第八十七話
そして、翌日。
地の霊脈……それは、フラマという街の、遺跡の奥にある。
ここは、セインとセナ、アレーナが、初めてルーアと出会った場所だ。
エデンが場所を知っている霊脈は、ここが最後。
アレーナの見聞きしたもの、訪れた場所については、全てわかっている。
だが、裏を返せばそれ以上は分からない。
──出来ることなら、セインを追って火の霊脈も見つけたかったけど。
ま、仕方ないか──
行先はあらかじめ伝えておいた。
時間も与えた。
先回りでもして、待ち構えていてくれるはず。
そうでなければ、意味がない。
──悪役は、正義の味方がいるからこそ、悪役なのだから。
そうでなければ……『ワタシ』は『エデン』で居られなくなる──
そうで、あるはずなのに……
そこに、彼は居なかった。
待ち構えていたのは、ただ二匹の悪魔だけ。
それも、ただの小間使い。
気怠そうなのと、真面目っぽそうなの。
これが門番だとでも言うのなら、力不足にもほどがある。
……だが、どうやらそうではないらしい。
「お待ちしておりました、エデンさま」
「ルーア様が『通してやれ~』って言ってたんで、どうぞ~」
などと、あっさり道を明け渡すのだ。
「……なんのつもり?」
彼女らの居る先に、霊脈があることは感じ取れる。
だが、それだけに解せない。
霊脈を奪われることは、彼らにとっても一大事。
明け渡すなど、あり得ないことだ。
「私らが戦っても、まず敵わないんで。
なんせ、大物に仕えることしか出来ない小悪魔なんで」
「助けぐらい呼ばないの?」
「今、留守にしております故」
そして、「どうぞどうぞ」と二匹の小悪魔は道を譲るのだ。
納得がいかないまま霊脈へ向かい、何も起きないまま、霊脈を支配した。
エデンは、胸の中にむかむかと、感情が沸き立つ。
──何をしているんだ、セインは……!
こんなにあっさり……あり得ないだろう!──
自分の体ではないが、頭を巡る血が沸くように熱くなっているのが分かる。
「用はお済で? じゃ、さっさとお帰りくださーい」
「お足元にお気をつけて」
戻れば、先ほど出迎えた小悪魔二人がそのように言ってくる。
「言われなくても、こんなつまらないところ、出ていくよ」
悪態をつくように言い捨てて、エデンはその場を後にしようとする……
だが、異変はすぐに起きた。
足が、動かないのだ。
正確に言えば、上げられない。
上げようとしても、どんどん沈み込んで、捕らわれていく。
まるで、地面に掴まれてしまったようだった。
確かに、全く違和感がなかったわけではない。
ほんの少し、沈み込むような感覚はあった。
だが、頭に血の上っていたエデンは、些細な違和感を気にすることなど出来なかった。
「我が眷属が言っていたであろう、
『足元に気をつけろ』とな」
洞窟内に響く、憎たらしい声。
「ルーア……! やはり居たのか!」
「当然。
おまえがここに来る、といったのであろうが。
先回りして罠を張るくらいは、当然であろう」
そう言いながら、姿を現したルーア。
こちらを憎たらしく見下ろすその姿は、いつもの少女のものではない。
全力の、成人の姿だ。
だが、それにしてはこの程度か……とエデンは思う。
「……やはり、霊脈を取られると出力を落とされるな」
「だろうね、いくら魔力が高まろうと、具現化するための源素が弱ければ、その魔法自体が弱くなる。
不意を突かれて対処が遅れたけど、抜け出すことくらい簡単だ」
そう言って、エデンは背中から巨大な翼を生やす。
洞窟の中、飛翔は出来ないがここを抜け出すくらいは……そう考えていた。
だが、それを封じるかのように、『上から』風が吹きつけ、抑えこまれる。
抵抗するも、その強烈な風に押し込まれ、膝まで地面へ飲まれていく。
「我にばかり、気をとられすぎたな」
「風の力……?! 誰だ!」
戸惑うエデンに対し、ルーアはそっと天井を指さす。
見上げれば、そこには銀髪の少女がこちらに手を突き出していた。
赤と金、左右それぞれ異なる瞳を輝かせて、こちらを睨んでいる。
「あれは……人間? いや、竜……?
