第六十七話
「すこし休む」
クロムは、そうセインに伝えてから、仮眠をとっていたのだが……
今は太陽が真上にある。
いつの間にやら昼になっていたらしい。
頭の下になにかが敷かれている。
あの男……セインの匂いがする。あと、ほんのりと焦げ臭い。
これは、彼の羽織っていたマントだ。
なるほど、あいつの匂いに安心して眠りが深くなったか。
……などと、一瞬考えてしまったのが恥ずかしくなったクロム。
妙な考えを振り払うように体を震わせる。
肝心の本人の姿が見えない。
どこに行ったのか、とキョロキョロ周囲を見渡す。
すると、遠くからこちらにやってくる彼の姿を見つける。
クロムは足早にセインの元へ向かう。
そして、セインもこちらに気づいたようで、呑気に歩み寄ってくる。
「クロム、起きてたんだ。
ほら見て、今朝よりも沢山取れたよ」
セインはそう言いながら、蔦に括りつけられた六匹の魚を掲げてみせる。
そんな彼に、ちょっとイラっとしたクロム。
抱えていたマントを、セインの胸へ強めに押し付ける。
「勝手に居なくなるな」
「えっ、うん……ごめん」
それから、前もって用意していた『薪』と呼んでいた木の枝を集めるセイン。
そして、朝と同じように火を点けようとする。
「めんどうなことをするんだな、人間は」
クロムは「ふぅ……」と息を吹きかける。
すると、たちまち薪に火がついて、燃え上る。
「おお、すごい! ありがとうクロム!」
と、喜ぶセイン。
少し、胸が弾んだ。
けれど、クロムはすぐに──自分はただ火を点けただけ。
こんな風に、喜ばれるようなことじゃない──と自分に言い聞かせる。
「大袈裟だな、火を点けたくらいで。
おまえの方こそ、わざわざ大がかりな準備をして、大変じゃないのか。
その木だって、この島じゃほとんど見つからないのに」
魚を火の周りに立てながら、セインは苦笑いする。
「うん、大変だよ。
だけど、僕は魔法が使えないから、こうするしかなくてさ」
「えっ……」
「だから、すっごい楽になった。
クロムのお陰だよ。
大袈裟なんかじゃない。
キミが助けてくれたことに感謝するのは、当たり前なんだから」
そう言って、彼はクロムの頭にポンっと手を載せる。
本当に大したことなんてしていないのに。
クロムは、自分のことを誰かに認められたことが嬉しかった。
それから、セインはテキパキと魚に木の棒を刺して火の周りに並べていく。
……そういえば。
と、クロムは一つ気になることがあった。
「おまえ、まだ武器を持ってるのか?」
「えっ、どうして?」
セインには思い当たる節が無いらしい。
そんな彼に、クロムは火に炙られている魚を指差してみせる。
その魚は、腹を裂かれ身を開かれている。
それも、無理矢理ちぎったようなものではなく、綺麗に切り開かれている。
鋭利なものでやらなければこうはならない。
「おまえ、武器はクロムに差し出しただろ。
これ、どうやった」
ヒトの身には、そんなに鋭利で頑丈な爪は無い。
剣は二本ともクロムが持っているのに、なぜこんなことが出来たのか?
