第四十四話
「ジーク、だと……?! お前は、死んだ筈ではなかったのか!」
驚くアギル。
「ジーク……? 貴方は本物、なの?」
疑うステンシア。
「ええまあ、恐らく。自分はそうだと信じていますよ。姉上」
「分かったわ、貴方は本物よ」
この妙な所でズレているのは間違いなく自分の弟だ。と確信し、残念に思う長女であった。
「貴方が兄上だったなんて。私、気付かずに……」
あくまでアギルを見据えつつ、ジークは妹に声をかける。
「アルミリア……いや、アレーナ。つもる話は後にしよう。きっと、長くなるからね」
「……はい」
そうして、ジークは改めてアギルに意識を集中させる。
「生きていたことには驚かされたが、のこのこ現れずに隠居でもしていれば良かったのではないか? 先程は不意を突かれたが、正面から戦えば、俺が勝つぞ」
当然とばかりに、アギルは言いきってくる。
「後ろの二人はもはや戦力にはなるまい。庇いながらで戦えるのか?」
「確かに、ボク一人なら、少し厳しいかもね」
含みを持った言い方。ただ思わせぶりなだけか、それとも……
金属同士がぶつかり合う音が響く。
背後に感じた気配に、アギルが反応し、振るわれた剣を受け止め、弾き返したのだ。
黒の瞳が、アギルを睨み付ける。
この少年には、覚えがある。
「確かお前は……セイン、と言ったか。随分と雰囲気が変わったな」
視線から滲み出る殺気。本当に同一人物なのかと目を疑ってしまう。
何度も斬りかかってくる。
対処できないような剣擊ではない。
怪我でもしているらしい、体の動きに制約があるようだ。その程度では、自分が傷の一つも負うことはないだろう。
だが、必死に食らいつこうとするその勢いは、無視できなかった。
しかし所詮は勢いだけ。後先考えない攻撃をしたからか、すぐに息切れしたようだ。
「これがお前の切り札か? ジーク。こんな手負いの少年一人が……」
勝ち誇ったように振り返る。
だが、そこでアギルは言葉を失った。
「ああ、充分だとも」
そこに"ただ一人"立っていたジークは、不敵に笑みを浮かべた。
「貴様……! ステンシアとアルミリアはどうしたッ!」
そう、二人の姿はそこには無かった。セインに気をとられている間に、ジークが逃がしたらしい。
「さあね。探してみるかい? まあ、こっちに気をとられている余裕があるなら、だけど」
気がついた時には遅かった。
振り向けば、セインが避けきれぬほど近くで剣を振るおうとしていた。
突発的に風を巻き起こし、彼を後ろへ飛ばす。
だがそれでも、僅かに肩口に傷を負ってしまった。
「まずは……一回」
立ち上がる時、セインが呟いた。
「言っておくけど、僕らは死ぬ気じゃない。お前を倒すから」
先程までとは打って変わって、彼は冷静に見えた。
まさか、とアギルは思わされた。
「あの殺気は、芝居。俺の目を欺くための……? いや、あれはそんなモノではなかった筈だ」
「考え事? 余裕だね。セインの言うとおり、ボクらは囮や時間稼ぎでここに居るんじゃない」
アギルの疑問など知らず、ジークが啖呵を切る。
剣を構えられ、アギルも仕方ないとばかりに思考を打ち切る。
「俺は、魔王軍四天王だ。ただの一太刀を浴びせた程度で、頭に乗るなよ人間共……」
疾風、その二つ名に違わず、風を身に纏うアギル。
踏ん張らなければ、吹き飛ばされそうな圧を前にして並び立つジークと、セイン。
「いくよ、ジャック」
ジークは僅かに目を見開いた。
彼の存在に気が付いたのは、ギリギリの所でだった。
元々、治療を受けさせていた為、この部屋まで来ることはないと思っていたからだ。
当然、まともに話さえしていないというのに……
「……分かるんだね」
「当然でしょ」
彼は皆までは言わなかった。だが、それでも伝わった。
それから無言で、アギルを見据え直す。
激しい攻防。セインとジークは息の合った連携で攻める。
しかしアギル、さすがは四天王と言うところか。
言葉通り二人を相手しても尚、互角以上に戦う。
それでも、不思議と不安はなかった。
セインもジークも、互いが次に何をするのか、自分が何をすればいいのかが分かるから。
──何故だ……! 何故、俺が……!
技量も、経験も、力も、人間に劣るはずがないのに。
相手はただの二人。
それも、まだ成熟しきらない歳。片方は手負いだ。
──何故そんな奴らに、俺が追い詰められている!