そうか、竜の渓谷に居た小娘!」
このままでは、押し込まれる。
エデンは両手に力を集め、少女を撃ち落とそうとする。
……だが、思うように力が入らない。
やられた、とエデンは気づいた。
「いちいちワタシの意識を誘導させていたのは、このためか」
気が付けば、聖なる力によってエデンは包囲されていた。
間違いなく、これはセナによるもの。
エデンは悪霊やゾンビといった存在のように浄化され、消滅する。ということはない。
だが、やはり対極の力によって押さえつけられれば、エデンは本領を発揮できなくなるのも確かだ。
そして、そんな『弱った』エデンに向かう、一対の……刃。
両翼を刺し穿つ、白金の刃『エスプレンダー』と青と緑に輝く『勇士の剣』。
「そして、最後はキミか……セイン!」
眉間に皺の寄った、怒りの籠った視線を背後に向ける。
見えたのは、必死にくらいつく少年の姿だ。
「罠を張って、だまし討ち……
それが正義のミカタがやることか!」
「そんなこと知るか!
僕は、どんなやり方でも、アレーナを助ける!」
「なるほど……今までのやり方をワタシに試そう、という訳か!
けど、『人間』であるアレーナに、彼らと同じやり方をやっていいのかな?!」
「分かってる!
だから、取り込むのは……おまえだ、エデン!」
「ワタシを、アレーナから切り離す……だと?!」
エデンは、焦る。
──ダメだ……このままだと、本当に……!──
この肉体から、剥がされ始めているのが分かる。
──こんなところで、まだ……終わりたくない!──
エデンは、全力で抵抗を始めた。
──対極の力によって、弱められるのは何もこっちだけじゃない……!
『総量』の低い方が負けるというだけだ!──
腹の底から、両腕へ。
加減なしの力を込めて放たれた、黒い雷撃。
それは、作り出された『聖域』を辿り、『大本』を襲う。
こだまする、悲鳴。
「セナ!」
「……ばか、気を抜くな!
セインは、自分のやることがあるだろ!」
一瞬、セインに迷いが生じた。
その隙を、エデンは逃さず、セインを振り払う。
そして、次に天井を見上げ『竜の子』を瞳に捉える。
霊脈の力を使った風によって、クロムの風を打ち消すエデン。
自らを縛り付けるものを、全て払い除け……
そして、沈みゆく身体を飛翔することで、ここから抜け出そうとした。
……その時だ。
静かに、風を切る音が横切る。
なにかが地面に突き刺さる。
エデンは不意に視線が向いた。
──……矢?──
いったい、誰が?
疑問を、抱いてしまった。
そんな隙を突くかのように、矢は次々と放たれた。
自分の周りを囲むように、その矢は地面に突き刺さっていく。
エデンは、矢が放たれてくる方向に、意識が向く。
そこに居たのは、赤い髪の、小柄な少女。
その少女は、視線に気がついて、不敵に笑う。
「おれのこと、覚えているか?」
──誰だ……?──
「覚えてないだろうから教えてやる。
おれは、アスカのゲレルだ!」
赤い髪の少女に気を取られた、その時だ。
自分の周りを囲うように刺さった矢が、弾けるように燃え上がる。
エデンは咄嗟に身を守る。
飛翔のために広げた翼を折り、自らの身体を囲う。
炎に包まれ、蒸されるような熱さの中で思い出す。
「これは、『火炎の弓』の力か……!
これを使えるということは、あの小娘は……アスカの一族!
……いや、そんなことはどうでもいい。
ワタシが『火の力』を使えないからといって、これを凌げないワケじゃないぞ!」
エデンは両翼を広げて、突風を巻き起こす。
その中に、水滴を細かく織り交ぜて。
風と、水。
二種の力の合わせ技で、自らを囲む炎を消し去る。
あらゆる手を尽くした。
それは、エデンの息を切れさせるほど、消耗させることになったが……それはお互い様のようだ。
セナと、竜の娘は負傷。
赤い髪の少女は矢を使いきり、残るは本領を発揮しきれないルーア。
「そろそろ万策尽きたかな?
まあ、それなりに楽しめたよ。
でも、次は正面からかかってきて欲しいかな」
「ふむ……確かに我らが切れる札は確かに使いきった。
だが、それでお前が逃げられるというのは、ちと違うな」
ルーアは、そんな『ムカつくほど余裕な態度』を崩さない。
おかしい、とエデンは感じた。
追い詰めたのは、こちらのはず……
なのに、なぜ……自分が追い詰められた気がしてくるんだ? と。
その答えは、すぐに分かる。
エデンは、体が動かなかったのだ。
疲れている?
