それぞれの世界の『本質』
「……はい、……ええ大丈夫ですよ。精密な……はい。分かりました。では後日、こちらから連絡させて頂きます。……はい、宜しく御願い致します、失礼します」
カチャリと電話を置き、ふぅとため息をつく。気の強い反面、こういった気を遣う場面が苦手な彼女は、あの面接のときに努の隣でびしりとスーツを着た、あの彼女だった。
清潔感のある短髪をしっかりと揃え、強い意志を持った瞳は受付としては少しきつそうな見た目だが、社員一人ひとりが入社する度に笑顔を向けるその心遣いは社員たちを落ち着かせている。
そんな西山鈴音の面持ちは、どこか明るい。受付という仕事を受け持った事で、使命感が芽生えたようだった。
と、ロビー正面の入口から見慣れた影が姿を見せる。大きな影だが、発せられた声はとても優しい。
「おはよう、鈴音さん」
「あら、太田さん。今日は早いですね」
太田と呼ばれた男────太田博一は、西山や建山と共に面接を受けた、あの大男だ。
スポーツ刈りでまとめた短髪と太い眉は、ほとんどの人が軽く驚き道を開く。ただ、その性格は想像とは少し違う。
西山は入社してから分かったが、彼はその体格とは裏腹にとても気の利く繊細な男だった。受付という社の顔として重要な役割を任された西山によく声を掛けてくれたり入社時間まで一緒に受付で待機してくれたりと、西山にとってはとても心強い同期となった。
太田が、後頭部をカリカリと掻いて少し照れたように答える。
「いやぁ、俺今日までに企画書仕上げなきゃならなくなっちゃってさ……。「新人だからって甘くは見ないぞ」って上から言われてね」
あら、と西山が笑う。
「太田さん、期待されてますね」
「バカ言わないでくれよ、俺が期待なんか間違ってもされないって」
「そうですかね?太田さん、覚えが早いですから────」
不意に西山の口が止まる。目線が入口を向いて、途端に敵対心を浮かべた。
つかつかつか。
子気味良い音を立てながらロビーの方へ向かってくる男は────
「おはようございます、建山さん」
西山がそう声を掛けたが、建山はそれに構わず丁度開いたエレベーターへと乗り込む。
何なのよ、と西山が口を尖らせた。
「挨拶ぐらいしたって良いじゃない……」
太田は、困ったように口をへの字にして言う。
「きっと人見知りなんじゃないかな」
「でも、もう入社して2ヶ月よ?慣れてもおかしくないじゃないの。それに───あの面接の事もあるし……」
「確かにそうだけどねぇ……」
あの面接。彼女らも、建山の発言がずっと引っかかったままだった。
「太田くんと部署も違うみたいだし……。なんか隠し事してんじゃないの」
「もうやめよう。人の事を言うより、今は自分の事を何とかしようよ。───じゃ、鈴音さんも頑張って」
多少煮え切らない部分もあるが、太田が少し強制的に話を締める。
「ええ、ありがとう……」
こうして多少の気持ち悪さを残した朝は、それから何事も無く過ぎ去った。
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2150年、東京。
目まぐるしい科学技術の発展や、それが盛り上がる都度に湧く地球滅亡のニュースが日常を交差していた。
だからといって流される世の中でもなく、端的に言ってしまえば昔とあまり変わらないものだった。
強いて言うとするならば、世界に対する日本の在り方だろう。
古くから日本人特有の頭脳と器用さは有名だったが、ここ数十年で更に注目されるようになった。
人工知能の高度化はもちろんの事、今や身体に取り込む人工知能も開発されている。
そういった技術を強く支える企業。
代表的なものとしては『Creation Culture』だろう。
創立55年を迎えたこの───通称CCは、かつての日本を支えた家電製品の企業と合併して成り立ったものである。
大容量のチップや米粒ほどのCPUなど、主にIT企業の要望を聞き入れて開発を請け負っている。
ただその内情や詳細は一切語られる事は無く、CC創立者であり会長でもある大木戸宗男はいつ社長を勇退したのかさえも分かっていない。
ただ、そのCCが唯一世間に大きく送り出したものが、社訓である『喰らわぬならば死ね』が一世を風靡した。
マスコミは創立当時、この強烈、また意味深な社訓を「過激すぎる」と批判すると共にその真意を追求した。
だが、意味を問い詰めようにも社長も会長も姿をくらませているため無理であり、社員に聞いてもうやむやになるだけだった。
創立から55年経った今でもその真意は謎に包まれたままであり、CCの社員さえも上手く理解している者はまずいない。
そんな中、建山だけは全く違っていた……
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CCビルは75階建ての、東京都心の中では低めのビルである。
そのビルの最上階の一角に、本棚で囲まれた部屋がある。
普通の社員がこのフロアを訪れる事はできない。
彼らは50階までが仕事場であり、ここは全く関与する事が許されていないからだ。
その本棚の部屋に、建山が入る。
2ヶ月前に入社したばかりの、言ってしまえば若造が来る事ができないところだ。
まだシワのないかっちりとしたスーツを着込んで、緊張したように部屋の扉を見つめる。
元来気の弱い建山は、目元に不安を浮かべつつ地毛の茶髪を掻きむしる。
今日は太田も受付にいた。流石に挨拶ぐらいは良いだろうと思ったが、今の建山にはそれすらも許されない。
『上からの指示』でこうしてはいるが、建山の人間としての心がその行為を嫌悪する。
だがこれを守らないと、建山の現在の立場が揺らぐ。それどころかクビさえも考えられるのだ。
どこで何を間違えた。
それを2ヶ月、考えた続けた。
考え続けたところで、答えが出るわけも無かった。
答えが出なければ、実行して自分で理解するだけだ。
ふと、建山の呼吸が整う。
扉の取っ手に手を掛け、引き開けた。
「失礼致します」