第六十話
セインは、アリマと共に診療所に戻って食事をしていた。
──……ご飯は美味しいんだけど。
食事に集中できない。
というのも……
──また見られてる……
ゲレルが、ここでも見張ってくるのだ。
「気になるよねぇ、あれ」
アリマも扱いに困った様子で、苦笑いしている。
「ゲレル、そんな所から眺めてないで、こっちに来たらどうだい?」
そうアリマが声をかけると、ゲレルは驚いた様子でビクッと体を震わせた。
……まさかとは思うが、バレていないつもりだったのだろうか。
セインがそう思うのと同時、アリマも似たような事を考えたのか二人して困惑していた。
ゲレルはその空気に耐えられなくなったか、すぐさま逃げ出した。
「ゲレル、どうしたんだろ。なんか、今日ずっと変なんだよね」
怒っている……という様子ではないのは確かだが。
セインは彼が、何を思ってるのかさっぱり理解できない。
──これなら怒ってた方がまだマシかなあ。
などと考えてしまう。
「まあ……君の事が気になってるのは、確かだろうね」
アリマはチラリ、とその糸目でセインの……右手に視線を向ける。
──やっぱり、アリマも知ってる……のかな。
ゲレルは勇士を知っていた。その姉であるアリマが知っていてもおかしくはない。
きっと、この右手に刻まれた紋様に向けられた視線が、答えだろう。
「ねえ、アリマ……」
確かめる必要がある。
そう思って尋ねようとした時だ。
「邪魔するぞ」
入ってきたのは女性が三人。
褐色の肌に燃えるような赤い髪、彼女らもアスカの一族のようだ。
皆、セインよりも背丈が大きい。
その逞しい体つきと、目付きで分かる。
彼女らは戦士なのだと。
特に、真ん中に立つ女性は一際凛々しく、取り巻いている二人以上の何かを感じる。
「どうしたんだいアンタら、ここは怪我人と病人が来るところなんだけど」
彼女らを前にした途端、アリマは急に棘のある態度に変わる。
このような対応をする彼女の姿は、ここに来て初めて見た。
「幼なじみが顔を見せに来たというのに、随分な態度だなアリマ」
と、真ん中の女性が返す。
「突然押し入ってくるような人を、歓迎する文化はないんだよ、ナランツェ」
アリマの声音は、静かな中に確かな圧の籠ったものだった。
「まあいいさ、用があるのは、おまえじゃない。そこの少年だ」
ナランツェ、そう呼ばれた女性が鋭い眼差しを向けたのは……セインだった。
「ここに余所者の患者がいると聞いてな」
彼女はこちらを見下ろし、観察するように眺めてくる。
「余所者が居たら何か問題?」
そう言いながら、アリマは彼女らを遮るようにセインの前に立つ。
「いや、問題はないさ。……やはり回りくどい言い方はやめよう。我々は勇士の身柄を確保するために来た」
「えっ?」
ナランツェが口にした言葉に、セインは息を呑む。
──この人も、勇士を知ってる……いや、あの人だけじゃなくて、多分後ろに居る二人も。
「お前が勇士、ねぇ……その割には随分と細いねぇ」
「ほんっと情けない体。抱いただけで折れちゃいそ。外の男ってみんなこんなナリなのかしら」
「悪かったね。別にこっちだって、なりたくてなったんじゃないし……っていうか、勇士かどうかと体格は関係なくない?」
カチンときてから、頭が沸いたように熱くなるまで一瞬だった。
セインは気が付いたら、考え無しに彼女らの前に出ていた。
それから熱が引いて冷静になる頃には、取り巻きの二人に身柄を押さえられていた。
「威勢はいいみたいだな。まあ、お前が望む望まないに関わらず、勇士であるのはその紋様が示している……お前には我々にその力を捧げてもらう。付いてこい」
「加減してあげなよ、折れちゃうかも」
「……そこまでヤワじゃないし」
担ぎ上げられて、抜け出そうともがくもびくともしない。
そんなセインに出来た抵抗は、その程度の言い返しぐらいなものだった。
「何をするんだ! この子は怪我をしてる……ウチの患者だ! そんな勝手を許すわけないだろう!」
アリマが見た事もない形相でナランツェを睨む。
