第七十九話
激情に呑まれ、悪意の巨人となってしまったセナ。
そんな彼女を救える『勇士』であるセインは、今セナに囚われてしまっている。
そんな状況の中で、まだ、立ち向かう者がいた。
『邪悪なる者』エデン。
『水の精霊』シエラ。
本来、敵対する二人。
並び立つことは、あり得なかったであろう彼女たち。
いざ、こうして共に戦えば、驚くほど息の合った連携……
など、出来るはずもなく。
「ところで、なにか策とかあるわけ?」
「ンなもん、あそこにセインが居るんだから、そこまで行って引き離せばいいだけだろうが!」
エデンからの問いかけに、シエラは黒い巨体の胸元を指差してそう答える。
エデンは一瞬、可哀想なものを見る目をシエラに向けて、頭を抱えて首を横に振る。
「ごめん、期待すべきじゃなかったね」
「アァン?!」
「おいおい、こっちに拳を向けてどうする。
問題はどうやって、彼女の胸元まで行くかってことだろう?
飛ぼうにも、この狭い空間で飛行の翼陣を広げることはできないし」
エデンは思案する。
「……こうしよう。
ワタシが前に出て、奴の気を引き付ける。
その隙に、セインの所まで向かうと良い」
「……テメェの指図受けるのは癪だが、その案は悪くねえ。
それで行くぞ」
シエラの返答に、エデンは安心した様子で息を吐く。
「ああ、良かった。
キミが脊髄反射でモノを考えるタイプじゃなくて」
「やっぱり、先にテメェをぶっ飛ばしてやろうか……」
そんなシエラの言葉など、知らぬふり。
エデンは槍を構え、セナの黒い巨体の元へ走る。
襲い来る蛇たちの攻撃を槍でいなし、道を開くエデン。
その後ろから、シエラは駆け出し、飛び上がる。
……そこで、シエラはあっさりと蛇たちに縛られ、身動きを封じられてしまった。
エデンはほくそ笑む。
「本当に助かるよ。
キミ、戦うときは全身で考えるタイプだもんね」
「なっ! テメェ何のつもり……」
エデンはその場から飛び上がり、シエラの頭上を飛び越えて、彼女の眼前に立つ。
「捕まるのは当然だろう。
空中じゃ避けられないんだから」
「最初からこうなるって、分かってたってのか!」
「ああ、もちろん。
全部、想定通り」
シエラを見下ろし、口の両端を釣り上げるエデン。
……そして。
「お陰で道ができた。
これでセインの元まで走って向かえるってわけ」
「なんだと?!
そのためにアタイを利用したのか?!」
「キミがおとりになって道を作れ。
……なんて提案、首を縦に振らなかっただろう?」
「このヤロォ~!」
「もうしばらく耐えていてくれたまえ。
キミなら、そう簡単に潰されもしないだろう。
それじゃ!」
と、エデンはシエラに手を振って走り去る。
足元から涌き出る蛇たちも、槍を巧みに使った高跳びで切り抜けて、セインの元までたどり着く。
しかし、そこでエデンは気付く。
自分の手では、彼の拘束を斬れないということに。
赤目の魔獣を覆う魔力は、正反対の性質を持った力で中和しなければ、解くことはできない。
つまり、エデンでさえ傷つけることはできない。ということ。
「参ったな……」
他に考えられる手段がないではない。
例えば、シエラのような規格外の腕力があれば、千切れもするだろう。
だが、あまり頼りたくなかった。
……ここまで考えていなかった。
などとシエラに知られたら、絶対に笑われる。
そんな事態は避けたい。
「……必要なのは、勇士の力」
そこでエデンは気付く。
「あるじゃないか、『ワタシ達』には。
『セインとの繋がり』が」
胸に手を当て、目蓋を閉じる。
内側に意識を向けるように。
「さあ、目覚めなさい……アレーナ」
内側へ、心の奥底に、呼びかけるように囁く。
すると、エデンが姿を変えていく。
鎧は禍々しい黒から、清廉な白へ。
開かれた瞳は、昏く深い蒼から、透き通った碧へ。
手にした槍に力を籠めると、その刃先は銀に輝く。
そして、流れるような槍捌きで、セインを捕える蛇たちを断ち切る。
解放され、慣性のままに落ちてくる彼を抱きとめる。
意識を失っているようだが……何か様子がおかしい。
「セイン……? セイン!
