第五十二話②
咄嗟に、セインの剣を指二本で挟んで彼を投げ飛ばした。
心臓が跳ねた。
重なったのだ、彼とあの男が……
力も、技量も遠く及びはしないのだ。体格だって、普通の……優男。
似ても似つかない。
それが、何故? ルーアは戸惑う。
「痛った~……」
頭をさすりがら、セインは立ち上がる。
強くは打ち付けていない。温情のつもりだったが、足りないらしい。彼は尚も果敢に挑んでくる。
もう空間の捻じ曲げは通用しないらしい。
少し驚かされはした。
まさか力の流れを掴むとは。あんな抽象的なアドバイスで。
だがそれだけだ。それくらいは一端の戦士ならばいずれは出来る事。
勇士は、そんな”当たり前”が出来る程度では駄目なのだ。
不条理を跳ねのける、そんな力がなければ務まらない。
──お前では、それには届かん。
何度も、何度も、打ち込んでくる。
懲りもせず、何度も。
それでも彼は立ち上がる。
加減してやっているとはいえ、何十回と岩肌の床に体を打ち付ければ、ただでは済まないはずなのに。
「セイン、それ以上はよせ! ここにセナはおらん。お前が傷ついても、誰も治せんぞ! 下手をすれば治らぬ傷を負うかもしれんのだぞ! 『参った』と言え、それで終わりだ!」
そう言っても、彼の目に灯る意思は消えない。
真っ直ぐな瞳で、こちらを見つめたままだ。
……ああ、どうして。
どうしてこうも、あの男が重なる。
「分かってるよ、そんな事。だから、一人で来たんだよ」
「なんだと……?」
「たとえどんなに傷ついたって、それでも『僕は君を仲間にしたい』。それが本気だって、分かって欲しいから。ここで諦めたら、”次”はもうないんだ。だから、僕は絶対に諦めない」
耳を疑う。あの男が、今何を言ったのか。
──『仲間にしたい』だと?
「それが……それがどんな意味か、お前は考えているのか! セイン!」
ルーアの、怒りの籠った叫び。
それにセインは圧されることはなかった。
「分かってるよ。もう僕は逃げる事も、目を逸らす事もしない。だから君とこうして向き合ってるんだ」
その言葉に偽りはないようだ。目を見れば分かる。
……だからこそ、ルーアはそれが許せない。
「それは……それは、アレーナを殺すと。お前はそう言っているのだぞ……!」
込み上げる想いが零れる。
「我は勇士の果たせなかった事を為す。その為に千年の間待ち続けたのだ! 邪悪なる者、奴は今度こそ、完全に消し去る! だが、それは……それは……」
「ルーア……?」
何かが自分の頬を伝った。
それは、止まる事がなく、ルーアは戸惑った。
泣いていたのだ。気付かぬうちに、それほど感情が溢れだしていたらしい。
──聞きたくなかった。そんな事、お前にさせたくは無かった。
*
始まりは、勇士が死んだあの時だ。
あの男、終ぞ我の再戦を受ける事なく、勝ち逃げしていきおった。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
我はお前に受けた屈辱をどう晴らせばいい?
始めに怒りが湧いてきた。次いで、心が空虚になっていった。
これから先、何を糧に生きればいい?
ずっとそうだった。
長い……永い時を過ごす悪魔という存在。
いつ終わるともしれず、そもそも終わりがあるのかさえ分からない。
何もせずとも存在はする。だが、何もしなければそれは『在る』と言えるのか?
自分の存在に疑問を持てば、悪魔はたちまち不安定な存在になる。
『概念存在』である我ら悪魔は、他者の認識によって存在の強度が上がる。
だがそれはあくまで肉付けに過ぎない。
他ならぬ自分自身で存在意義を揺らがせてしまえば、『芯』を失い、霧のように消えるのだ。
まるで、最初からそこに居なかったかのように。
悠久の時に辟易するよりも、消えてなくなってしまう事が恐ろしい。
自分など最初から在りはしなかった……そんなのは、嫌だ。
だから刻むのだ、我の存在を。
たとえ悪名だろうが『我はここに在った』と。この世界で、誰にも忘れられぬように……
故に、『強く在ること』それが我の存在意義だった。
だが、それは容易く打ち砕かれてしまった……それでも存在し続けられたのは『あの男に勝って、尊厳を取り戻す』ことを糧に出来たからだ。
それも叶わなくなってしまった。
もはや、存在を維持するのも危うくなった。
だが、そんな時にあの剣が目についた。
邪悪なる者と戦うために鍛えられ、三界の霊力を籠めた特別な剣。
それを見て、我はこの世に留まった。
呼び名も知らぬその剣を手に取り、あの男が言った事を思い出す。
『俺はきっと、お前達を鎮める為に生まれた特別だ。それでも、他の人達と同じように年を取り、死んでいく。だがその先に、この世界に生きる者を脅かす存在が現れたなら……きっと、その時必要な人間が生まれる筈だ』
