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第五十九話

「セイン、君は何のために戦う?」

 真っ暗で、何も見えない場所。

 どこかから聞こえる声。


「君は……いま、どこに居るの?」

 セインはその声の主を探すも、どこにもその姿は見つからない。


「何のための旅だった? どうして、立ち止まる?」

 こちらが聞いても何も答えず、その『誰か』は、重ねてセインに問いかける。

「答えるんだ、セイン」

 無機質なその声は、淡々とセインに答えを求める。


「そんなの……僕はただ、アレーナの役に立ちたくて! ただ、それだけだったのに……でも、今はもう何もないんだ……戦う理由なんて、ないんだよ!」

『へぇ……それって、キミが戦えなくなったのは、アレーナのせいってこと?』

 先程までとは一転、こちらをおちょくる様な声音。


「違う……そんなこと……」

『言ってるよ。「今までの全部はアレーナのため。だから、アレーナが居なきゃ何もできない」ってね』

 その声は、否定することすら許さず、さらに追い打ちを掛けてくる。


「そんなの、お前が……」

『ひねくれているだけ……って? 確かに、”キミから見たら”そうかもね……だけど、これは”私にとっては”正しい受け取り方だ』

「え……?」

『モノの見え方っていうのは、一つじゃないんだよセイン。特に、『正しさ』なんてものは千差万別。曖昧で、もっともハッキリしないもの』


 耳を塞ぎたい、聞こえる言葉の何もかもが、胸を抉ってくる。


『そう、たとえ『善意』であっても、誰かにとっては『悪意』になりうる』


 背筋に走る、ひやりとした感覚に、体が震える。

 『ソレ』はすぐ後ろに現れて、セインの両肩に手を置いた。


『「誰かのために」なんて言えば聞こえは良い。でもね、それはその『誰か』が望んだことかい? 望まぬ善意を押し付けて、勝手に悦に入っているか……責任から逃れようとしているだけ……なんて事は無いと言い切れるかな?』


