第五十八話
「ゲレル、大丈夫?」
「……あっ。ああ、大丈夫だ」
呆けていたゲレルは、セインの一声で我に返り、矢に手をかける。
無茶な動きに、体が悲鳴を上げる。
奥歯を砕けそうな程に噛み締めて、堪える。
敵は群れを成し、こちらを囲んでいる。
それも狡猾に、身を潜めて。
ざっくりと見積もって、数は十体ほどだろうか。
一体一体は相手に出来る。
体躯は小さい。だがその分、足が速いらしい。
それが数で攻めてくるのは厄介だ。
「ゲレル、逃げるよ」
敵の数が多く、対抗手段を持つのは自分のみ……だが、手負いでまともに戦えはしない。
今出来るのは、一点でも道を開いて二人で逃げる。それだけだ。
「逃げる……? 逃げるだと? おれが足手まといと、そう言いたいのか!」
「え?」
今、突っかかる所? と、セインは戸惑う。
何がどうなってそういう結論に至ったのか、全く理解が出来ない。
どう考えても、逃げるべきだと思うが……
その時、弓が引き絞られる音が聞こえる。
背後に目を向けると、ゲレルはこちらに矢を向けていて……
「ゲレル……?」
放たれた矢は、月明かりを反射して煌めく。
銀の一閃が夜の闇を裂き、セインの肩を掠める……
直後、断末魔の鳴き声が聞こえ、矢の飛んで行った先を見る。
……そこには、赤い目から光を失っていく獣の姿があった。
セインの感覚が鈍っていたか、それとも気づきもしない迫り方だったか……
何にせよ、ゲレルはそれを確かに捉え、射貫いて見せたのだ。
この暗闇の中で。
──あの、銀の矢……同じ力を感じる……?
そう、ゲレルの矢で射貫かれた魔獣は、絶命している。
彼が用いた矢には、自分の力と同じ……あるいは、似た何かをセインは感じた。
「おれは弱くない。おれは”護る側”だ!」
矢の事が気になっていたが、彼の言葉に意識を引き戻される。
「いや、そんなこと言ってるんじゃ……」
言い争っている場合じゃない。
先程の矢……敵意も悪意も感じなかった。
ただ、怒りだけは、自分に向いていた。
なぜ彼がここまで怒るのか、それが分からない。
「僕はただ、ゲレルを助けに……」
「おれ達が逃げて、それで里の者達はどうなる? おまえのその力が……勇士のモノなのなら、戦うべきではないのか!」
……セインの我慢は、そこで途切れた。
「やめてよ、そういうの……」
胃の中から噴き上がる感情が、胸の中で膨らんでいく。
みんな勝手だ。
自分の事じゃないからって、期待を押し付ける。
そんな力、自分にはないのに。
「いいさ。勇士だろうと、腰抜けなら逃げるといい。おれは戦うぞ……逃げ道は作ってやる、どこへでも逃げればいい」
「ああもう……この分からず屋!」
セインは振り向きざまに、振りかぶった槍を突き出した。
……その切っ先はゲレルの頭上を越えて、そこに飛びかかっていた魔獣を刺し穿つ。
「一人で出来る訳ないじゃん。せめて他の人が居る所まで下がりなよ」
「おれを……見下ろすな!」
ゲレルは矢筒から矢を引き抜いた。
そして、それをそのままセインの脇腹を横切らせ、魔獣の眉間に突き刺す。
「おれは強い。おまえとは、違う……! 勇士となるために、強くなってきたんだ! おまえは勇士に相応しくない」
「知らないよそんなの! 僕はなりたくてなったんじゃない! 何にも知らないくせに、勝手なこと言わないでよ!」
二人は、言い争いを続けながらも、迫りくる魔獣からの攻撃を掻い潜り、次々と倒していく。
「そもそもだ、誰も『助けて』なんて頼んでいないだろう!」
「僕が来なかったら、後ろから噛みつかれてたじゃん! ゲレルは一人で突っ走りすぎなの!」
セインは気持ちの昂りのせいか、痛みも、疲れも忘れひたすらに槍を振るった。
……無意識にではあったが、最小限の動きで、負担のかからないように体が動いていた。
