幕間『ゲレル』
アリマとゲレルには、弟が居た。
名はフセルという。
アスカの一族は、男子が生まれにくい。
勇士の妻となった者が、
『強き男の血』を取り入れるために、
自らの血を分けた子供達に、術をかけたのだとか。
そんな中で里でも有数の戦士の家系に、
男児が産まれた。
『この子こそ、勇士の再来に違いない』
と里の長達に、それはそれは喜ばれた。
ゲレルは、それが少し面白くなかった。
だが、フセルは長達の期待には応えられなかった。
体が弱かったから。
赤ん坊の頃、
突然高熱を出すことはよくあった。
大きくなっても、それはあまり変わらず。
外を走ればすぐに息があがり、
呼吸困難になっていた。
それでも、周りの期待に応えようと、
幼い体に鞭を打ち、努力してきた。
ゲレルは、妬む気持ちは消え、
弟の境遇を憐れんだ。
今更、勇士なんて信じているのは、
せいぜいババ様達くらいなもの。
姉達どころか、親達でさえ、
そんな期待はしないのに。
親も、姉も、大人達はいつも仕事だ。
ほとんど家にはいない。
育てるのはババ様達だ。
だから、こんなことを止めてあげられるのは、
自分しかいないんだ。
「やめなよ、そんなこと」
辛いだけのことを、続けること。
それになんの意味がある?
だから言ってやった。
でも、弟はやめなかった。
「つよくなったら、勇士になれる。
勇士になれたら、
ボクが、だれかの役にたてるって、
そう思ったら、あきらめたく、ないから」
そんな事を、今にも消え入りそうな、
儚げな笑顔で言った。
その時、分かった。
この子は、何よりも自分の弱さが辛いんだ。
自分は特別だと、
強くなれると、そう思うこと……
それが今、フセルを支えているんだと。
そしてゲレルは、
そこらで拾った、ちょうど良さげな木の枝を構える。
「打ち込んできなよ。
素振りばっかじゃ、つまんないでしょ」
そう言ってやると、
フセルの顔に少し、生気が灯った。
無理だと分かっているけれど、
信じてあげなければ、
きっと今にも、目の前の灯火が消えてしまいそうだったから。
たとえ、その火が消えてしまうのだとしても。
輝いていたその瞬間が、
無駄だったとは思いたくない。
だから、引き継ぐ。
『フセル。
おまえが果たせなかった夢は、
おれが果たす。
おれが……勇士になる』
ゲレルは、そう決意した。
それが、弟への弔いだった。
強くなろうと努力した。
口調を変え、
大人に混じって仕事をしようとした。
だが、いつも決まって、
「お前はまだ子供だから」
「周りに比べて、お前は小さいから無理だ」
そう言われて、
認めては貰えなかった。
それでも、めげずにやってきた。
弟の命を、無駄にしないために。
『おまえの生きた日々は、
おれが受け継ぐから……
おまえは勇士になれたんだ。って、
おれが証明するから!』
大人に頼らず、
一人で狩りに出て、
一生残る傷を作ることもあった。
武器の使い方を覚え、
戦い方を覚え……
自分は一人でやれる。
『護られる者』ではなく、
『護る者』になれる。
どんなに辛い日々も、
フセルのために……
その思いで、乗り越えてきた。
だけど、あの日。
『なりたかったもの』が、
『自分には、なれないもの』だと知った。
『護るべき者』だと思っていた少年が、
『勇士』だった。
憧れだった存在は、
自分と同じ年頃で、
何の変哲もない、
普通の少年。
それは、簡単には受け入れられない事実。
『なりたくてなったんじゃないし』
彼はそう言った。
勇士は、『なるもの』ではなく、
選ばれるもの。
自分の全てを、否定された気がした。
そうなら、自分の今までは何だった?
弟のやってきたことは、無駄だった?
弟の人生は、何だった?
認めない。
そんなの、認められる筈がない!
求めた力が手に入らないと知って、
その上、そいつは力を自分のために使う?
そんな勝手……!
許せるわけがない!
やはり、アイツは勇士にふさわしくない。
いいだろう。
アイツが、勇士として使命を果たす気がないのなら、
おれが……勇士として戦う。
この剣があれば出来るはず。
アイツが持っていた剣……
すなわちそれは、『勇士の剣』だ。
この剣に、おれが相応しいと認めさせるんだ……!