 如何に自分が未熟かを思い知らされる。

 何かを言い返せるほどのモノは、セインの中にはなかった。


『窮屈で、息苦しくて……大嫌いだっただろう? あの場所が』

 その場に立ち尽くすだけのセインに、『ソレ』は耳元で囁きかけた。


『離れたくても、勇気がなかったウジウジくん。外へ出られる理由が欲しかった』

 言って欲しくないことを次々と……

『……ちょうど良かったんだろう? アレーナが』

「知ったようなこと言わないでよ! お前に何が……」

 我慢が出来なくて、肩にかけられた手を振りほどく。

 その口を塞ごうと振り返る……

 だが、そこに居た人物の姿。

 それにセインはまた、体が固まった。


 ニヤリと不敵に笑みを浮かべる、金糸の髪の少女。


 同じじゃない。そうと分かっていても、罪悪感で目を逸らしてしまう。

 それを『ソイツ』は愉快そうに眺めながら、その両手でセインの頬を包むように掴む。

 そして、逃れられないように目を合わせさせるのだ。


『知ってるよ。見てきたからね、何もかもを』

 忌避感と、親近感。

 相反するはずの二つの感情を、『ソレ』に対して抱く。


『私を恐れる必要はない……だって……』


 向き合った『ソレ』の顔は、靄がかかって次第に形を変えていく……


『だって私は……僕でもあるから』


 そこにあったのは……『自分』の姿だった。



 夢、だったのだろうか。

 目が覚めてから、動悸が激しい。


 自分でさえ目を背けていた、自分の『芯』。

 それと、向き合わされた。


 セインは、とても気分が悪かった。


──あれは、僕だったのかな……


 違う、とは否定しきれない。


 理屈ではなく、感覚として分かった。

 ”同じだ”と。


 だが多分、”自分そのもの”ではないとも分かる。


 きっと『あいつ』が”限りなく自分に似せた”姿だったんだと。

 だからこそ、セイン自身では踏み込めない、目を背けたい部分に遠慮なく踏み込んでくるんだ。


 『あいつ』の言っていたことが、頭の中で消えなくて、もやもやとする。


 嫌だった。

 そうかもしれない。


 でも離れる勇気はなかった。

 それも、間違いじゃない。


 でも、全部が全部、その通りだった訳じゃない……

 だけど、なんと言い返したら良かったのか、今の自分では分からない。


──本当の理由、かぁ。


 旅に出た理由、戦う理由。

 今まで考えてもみなかった。


 なんなのだろう、と頭の中を巡らせる……


 だが。


──おなか、空いたな……

 考えようとすればするほどに、空腹が気になって頭が回らない。


 そもそも、どのくらい寝ていたのだろう。


 体の中がスッカラカンになったかのように、力が入らない。

 起き上がろうにも、その体力すらないのだ。


──何か食べたい……なんでもいいけど、沢山食べたい……でも、出来ればお肉……いや、甘いものも食べたいな……違う、やっぱりご飯。ご飯が食べたい……


 もはや頭の中が食べ物の事でいっぱいで、悩む余裕は無くなった。

 先程までの悩みなど小さなことに思えてしまうほど、今セインは追い込まれている。


──動けない……どうしよう、ご飯食べに行けない……このままじゃ、死ぬ……


 ここまで本気で追い詰められたのは初めてだ。

 今までなら、近くに誰かが居てくれた。だから、たとえ追い詰められても『最後にはなんとかなるだろう』という楽観がどこかにあったのだ。


 ここがアリマの診療所らしいのは分かるが、彼女が来る様子がない。


──誰か、誰でもいいから……助けて……


 体が動かず、声も出ない。

 人の気配も感じない。


 今は、ただ心の中で願うしかなかった。


 ……そんな時、誰かが近づいている気がした。


 今を逃してはいけない、誰であろうと、恥も何もない。

 とにかく助けを求めなくては……


 近くに来た……!