いや、そんなものではない。
固められたかのように、動けない。
足元を見下ろす。
腿まで埋まってしまった地面は、先程までのような泥沼ではなく……硬く、石のように固まっていた。
「さっきの矢は、これが狙いか!」
エデンは、ルーアを睨む。
彼女は、笑うでもなく、ただまっすぐにこちらを見つめ返す。
「次はない。
……が、正面からくるのがお望みなら、そうしてやれ。
……セイン!」
ルーアがそう言った直後。
エデンの正面に、セインが回り込んできた。
「これで終わりだ、エデン!」
そう叫びながら、二本の剣を、エデンの翼に突き刺す。
──え、負けるのか。ワタシ。
こんなところで……?──
セインが『中』で自分を引きはがそうとしているのが分かる。
抵抗できるだけの魔力は、まだ補給できてない。
『掴まれて』しまったら、そこで終わりだ。
──これで終わりか……あっけないな──
エデン自身も驚くほど、淡々とそう感じた。
それから、次第に浮かび始める後悔。
──あっさり通しすぎだし、罠って気づかなかった?──
とか。
──そもそも、誰も居ない時点でおかしいって気づくだろう──
とか。
──もうちょっと加減とか出来たんじゃないか?──
とか。
ほんの一瞬の間に、次から次へと。
──まだ……まだなにも出来てない。
なにも残せてない。
もっと……もっと、やりたいことが、あったのに。
最後の戦いって、もっと華やかで、劇的な……
それが、こんなあっけなく……──
後悔と未練が溢れ出し……思わず、エデンは言葉を溢す。
「嫌だ……
終わりたく……ない」
*
セインが、エデンの中に入り込んで見たもの。
そこは、おびただしいまでの、怒りと悲しみの叫びだった。
クウザや、セナの時とはなにかが違う。
気を抜けば吞み込まれてしまいそうな、渦。
進めば進むほど、身体は痛む。
あらゆる方向から、引っ張られているような感覚だ。
早く見つけなければ『自分が自分でなくなる』、そう直感した。
奥へ、奥へと、必死にもがくセイン。
その先でようやく見つけた『黒い塊』。
それが『エデン』であると、すぐに分かった。
セインはその塊を掴み、抜き出そうとした……
だが、その手は遮られた。
目の前に突然現れた……アレーナによって。
「アレーナ?! どうして……」
彼女はなにも答えない。
ただ、エデンを守るように胸元へと抱き寄せる。
「助けに来たんだ!
そいつを、エデンをこっちに渡して!」
アレーナは、ただ首を横に振る。
エデンを両手で包むように抱いたまま、彼女はまっすぐセインを見つめて告げる。
「今のキミでは、救えない」
ただ一言。
その言葉を最後に、アレーナは深く暗い場所へと姿を消す。
直後、セインは奥底から噴き上がる『波』に押され、外へと弾き出された。
*
エデンは、セインの胸に手のひらを当て、衝撃波を放つ。
彼の体は空中で弧を描きながら飛んで、ゲレルと、ルーアの使い魔によって受け止められる。
翼を仕舞い、拳を固めるエデン。
黒い影が拳を覆い、大鎚のように変化する。
それを、エデンは頭上に大きく振りかざす。
振り下ろそうとしたその瞬間。
一瞬だけ、ルーアに対して『碧の瞳』が視線を送る。
その後、躊躇いもなく地面に影の大鎚を叩きつけ、自らを拘束していた大地を破壊する。
その衝撃で、この洞窟は激しく揺れ動き、崩落し始める。
ルーアは、持てる魔力を尽くして崩落を止め、なんとか皆を守った。
……だが、そのときにはすでに、エデンの姿は無かった。
ルーアは息を切らして、膝から崩れおちる。
──今のは……どういうことだ……?──
自分の目を疑った。
一瞬だけ送られてきた、あの視線……
曇りなき、澄んだ『碧』の瞳。
あれは、間違いなく『アレーナ』のものだ。
つまり、ここを壊したのはエデンではなく……
アレーナが、自らの意志でやった。
と、いうことになる。
「なぜだ……
アレーナが、エデンに力を貸しているというのか……?」
ルーアは理解できず、混乱する。
その背後で、意識を失いかけているセイン。
彼も同じように、戸惑っていた。
『今のキミでは、救えない』
アレーナの心に、直接言われた言葉。
──どうしてだよ……
どうしたら、良かったんだ──
虚空に手を伸ばす。
何も掴めず、握りしめたその手には、ただ悔しさだけが籠もっていた。
*
暗く、静かなどこかの場所。
そこにただ一人、アレーナは佇む。
この地には人の姿も、獣の気配さえもない。
そこで、彼女は自分の胸に手を当てて、目を閉じる。
「大丈夫だ、キミのことは私が守る。
……エデン、キミの『本当の望み』が叶うまで」
優しく、言い聞かせるように彼女は囁いた。
次回から最終章、2024/2/18の21時から更新予定です。
よろしくお願いします。