どうして、目が覚めない……」
呼びかけても反応がない。
呼吸も脈も安定していて、穏やかに眠っているとしか思えない。
光る苔しか光源のないこの場所では、これ以上、詳しく彼の容体を確かめるすべがない。
「……彼女ならわかるか?」
セインを担ぎ、槍を逆手に握りなおす。
ここはセナの胸元。
彼女の赤い瞳が、きつくこちらを見下ろしている。
こちらを囲うように、彼女の体から伸びた蛇が睨みを利かす。
決して逃がさない。とでも言いたげだ。
「セナ……許せ!」
逆手に持った槍、その銀の刃を彼女の胸に突き立てる。
寸分の躊躇いもなく、深く、抉るように。
悲鳴のような叫び声が響くと同時、足元が揺らぐ。
不安定な足場から飛び上がる。
槍の先で踏み込み、より深く刺してその場を離れる。
人一人分、余計に重いせいで思うように距離は飛べなかった。
だが、包囲を抜けることくらいはできた。
まだセナが体勢を崩しているうちに、走る。
その目的はシエラ。
彼女は今でこそ水の精霊だが、もとは天使。
セナ達『空人』の祖先にあたる種族。
二人はよく似ているし、セナのように、癒しの力を使えてもいいはず……
と、考えたからだ。
先ほど彼女が捕まっていた場所まで戻る。
そこでシエラは、緩んだ拘束から抜け出そうとしていた。
空いた手元に、再び槍を生み出す。
彼女を拘束する蛇に、先ほどと同じように銀の刃を突き刺す。
急に緩んだ拘束。
シエラはそのまま落ちていき、尻もちをついてしまう。
「いってぇ……
オイ! やるなら一声かけろや!」
「あっ……
すまない、気が焦ってしまって……」
妙に腰の低い彼女に、シエラは違和感を抱く。
「お前、邪悪なる者……じゃないな?
器の持ち主……アレーナか?」
「……ええ、『今は』。
だが、そのことについて話す暇はない。
セインの様子がおかしい、あなたの力で治せないか?」
アレーナは、担いでいたセインを下ろし、シエラに預ける。
「……これは、毒?
いや、少し違うな。
神経だけじゃなく、精神にさえ作用させている……
ある意味、呪いと言ってもいい」
「では、呪いを解けば、目覚めるのか?」
その問いかけに、シエラは否定も肯定もしない。
「呪いと言ったが、それは分かりやすく言っただけだ。
これは、本来、呪いを組み上げる『呪力』とは、正反対の力で組み上げられてる。
癒し続けて、目覚めないようにしているんだ。
だから、アタイじゃ解けねえ」
「そんな! なら、どうしたら」
「考えられる方法はある。
あるが……」
「あるんだな?
それはいったい、どうすれば……」
シエラは、アレーナを見上げて、少し躊躇いながら答えようとする。
……だがその時、セナが体勢を立て直し、再び襲い掛かってきた。
というよりも、再びセインを拘束しようと迫ってきているのだろう。
「おい、お前! アタイを守れ!
まずは泉まで行く!」
「分かった!」
シエラがセインを抱きかかえ、彼女の根本に向かって走り出す。
アレーナはそれに追随し、セインを狙って迫る蛇を切り払っていく。
そして、セナの根本までたどり着くと、シエラはアレーナにセインを預ける。
シエラは拳を強く握り、深く息を吸い込む。
そして、踏み込んで、思い切り、右の拳をセナに向かって叩き込む。
それは、単なる打撃ではなく、鋭い針を穿つかのようだった。
撃ち込まれた一撃は、セナの黒い巨体を抉り、大穴を広げていく。
向こう側が見えるほどに。
「走れ!」
空いたそばから修復していくその穴に、二人は駆け込んでいく。
塞がりきる前に、そこを抜けていく。
「追いかけてこなけりゃいいんだけどな……」
無理と分かりつつ、そう願うシエラ。
が、背後を確認すれば、彼女は体をねじり、地面の中から蛇のような下半身を引きずり出そうとしていた。
「……ま、だよな」
観念したように、ため息をつくシエラ。
そして、アレーナに視線を向け、彼女を呼び止める。
「おい、聞け!
