第六十一話
光の霊石。
ナランツェに案内された洞窟の奥にそれはあった。
セインが見上げる程に高く聳え立つその姿、
石というよりも、『大岩』といった方が印象として正しい。
その岩肌は、『銀』で出来ているようにも見える。
そして、この洞窟を灯り無しで歩けるほどに、輝きを放っていた。
だが不思議と、それを前にしても、
眩しいとは感じなかった。
その上、この岩は初めて見たはず。
それなのに何故か、見慣れているような気がした。
「これ、勇士が遺したって言ったよね?」
「そう。そしてこれが、君の質問への答え」
ナランツェは、腰に差していた銅の刃のナイフを手に取り、セインに渡す。
「それを霊石に触れさせてみて」
セインは彼女の言う通り、
渡されたナイフの刃を霊石に当てる。
すると、その刃はすぐさま『銀』に姿を変え、
この霊石と同じように淡い輝きを放つようになる。
なんとなく、そうだと思っていたが、これで確信した。
これは、自分の持つ『勇士の力』と同じものなのだと。
「この間の戦いの後、
残骸だったけど、光の力で姿を変えた槍を見つけた。
それは明らかに、この霊石から得た力よりも、
強いものって分かった。
だから、誰が使ったのかを探って、君を見つけたってわけ」
なるほど、とセインは納得した。
この里の者の事は分かりきっているだろう。
何か異物があれば、真っ先に思い浮かぶのは、
『余所者』の自分だろう。
「まあこれを祀り、守ってきたと言っても、
私達がこの霊石の持つ力の意味を知ったのは、
つい最近なんだけどね」
「どういうこと?」
「赤い目の魔獣が現れるようになったのは、
大体、十年くらい前。
それまでは勇士も、邪悪なる者も、
婆ちゃん達のおとぎ話。
私達の世代になると、誰も信じていなかった」
そこまで話して、ナランツェは何かを思い出したらしい。
「いや、違ったな。
ゲレルは……信じてたっけ」
「ゲレルが? どうして?」
そういえば、彼は言っていた。
自分は勇士になるのだと。
ナランツェやアリマの年の人達が信じていないような話を、
どうして彼は信じていたのだろうか?
セインは気になったが、ナランツェはただ首を横に振るだけだった。
「それは本人に聞いた方がいいよ。
こうだったのかも、って思う所はあるよ。
でも、それは想像の話でしかない。
本当のところは、やっぱりゲレルにしか分からないから」
「うん……そうだね」
思えば、避けられるようになったのは、
自分が勇士なのだと知られた後からだ。
そこが、何か関係しているのかもしれない。
と、セインは考えた。
そんな時、ナランツェが肩に手を置いてくる。
「もう少しだけ、付き合ってくれる?」
*
ナランツェに連れてこられたのは、茂みの近くにある平地。
セインにとっては、つい昨日のこと……この間の、戦いの場所だ。
そこで広がる光景に、セインは言葉を失った。
地面が大きく、深く抉られていたのだ。
自然に起こることではないだろう。
だが、人の手で出来るようなことでもないはずだ。
あの夜、ゲレルを庇おうとした後からの記憶はない。
いったい、何があったのか……
「私もあの子達も、
みんなこの里の戦士として、
誇りを持ってる。
自分達の力に自信もあった。
だけど……」
その時、初めてナランツェは顔を俯かせた。
「直接その場に居なくても、分かる。
これが何者によるものなのか……
初めは半月前の嵐、
そして、これだ。
奴は、私達が想像するよりもずっと恐ろしい存在だった……!」
かすかな震えを抑えるように、右手で左腕を掴む。
「みんな、不安になってる。
だから、勇士という存在にすがりたくなったんだ
でも、それがまさか……
こんな子供だったなんて」
ナランツェは、セインの肩に手を置いて、
腰をかがめて、目を合わせた。
「これは、君一人が背負うには、
あまりに大きい責任だ。
子供の君に、それを押し付けたくはない。
だけど、期待してしまう自分も、いる。
だから……君に選んで欲しい」
まっすぐ向かい合っているからこそ、伝わってくる。
彼女の不安と、それでもなお、揺るがない意思が。
「我々は戦士だ、だから戦う。
たとえ、どんな相手であろうとも。
剣を取り、共に戦うか、
護られる側でいるか。
君が、選べ」
*
それから、アリマの家へと戻ったセイン。
「おかえり、セイン。
おや、どうしたんだい?
