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第五十四話①

 書類を書き進める手を止めて、ジークは机の端にあるティーカップに手を伸ばす。

 一口だけ口に付けて……顔をしかめた。


 紅茶が冷めている……美味しくないのだ。

 昼に淹れて貰ったばかりのはず、それが何故……と考えて、自分が考えているよりもずっと時間が経っていたことに気がついた。


 深く、長い息を吐いて、椅子の背もたれに体を預けた。

 執務室の窓から空を見上げていた。


 仕事に熱中していた訳じゃない。

 簡単に処理できないものが多かっただけだ。


──一つ解決したと思ったら、次から次へと問題が増えていく。おとぎ話のように簡単ではないな、世界っていうのは。


 見上げた空は綺麗に晴れ渡っていた……目を背けたくなるほどに。


 しかし執務室に目を向けても、見えるのは書類の山。

 気分が重くなる。


──ここ最近はずっと城に籠りきり。辛気臭い顔の大臣たちと顔を合わせているか、これに囲まれているか……息が詰まるなあ。


 気ままに冒険者をやれていた時の事を思い返してしまう。


 もちろん、あの時だって決して遊びでやっていた訳ではない。

 叔父になりすまし、魔王軍へ情報提供や物資の横流しを行っていたガルドスの調査をしていたのだ。

 それに、魔王軍四天王『疾風』のアギル。

 あの男が自分に成り代わって人間側の政治を掌握しようとしていたのを知り、簡単には動けないように根回しを行ったりと活動していたのだ。


 ……が、それはそれとして。

 あの時は周りの目を気にしなくて良かったし、自分の思うように行動出来た。

 それが今はどれだけ尊い時間だったかというのを、思い知らされる。


 城の中から出られないのは、それだけ仕事があるというのもある。

 だが一番は身の安全のためという部分が大きい。


 国王が討たれた今、継承権一位である姉『ステンシア』と、それに次ぐジークの命は重い。

 二人の命を守るため、城内は常に張り詰めた空気となっていて、城の中を歩く時は常に視線に晒される。


 理解はしているつもりだ。

 それでも、殆ど気の休まる所がなく、神経のすり減る生活は苦しい。


──せめて、もう少し気持ちの盛り上がる事があるといいんだけどなあ……


 頭が鉛のように重たく感じる。

 徐々に垂れ下がっていき、そのまま机に突っ伏してため息を吐いた。


 と、そんな時だ。

 コンコンコン、とノックされる音。


 ピンと上体を跳ねるように起こし、だらしなくなった顔に気を入れ直す。


「あれ、誰もいない……?」

 戸を開けても人の姿がない。

 ノックだけして立ち去る、といったいたずらを出来るような者がこの城にいるとも思えない。

 聞き間違いだったのだろうか、と振り返ると……そうではない事が分かった。


「できれば普通に入ってきて欲しいなあ」

 窓の外から手を振ってくるセインの姿を見て、ジークは苦笑いした。


「お土産を持って行こうと思ったんだけどね、城内に入れていいかの確認、ジーク様の予定の確認、確認確認……って長くなりそうだったから。つい、ね」

 中へ招き入れたセインは、そういって悪戯っぽく笑う。


 つい、で監視の目を潜られてしまったのでは警備の兵達も立つ瀬がないだろう。

「という訳で……はい、お土産。郊外のパン屋さんで買ってきたパンだよ。ステンシアと食べて」

「ああ、ありがとう……ところで、一人かい? ルーアに会いに行ったはずじゃなかったかな」

 まさか彼が何の成果もなしにとんぼ返りしてくるとも思えないのだが。どういう事なのだろうか。


「ルーアも来るよ。でもほら、見た目がちょっと目立っちゃうでしょ?」

 セインは両手の人差し指を突き立てると、頭の両脇に添えて角を表す。

 確かにそれはそうかもしれないが……ジークは彼の話す事が少し引っかかる。


「だから、最初から別のルートで来てもらう事になってて……でも、ルーアの方が早いはずだったんだけどな。どうしたんだろ」