セインを目覚めさせる方法が、一つだけある。
『テメェ』に、その気があるならな!」
そういって、アレーナの胸を指さす。
「それは……エデンに、ということか?」
シエラは無言で頷いたあと、アレーナに耳打ちする。
「……正直、上手くいくって確証はない。
下手すりゃ、セインは死ぬだろうな」
「だが、やらなければセインは目覚めることはない……
道は二つに一つ、か」
「しかも、やれんのはアンタん中に居る『ソイツ』だけ。
正直、信用できねぇ……
が、あとは託すしかねえ」
話しているうち、セナが下半身を引きずりだし、這うようにこちらへと迫ってきていた。
シエラは、迫るセナの前に立ちはだかり、構える。
「ここはアタイが食い止める!
お前のこと、信じるぞ……」
アレーナは頷き、シエラに背を向けて走り出す。
そして、たどり着いた泉で、セインをそっと浮かべる。
この泉は、「正しき者」を癒し、「邪な者」を浄化する。
セインはこの泉にとって、「正しき者」。
癒しを受けることができる。
だが、彼を眠らせているのもまた、この泉と同じ力。
この泉に浮かべても、彼は目覚めない。
アレーナは、胸に手を当て、瞼を閉じる。
「聞いていたはずだ、エデン。
おまえだって、セインが今のままは、嫌だろう?」
そう、内側に呼びかける。
すると、鎧は白から黒へ。
瞼を上げて、瞳は碧から蒼へと変わる。
「そうだね。
だからって、うっかり殺さない、とも限らないけどね?」
泉に浮かぶセインを見下ろし、歪んだ笑みを浮かべる『エデン』。
手元に槍を作り出し、自身も泉に浸かる。
肌が微かにヒリつく。
「ここまでしてあげるんだから、
耐えてみせなよ」
エデンは、セインの体を抱き寄せる。
……そして、その胸に槍を突き刺す。
これがシエラの示した、ただ一つの方法。
『セインを眠らせているのは、『癒し続ける浄化の力』。
なら、それを解くにはその反対、『傷つける呪いの力』をぶつけるしかねえ。
今この場で……いや、セナの想いに打ち勝てるとしたら、『テメェ』しか居ねえんだよ……
エデン!』
負の力を、セインに流し込み続ける。
それは、ただ触れるだけで相手を傷つけてしまうもの。
ただ流し込むだけでは、彼の身が弾けるだけ。
だから、この泉で外側から彼の身を癒し続け、彼を内側から傷つける。
「あの女もかなり性格が悪い。
これ、ワタシも結構きついじゃないか!」
セインのを縛る『癒し』を『呪い』で中和し続ける間、「邪な者」であるエデンを、泉は拒絶する。
ただ、そこに居るだけでエデンは傷ついていく。
『呪い』を流す、それはエデンにとって血を流し続けているのと変わらない。
存在そのものが、誰かを傷つける『呪い』のようなものだから。
何もしなければ、泉の浄化作用も、『掠った』程度の痛みで済む。
だが、身を削り続ける今のエデンには、この泉に浸かっていることは、かなりの負担になる。
「目を覚ましなよ、セイン。
眠ったままじゃ、傷つけあうこともできないだろう?」
……ドクン、と心臓が大きくはねた。
その振動が、エデンに伝わる。
ドクン…………ドクン……ドクン、ドクン。
徐々に感覚が短く、そして、激しく脈打つ。
「……ようやく、お目覚めか。
ねぼすけ君」
エデンは槍を抜き取り、彼の傍を離れる。
直後、泉は沸き立ち……弾ける。