今度はキミが浮かない顔して」
言われて、思わず顔を手で触って確かめる。
そんなに、分かりやすく顔に出ていただろうか。
『大した事じゃない、大丈夫』
そう言おうとして、口を開きかけて……
その言葉は、飲み込んだ。
「……どうしたらいいのか、
分からなくってさ」
「そっか。
なら、立ち話じゃ大変だろう?
こっちにおいで」
彼女は床に腰掛けたまま、
自分の向かい側に座るように促す。
セインは素直に従って、座敷に上がる。
「さてと、どうした?
答えられなくとも、
聞くぐらいは出来るよ」
「……僕にしか、
出来ない事がある。
それをしなきゃ、
知らない誰かが傷つく。
それは、嫌だ」
セインは、自分の右手に視線を落とす。
「だけど、誰かを守るために、
僕は大切な人と戦わなきゃいけない。
そんなの、嫌だ。
だけど、みんな戦えって言ったり、
守るって言ったり……
僕のことなんかお構いなし。
分かってる、わかってるよ!
でも……」
胸の内に堰き止めていた想いが、溢れる。
「そんなの……
選べるわけないじゃん……
僕はみんなの望んでる『勇士』じゃない。
みんなの思うような『子供』でもない!
僕は僕なのに……
どうして誰も僕を見てくれないんだよ!」
違う、そんな事を言いたいんじゃなかった。
そう気が付いたのは、全部吐き出してしまった後だ。
どうしてこんな事を言ってしまったか、
自分でも分からない。
「ごめん、変なこと言って……
違くて……」
頭の中がぐちゃぐちゃで、
言葉が纏まらない。
そんなセインに、
アリマは手を伸ばし……
強く、抱き寄せた。
「セイン……
そうだね、君はセインだ。
ごめんね……」
なぜ謝られているのだろう。
「ずっと抱えていたんだね。
そんな想いを。
でもそれを言って、
誰かを傷つけたくなかったんだ。
君は、優しいね」
その時。
自分をきつく縛り続けていたものが、
解けたような気がした。
そしたら、涙があふれだした。
我慢していた全部が、止めどなく。
それをアリマは、ただ黙って受け止めていた。
優しく、包み込んで。
「ウチは、医術師になる前、
この里の戦士長だったんだ」
落ち着いた頃に、
アリマが話し始めた。
「えっ、そうなの?」
「意外だった?」
「そりゃ、まあ……」
この温厚そうな印象とは、
まず結び付かないだろう。
しかし、ナランツェの反応を考えると、
納得はいった。
「それが、どうして医術師に?」
「他にやる人が居なかったから……かな」
アリマは誰かを思い出すように、
遠くどこかを見つめた。
「ここでは、大怪我したり、
病気を患ったとき、
頼れる人が居なかった。
何かあったら、
遠くの町まで行かなきゃいけない。
……間に合わないことも、
あった。」
そう語る彼女の顔は、
無念さと、悲しみが入り混じっていた。
「戦士であることが嫌だったんじゃない。
むしろ、誇りだった。
でもね、力だけじゃ護れないものがある。
って思い知らされたから。
いつかは、他の誰かがやるかもしれない。
だけど、自分がやらなきゃ、
『いつか』を待ってる内に、
助けられない人が居る。
それが嫌だから、自分でやることにしたんだ」
拳を握り、それを自分の胸に当てるアリマ。
「『自分のやりたいこと』は、
他の誰にも出来ないことなんだよ」
「自分の、やりたいこと……」
それは何だろう、
とセインは自分の胸に手を当てる。
「君は特別な力を持ってる。
望む望まないに関わらず、
それは事実。
……だけどね」
アリマはセインの右手を、
両手で優しく包む。
「その使い方は、
君が選んでいいんだ。
過去がどうとかは関係ない。
君は今を生きている。
君の人生は、君のものだから」
そして、微笑んでこう続ける。
「せっかく持って生まれた力だ、
君の思うように、使ってみたら?
