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第五十六話

 ギルの家を後にして、ユーミベノへと向かう馬車の中。

「エリー、前に抱かせて貰った時よりずっしりしてて、大きくなったなーって思ったよ。凄いね、たった半年会わないだけで、あんなに変わるんだ」

 と、抱いた感触を思い出すように、楽しげにセインは語っている。


「赤子の成長より、お前の変わりようの方が驚いたがなワシは」

 ルーアがそう言うと、セインはきょとんと首を傾げる。

「そう?」


 いったい何があれば半年でここまで変わるものなのか。

 ずっと気になりはしたが、野宿で気が抜けない日が続いたり、人が居たりと、どうにも聞くタイミングを逃していた。


 しかし今、馬車の中は二人きり。

 ユーミベノまではまだ時間もかかる。


「折角だ、聞かせてくれんか。何があったのか。馬車の中は退屈だからな」

「うん、いいよ。その内話そうと思ってたしね」

 そう言って、セインは懐から何かを取り出した。


 それはリリーが旅の無事を祈って自分達に作ってくれた『お守り』だった。


 だが、それを見た時に、ルーアは何か違和感を感じた。

「お前……それはいったい、”誰の”だ?」

 そう、セインの左腕には彼のお守りがきちんと付けられていた。

 ルーアは汚したくないので付けていなかったが、今もちゃんと懐に仕舞っている。


「どうだろ……でも、一つ確かなのは……」

 彼の視線が見た先は、ルーアではなく、窓の外……

 何を見ているのかは分からない。

「これが、僕を助けてくれたんだよ」


 だが、彼は多分、どこかに居る本当の持ち主を見ているんだろう。それが誰か、確信を持っているかのように。



 半年前──


 セインが目覚めた時、一番最初に見えたのは知らない天井。

 それは少し不思議な構造をしていた。

 木で出来た骨組みに、布を被せているような……

 

