第八十話
泉から這い上がる、セイン。
大きく息を切らし、胸を押さえている。
「随分と、面白いことになってるね」
うずくまるセインを見下ろして、エデンはそう言った。
そして、その姿に異変が現れていた。
髪の左半分が、白く発光し、左目は白と黒が反転していた。
「エデン……助けて、くれた、のか?」
セインは息を切らし、途切れ途切れの言葉で問いかける。
「さあね。
ワタシとしては、借りを返しただけだけど……
キミが『助けられた』と思うなら、そう思ってくれてもいいよ」
そういって、差し伸べられた手を、セインは迷いなく取る。
彼の手は、触れたそばから傷つき、血が滲みだす。
「もう少し躊躇ったら?」
エデンは、驚いたようで、少し不満げな表情を浮かべつつ、彼を引き上げる。
「そんな余裕、無いからさ」
と、額に汗を滲ませて、笑みを絞りだすセイン。
「まあいいさ。
返すものも返したし、あとはキミの番」
「お前が……やったくせに……」
「『邪悪なる者』だからね。
他者を傷つける以外に、出来ることがないのさ」
そう言って、そっぽを向いた彼女の背中は、少し寂しげに見えた。
「ほら、来たよ。
今、キミが救うべき『お姫様』」
エデンが指さす先から現れたのは、シエラ。
一歩一歩、重々しくこちらへと歩みを進めている。
その肩に、数十匹もの蛇を束ねて、担ぎ、引っ張りながら。
そんなシエラを引きずり込もうと、暗闇の奥からさらに蛇が現れて、全身に巻きつく。
だが、そんなことをモノともせず、シエラは突き進む。
「今のうちに、その乱れた呼吸ぐらいは、整えておきなよ?」
そうエデンが語った直後、「ゥウォオオオオラァアアアアアアア!」と、響き渡る雄叫び。
通路から引っ張り出され、湖畔に投げ飛ばされる、半人半蛇の巨体。
この空間によって負の力が弱まっているのか、衰弱している様子だ。
そんな彼女が、おもむろに頭を上げて、その真っ赤な眼でセインを見つめる。
そして、求めるように、手を伸ばす。
「セナ……」
正直、まだ体に力が入らない。
それでも足に無理やり活を入れて、セインは立ち上がる。
──助けなきゃ。
それが出来るのは、僕だけだ──
左に差した剣『エスプレンダー』の持ち手を握る。
引き抜くことなく、ただ、握るだけ。
それはきっと、儀式のようなものなのだろう。
気持ちを落ち着ける……あるいは、覚悟を決めるための。
今、その目に迷いはなく。
白と黒の瞳は、ただまっすぐに、セナだけを見ている。
シエラも、こちらの方へと向かってきている。
「ここまで、か。
じゃ、あとはよろしく」
静かに、エデンはその場を去っていく。
誰にも悟られぬうちに、霊脈へ向かう。
ただ、一度だけ立ち止まり、セインの方へと振り返る。
「セイン、セナのことは任せたぞ」
ただ一言、それだけ呟いて、彼女は去っていった。
*
セインの元に、一人の女性が駆けつける。
水色の長い髪を、後ろで一本に纏めた、逞しく、無駄のない肉体の女性。
「おう、気が付いたみてぇだな。
……って、どうしたその姿?!
平気か?」
どうした? はどちらかと言うと、こっちが聞きたい。
雰囲気はまるで違うが、なんとなくシエラだろう。というのは分かる。
限界の近い脳に、余計な情報が流さないでほしい。
セインはそう思ったのを飲み込んで、「大丈夫」と答える。
「ま、口だけでもそう言えるなら充分だ。
お前には、一番キツイこと、やってもらわなきゃいけねぇからな」
「分かってる。
ただ……」
「どうした?」
「風が欲しい。
セナの所まで、少しでも、速く行きたい」
セインは、風から『力を借りる』。
風に乗って駆け、風が打ち上げ、風が斬撃を運ぶ。
それは魔法ではなく、彼自身の力でもない。
ただ、風に気に入られて、手を借りているだけ。
だからセインは、風のない場所では人の域を出ないのだ。
「無茶言うなよ、ここは地下だぞ。
風なんて吹くわけ……
いや……待て」
シエラは感じた。
彼から微かに感じる、竜の気配。
そして、思い出す。
勇士の剣に触れたとき、何かを感じたことを。
「……お前、消耗してるな。
無茶は出来るか?」
体はふらつき、呼吸をするにも、全身でやらないと間に合わないんだろう。
そんな彼の答えは、一つ。
「もちろん!」
「いい返事だ」
満足気に、シエラは笑う。
セインに肩を寄せ、策を伝える。
微かに頭を縦に振ったのを理解と受け取り、シエラはセナに背を向ける。
そして、腰を落として、両手を合わせる。
セインは踏み込む。
軽く飛び上がって、シエラの手の上で、更にもう一度踏み込む。
「全力、ふり絞れ! セイン!」
シエラは、全力をもってセインを打ち上げる……セナの元へ。
しかし、これだけでは足りない。
捕まえられるよりも先に、彼女の元へたどり着かなければ。
もっと、もっと……疾く(はやく)。
セインは、勇士の剣に手をかけ目を瞑る。
そして、呼びかける。
*
「セイン……?」
クロムはどこからか、彼の声が聞こえた……気がした。
しかし、その姿はどこにもない。
だが、すぐに分かった。
彼は今、自分を必要としていることが。
「クロムの力が必要なんだな。
使え、クロムはいつだって、おまえの傍に居るぞ、セイン」
胸の前で両手を合わせ、目を瞑るクロム。
近くに居られなくても、傍に居る。
共に戦えなくとも、想うことは出来る。
自分たちは『繋がって』いるから。
*
──ありがとう、クロム!──
セインは、額から体の中に力が流れ出すのを感じた。
それはまるで血液のように、全身を駆け巡る。
これが魔力。
血液と違うのは、自分の意思で、流れる先を変えられること。
勇士の剣を握る左手に、意識を集中させる。
剣を、自分の体の一部とするかのように。
血管を作り、そこへ血を流すイメージで。
魔力を注ぎ……一気に引き抜く。
その刀身は淡い輝きを放っていた。
まるで、日の光を照り返す新緑のよう。
その時、セインを中心に風が巻き起こった。
魔力を得た勇士の剣が、風を生み出したのだ。
彼を捕まえようとする蛇たちを一掃し、追い風となってセインを運ぶ。
そして、『エスプレンダー』を引き抜いて、二本の刃を、セナを覆う『殻』に突き刺した……!