泥中の蓮
『らしさ』って、なんだろう?
男らしさって、女らしさって、どんな基準なんだろう。
「男らしくない」
「女っぽいのはやめろ」
もう、何度言われたのかもわからない言葉。
僕の価値観はそれほどまでに『異常』なのか?
何故、そのらしさという観点だけで、これほどまでの理不尽な仕打ちを受けるのか……。
ふと、過去を振り返って嫌な記憶が甦る。
「どうした?体調悪いの?」
心配そうな君の顔が、瞳に写る。
君が、そばに居てくれて良かった。
「大丈夫。考え事してただけだから」
今思い返せば、『あの出合い』がなければ、自分はこの生活すらも満足に送らせて貰えなかったかもしれない。
僕は可愛い服が好きだった。
服だけでなく、物もそう。
だけれども、周りからは馬鹿にされてばかりだった。
そして嫌になっては、公園で一人時間を潰して家に帰る。
それを繰り返していた。
家族からも、その価値観は否定されていたからとにかく肩身が狭かったのを覚えている。
何故、好み一つでこれ程までに非難されなければならないのか、理解が出来なかった。
そしてそんな日々を続けていた、ある日の事だった。
公園の隅に居た僕に君が声をかけてくれたのは。
「泣いてるの?」
僕は思わず、肩を跳ね上がらせて恐る恐る振り返った。
そこには、髪をポニーテールに纏めた少女が立っていた。
その左手にはグローブが身に付けられていた。
「な、泣いてないよ」
涙を見られたら、また男らしくないと笑われてしまう。
そう思った僕は、慌てて涙を拭った。
「はい、これで拭きなよ」
そういって彼女はハンカチを手渡してくれた。
「あ、ありがとう」
後半は尻すぼみになってしまったが、それでも声を振り絞ってお礼を述べた。
「え!たったそれだけなのに?悪いことしてないじゃん」
彼女はあっけらかんとした様子で言い放った。
その姿を見て、僕は緊張で上がっていた肩が降りるのが分かった。
「ただ、好きなだけなのにね」
彼女は、少し悲しそうに呟いた。
僕は勇気を振り絞って、話す。
「君も、そういうことが……?」
彼女は、不満げな顔で語った。
服の好みが違うという理由で仲間外れにされることが多いこと。
野球をしたいが、女性という理由で、受け入れてくれるチームや仲間が居ないこと。
他ならぬ家族にすら、『女性らしくあって欲しい』と願われ続けていること。
話を聞いている内に、僕の目からは涙が溢れていた。
彼女は慌てて、ハンカチで涙を拭ってくれた。
「君、とっても優しいんだね」
その言葉が、僕を受け入れてくれた気がして、言葉では言い表しがたいほどに嬉しかった。
互いの身の上話を終えて、日も暮れかけていたので、帰ろうとしたその時だった。
「もう日が暮れちゃうよ。早く帰らないと家族が心配するよ」
見かけない顔の人だった。
「二人とも、どこか似ているね。姉弟かな?」
言われるまで気付かなかったが、彼女は顔立ちがどことなく僕に似ているらしい。
あるいは、僕が彼女に似ているのか。
「違うよ、友達だよ」
彼女がそう言いきった。
友達……とても心に響く、大事な言葉だった。
見かけない人が去っていた後、彼女は何か企んでいるような顔でこう言った。
「明日、またこの場所で会おうね」
そういって、彼女は帰って行った。
(あっ!名前、聞くの忘れていた……。)
いつも通りの日常を消化して、急いで公園に向かった。
急ぐ必要はないけれど、自然と待ち遠しくて堪らなかった。
彼女は、僕が公園についてから五分後位にやってきた。
「ねぇ、名前教えて?昨日聞きそびれちゃった」
照れくさそうに彼女は、はにかみながらそう言った。
「蓮見 遥」
「遥、とっても良い名前!」
彼女は屈託のない笑顔を見せてくれた。
「君の名前は……?」
「私は、沖島 夏樹」
「なんて呼んだら良い?」
彼女は、しばらく考え込む動作を見せ、閃いた!という仕草と共に答えた。
「ナツって呼んで!私も君のこと、なんて呼べばいいかな?」
「僕……?うーん、ハル……かな?」
「ハル、ね。分かった!」
ナツはとても、屈託のない笑顔が似合う人だと思った。
自己紹介を終えたナツは意気揚々と、ノートを取り出し、広げた。
そのページに書かれていたのは……
「パートナー作戦?」
「そう!昨日帰ってから、一晩中考えていたの!」
ノートに記されていた作戦は、要約すると……
最初は、互いの情報を交換し合う。
趣味、交遊関係、家族のこと。
次に、互いの姿を似せること。
声、髪型、話し方など。
そして最後に……
次第に、『入れ替わり』を行い、ナツは僕に、僕はナツとして生活すること。
そして、互いにパートナーとして、その入れ替わり作戦を互いに補助し合うこと。
……とんでもない程の規模の作戦だ。
「私、結構良い考えが思い浮かんだと思うの!」
「そう……だね」
あまりの大きな作戦に、返答に少し詰まってしまった。
「まぁ、難しそうだから乗り気じゃなくても当然なんだけどね……」
ナツは肩をガックリと落とした。
僕としては、乗り気でなかった訳ではない。
むしろ、歓迎すべき内容だった。
唯一の友達であるナツにすら、打ち明けていない秘密である夢、『女の子』になること。
この作戦が成功すれば、その全てが叶う。
周りに非難されることもない上に、好きな格好も出来る。
今の環境から抜け出すには、絶好の機会だった。
ただ、難易度が僕らの想像より遥かに高いことだけが問題だ。
着替えは?トイレは?声変わりは?
考えなくてはならないこともたくさんある。
「……、…ル、ハル、聞いてる?」
深い思考の渦から、僕を引っ張り上げたのはナツの透き通った声だった。
「う、うん」
「やっぱり、無理なのかな……」
まるで、大切なものを失くしたかのような落ち込みようだ。
「ねぇ、ナツは、僕になれたらさ……何がしたい?」
「何って……、野球して、日が暮れるまで遊んで、そして……」
「そして?」
「『男の子』になりたい」
僕は、目を見開いた。
彼女は、その事を僕に打ち明けてくれた。
覆い隠すことなく、その本当の理由を。
「変、かな?女の子がさ、『男の子』になりたいって言うの」
「変じゃないよ!」
気付いたら僕は、条件反射のようにそう答えていた。
「だって、君自身は……変わらないから。だからね、全然、変なんかじゃないよ。」
「ありがとう」
ナツは照れ笑いで答えた。
「あのね、ナツ。僕もね、『女の子』になりたいんだ。だからね、この作戦、絶対に成功させようね」
「うん、約束ね!ハル」
この日、僕らのパートナー作戦は開始を告げた。




