれました。
下の若さまは泣き喚き、若さまがどうしてつれていかれたのかと、誰からかまわずつかまえては訊いていらっしゃいました。わたくし達は説明できず、警察の若いかたがなんとか宥めようとしておいででしたが、下の若さまはとりみだしていて、医者が呼ばれました。
医者が処置をすると、下の若さまは眠ってしまわれました。
若さまは自分が両親を殺したのだというだけで、くわしい話をしませんでした。若さまがどうしてそんなことをしたのか、警察のかたはその理由を知りたがっていましたが、若さまは口を噤んでしまっていたのです。
旦那さまと奥さまは、奥さまが下になって、おふたりとも首を折って亡くなっていました。ただ、旦那さまは腰の辺りにも殴られたような跡があり、警察は、若さまが旦那さまを殴ってから、階段から突き落としたのだと考えていました。奥さまを突き飛ばして殺したのが先で、それを見られて旦那さまも殺したのだろうという理屈です。
わたくし達には、そんな話は信じられませんでした。
お邸は混乱していて、若さまや下の若さまのお衣装がなくなったり、見知らぬ人間がはいりこんだりと、わたくし達は対応に苦慮いたしました。
数日経って、下の若さまは漸くと、若さまが居なくなった理由を承知されました。そして、僕が警察に行くとまた、泣き喚いておいででした。僕の所為だからと。
下の若さまに付き添ったのは、弁護士と執事、それにわたくしです。わたくしが同行したのは、女中のなかでは一番の古株で、下の若さまを落ち着かせるのには適任だろうと、弁護士がそういったからです。
下の若さまは、まっさおになっていました。
それでも、警察では、しっかりとお話をしていました。
あの晩、旦那さまと奥さまから、来年になったら学校へ行くようにといわれた。
下の若さまはそれをいやがった。
旦那さまが、泣いていやがる下の若さまを、男らしくないと叱った。
下の若さまは、若さまにとりなしてもらおうと、若さまのお部屋まで行こうとした。
旦那さまが下の若さまを、逃げるのじゃないともっときつく叱った。
旦那さまは、今すぐにでも学校につれていくと、下の若さまを殴って、引きずり、大階段まで行った。
若さまが起きてきて、大階段の上で旦那さまと云い争いになり、間にはいった奥さまが足を踏み外して階段から落ちてしまった。
その後、奥さまに駈け寄ろうとして、旦那さまも落ちてしまった。
若さまは、怯える下の若さまに、大丈夫だから部屋へ戻りなさいといった。
下の若さまはそれに従い、お部屋でじっとしていた。
警察のかたは、下の若さまが若さまを庇っているのではないかと疑っておいででした。
ですが、情況から、事故の可能性もあると考えられていたそうです。旦那さまの腰の怪我は、手すりにぶつけたと考えればおかしくないとおっしゃっていました。
いえ寧ろ、若さまがその怪我を負わせたと考えると、不自然なのです。若さまがかがんだ状態で、なにか棒状のもので殴ったのならつじつまは合うが、そのようなことをするなんて今度は理由のつじつまが合わなくなると、警察のかたは訝しげでした。
下の若さまはほっとしたようでした。
どういったことがあったのか、わたくし達にはわかりません。
大旦那さまの時代から雇われている弁護士がお邸に泊まり込んでいて、若さまのことでどこかに掛け合い、旦那さまと奥さまの死は事故として処理されようとしていました。
下の若さまには、旦那さまに殴られたとおぼしい怪我があったそうです。ですので、弟を庇おうしたあまりに云い争いが激しくなり、間にはいった奥さまが足を踏み外すというのはおかしなことではないと、警察のかたも考えたようです。それに駈け寄ろうとして旦那さまも落ちるというのも、自然に思えると。
ですが、若さま自身が、自分を投獄してほしいと警察のかたにいい、話はこじれていきました。