もし、その予測が当たっていれば、きっとまた現れる。
『勇士』そう呼ばれる存在が。邪悪なる者を打ち倒すために。
ならば我がこの剣を手元に置き、その者が取りにくるのを待とう。
我がお前の成し得なかった事を為そう。
お前が憎んだ存在が、この世界を救うのだ。
安心しろ、人間に犠牲は出さないさ。お前の愛した人間という種族を、この我が愛し、守ってやる。
それほど滑稽なことはなかろう? あの世で悔しがるといい。
*
『僕はセインだよ!!』
『勇士だからとか、そんなの知らないよっ!』
その言葉が、ルーアには刺さっていた。
自分の身勝手に巻き込んで、彼を追い詰めていたことに、気づけなかった。
いや、違う。ただ見て見ぬフリをしていたのだ。
「我のせいだ、こうなってしまったのは。ならば、その責任は……罪は、我が背負う。それでいいだろう!」
思い返せばいくらでもあった。その予兆のようなものは。
それを無視して、ここまで状況を悪化させた。
だから責は自分にある。とルーアは考えていた。
この少年に、これ以上辛い思いをさせる必要はない。剣を置き、すべて忘れてしまえばいいと。
──だから会いたくなかった。我にはこいつに合わせる顔がない。責めて、追い詰めて……そんな残酷な選択肢を選ばせてしまうなど……
自分を責めて、俯くルーア。
「勝手に諦めないでよ!」
その叫びに、思わず顔を上げてしまった。
見上げた先にあったセインの目。
それはとても真っ直ぐで、淀みがない。眩しいほどの、少年の眼差し。
「アレーナが邪悪なる者に憑かれていたのも、僕が勇士になったのも、あの時僕が何も出来なかったのも、全部自分のせいだっていうの? それは違うよ!」
そう言いながら打ち込んでくるセイン。
心が揺らぐ。
本当であれば容易く返せるはずなのに、力が籠められない。
「僕は一人で旅をして、色んな人に出会ったよ。そして、今の世界に苦しんでる人が居るのも見てきた……それでようやく分かった。僕が、やらなきゃいけない事を!」
その強い意志のが浮かぶ顔は、自分の知る少年とは大きく変わっていた事に気づく。
「邪悪なる者が居る限り、みんなが笑顔でいられる世界は来ない。そして、それをなんとか出来るのは僕だけ! なら僕がやる! それは、僕自身が選んだことだ!」
「その為に……お前はアレーナを斬れるのか!」
確かに彼は成長したのだろう。しかし、大人になどなって欲しくはなかった。
多くの為に大切な一人を斬る。たとえ正しい行いなのだとしても、それによって彼自身が心に大きな傷を負う、そんな姿はもう見たくないのだ。
「何言ってるんだよ、アレーナを諦める訳ないだろ!」
……しかし、彼から返ってきた言葉は、予想とはまるで違うモノ。
「何を言っている? それはこちらの台詞だ……矛盾しているぞ。使命を果たすのではないのか? それは……」
「世界は救う! そしてアレーナも助ける! どっちか一つなんて、選ぶつもりはない!」
「……世界もアレーナも救う? 無理だ、お前の力でそんな事……!」
「そんなの分からない! やりもしない内から諦めないでよ! ……確かに、僕一人じゃ出来ないかもしれない。でも、だからこそ……!」
根拠はないのだろうが、軽はずみとも妄言とも感じなかった。
「僕には!」
それは、意思の力か。
「仲間が!」
力量の差はハッキリとしていた。だが、それさえ覆すセインの想い。
「必要なんだァッ!」
その言葉の重みは、彼の内側から溢れる想いは、体を巡り剣へと伝わっていく。
*
思い返せば、あの男はいつも一人だった。
多くの者が感謝した。
多くの者が賞賛した。
多くの者が彼を慕った。
少なくとも人間相手に、あれは無愛想だったりはしなかった。
むしろ人付き合いはよかったと思う。いつだってあいつの周りには人が寄ってきていた。
しかし、それでも我の目には、あの男が一人に見えて仕方がなかった。
ある時、一つ気が付いた。
あいつは、頼られることがあっても、誰かを頼ることはしないのだ。
何故なら、あいつに並び立てる者が居ないから。
追う者は居ても、追いつける者はない。
孤独ではなく、孤高だったのだ。
もしあいつが、誰かを頼ることが出来たなら……いや、頼れる存在が居たならば……
……ああ、そうか。
自分というのは、案外分からないものだ。
今更、気づく事になろうとは。
我は、追いつきたかったのか。あの男に……
*
「一人じゃ出来ない事がある。でも、二人なら……仲間が居れば、出来る事が広がる。それが分かった」
そう言って、セインが手を差し伸べてきた。
「そして、みんなそれぞれの行き先があって、同じ世界を見られる人は、特別なんだって……だからルーア、一緒に来て欲しい。君じゃなきゃダメなんだ」
「……まったく、生意気に一丁前の口を利くようになりおって」
上体を起こして、セインを見上げる。