「お前の許可など要るか。これは我ら一族全体の問題だ。『邪悪なる者』が復活した今、奴から一族を護るには『この力』が必要……らしい」
「でも、こんなに軽そーな男が役に立つんですか? 正直疑問ですけど?」
言われたい放題だが、彼女らを一人一人相手にしたところで、敵わないというのは分かる。
この取り巻きの二人、恐らくだがアレーナと年の頃は同じ。
十七、八といったところだろうが、そんな彼女らでさえ、一端の戦士としての風格を感じる。
「そんなのはウチらの都合だ! この子を巻き込むべきじゃない! ウチは医術師として患者を護る義務がある。もし無理に連れていくっていうなら、手段は選ばないよ」
今にも強硬手段に出そうなアリマに対し、ナランツェが立ち塞がる。
睨み合いになり、膠着する二人。
セインは状況をよく見れなかったが、辛うじて覗き見えたアリマの顔。
それはセインの知る普段の彼女からは想像もできないほど、鬼気迫るものだった。
「本気か?」
その問いに、アリマは答えない。
暫しの静寂の後、ナランツェの方が折れたようで、深いため息が聞こえた。
「……いいだろう。本気のお前を相手にするのは骨が折れる。それに、いくら勇士と言えど、怪我人に頼るほど我らも落ちぶれてはいない。そうだな?」
振り向いて、二人に対して問いかけてきたナランツェ。
「ええ、まあ……姐さんがそれでいいのなら」
「ま、ただでさえもやしっ子だし。役に立つかビミョーじゃん?」
一人は渋々、もう一人はどうでも良さそうにではあるが、承諾した様子。
セインは血が遡ってきたせいか頭がぼーっとして気持ち悪くなっていた所に、なんだかとても頭に来るセリフで余計に気分が悪くなった。
とりあえず、解放される流れのようなので余計な事はしないが、
──あとで絶対見返してやる。
と、心の中で決意する。
「この男のことは、怪我が治るまでは一旦保留だ。お前たち、それで構わんな?」
「ええ」
「はーい」
ナランツェに従い、担がれていたセインはようやく地べたに腰を下ろせた。
「アリマ、これが最大限の譲歩だ」
「分かった、今はそれでいいよ」
アリマも警戒は解いてないようだが、ひとまず臨戦態勢ではなくなった。
「先に行け。私はもう少しこいつに話がある」
二人を先に出ていかせて、改めてセインに視線を向けたナランツェ。
「君、気分は?」
「すっごい悪い」
頭がくらくらとして立ち上がれそうにないセイン。
ナランツェはそんな彼と、目を合わせられるように屈む。
「君、ごめんね。私も立場があるから……って言うと言い訳、かな。必要な事とはいえ、君には酷いことをしてしまって、本当にごめんなさい」
と頭を下げた。
セインは驚いた。
天地が回っている様に見えて、定まらなかった焦点が一発で合うほどに。
「なんか、さっきと全然違くない?!」
思わず口に出てしまった。
焦って口を塞ぐが、もう遅いというのはセインも分かっている。
それに対して「あはは……」と、ナランツェは苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
「まあ、あれは戦士長として威厳を保つためにやってるだけだから。あー……だから、他の人にはこの事は内緒で」
と、両手を合わせて頼んでくる。
──思っていたよりもずっと気さくな人だな……
セインは反射的に頷いたが、そもそもあの二人の扱いからして自分の発言など信じて貰えるはずもない。
それから、ナランツェは立ち上がり、今度はアリマと向き合った。
「私だって、好き好んでこんな事をするんじゃない。けど、今のままでは傷つく者が増えるだけ。それは分かっているでしょう、アリマ?」
「……分かっているよ」
ナランツェの問いに、後ろめたそうにアリマは目を逸らす。
そんな彼女を見ながら、一瞬だけセインに視線を落として話を続ける。
「その子を弟に重ねてしまうのは仕方ないけど、でも弟の代わりにしようとするのは、違うんじゃない?」
そう言われたアリマは、図星を突かれたように体を震わせる。
──弟?
