第七十六話
水の都、レミューリア。
その地下深くにある湖の中心に、小島が浮かんでいる。
この地は、『聖域』と呼ばれる。
普通の人間が、立ち寄ることのない場所だ。
そこで静かに、禅を組む少女の姿があった。
その少女は、ウェーブがかったボブカットの水色の髪が特徴的で、水を思わせるワンピースを身に纏う。
彼女の名は、セナ。
セインの幼なじみで、どんな怪我も瞬く間に治せる、癒しの力を持つ。
天使の末裔……空人、と呼ばれる種族の一人。
半年前、セイン達とはぐれてから、水の都に一人で辿り着いたセナ。
この地を守る水の精霊『シエラ』の元で、彼らと再び共に戦う時に備えて、修行をしていた。
今は、法術の強化のため、精神統一を行っている。
気持ちを鎮め、水の源素の流れを感じ取る。
そして、その流れと一体となる感覚を掴む。
そうすることで、法術の際により強く源素の力を引き出せるようになるという。
その修行の最中、セナはこの街に近づく『気』を感じ取る。
セナは半眼だった目蓋を開き、澄んだ水色の瞳を輝かせて、天上を見上げた。
「セインが、来る」
思わず顔がほころぶ。
「えーいっ!」
「いてっ!」
そんな彼女の脳天に食らわされる手刀。
「セナさぁん? 集中、切れてますよぉ?」
「えへへ、ごめん」
「もぉ~、叱ってるんですよぉ? これでも」
ぷくり、と頬を膨らませたシエラ。
セナは、それなりに長い付き合いなので、彼女が怒っていることは分かるのだが……
正直、間延びした口調のせいか怒られている気がしない。
「まったく、もう……」
と呆れた様子のシエラだったが、すぐに顔を綻ばせる。
「まぁ、仕方ないでしょうけどぉ。
ようやく、会えますもんねぇ」
「ああ……
この時のために、あたしは頑張ってきたんだからな」
自信に満ちた顔で胸を膨らませるセナ。
「もうひと踏ん張り!」
と、気合を入れる。
そして、肺の中の空気を吐き出し、瞬時に気持ちを鎮めて『禅』に集中を始める。
シエラはその姿を見て、それで良し。と頷いて彼女の修行を静かに見守った。
*
セイン達は、水の都レミューリアへと辿り着いた。
これから、セナの待つ地下の祭壇へ向かおうとしていたところなのだが……
「えっ、二人とも来ないの?」
入り口まで来たところで、ルーアとクロムは、祭壇へは行かないと言い出した。
「近づくと肌がピリピリする……だから、クロムは行きたくない……」
「ここは聖気が強すぎて、悪魔や竜には毒でな……
まあ、あの元天使、ワシに化けの皮を剥がされたくないのだろうよ」
「化けの、皮……?」
セインがよく分からず首を傾げていると、「そんなことはいいから」とルーアに背中を押される。
「とりあえずセナに会ってこい。
半年以上会ってないのだ、余計な奴らが居ない方がいいじゃろ」
「余計って……そんなことは無いけど。
まあ、入れないなら仕方ないね。
クロムには会わせてあげたかったけど、後にするよ」
「ああ、待ってるぞ」
二人に見送られながらその場を後にし、レミューリアの地下深くまで向かうセイン。
その先には、一人の女性が佇んでいた。
「セナ? ……じゃ、ないんだね?」
少し雰囲気が似ていたが、違う。
セナと同じ水色の髪をしているが、その長さは腰まで届く。
たゆたう水を思わせる羽衣を纏う、柔和で包容力のある印象の、糸目の女性。
「はじめましてぇ……今代の勇士、セイン様。
わたし、今は水の精霊をやっております、シエラと申しまぁす」
柔らかな笑みを浮かべて、お辞儀するシエラ。
「ああ、君が! セナとルーアから聞いたことあるよ。
よろしく!」
「ええ、よろしくお願いしますぅ。
あなたも、セナさんから聞いていた通りぃ、気持ちの良い方ですねぇ。
まぁ……ルーアのことはともかく……」
なにか最後にぶつぶつ呟いていたが、セインには聞き取れなかった。
一瞬顔を俯けたシエラは、すぐに顔を上げて、誤魔化すように握手を交わす。
その時、セインは握った手に、少しだけ違和感、とも言える感覚を覚えた。
「では、セナさんも待っていることですしぃ。
ご案内しますねぇ」
「……うん、よろしく」
その違和感の正体は分からないまま置いておき、ひとまず彼女の後ろをついていく。
……セインは少し、緊張した。
久しぶりにセナと会うこと。
それは、楽しみだ。
だが、やはりアレーナの事、怒っているんだろうな……という考えがよぎる。
どんな顔をして彼女に会えばいいのか。
どんな言葉で、彼女に伝えればいいのか。
そんなことを考えると、やはり緊張する。
「セナさん、あなたに会えることをぉ、
とても楽しみにしていましたよぉ」
「……それは、どういう意味で?」
「そんなに身構えること、ないってことですぅ」
そう言って彼女は微笑んだ。
それから、セインが連れてこられたのは、青白く、ほのかに輝く泉。
シエラは、その湖の中心に浮かぶ小島を指差す。
「あちらに、セナさんがいらっしゃいますぅ。
わたしが居るとお邪魔でしょうし、ここで待ってますねぇ」
「分かった。ここまでありがとう」
「いいえぇ。
そうだ、泳いでいくには重いでしょうし、剣はお預かりしますよぉ」
「そうだね、助かるよ」
と、セインはシエラに『勇士の剣』と『エスプレンダー』、二本の剣を預ける。
「はい、確かに……
おやぁ?」
剣を受け取ったシエラは、不思議そうに首を傾げる。
「どうかした?」
「ちょっと、勇士の剣が……
いえ、こちらで確かめておきますのでぇ。
セインさんは、どうぞセナさんの所に」
「うん……じゃあ、よろしく」
彼女の反応が気になるものの、一旦任せて、セインはセナの元へと向かう。
泉を泳ぐセイン。
不思議な感覚だった。
服を着ていても濡れる様子はなく、それでいて沈むこともない。
水に浮いている……というよりも、宙に浮かんでいるような気さえする。
それに、体に溜まっていた疲労、そして怪我の痛みが次第に和らいで、体が軽くなっていく。
セインは、元気になった体で、一気に小島まで泳ぎきる。
陸に上がって、セインは大きく伸びをした。
こんな感覚は久しぶりだった。
体が軽くなったお陰か、気持ちも軽くなったらしい。
セインは身構えず、セナの元まで向かえた。
そして、島の中心に座る彼女の背中を見つけた。
セインは駆けだす。
よく知る、変わらぬ姿に向かって。
「セナ!」
大きな声で、彼女の名を呼んだ。