 と、セインは首を傾げている。

 さも当たり前の事の様に話しているが、居所の分からない所から再会できて、そしてここまで戻ってくる。

 それは、とても大変な事だった筈だ。


 この間の事もそう。もっと誇っていいのに、彼はそれをしない。

 それが……すこし可笑しかった。


 そんな事を考えていると……


「ジークゥゥゥゥゥゥゥゥ!」

「うわっ、姉上!」

 勢いよく開け放たれる扉。

 そしてそこから砲弾の如き速さで飛び込んできたのはステンシアだ。

「どうしたの? そんなに慌てて」

「セイン、貴方も居たの?! ……いえ、ちょうどいいわ、一緒に来て頂戴! 部屋に、私の部屋に……なんか変なのが!」

「「変なの?」」



 連れてこられたステンシアの部屋。

 奥には開きっぱなしのクローゼット、そこをステンシアは指差した。


「あそこよ、着替えようと思って開けたら、下から何かモコモコって盛り上がってきて! ……とにかくなんとかして!」

 近づいてみると確かに、クローゼットの床から何か黒いものが溢れて流れ出している。

 見た所、泥……のようにも思える。


「私ちゃんと自分の部屋は掃除してるのよ⁉ それなのに、こんなの信じられないんですけど! ねえ二人ともなんとかして!」

「いや、なんとかしてと言われましても……」


 これが一体なんなのか、それが分からないのでは対処のしようもなく、ジークは困惑する。


 そして何も出来ないまま呆然と立ち尽くしていると、その泥のようなものは徐々に一か所に集まっていき、ゴポゴポ……と、噴き上がるように高くなっていく。


「……あっ。もしかして」

 それを見て、セインは何かに気が付いたらしい。

「大丈夫だよ二人とも。少しだけ待っててくれる?」

 セインがそう言うならば。と、姉弟は二人して気味悪そうにしながらもその場で待った。


 すると、段々と不定形だったそれは、人のような形に姿が安定していく。

 そして徐々に目鼻立ちがはっきりとし始めて……ジークが見覚えのある顔が浮かんでくる。


「えっ、もしかして、ルーア?!」


 しかしはっきりと正体が分かると同時、ジークは体ごと動かす勢いで目を逸らした。


 体を慣らすように動かす、頭に角の生え、全身が赤い肌をした少女。

 セインはそんな彼女に近づいて、鞄から取り出した白いワンピースを被せるように着せる。


「随分変な移動をしてきたね。この為に脱いでたの?」

「いや、単に地下で服を汚したくなかっただけなのだが……地下が崩れてまともに通れなくなっていたのを忘れていたからな、地上での体ごと移動するにはこうするしかなかったのだ」

「……ねえ、そちらの方が誰なのか、誰か私に教えてくれないかしら」

 一人状況に置いてけぼりを食らったステンシアが、不満げに尋ねる。

 すると、ルーアはその声に反応して顔を向けると、驚いた様子で目を見開く。


「アレーナ……ではないな。誰だ?」

「……そういえば、二人は会うの初めてだっけ。ルーア、この人はステンシア。アレーナのお姉さんだよ」

 それを聞いて、ルーアは暫く観察するようにステンシアを見つめた。

「そうか。なるほど、どうりで似ている訳だ……ステンシアと言ったな。名乗るのが遅れたが、ワシはルーアだ」

「ルーア。名前だけは聞いていたわ、セインの仲間なのよね。よろしく。無事なようで良かったわ」

 二人は挨拶と共に握手を交わす。

 ……その後、ルーアはステンシアの背後で顔を逸らしている男が気になった。


「お前……誰だ?」

「ジャックだよ。本当の名前はジークって言うんだけど。アレーナのお兄さん」

「……は?」


 セインはサラっと言ってのけたが、

 まるで十年ぶりに地上に出てきた時のように、ついていけない情報の量。

 ルーアは暫く理解が追い付かずその場で目を丸くして立ち尽くした……

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