それが疑問だった。
「ああ、そういうこと。
安心して。戦いに使えるようなものは持ってない」
その言葉に、嘘は感じなかった。
そもそも、疑ったわけじゃない。
彼は風に好かれてる。自分と、同じように。
だから最初から、クロムは彼のことを疑ったりはしていないのだ。
ただ、純粋に気になった、それだけのこと。
そんなクロムの興味に答えるように、セインは懐からなにかを取り出す。
「……石?」
それは黒く、鈍く光る……先の尖った薄く平たい石。
「そう、手ごろな石を割って、研いでナイフにしたんだ」
セインはそう言ったあと、手元に置いてた木の棒を一本手に取る。
木の表面を撫でるように、薄く削っていく。
一つ一つが、まるで羽根のように広がっていく。
それがクロムにはとても綺麗に思えて、視線を釘づけにされた。
「ね、これでも結構使えるんだよ」
と、セインは石のナイフの説明をしてみせるが、
クロムの興味はもはやそこにはなかった。
「それ……」
クロムがぽつりと呟く。
セインはようやく、彼女の興味がナイフにないことに気が付いた。
そして幹を羽状に広げた木の棒を、クロムの見えやすいように掲げる。
「これね、フェザースティックっていうんだって。
ゲレルって言う僕の友達から教わったんだ」
「いいな。それ……」
貰ってもいいか? とクロムが尋ねようとした時……
「こうすると火が点きやすくって、焚き火の時に便利なんだよ」
「えっ!」
セインの言葉に、クロムはショックで体が震えた。
「……燃やす、のかそれ……」
頭を、重たそうに垂らすクロム。
見るからに残念そうなのが伝わってくる。
──もしかして、気に入った? これを……?──
驚いた……というか、こんなものでいいのだろうか。と困惑する。
だが、だからといって燃やしたら可哀想だ。
ということで、セインはこれを渡すことにした。
「もう火はついてるし、使わなくても大丈夫だから……持っててもいいよ?」
「いいのか⁉」
クロムは勢いよく顔を上げる。
そして光が灯ったように明るい顔で、セインを見つめた。
「火が点くとすぐに燃えちゃうから、気をつけてね」
ぶんぶん、と風を起こす勢いで首を縦に振るクロム。
セインからフェザースティックを手渡され、彼女の宝石のような二色の眼は一層輝いた。
「もっとちゃんとしたの、造ってもいいんだよ?」
そう彼が問いかけても、クロムは「いや……」と首を横に振る。
「これで……これがいいんだ」
そういって、柔らかく微笑む。
セインは、クロムに対して、どこか浮世離れしていて、大人びた雰囲気を感じていた。
だが、今目の前にいる彼女は、もっと幼い……かわいらしい少女だ。
やはり、もう少しちゃんとしたものを送ってあげたい。
と、セインは思う……
それから、食事を終えたあと。
クロムは満足そうに腹をさすり、笑みを浮かべていた。
そして。
「よし、決めたぞ」
と口にする。
「何を?」
「クロムはお前が気に入った。
だから……ここに居させてやる」
きっと嬉しいはずだ。
クロムはそう思っていた。
だが、セインの反応は思っていたモノとは違った。
喜ぶことはない。
ただ、困った様子で苦笑い。
「クロムとは一緒に居たい。
そういう風に言ってくれるのも、嬉しい。
……だけど、ずっとここには居られない」
「なぜ、だ?」
セインはその視線を、岬の先へ……
彼方遠くを見つめて、こう続ける。
「やりたいことも、やるべきことも、まだ沢山あるからさ。
だから……」
その先は、聞きたくなかった。
直感した。
コイツの目には、自分以外のモノが映ってる。
それが分かると、クロムは胸が締め付けられるように苦しくなった。
──クロムには、お前しかいないのに。
お前にとっては、クロムも『たくさん』のうちの一つなのか?──
許せない。
嫌だ。
自分の前から、居なくなるなんて……
「クロム、もし君さえ……」
強い風に煽られ、焚き火がごう……と雄叫びを上げた。
その音に、セインの言葉はかき消されてしまう。
「だめ、だ……」
「えっ?」
「どこにも、行かせない……
おまえは、どこにも!
行かせない!」
怒りの滲む瞳が、セインを睨む。
次の瞬間、信じられない光景を、セインは目の当たりにする。
目の前にあったはずの、少女の姿がなくなった。
肌が焼けるような熱さを感じるのと同時……
そこに巨大な竜が姿を現し、視界を覆う。
まるで、最初からその場所に居たかのように。
眩い銀色の鱗。
しなやかで、長い胴体。
そしてこちらを睨む……赤と金の二色の眼。
大きく姿は異なるが、直感で分かる。
彼女は、クロムだ。
《おまえは、クロムのものにする。
どこにも、行かせるものか!》