気になる事を言い残して、ナランツェは去って行った。
気になる事だらけだ。本当に、色々と。
尋ねようと顔を上げるも、アリマは後ろめたそうにしていて、セインに顔を合わせようとしない。
「聞きたいこと、あるんだけど」
「……そうだろうね」
アリマは、まるでこれから怒られると思っているかのように、肩をすぼめて項垂れている。
「アリマは、さっきの人に勝てるくらい強いの?」
「……え?」
緊張して強張っていたアリマの表情は、予想外の質問に一気に気が抜けたようで、ぽかんと口を開けていた。
「さっきナランツェって人が、
本気のアリマを相手にするのは骨が折れるって……
でも、アリマにはそんなイメージないし、どうなのかなーってさ」
アリマは暫く呆けて、そして急に吹き出すように笑いだす。
「それ、今聞く事かい?」
「いいじゃん、気になったんだから」
「他に大事なことあるだろうに……
あー、お腹痛い」
片手で腹を抱えながら、空いた手で涙を拭うアリマ。
「悪いけど、それは秘密」
ひとしきり笑ったあと、呼吸を整えて、答えてきた。
「えー……」
「それ以外の事なら教えるよ。
ただ、少し時間をくれるかい?」
少し残念だったが、どうやら彼女の気持ちは前に向いたらしい。
それならそれでいい、とセインは頷いた。
確かに、聞くべきことは沢山あった。
だが、彼女の気持ちを無視して、傷に触れてまで聞き出すのは『違う』と思ったから。
だから、彼女が教えたくないことがあるのなら、無理に聞く気は最初からなかった。
「分かった。
じゃ、少しその辺歩いてくるね」
アリマにそう伝えたあと、セインが向かったのは、ナランツェの元だった。
幸い彼女は今一人で、迷わず声をかけられた。
「君……どうしてここに」
セインの顔を見て、彼女は驚いていた。
「教えてほしいことがあって」
「私に? いったい何を」
「ゲレルが使っていたあの矢。
僕の力と同じものだと思うんだ。
アレが何なのか、知りたいんだ」
少し考えて、ピンと来たらしい。
「それを説明するには見せるモノがある。
余所者を連れていく所ではないと、婆さま達は言うでしょうけど。
君は知っておくべきだと思う。付いてきて」
*
ナランツェの案内で付いていった先は、アスカの一族が拠点としている山の洞窟。
これから中に入るようなのだが……
「火は?」
言われるがままに付いてきたが、洞窟の中を行く準備など何もしていない。
昼間とはいえ、中まで日が差すようにはみえないのだが、
「必要ない」
と、ナランツェは言う。
その理由は、すぐに分かった。
この洞窟、中に入っても明るいままだ。
奥の方から、何かが光っているのが分かる。
「私達アスカの一族は、
来るべき『その時』に備えて、
ずっと守り続けてきたものが、二つある」
と、洞窟を進みながらナランツェは語り始める。
「一つは、血筋。
『その人』はきっと、私達の中から生まれるものだと、そう思っていたから。
実際は違ったようだけど」
チラリと、セインを見る。
「それって……」
「そしてもう一つは、『力』。
その時が来たときに、戦うためのね」
ナランツェは、言うまでもないと思ったのか、話を続ける。
そして、この洞窟を照らす『光』の源を指差した。
「それがアレ。
私達の祖先、『勇士アスカ』が遺した、『光の霊石』よ」