難しいことは一回置いて、
君の本当に、やりたいこと」
本当に、やりたいこと。
それを考えた時に、思い浮かぶ顔があった。
──みんなと、世界を見たい。
セナや、ルーアそして……
アレーナ。
知らないことは、
まだ世界に沢山ある。
それを、みんなと見たかった。
誰一人、欠けることなく。
誰のためでなく、
それは、自分だけの望みだ。
「……それまでに、
世界が無くなっちゃ困るよね」
「やりたいことは、見つかった?」
「うん。
少しだけ」
まだ先は見えないけれど、
確かなものは、一つだけ。
「そっか。
なら、いつまでも引き留める訳には
いかないね」
そう言って、アリマは立ち上がる。
「預かってたものを返さなきゃね」
「預かってたもの?」
「君にとって大切なもの、
だと思うよ
待ってて、今持って……」
と、アリマが取りに向かおうとした時だ。
「そんなのっ……!
良いわけないだろ!」
座敷に響く声。
その声の元へ視線を向けると、
そこには何かを抱えた、
ゲレルの姿があった。
「ゲレル、それ……!」
セインはすぐに気がついた。
彼が胸に抱えるそれは、
『エスプレンダー』。
アレーナとの、約束の剣。
何故彼がそれを持っているのかは分からない。
だが、返しに来た。
……と、いう訳ではなさそうだった。
「自分のやりたいことをやれ?
姉ちゃん、あんたがそれを言うのか!
なりたくても、
なれなかった者が居るのにか?!」
彼の顔には、
怒りと、悲しみが滲んでいた。
「ゲレル……違うよ。
それはセインとは関わりの無いことだ。
そんな都合を、押し付けちゃいけないんだ」
アリマが説得しようとするも、
ゲレルは納得がいかないようだった。
でも、何も返すことはなく、
ただ走り去っていった。
「ゲレル、待って……」
追いかけようとするアリマを、
セインが止める。
「僕、追いかけてくる。
ゲレルとも、話さなきゃ」
その時だ。
セインは感じた。
肌を電流が這うような感覚を。
……知っている。
この感覚は、
三度目だ。
次の瞬間……
雷鳴が、轟いた。
その直後、
地面から沸々と沸き上がる、影。
それはこちらには目もくれず、
徐にどこかへと向かっていく。
何かに引き寄せられているかのように。
セインは、影の向かう先へ駆け出す。
何故か確信があった。
そこに、ゲレルも居る。と。
何かに興味を持っている様子はないが、
だからこそ、何があろうとも進むのをやめない。
足元の石を押し通り、
進路を塞ぐ木々を押し倒す。
ここには人が居ないが……
セインは気になって振り返る。
もし、コイツらが里にも現れていたら……
そんな考えが頭を過って、立ち竦む。
……その時。
「行きなよ、セイン」
急に目の前に現れたアリマ。
彼女は両腕に銀色のガントレットを填め、
影に向かって駆ける。
そして、勢いよく拳を振るい、
影の一体を殴り付けると……
それは、粉々に砕けた。
あまりに突然の出来事に、
セインは目を丸くする。
「里のことなら心配いらないよ。
ナランツェ達も居るし、うちも今から向かうから」
「……うん。分かった」
笑顔を向ける彼女の額には、
汗が滲んでいた。
顔は青ざめていて、
呼吸も乱れている。
「アリマ……」
「うちなら大丈夫だよ。
このくらいで倒れたら、たった一人の医術師は、
務まらないからね。
それに、これは疲れてるとかじゃない。きっと……」
アリマが見るのは、
影達の進む先。
奴らの、目的地。
「君は平気なんだろう?」
「……うん」
セインは頷いた。
「なら、やっぱりセインが行かなくちゃ。
ゲレルを頼んだよ」
「……分かった」
立ち止まっている場合ではない。
今はアリマに背を向けて、
セインは走り出す。
今、自分が行くべき場所へ。