第四十七話
……半年の月日が流れた。
「やっっっっっっっと……着いたぁ~!」
眼下に広がる大都市《王都》。
肩に一本の剣を掛けた黒髪の少年は、感慨と疲労が入り交じりながら、言葉を吐く。
「広いなー、さすが王都。この国一番の大都市ってだけあるね。今まで見てきたところと、比べ物にならないや。前に来たときは"下から"だったし、街並みは見られなかったからなあ」
ふと周りを見渡す。
少年は一人、顔に影を落とすも、すぐに前に向き直る。
「さてと。立ち止まってもいられない、か。お城は……都市を抜けて、城下町に入って、そこから……はぁ、遠いなあ。飛んで行けたら楽なのに」
少年は街を眺めるのをやめ、一歩、歩む。
「これが僕の大きさ、か……じゃ、もう一頑張り、しますか!」
それから更に半日。
そろそろ日も暮れようという頃、城門の前でちょっとした騒ぎが起こった。
「ダメなものはダメだと言っている!」
「なんでさ」
警備兵と言い争うのは、黒髪の少年。
「どこの馬の骨ともしれん奴が、『王子の友人だから通せ』だと? 何を戯けたことを」
「君が通してくれる必要はないよ。ジークに伝えてくれれば、きっと入れてくれるから。ステンシアでもいいよ? 居るんでしょ」
「お前! さっきから聞いてれば、王子様と王女様の名前を気安く呼び捨てにしおって! 何様のつもりだ!」
「だから……友達だってば」
どうも頑固な警備兵殿は、話を取り次ぐ事さえしてくれないらしい。
さて困った。
警備兵と話すのも疲れて一旦退散しようと振り返ると、野次馬が集まっていた。
どうやら、やりとりが見世物にされていたようだ。
流石に恥ずかしいので、人だかりから逃げようとした時だ。
少し気になるものが目についた。
──何事かは知らないが、気を取られちまってまぁ……これじゃあ盗んでくれと言ってるようなもんだ。
見世物に夢中な野次馬の一人から、男はするりと肩掛けの鞄を引ったくる。
慣れた手際。自然体を装って堂々とその場を離れようとしたその時……
一陣の風が、自分の横を通り抜けるのを感じた。
「盗みは駄目だよ、おじさん?」
「お前、いつの間に……!」
声で気がついた時には、自分の腕は少年によってきつく握られていた。
その男が手を振りほどこうとするも、びくともしない。
それどころか気がつけば宙を舞っていた。まるで風に運ばれているかのように。
「この人、泥棒です! あとはよろしく」
唖然としていた……目の前の警備兵が。
当然、本人も何が起こったのか分からないまま、突き出されたらしい。
「これ、君の?」
「えっ? あ、はい。ありがとう……ございます……」
少年は、いつの間にか取り返していた鞄を持ち主の女性に渡していた。
もっとも、彼女の方は何事があったのかまだ理解が追い付いていないようで、ぼんやりとしているが。
「じゃあね。気をつけなよ?」
「はい、ありがとうございました!」
誇らず、ただ当たり前の事をした。そんなさりげなさで、彼は去っていこうとする。
その背中に、女性は改めて礼を言った。
「おい待て……いや、待ってくれ!」
警備兵は泥棒を拘束しながら、少年を呼び止めた。
「何?」
「君、名前は? 名前を教えてくれないか」
意図が分からず首を傾げるが、それでも「まあいっか」と少年は快く答える。
「セイン。僕の名前は、セインだよ」
*
その夜。
王都の外れにある小さな宿で部屋を取ったセイン。
屋根と壁のある場所でくつろげるのは、久しぶりだった。
そのせいか、椅子に腰をかけるやいなや、大きなあくび。
そして、次第に視界が揺らぎ始める。
「おっと待った。せめてお風呂には入りなよ。旅の途中は仕方ないけど、基本的には清潔でいて欲しい」
眠気が覚める。
この憎たらしい喋り方。セインが思い当たるのは一人しかいない。
「お前……なんでここに居るの」
「君が居るところなら、どこへでも。なんてね?」