若さまはなにがあったのか、くわしいことは決して話さず、しかし、自分は邸に再び戻ってはいけない、自由になってはならない、いっそのこと極刑にしてほしいと、弁護士や警察のかたに、毎日いっていたそうです。
わたくし達はそれをきいて、混乱しました。下の若さまが動揺するかもしれないと、弁護士は下の若さまにそれを伝えませんでした。
若さまがこれまで、旦那さまと奥さまに軽んじられていたことは、めしつかいから警察へ伝わっていました。それもあって、若さまにはご両親を殺す動機があると判断されました。若さまは裁判にかけられることになりました。
下の若さまが、若さまの面会に行きました。
弁護士は、下の若さまは泣いて、はやく戻ってきてほしいと若さまへ訴えたが、若さまは厳しい表情で二度と来ないようにとおっしゃったと、そういっていました。
下の若さまは泣いておいででした。弁護士をかえるにはどうしたらいいのかと、わたくしに尋ねられましたが、わたくしは答えを持っていませんでした。
下の若さまはどうしても、若さまを助けて差し上げたいようでした。お兄さまのお傍に居て、なぐさめてさしあげるのだと、そんなふうにおっしゃっていました。その為には、あんな頼りにならない弁護士ではだめなのだと。
下の若さまはけなげで、それからも若さまに会いに行っていましたが、若さまはいずれも門前払いにしていました。めしつかい達も、下の若さまを監督する為にいらしていた親戚のかたも、涙をうかべたものです。
若さまは、下の若さまを思って、親を殺してしまった自分と関わろうとするなと、あえて突き放しておいでなのだろう。下の若さまは、若さまが親を殺していようとも、弟として兄を慕い、大切に思っておいでなのだろう。
わたくし達はそんなふうに考えていました。
下の若さまは、若さまが極刑を望んでいると知って、倒れてしまいました。
不意のことでご両親を亡くされ、その上、お兄さまが捕まってしまっているのです。その心労はどれほどかと、めしつかい達は心配いたしましたし、なかにはあまりの哀れさに、お邸を辞す者もありました。
わたくしも下の若さまが心配だったのです。
あの晩、下の若さまの様子を見に参りました。
二階の廊下で、下の若さまは寝間着姿で、旦那さまの杖を持っていました。
下の若さまが立っているのは、弁護士がつかっている部屋の前でした。
下の若さまが振り返り、わたくしは息をのみました。
常夜灯に照らされた下の若さまは、鬼のような形相で、杖を握りしめていました。
わたくしは口を開きましたが、声が出ませんでした。
下の若さまは、とても怒っているようでした。
杖がゆっくりと、空を殴るのを、今でも覚えています。
わたくしはめまぐるしく、考えていました。
若さまは旦那さまと云い争ったそうですが、それならば旦那さまは若さまを打擲している筈です。いつだってそうだったのですから。
ですが、若さまには怪我はありませんでした。ご両親を抱き起こそうとしたのか、手や、それからその手で触れた顔、お衣装には血がついていましたが、顔にも破れたシャツから覗くお体にも、なんの跡もなかったのです。ご自分で、旦那さまと争ったことを偽る為に、シャツを引き裂いたということも考えられます。
旦那さまの腰の辺りの怪我は、身長の低い下の若さまならばつじつまは合います。若さまがあの杖を振り回せば、丁度、旦那さまの腰の辺りにあたるでしょう。
若さまはお優しいかたです。弟である下の若さまをとても大切にしていらっしゃいました。若さまが、下の若さまを庇って、僕が殺したといったのだとしても、なにもおかしくはないのです。
だとしたら何故? 下の若さまは何故、旦那さまと奥さまを? そんなにも学校に行きたくなかったのかしら。はじめ、学校へ行けないといわれた時には、とても不満そうにしていらしたのに。若さまの制服をこっそり羽織っていたのに。
下の若さまの表情が、ゆらゆらと揺らぐ灯で、おそろしいように歪んで見えました。
「もう少しでお兄さまが僕だけのものになったのに」