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2016年/短編まとめ

籠女籠女

作者: 文崎 美生

『かごめかごめ』の歌、知ってる?そう聞かれたのは、仕事も終わりやっと帰宅出来ると息を吐いた二十三時過ぎのことだった。

背後から掛けられた声に、目を見開いて振り返れば、そこには一人の女の子が佇んでいた。

年齢的には中学生――下手をしたら小学生にも見えるその女の子は、ただじっと黙ってこちらの返答を待つ。


知らないことを答えて首を振って見せれば、彼女はゆっくりと視線を足元に落とし、そう、と掠れる呟き、まるで何事もなかったかのように歩き出す。

足音も立てずに静かに、それなのに跳ねるように歩く彼女は、俺を追い越して先に行ってしまう。

こんな時間に、何で、という疑問に乗っかるようにして、俺は彼女の背中を追い掛けた。

決してストーカーなどではない。


小走りで彼女を追い掛けていくと、彼女は軽い足取りで神社の階段を登っていた。

随分と足が速いようだ。

体重を感じさせない、まるで羽でも生えているのでは、と言いたくなる動きで階段を登っていく彼女を見つめ、一歩踏み出す。


薄暗い中でも鈍色に光る手すりに掴まり、一歩一歩、なかなかに段差の高い階段を踏み締める。

仕事で疲労困憊の体に、これは重労働だと息を吐けば、彼女が階段を登りながら、こちらを振り返りもせずに言葉を投げた。


「お兄さんは『かごめかごめ』歌える?」


乱れつつある息を整えるために、階段の途中で足を止めた。

それから深い息を吐き出しながら、えぇっと、とリズムを思い出し、歌詞を引っ張り出す。

随分と懐かしい歌だとは思う。


「……かーごめかーごめ、かーごのなぁかのとーりーはー、いーついーつでやぁる。よーあーけーのばーんに、つーるとかーめがすーべったぁ。うしろのしょうめんだぁれ」


俺が答えるのが遅かったからなのか、彼女は随分と舌っ足らずな歌を披露してくれた。

ざわざわと木々が揺れて、彼女の声が良く響く。

何となく薄ら寒いような気がして、手すりから手を離して腕を撫でた。


正しく文字に置き換えるなら『かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる。夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。後ろの正面、だあれ』だろう。

日本人なら誰しもが聞いたことのある歌で、俺なんて昔は『出やる』を『出会う』だと勘違いしていた。


「昔々、とっても仲良しな夫婦がいたの。その二人がやっと子供を授かった時、凄く、凄く喜んでいた」


懐かしい思い出を引っ張り出していると、そんなことをしている場合ではないんだよ、とでも言うように彼女は語り出す。

先程の舌っ足らずはどこへ行ったのか、酷く抑揚のない声が辺りに響いた。


「母親は安産祈願のために近所の神社へ向かったの。長い階段を一歩、一歩、ゆっくり、確かに登って祈願が終わった」


彼女は相変わらずこちらを振り向こうとせずに、ぽつぽつと言葉を紡ぎ続けた。

透明度の高い声だというのに、それは温かみに欠ける機械のような声だと思う。

夜風に靡く黒髪は闇と混ざり、溶け合った。


「それから帰ろうと階段付近に近付いた時、急に誰かに背中を押された」


「……え?」


「運が良かったのかな、母親は助かったけれど、子供は流産してしまったの」


声が出ずに、細い息だけが盛れた。

喉が張り付いて痛い。

空気が重く呼吸がしにくいような気がする。


「だから、後ろの正面だあれってね。『誰が突き落としたの?』ってことなの」


冷たい汗がこめかみを流れる。

絞り出した相槌は、木々を揺らす風に攫われて消えてしまう。

さっきまで神社の階段の中央部にいたはずなのに、今は一番上にいる。

何で、どうして。


階段、神社、夜中、一つ一つ浮かび上がるこの場所を、今を示す単語に冷や汗は止まらない。

背筋を伝って落ちるそれを感じて、頭の中では危険を察知したのか、警報がガンガンと鳴り響いている。

小さな物音に敏感になり、木々のざわめきが獣の声にも聞こえた。


一歩、後退れば、目の前の彼女は長い黒髪を揺らして振り向く。

重たそうな前髪の隙間から覗く瞳に光は宿っておらず、温度のない無表情をしている。

ヤバイ、何かを感じ取った体が硬直して、すかさず伸ばされた白く細く華奢な腕を見ることしか出来なかった。


「ねぇ、私を殺したの、誰?」


ふわりと地面が消える感覚と共に、俺は彼女から離れた。

真っ直ぐにこちらを見つめる瞳には、感情なんて存在しないようで、薄れ行く視界が真っ赤に染まって、目を閉じた。

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