セインは顔を背けたままだが、声の主はそんな事は意に介さず、体が密着しそうな程に距離を詰める。
「そう邪険にするなよ、傷つくだろう?」
人差し指で彼の頬を突きながら、からかい口調で話しかける。
「別にお前が傷ついたって僕は……」
「いや、そうじゃなくて。”あの子”がさ」
ぴくり、とセインの体が震える。
「『私』が『私』であるのは確かだけど、別に意識を全部封じ込めてる訳じゃない。って、前に言っただろう?」
「いやでも……」
反論をしようと顔を向けると、目の前にその”顔”があり、反射的に再び顔を背けた。
「こんなんじゃない。って? そりゃまあ、『ヒトのしがらみ』みたいなのは私が大体取っ払って、むしろ前よりこの子の素直な部分が表に出てるんだから。私は君の反応で遊べるし、君も悪い気はしないだろう?」
「お前、性格悪いよ……」
「お褒めにあずかり光栄だよ」
”こいつ”にとっては本当に褒め言葉。
大体何を言っても口では勝てないというのは分かってきたセイン。
敵……ではあるはずなのだが、剣を取る訳にもいかず、それどころか邪険に扱う訳にもいかない。本当に厄介だ。とため息を吐く。
「さてと、私はこの辺りでおいとましよう。疲れていてもお風呂には入りなよ? あと、暫くまともな食事も摂れていないだろう。常在戦場は冒険者の性だろうけどね、こういう時ぐらい。しっかり食べなさい」
セインの背後に夜風が当たる。どこから出ていくつもりなのか。
しかし、確かにあいつの言う通りなのかもしれないと、今の言葉で納得させられる。
きっと、自分を心配してくれるその言葉は、彼女の……
「そ・れ・と。あまり他の女の子に優しくしないでくれ。妬いちゃうから……それじゃ」
彼女の……言葉なのだろうか。
いや、これは単に奴がからかってきているだけだ。きっとそう。
そう自分に思いこませ、少し鼓動の早くなった心臓を落ち着けようと努めた。
「……もしそうだとしても、人助けくらいは許してよ……ていうか、閉めていってよ」
窓を閉めるためにセインは立ち上がる。
閉めた後、窓ガラスに映る自分の姿を見て暫く立ち止まった後……
「お風呂、行こうかな」
*
翌朝。
ノックの音で、セインは目覚めた。
カーテンから日の光がこぼれてはいるが、さして明るくはないので、まだ早朝といった所か。
どうやら自分の部屋に訪ねてきているようだが……寝起きの少し重たい頭では、そんな相手が思い浮かばない。
戸を開けると、一人の男が驚いた様子で顔を青くして立っていた。
「……こんな朝早くに来て悪いとは思うが、まずは剣を納めてくれないか」
「あっ、ごめん。これはそんなつもりじゃなくて」
一人旅の癖が出てしまった。
早々に剣を納めて、セインはパンッパンッと、顔を叩いて眠気を飛ばす。
「えっと……あれ? 君は昨日の?」
自分の部屋に訪ねてきたその男、制服姿でないので最初は気付かなかった。
が、よく見れば。昨日、城の前で言い争いをした警備兵だ。
「覚えていたか。そうだ、俺はビッケイ。よろしく頼む」
「ビッケイさん……が、わざわざどうしたの。僕に何か用?」
「ここでは話し辛いんだ。まずは付いてきてくれないか?」
少し困った様子で言葉を選ぶビッケイに、セインは「いいよ」と即答する。
「まあこんな事いきなり言われて信用も出来ないだろうが……え、いいのか?」
「着替えるから少し待って。流石に、パジャマでは出歩けないでしょ」
「ああ、それくらいは待つが……えっ、いいのか?」
拍子抜けしたか、それとも呆気に取られているのか、目を丸くするビッケイ。
「自分で言うのもなんだが、怪しくないか? 突然来て付いてこいだなんて。よく知りもしない相手に」
それに対して、耳だけ貸しながら、パジャマを脱いでベッドに放って、着替えるセイン。
「別に。君が悪い事しようとしてる訳じゃないって、分かるし」
「それだけか?」