 セインはここがどこかを確かめようと、体を起こそうとする。

 が、その時全身に軋むような痛みが走り、呻き声を上げた。


「いきなり動いたらダメ。君ね、身体中あちこちぶつけてたんだから。打撲だけで済んでるのが奇跡だよ」

 と語りかけられた、見知らぬ女性の声。


 痛みで強張った体から力を抜いて、目蓋を開く。

 最初は霞んでいた視界が、徐々に見えるようになってくると……目の前には、赤い髪の女性が、黒い瞳でこちらを覗き込んできていた。


「……誰?」

「話は出来る、ね。でも声が掠れているね。まあ、そりゃあそうか。飲まず食わず、暫く声も出して無い訳だし……とりあえず水、飲めそう?」

 セインは僅かに、頭を動かして頷いた。


 言われてみれば、彼女の言う通り喉がカラカラだ。

 色々と気になることだらけではあったが、何より先に体が求めている。


 最初は身構えてしまったが、その声音はこちらの身を案じる優しいもの。聞いているだけで安心する。


「喉を通りそうなら、何か食べ物も持ってこようか。一応ね。自己紹介はその後だ」

 そう言って、赤毛の女性は立ち去っていく。


 戻って来た女性は、寝ているセインの横に座る。

「体を起こすよ。力は入れないようにね」

 そういって、首の下から腕を通され、左肩を掴まれた。

 その後、抱き寄せられるように上半身を持ち上げられた。

「ほら、ゆっくり飲みな」

 片腕でセインを抱き止めながら、空いた手で水筒を口元に寄せ、ゆっくりと傾ける。


 冷たい水が舌の上を流れ、渇いた喉を潤していく。

 少しずつ、少しずつ……弱っていた体に染み込む。


 まだ足りない……もっと……

「あっ、こら……」

 気がついた時には手が動いていて、水筒を大きく傾けた。

 しかし一気に流れ込んでくる水を飲み込みきれず、セインは噎せかえってしまう。


 その上、噎せた反動で全身が痛む。

「あーあ、言わんこっちゃない。だからゆっくりと言ったのに……」

 セインは背中を丸めさせられる。

「がっつかなくても大丈夫。水ならいくらだって有るからね」

 そんな風に優しく言葉をかけられながら、落ちつくまで背中を擦られた。


「ありゃりゃ、服がびしょびしょだね。こりゃ着替えた方がいいか」

 セインは上着を脱がされると、口の回り、そして体と順に拭かれた後、新しい服を着させられた。


「さて、と。ご飯も食べさせたい所だけど。まだ噛んで飲み込んでとはいかないかな。今は木の実やくだものを磨り潰して飲ませようか」

 それから、彼女の用意した食事を飲まされた。

 食べた、という感覚がないので、食事と呼ぶにはかなり寂しい。

 とはいえ、その時点ではそこまで考えられるほど頭も回っておらず、とりあえず腹も膨れた。

 起きているだけで消耗し続ける今のセインは、その後すぐにまた眠りについてしまった。


 再び目が覚めた時には、冷えていた体が熱を帯びていた。

 先ほど起きたときよりは、ずっと頭も冴えている。

 まだ体は痛むが、ゆっくり動かせば我慢できない程ではない。


 真っ暗で……静かだ。

 自分以外に、誰か居る様子はない。

 世話をしてくれたあの人も、今は居ないらしい。


 周りがどうなっているかも分からず、咄嗟に身動きを取れるほど、体は回復していない。

 エスプレンダーさえ手元にない……そんな中で一人きり。


──暗闇が苦手になるのも、分かる気がする。


 こんなにも心細くなるものか。と思い知らされる。

 つい、考えてしまうのだ。彼女もこんな想いをしていたのかと。


──今さら気が付いたって……もう遅いけど。


 彼女の事が頭を過るだけで、後悔が押し寄せて、気持ちが沈む。

 もっとできる事があったんじゃないか。なんて、考えるだけ無駄なんだから。

 起こってしまったことは、もう戻しようがない……


 何も出来なかった。いや、何もしなかった。

 後戻り出来なくなったら……『今』が無くなってしまうのが怖かったから。


──何が勇士だ……

 だから何が出来たっていうんだ。どうして自分なんだ。

 自分が、勇士などでなければ、こんな想いはしなくて済んだのに……なんて、そんな考えが巡って、ふてくされる。


「おや、起きてたのかい? ……おはよう。と言っても、もう夜だけどね」


 そんな時に、辺りがフワッと灯りに照らされる。

 あの人がちょうど様子を見に来たらしい。


「……どうも」

 徐に体を起こすと、彼女は細い目を丸く見開いた。

 それから、目尻が垂れて、柔らかい笑みを浮かべる。

「おお、起き上がれたんだね。声も出せるんだ。思ったより元気だね、君」

 部屋に灯りを点けて、彼女は傍に腰掛けた。


「顔色もいくらか良くなってるね。体の痛みはどうだい?」

「まだ痛むけど、普通に動く分には、なんとかなる……と思う」

「そうかそうか。痛むようになったら言いな。そうだ、食べ物を持ってこようか。ちゃんと食べれてなかったから、お腹空いてるだろう? 他に欲しいものがあったら持って来るけど、何かあるかい?」