 今のままでは気づかれないかもしれない。

 そう思ったセインは、必死に体の動かせそうな所に意識を集中して、起き上がる。


「セイン、起きて……」


 頭が回らず、視界もぼやけていて、そこに居るのが誰かまでは分からなかった。

 声を出そうにも、あまり大きくは出せないので、出来る限り近づかなければ……と、その人の肩を掴んで、引き寄せる。


「ええっ……?!」


 自分でもどうやったのか分からないが、驚くほど軽い力で、密着するほどに引き寄せられた。


「おっ、おい……なんだ、急に……」

 かなり戸惑って慌てている様子だが、気にしてはいられない。

 肺の中から僅かな空気を絞り出すように、耳元で伝える……


「ごはん……たべたい……」


 その後、またしばらく意識を失った。

 体力を使いきった……という訳ではなく、セインが抱きついた相手に突き飛ばされて頭を打ったからである。



「あっはっはっは! 目覚めて第一声が『ご飯』ね。心配して損した! 元気そうで何よりだよセイン」

 と、食事をかきこむセインを眺めて、アリマは腹を抱えて笑っていた。


「だって……僕には……大事な……事だったし……」

「話はあとでいいよ、食べることに集中しなって。お腹空いてるんだろう?」

 話しながらも手が止まらないセインに、アリマも苦笑いだった。


「ごちそうさま!」

 セインはとても満ち足りていた。

 指の先に至るまで血が流れ、体が熱を帯びていくのが分かる。

 力と気力が湧いてくる。


 今、確かに『生きている』と感じられた。


「三日も眠ってたとは思えない、良い食べっぷりだったね。それだけ食べられるなら、思ったよりも大丈夫そう。だけど、念のためこの後は休んでなよ」

 そう言って食器を片付けようとするアリマ。

 セインはそれを止めて、自分で抱える。

「僕が食器片づけるよ。今は体が楽だから、動かしておきたいんだ」

「そうかい? じゃ、お願いするよ。ウチは診療所の方に居るから、何かあったら声かけて」

 そう言い残して、彼女は去って行った。


 なんでもないように振舞ってはいるが、今は忙しい中なのだろうというのは、察しがつく。

 時折、別室の方を気にしていた様子だった。

 恐らくは魔獣襲撃のせい……本当なら怪我人の手当や看護で、手一杯なんだろう。

 そんな中でも、こちらを気にかけてくれたのだ。


──自分で出来る事くらいは、やらないと。


 世話になりっぱなしでは、いられない。

 わずかに重い体を奮い立たせて、セインは歩み出す。


──そういえば……


 ふと、一つだけ気になる事があった。


──アリマは、どうしていつも一人でやってるんだろ?



──なんか、やりづらい……


 川辺で食器を洗っている最中、誰かの視線が背中に刺さる。


 それとなく探ると、そこではゲレルが木陰に隠れながら、こちらを睨み付けていた。


 なんだか凄く警戒されている……ような気がする。


──もしかして、まだ怒ってる……?


 うっかり"小さい"と口を滑らせて、怒らせてしまったのを思い出す。

 殴られてしまうのだろうか、と考え出して少し体が震える。


──つい声に出ちゃったっていうか、なんかゲレル相手だと、遠慮しなくていい気がしちゃうんだよなぁ……後で謝るけど。


 一旦ゲレルの事を置いて片付けを終わらせようとしたが、一つだけ気になる事を思い出す。


──そういえば、勇士を知ってたこととか、あの矢のこととか、色々聞いておいた方がいいかも。


 そう思ってもう一度、彼の様子を見る。

 今も眉間に皺が寄るほどに目を凝らして、こちらを睨み、近づいたら吠えられてしまいそうに気が張っている様に思える。


──今は危なそうだし、後にしよ。


 食器を洗い終えて立ち上がった時、不意に目がくらんで体がよろめいた。


 万全な状態なら、問題はなかっただろう。

 だが、今は体力が落ちている。意識していないと、しっかり踏ん張れないのだ。

 他所事に気を取られていたせいで、そのことが頭から抜けていた。


 足がフラつき、なかなか安定しなかったが、なんとか倒れずに持ちこたえることが出来た。


──危なかったぁ~……気を付けない……と?


 目の焦点が合って来たとき、目の前に人の姿があることに気がついて、目が合った。


 とてもハラハラとした様子で、こちらに手を伸ばしかけて居るその人は、ゲレルだった。


「だっ……大丈夫、か?」

 なんだかぎこちない表情でこちらを見る彼は、少し息が上がっている様子。


──もしかして、助けようとして走ってきたってこと?