*
禍々しい気配を纏って、
そいつはそこに居た。
そいつの降り立った周りの草花、
そして木々は、
毒々しく姿を変えていく。
身に纏う漆黒の鎧は、
他者を拒絶しているかのように刺々しい。
それが何者なのか、嫌でも分かる。
こいつこそが、
『邪悪なる者』。
打倒すべき敵。
こんなにも早く遭遇することになるとは、
流石に思ってもみなかったが。
それでも、この為に強くなってきたのだ。
都合がいい、とゲレルは思った。
こいつを倒せれば、
すべてが終わる。
証明できる。
自分は勇士にふさわしいのだと。
手にした剣を、鞘から引き抜く。
構えた剣を向けたとき、
『奴』は初めて、
こちらを目で捉えた。
「君、何?
なんでその剣を持ってる訳?」
芯の部分まで凍りそうな、冷たい声音。
思わずゲレルは震えそうになる。
それと同時に、驚かされた。
(こいつ……喋った?)
『邪悪なる者』。
それはただ、破壊の限りを尽くす化け物。
そうだとばかり思っていた。
『いや喋ろうがなんだろうが関係あるか!
やるべきことは、一つだ。
こいつを、倒す!』
自分を奮い起たせ、
目の前の敵までゲレルは駆ける。
振るった剣は、
邪悪なる者の首を目掛けて弧を描く。
……しかし、それが届くことはなかった。
その刃が届こうとした瞬間、
弾かれた。
触れることなく、
何か壁のようなものに、
跳ね返されるように。
剣はゲレルの手を離れ、
空を舞い、地面に突き刺さる。
「どうして……」
そんなはずはない。
と、ゲレルは戸惑う。
「どうしてだよ!
勇士の剣が、
こいつに効かないはずはないのに……!」
それを聞いた邪悪なる者は、首を傾げる。
「勇士の剣?
何か勘違いしてるみたいだね。
それは頑丈なだけの、普通の剣だよ」
「普通の……剣……?」
にわかには信じられない。
だが、事実として刃が弾かれた。
それはつまり、
この剣にはなんの力も宿っていない。
ということだ。
(そんなの、
はじめから、分かってたはずなのにな……)
ゲレルの様子を見て、
邪悪なる者は、また子首を傾げる。
「なに笑ってるの? きみ」
そんな状況ではないと、
分かってはいる。
だが、もはや笑うしかないのだ。
頭からすぅ……っと熱が引いて、気づく。
自分の愚かしさに。
(なんでそんなもん、
大事そうに抱えてたんだよ……あいつ)
嵐が過ぎた後の、あの日。
セインが、ボロボロの姿で木にぶら下がっていたのを見つけた。
そんな時でもあの剣だけは、
決して離さぬようにと、
抱えていた。
どうしてかは分からない。
けど、なんとなく。
あの日見たときから、
ずっと彼のことが気になっていた。
そして、あの夜……
颯爽と現れた彼の姿が、今も脳裏に焼き付いている。
こんなバカなことをしたのも、
あの剣を返したら、
セインはどこか遠くへ行ってしまいそうだったから。
……彼を、
望まぬ戦いに赴かせたくなかったから。
でも、どれも上手くいかなかった。
当然だ。
上手くいくわけないんだ、最初から。
全部全部、自分のワガママでしかないのだから……
彼はもう、自ら選んでここにいる。
「ゲレル、平気?」
「……ああ。
ごめんな、色々と」
「気にしてないよ」
嫌みの無い、晴れやかな笑みで、
彼はそう言った。
ゲレルは黙って剣を差し出した。
彼は、
邪悪なる者と対峙する。
「やあ、会いたかったよ
……セイン」
「僕もだよ」
宿敵同士なはずの二人。
見つめあう二人の視線は、
どうも宿敵に対するそれには思えない。
決して他者が間に入り込めなない、
特別な空間が、二人の間にはあった。
そんな二人の、ただ一言のやり取りに、
なんだか妬けてしまう。
(おれがもっと強ければ、
あそこに並べた……のか?)
それが悔しくて、
ゲレルは空を仰いだ。