 欲しいもの……と聞かれても特別思いつかなかった。

 が、一つだけ。今何よりも重要な、聞かなければいけないことがあった。


「あの……」

 小さな声で呼びかける。


「ん、どした?」

 まだ発声が上手くできないと思ったのか、彼女は耳をセインの口元に寄せる。

 ……急を要する事ではあるが、あまり声を大きくして言えないというだけなのだが。


「……トイレ、どこ?」



 とても恥ずかしい。

 セインは、燃え上ってしまうのではないか? と思うほど顔が熱くなっていた。


 いざ立って歩いてみると、思っていた以上に体が言うことを聞かなかった。

 そもそも、立つ事すら一人ではままならなかった。

 体が弱っている以上に、頭がふらふらとして、一歩歩くごとに体が大きく揺れているような感覚に襲われた。


「しょーがないって。君ね、四日は寝たきりだったんだ。少なくとも、ウチのところに運ばれてきてからね。お腹も空いて、体も弱ってたんじゃ無理ないよ」

 彼女は全く気にしていない様子。


 だが当のセインは<齢が十六にもなって><最初から最後まで><年上の女性に><全部お世話された>」という事実が堪える。


「あ、そーだ。いい加減『君』って呼ぶのも不便だし、名前を教えてくれるかな? ……って、そういえばウチも教えてなかったね。ウチは『アリマ』。医術師だよ」

「えっと、僕はセイン」

「そっか、セインか。よろしく」

 医術師……という聞き慣れない言葉が気になって、先程までの恥ずかしさがどこかに飛ぶ。


「……あの、医術師って?」

「え、医術師、知らない?」

「うん……」

 セインの反応に、アリマは困った顔をしていた。


「まさか知らない人が居るなんて思わなかったなー……場所によって呼び方違ったりするんかなー……怪我したり病気に罹った人を、治療する人の事って言ったら、分かるよね?」

 病気……? そちらの方はピンと来なかったが、怪我を治す。ということなら、思い当たるのはセナだ。

 となると、セナのような事が出来る人? ……そう考えると、もう一つ気になる事が。


「治ってない……けど」

 あまり言ってはいけないとは思ったが、どうしても気になってしまう。

 セナならば起きた頃には痛みは引いて、怪我は『無くなっている』筈なのだが。


「それはごめんね。ウチがまだまだだからさ」

 さっきまでより声のトーンが低い……その上、温和な印象の彼女の顔に、微かに浮かぶ怒り。

 流石に言葉を間違えたと焦ったセインは、必死に説明をして納得してもらう。


「はっはっは。そんな凄い子が友達なら仕方ないね。ウチなんかじゃ比べものにもならないよ」

 アリマが元の優しい声音に戻って、ホッと胸を撫で下ろすセイン。


「でもそれで納得がいったよ。君が『医術師』を知らないのも無理ない話だ。その子は医術師なんかじゃない。もっと凄いものだよ」

「そうなの?」

「ああ、どんな怪我だって跡も残さず綺麗に、まるで何もなかったように、一瞬で元通り……それは奇跡、『魔法』だよ。医術はそんなに万能なものじゃないんだ。まだ、ね」

 そう言われれば、セインにも思い当たることが一つだけ。


 思い出すのは『彼女』と出会った時。初めて言葉を交わしたあの日のこと。

 『彼女』は、自分の体が何事もなかったかのように治っていたことに、驚いていたっけ……


「医術はね、どこを怪我したのか、患者はどんな状態なのか……体力がありそうか、死にかけているのか、そういうのを確かめながら『今すべき事』に最善を尽くすしかないんだ。治す事はできても、それが思い描いた通りになるとは限らないのさ」

 分かってもらえるように、とアリマは言葉を選んで伝えてきているのが分かる。

 そして、とても申し訳なさそうにしているのも、伝わってくる。


「一人で不安だろう? 今のウチには、こうして寄り添うことしかできない。君の友達のようにはいかないけど、必ずまた元気にするから。それまで、辛抱して付き合って欲しいな」

 そう語りかけてくれたアリマの笑顔は、とても優しく、切なかった。



 食事を摂らせてもらった後、アリマは付き添って隣で寝ている。


 明日は「立って歩く練習」だそうなので、早く寝た方がいいのだが……ずっと寝ていたからか、眠れそうにない。


 悪気があった訳ではないが、彼女に、言うべきではないことを言ってしまったことに、後悔している。後で謝らなければ。


 それでもこんな風に傍に居てくれることは、ありがたい。

 一人でいると、なんだか妙に気が張ってしまって、落ち着かなかった。

 ゆっくりと、痛みに耐えながら手をかざしてみて、すぐに下ろす。


「……セナって、凄かったんだな」


 自分は、ずっと誰かに守られていたんだな。と思い知る。

 誰かが傍に居てくれて。自分を支えてくれていた。

 それなのに、自分はどうだ……


 大事なことは一人で抱え込んで……ああ、考えてみれば当然の結果。

 自分一人では何も出来ないくせに、自分一人がやらなきゃと背負いこんでいた。


 それでなんとか出来るはずなかったのに……


 ……この時は、ぐちゃぐちゃと、自分を責める想いだけがセインの中で渦巻いていた。

次回は1月14日更新予定です。

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