 彼が怒っている。

 そう思っていたセインは、少し驚きながらも、少しうれしかった。

「うん、なんとかね」

 あまり心配は掛けまいと、軽い言葉で返す。

「そう、か……」


 ゲレルは、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。

 再びセインと目を合わせると、顔をこわばらせてすぐに回れ右。

 逃げるように去っていった。


 彼の行動の意味がてんで分からず、セインはただただ困惑しながら遠ざかっていく背中を見つめていた。



 自分に宛がわれた部屋に戻ると、寝具の上に大の字で寝そべるセイン。


──やっぱり、ちょっとしんどい。


 こうして寝転ぶだけで、疲れが上からのしかかってくる。


 それから少し目を瞑ったが、眠れはしなかった。

 しかし、多少疲れは取れたので、徐に上半身を起こし、重たい腰を上げる。


 外で一人、棒切れを振り回す。

 型も何もない。ただ体を動かしたかっただけだ。


 ひたすらに振り回して、疲れ果てて、倒れた。


 まったく上手くできない。

 出来ていたはずの事も、体が言う事を聞かない。

 ただ、肺が破裂してしまいそうなほど、息切れするだけで終わり。


 改めて分かる。自分は特別な環境に居たのだと。

 どれだけ恵まれていて、それを自分の力だと思い違えていたのかと。



──夜はルーアが守ってくれてた。怪我はセナが元通りにしてくれた……アレーナが色々教えてくれたから、人の世界でもなんとかやってこれたんだ。


 一人前になった気でいた。

 でも、それは違う。


 一人立ちなど、まるで出来ていなかった。


──こんなんじゃ、守る事なんて、出来っこないよね……


 自分はまだ、未熟な子供なんだと思い知る。


──何をやってたんだ、僕は。何のために旅に出て……何のために……


 悔しくて、奥歯を噛みしめた。

 それから、目の前がぼやけて滲んできて、それが嫌で拭い続けた。


 息も整って、落ち着いてきた頃。


 青く晴れ渡った空を見上げながら、深呼吸。


 胸の中に溜まっていたモノが流れ落ちて、からっぽになって。

 気持ちは不思議と、すっきりとしていた。


「あ、居た居た。部屋に居ないから探したよぉ~。怪我人が勝手に動き回るのは、あんまりやらないで欲しいんだけどなぁ……でも、なんか少しいい顔になっちゃってるから、怒りづらいなぁ」

 こちらを見下ろしてきたアリマは、扱いに困った様子で苦笑いしている。

「ごめんね。でも……うん。なんかすっきりした。分かったんだ、僕って、一人じゃ全然何もできない、子供なんだなってさ」

 セインの発言に彼女は少し驚いて、それからホッとした様子で表情が和らぐ。

「そうかい。じゃあ、一つ成長したってことだ」

「成長? 何もできないのに?」

「自分が出来ない事を認めるって、大人だって難しいんだよ。それを認められるって、凄いことだよ」

 アリマの言葉は、なんだか嬉しくて、少し照れくさい。

 体がムズムズして、自然と表情が緩みそうになる。

 それを、唇を固くすぼめて無理矢理止める。


 でもやっぱり止められなくて、体を起き上がらせて、アリマに見えないように笑った。


──分かった気がする。僕は、里のことを嫌ってたんじゃない。ただ……


 胸に手を当てて、今感じたものと向き合う。


──認めて欲しかったんだ、僕は。一人前だって。守られるだけの、子供じゃないんだって。


 空人の里で、ただ一人の人間だったから。

 誰よりも幼い、子供だったから。

 周りは、初めて会ったその日から、何も変わらなかった。


 自分は変わっていくのに、それを誰も気に留めない。

 このままずっと、子供のままなんじゃないかって、怖かった。


 だから、大人ぶろうとした。出来ない事を、出来ると自分に嘘を吐いていた。


 でも、無理なものは無理で、こうして躓いた。


「ねえ、アリマ」

「ん、どうした?」

「僕って、これからどうしたらいいのかな?」

 急に変な事を聞いているとは、自分でも分かってる。

 でも、なんでかアリマに聞きたくなったのだ。


 彼女は考えるようなしぐさを取る。

 こんな問いかけにも困っている様子はなく、それでいて、あまり真剣でもなさそうに。

「んー。とりあえず……立ち上がったら?」

 何の気なしに、彼女はそう答えた。


「地べたに寝っ転がったままなの、汚れちゃうだろう?」

「……それもそうだね」

 くすりと、セインは笑った。

 でも、それで良かった。


 立ち上がろうとするセインに、アリマはそっと手を差し伸べる。

「一人で立つのが大変なら、手を貸すくらいは出来るよ。君の背負いものは大きいから、ウチは一緒に運んであげられないけど」

「うん、ありがとう。充分だよ」

 その手を握り返して、立ち上がる。

 そして背中についた砂ぼこりを、アリマが払ってくれた。


「さあ、帰ろうか」

 それに、セインは頷いて返す。

「うん、お腹空いたしね」

「え、また食べるの?」

 先程までの和やかな表情はどこへやら、一気に真顔になるアリマ。


「動いたら、こう、胃がぐぅ~って萎んだっていうか」

 腹部をさすりながら、はにかむセイン。


「まったく、元気な怪我人で結構だよ」

 そんなセインに、アリマは呆れて笑った。

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