それは、セインが『友人』から体に叩き込まれた動きだった。
「あんなの、おまえが来なくたってなんとかしていた! ああ、もう! 一瞬でも見とれた自分が馬鹿らしい、ただの生意気な坊主じゃないか!」
「どっちが! 僕の方が大きいじゃん!」
「おまえっ……! 言ったな……次は無いと言ったはずだ!」
ゲレルの事は視界に納めつつ、感覚を頼りに魔獣の位置を見つけ出す。
一体……二体……横でゲレルも魔獣を倒す。
潜んでいた十体だけでなく、嗅ぎ付けてきたのか、さらに数が増えていく。
気づいた頃には、セインもゲレルも、言葉も出ない程に息が荒んでいた。
出来る限り消耗を抑えていたとはいえ、セインの体力はもう限界だった。
足は震え、地面が揺れているかのように感じる。
槍を支えにやっと立っているような、頼りない状態だ。
……セインは、朦朧とする意識の中で、心臓の鼓動が早まっている。
──ああ、嫌だ……
こんな感覚がするときは、必ず良くない事が起こるのだ。
感じる……何かが近づいていると。
それが近づく度、血の巡りが早くなり、嫌になるくらい意識がハッキリとする。
……来た。背後……!
「ゲレルっ!」
そこに居たゲレルの、更に先……先程まで相手にしていた魔獣より、ずっと大きな個体が、迫ってきていた。
セインの一声で、ゲレルも気づいた。
彼はすぐさま矢筒に手を伸ばす。
が……既に、矢は尽きていた。
セインは残る全ての力を籠めて、槍を投擲する。
その槍は、夜の闇を切り裂き、一直線に飛んだ。
そして、ゲレルの目の前まで迫っていた魔獣の眉間に突き刺さり、地面に突っ伏した。
魔獣が動きを止めたのを見届けると、セインは膝から崩れ落ちる。
「セイン……!」
ゲレルが慌てて駆け寄り、倒れそうになるセインを支える。
「おまえ、なんて無茶を……おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
少しでもこちらを気遣うなら、せめて体は揺らさないで欲しい。
そう抗議したくとも、声を出す体力すら残ってはいない。
あとはこのまま意識を失うだけ。それでこれは終わり……
そう思っていたのに。
見えた。
見えてしまった。
あの魔獣は死んではいなかった。
ふらつきながらも立ち上がり、こちらを睨んだ。
セインはゲレルを押し倒し、被さるように庇う。
当のゲレルはかなり戸惑っているが、もう意識の途切れそうなセインにはこれが精一杯だった。
──ああ……なんで……
自分の行動が不思議で仕方がない。
こんなことをしたって、自分が大変なだけなのに。
見ていて欲しいあの人も、今は居ないのに……
……。
薄れゆく意識の中で顔を上げる。
それは夢か、現実か。
今にもこちらに襲いかかろうとしていたあの魔獣は、体を固められたかのように動きを止めた。
そこへ、自分達を魔獣から遮るように、『何か』が現れた。
一瞬、肌にヒリヒリと電の力を感じる。
直後、骨まで震えるような激しい振動……
魔獣は跡形もなく消し飛んでいた。
『それ』が何かをやったらしい。
誰なのかも分からない、闇に紛れる『黒』。
だが不思議と、セインは『それ』を知っているような気がした。
『それ』は、僅かにこちらに顔を向けたあと、どこかへ消え去っていく。
──待って、行かないで……!
何故か、行って欲しくなかった。
だが止めようにも、手は伸びず、声も出ず……
ただ、見ているしか出来なかった。
「……ン……セ……イン……セイン!」
それから、消えゆく意識の中で覚えているのは、誰かに抱き上げられ、必死に声を掛けられたこと。
──ここに居る、僕はここに居る……
それが誰かは分からないが、もし、『その人』ならば届いて欲しい。
「ア……レー、ナ……」