その問いかけに、上着から顔を出したセインは少しだけ考える様子をみせて、答える。
「僕も君も、昨日からの長い付き合いだから」
それだけで充分だ、と言わんばかりに彼は爽やかに笑った。
宿の外に出ると、一台の馬車が止まっている。
「馬車?」
内密な用事のようだが、これでは目立ってしまわないか? と気になるセイン。
「ああ、行き先が少し遠くてな。お前がこんな王都の端に宿泊しているんでなければ、使わなくて済んだんだが」
「……だって中心街、高いし」
理由があまりに世知辛い。
しかし、ずっと浮世離れしている雰囲気を感じていた。
だが、こうして地に足のついた言葉を聞けて『彼も自分達と同じ所に居る』と、そう安心できた。
「見たところ冒険者のようだが、一人なのか?」
走り出した馬車の中でビッケイは尋ねる。
「うん。今はね」
「なるほど、そりゃあ寝起きで剣を抜いちまうわけだ」
「それはごめん」
外では野生の獣、そして魔獣の脅威に常に曝されることになる。
となれば、本当の意味で休息を取ることも出来ない。
眠るというのは、一番隙の出来る行為だから、神経を張り詰めなければいけない。
少しでも物音がすれば目覚めてしまうだろう。起きてすぐに戦えなければ、死んでしまう。
目の下に浮かぶ隈は、そんな過酷な環境を生き抜いてきたことの証左なのだろう。
「悪かったな、起こしちまって」
「いいよ、もう慣れたから」
本人は気にしていないようでも、ビッケイにとってセインは、自分よりも一回り幼い、少年だ。
そんな彼が何故そんな過酷な旅をしているのか、気になった。
「今は、って言ったな。仲間はいたのか?」
「うん。でも"色々"あって、今は離れ離れになっちゃって……」
「それはもしかして、半年前の……『暁の嵐』か?」
その言葉に彼は僅かに反応を示した。
なるほど、とビッケイは一人納得する。
彼が危険を承知で、『今の世界』を一人で歩む理由が。
「そうか……よっぽど、大切な仲間なんだな」
彼は静かに頷いた。
「だが、それならどうして誘いに乗ってくれたんだ? 時間も惜しいだろうに」
「こんな今だから……"友達"の助けになりたかったから。かな……なんて、かっこつけちゃったけど、僕も力を借りたいなーって、それだけだよ」
窓に顔を近づけた彼の視線は、馬車の進む先を見据えている。
気づいているのだろうか。と、ビッケイは思った。
セインを呼んだ人物が、何者なのかを。
「あの方を相手にそんな事を言えるなんてな」
おそれ多い話だが、彼には"あの方"も快く応じそうである。という根拠のない確信があった。
何故か?
彼の綻んだ顔を見れば分かる。
利害など関係なく、セインはただ、友人との再会を心待ちにしているのだと。
*
"目的地"に着くと、手厚い歓迎が待ち構えていた。
道の両脇に兵士が整列し、敬意を払うように構えている。
寸分の狂いなく立ち並び、構えるその様は壮観で、見るものを圧倒させる。
統率の取れた兵士達の先に、一人の人物が待ち構えていた。
その男の手前で馬車は止まり、中の二人が下りる。
待っていた男の前に立つと、ビッケイはすぐ様片膝を地に付けうやうやしく頭を下げる。
「ただいま戻りました。セインなる人物、確かにお連れいたしました」
「ああ、ご苦労様。ビッケイ、頼みを聞いてくれて、ありがとう」
「そんな、勿体なきお言葉! 私は命を果たしたまで」
名前を覚えられていたことに驚く。
「まさか、あなた様がお出迎えにいらっしゃるとは思わず」
「私が命じたのだから、迎えるのは当然だ。それに大切な友人が来るとなれば、尚のこと」
そう言って、ビッケイの横に立つ"友人"に視線を向ける。
「久しぶりだね、セイン。無事でよかった……本当に」
「うん、久しぶり。そっちも元気そうだね……えっと……」
何と呼んだらいいか、セインが良い淀んでいると。彼は苦笑して、こう告げる。
「ジーク……ジーク・スティル・クライス、それがボクの名前だ」