転機
戸張さんと朝食を食べたあと、食器を洗っている最中のことだった。
「そういえば、今日の戸張さんの声、昨日より高くないですか?」
昨日は、もう少し低かったような気がする。
「あっ、気づいた?今日は少し声を変えてみたの」
そんな、なんでもないことのようにあっさり言われても……。
「そんな簡単に声って変えられますか?」
「んー、努力次第かな?」
「ほんとですか!?」
「う、うん。よかったらコツを教えようか?」
「是非!」
最近、声変わりが始まってきて、少しずつ高い声が出せなくなってきている。
次第に声がコンプレックスとなってきているのが、最近の悩みの一つでもあった。
「じゃあ、今度の土曜日から始めようか。それでいい?」
「はい!」
「そう、そのまま。腹式呼吸を意識して」
現状出せる一番高い声を維持する練習が始まった。
しかし、次第に声の高さがずれていく。
「一旦、休憩しようか。ずっと無理して声出すと喉痛めちゃうし」
彼女は水を差し出しながら、微笑んだ。
「ありがとうございます」
「どうも。初めて教えるからちょっとワクワクするね」
「ワクワク、ですか?」
ドキドキと緊張する、というのはよく聞くが、ワクワクすることもあるのか。
「そう、ワクワクするの。どこまで才能を引き出せるのか。それって教えることの醍醐味だと思うの」
「醍醐味、ですか」
「声ってね、正解なんてないんだよ。だからね、自分の理想をどこまでも追い求めることが出来ると思う訳。理想の声とかあったりする?」
「えっと……、なんとなくですけどあります」
「なるほど、どんな感じの声?イメージだからね、擬音ばかりでも良いよ」
「私らしさを残したまま、声を高くしたいんです」
その言葉を聞いた戸張さんは、目が点になっていた。
「私、何か変なこと言いました……?」
「ううん、全然。高い声を出したい。そう言うから、自分の声全体が嫌なのかなって思ってたけど、違うんだね」
「はい。この声は、『私』そのものですから。私がなりたいように、私を変えていこうと思いました」
「強いね、良い目をしてるよ。本気って顔してる」
彼女は頷きながら答える。
「本気ですから」
「良い心構えだね。さぁ、その調子で練習続けないとね」
「はい!」
その日は、日が暮れるまで練習が続いた。
「そうだ、君に宿題を出そうと思う」
唐突に出た『宿題』の二文字に、ドキリとする。
「会話や、歌うときには、『抑揚』をより意識すること。これが宿題」
「抑揚、ですか?」
「そう、音域の上下一つでも印象はかなり変わるからね」
「なるほど」
抑揚は今まで意識したことがなかった。
理想の声に近づくには必要な要素かも知れない。
「特に、語尾に注目してみると良い。良い発見が出きるかも知れないから」
「はい!」
「それと……、そろそろご飯を食べようか。もう八時だし」
「あっ、時間を気にするのさっぱり忘れてました」
「何しろここには時計がないからね」
「そうですね。でも代わりに時間には縛られませんね」
「確かに。これはこれで利点もあるかもね」
そう言って二人は笑いあった。