少し体が大きくなっただろうか。傷も増えたようだが、それはむしろ痛みを乗り越えた勲章のようなものだろう。
その瞳は、まだ理想も希望も灯している。
──本当に、人というのは少し見ぬ間に大きく変わるものだな。
永い時を生きる分、積み重なりすぎた過去に囚われていくものだ。
だが彼を見ていると、まだ見ぬ先を目指すのも悪くない。
そう思う事が出来た時、彼に重なっていた影は消えて……自然と笑みが零れていた。
差し伸べられた手を取り、立ち上がってセインと向き合う。
「いいだろう、勝負にも負けた事だしな。お前に付き合ってやる。せいぜい……」
「ルーア様」
セインの後ろから、ルーアの物言いが気に入らなかったらしいジアが言葉を遮る。
『そうじゃないだろう』とその表情は暗に訴えかけてきていた。
「分かった分かった。そう怒るな」
仕方ないとばかりにため息を吐くが、態度と裏腹にルーアの顔は晴れやかだ。
──僅かな間で、ジアを成長させる……それもある意味、こやつの力という事か。
そう思いながら、改めてセインの方を見る。
「そうだな。ここまで来て体裁もあるまい……セイン、我の方から頼む。共に行かせてくれ。お前の掴みとる明日を、見てみたい」
「違うよルーア。”僕達”で掴むんだ」
「……ああ。そうだな!」
そうして、二人は堅く手を握り交わした。
「ぃよっしゃぁっ! それってつまりルーア様居なくなるんすね! てことは自由だ! あたしの天下だ! ……あ、いや。すんません調子のりやした……あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”冗談、冗談っす! 指を喰い込ませないで!」
二人の横で、水を差すように喜びだしたギオル。
その頭を片手で押さえるように掴む、張り付けたような笑みを浮かべたルーア。
そんなやり取りを、苦笑しながら眺めていたセインは、後ろから服の裾を引っ張られ、振り返る。
そこには、こちらを見上げるジアの姿があった。
彼女が背伸びをして何かを伝えようとしていたので、中腰になって耳を傾ける。
「やりましたね、セイン様」
「……うん、君のお陰。ジア、ありがとうね」
今回は彼女が協力してくれなければ、上手くいかなかったかもしれない。
味方になってくれる誰かが居る。ただそれだけでも、とても心強いのだ。そう思う事が出来た。
「ああ、そうだ。よそよそしいし『様』なんて付けないで、セインでいいよ。もう友達でしょ?」
「友達……」
ジアは少し驚いた様子だった。だが、その後すぐに納得がいったようで、表情が緩んでいく。
「はい、よろしくお願いします。セイン」
──いい笑顔だ。
セインはその顔を見れたのが嬉しくなって、笑顔で返した。
その様子を横から見守っていたルーアも、思わず微笑んでいた。
……が、ある事に気が付いてスッと頭から熱が引く。
「ところでセイン。勇士の剣はどうした」
そう、ないのだ。
彼が腰に提げているべきものが。
ルーアにとっては、何よりも大事にしてきたその剣が。
「えっ、ルーアが持ってたんじゃ?」
目を点にしながら聞き返してくるセイン。
確かに、確かに一度預かりはした。だが……
「いや、あの時お前に返しただろう? 城で、三つ首の怪物に襲われた時。それからずっとお主が手にしていただろう」
「えっ……」
「ん……?」
暫しの静寂。
互いにじわりじわりと理解が頭に上っていくと同時に、一気に顔から血の気が引いていく。
「「ええええええええええええ?!?!?!?!?!?!」」
*
一方そのころ、王都。
「あっ、しまった!」
「うわっ!? どうしたのジーク?」
なんの前触れもなく、執務中に突然声を上げた弟に驚くステンシア。
彼は困った様子で頬を掻き、部屋の目立つ所にある金庫へ目を向ける。
「いやその……セインに返すのを、すっかり忘れていたな。と」
「あっ! そうよ、何か忘れてる気がしたのよ……”あの剣”ね」
ジークに言われて、ようやく思い出したといった様子のステンシア。
「城の屋上に落ちてて、貴方がセインのだと言っていたし、大事な物らしいから仕舞っていたのだけど……」
ステンシアはやってしまった、と言わんばかりに額に手を当てる。
二人の視線が部屋の一点に集中する。
縦長で、部屋の色調に合わせられた立派な金庫だ。
景観を崩さず、防犯の面で見ても気づかれにくい。
……というのは良いのだが、そうと分かって気にしていなければ、部屋の一部にしか見えないのが難点で、当の使用者達もついつい見失ってしまうのだ。
「……まあ、また来ると言っていたのだし、その時に渡しましょう」
そうステンシアが言うと、頷いて返すジーク。
「そうですね……もうちょっと、分かりやすい所に出しておきますか」
はぁ~……と二人は長めに息を吐いて、椅子にもたれ掛かって天井を見上げた。