次第に後退させられていることに、アギルは困惑する。
何故、自分が人間を恐れなければいけないのか──と。
アギルから、風の魔法が放たれる。
……まずい。
頭で考えるより先に体が動いていた。
「あいつ、まだこんなのが……!」
風によって切りつけられ、額から流れる血を拭うセイン。
「ああ……つまりそれだけ、ボク達が追い詰めたって事だね」
「どういう事?」
「彼は魔族。人間よりも格上だってプライドがあるんだよ。だからこそ、本気の実力を出さない。それが……全力かは分からないけど、魔法を使わせたんだ。それってつまり……」
ジークの言葉を理解し、セインは笑みを浮かべる。
「使わないとまずいって思わせたんだね」
「そう。でも、正直全力出されたらボクらも不味いかも」
「なら、勝つためには……」
二人は、互いに目を見合わせる。
「「今、ここでケリをつけるしかない!」」
二人は走り出す。
対して、アギルが再び魔法を発動しようと構える。
そこで、セインが前を走った。
彼が自ら壁となり、風の魔法を受け止め、それを飛び越え、ジークは上からアギルに斬りかかる。
ジークを討たんと、アギルの意識は上に向き……自ずと、隙が生じる。
そこでセインは踏み込んだ。
二人の斬撃が、時間差でアギルを襲う。
まともに攻撃を受けた彼は、遂に膝を地に着けた。
あと少し……だがセインは、そこまで来て剣を振り上げることに、躊躇いがでてきた。
息も絶え絶えに、傷口に手を当て、止まらない出血を抑えようとするその姿。
それを見た時、心が咎めたのだ。
肩に手が置かれる……ジークだ。
甘さ。この場において、それは命取りになりかねない。
そうと分かっていても、少し安心している自分がいた。
──君はそれでいい。これは、ボクの役目だ……
ジークが、とどめを刺そうと覚悟を決めた時。
悲鳴が、通路から響いてきた。
二人は、思わずそちらに気を取られた。
──向こうは、姉上とアルミリアを逃がした方向……!
その隙をつかれ、アギルが逃走を謀る。
「セイン、行ってくれ。二人は任せる!」
「……うん。分かった!」
セインは駆ける、アレーナの元へ。
胸がざわつく。何か……そう、最も恐れるものが、近づいているような。そんな感覚。
暗闇の中を突き進む。
その先で、人の姿らしきものを見つけ、痛みを訴える体に無理をさせて足を速める。
……そこにあったのは、立ち竦むステンシアの姿だった。
「ステンシア、何してるの? アレーナは?」
その声に反応して、ステンシアが振り向いた。
怯えた様子で涙を流しながら……
「違う……私じゃ、ないの……私じゃ……」
雫の滴る、ナイフを手にして。
それが何を意味するのか、セインは理解を拒んだ。
だが、嫌でも目に入ってくる。
ステンシアの目の前に、倒れた人影が。
「アレーナ……? ステンシア、それ、どういう……」
次の瞬間、ステンシアが襲いかかってくる。
「ステンシア、どうしたの?! なんでこんなこと!」
「違う、違う! 私、こんなことしたくない!」
「ならなんで!」
「分からない! 分からないの! 助け……んん……!」
ステンシアは急に口を閉じた。まるで、縫い合わされてしまったかのように。
様子がおかしいのは分かる。
彼女はかなり混乱している。演技とはとても思えない。
……だというのに、彼女のナイフを振るう動きが、あまりに鋭い。
的確に、こちらの急所を狙ってきている。
実戦に慣れておらず、少し剣を振るえば立てなくなるような者の動きではない。
何かがある。そう直感して、ステンシアを注視する。
そして、見つけた。
彼女の背後に繋がる、糸のようなもの。
それがどうやって彼女を操っているのかは分からないが、絶ち切れば解放できるはず……
そう考えて、セインは即座にステンシアの背後へ回り、剣を振るった。
……だが、その刃はただ虚空を裂いただけ。何の手応えもない。
──そんな! 確かに見えたはずなのに!
何故だ?
セインはステンシアの攻撃を避けながら考える。
見えたはずなのに触れない、人を操るモノの正体を。
──もしかして……!
見えたのは多分『見えないはずのモノ』だ。
ならば、とセインは剣に『力』を籠める。
通じるかは分からないが、可能性があるとすれば光の力のみだ。
一か八か、セインは自らの力に賭けて剣を振るう。
確かな手応えを感じた。
ふらりと、倒れそうになるステンシアを抱き止める。
どうやら意識を失ったらしい。
触れた時、彼女はもう操られてはいないと感じた。
怪我は無いようだと分かり、一度彼女を床に寝かせると、アレーナの元へ向かう。
酷い出血だ。まだ息はあるようだが……とにかく、止血しなければ。
やり方は曖昧だったが、セインは必死だった。
──こんな時、セナが居てくれれば……!
そう思わずにはいられなかった。自分のやっている事が正しいか不安で仕方ない。
もし、アレーナが死んでしまったら……
……許せない。こんな事をした奴が。
沸々と、胸の内に湧き上がる感情。
その時だ。
何かが風を切り、迫ってくるのを感じたのは。
寸での所で、セインはそれを剣で弾いた。
「誰だ!」
思わず叫んだが、肌で分かる。
それが誰であっても、ただ一つ、はっきりしていることがある。
それは……ステンシアを操り、アレーナを襲わせた犯人が、ソイツであるということだ。
「どうも私の腕は鈍ったらしい。こうも繰り返し気づかれるとは」
その無機質な声。間違いない、奴だ。
暗闇の中から姿こそ現さないものの、そこに仮面の者が居ることは分かる。
「お前か……お前がアレーナを……!」
「さて、なんの事か……お前が拙い手当をしている女をやったのは、姉の方だが」
「黙れ!」
挑発してくるような戯言に、セインの怒りは頂点に達した。
「なんでだよ……!」
聞肺から僅かな空気を絞り出したかのように、掠れた声。
「なんで、アレーナが死ななきゃいけない! アレーナが何をしたんだよ! 何にも、悪い事なんてしてないだろ!」
荒げた声で叫ぶ。
セインが、今まで見た事もない形相で、相手を睨みつけていたからだ。
「その女の罪か。あるぞ、一つだけ」
声音を揺るがすことなく、淡々と仮面の者は返す。
「単純で、大きな。そう……そこに存在している、生きている。産まれてきたこと。それこそが、その女の罪だ」
頭の中がまっさらに。怒りも恐れも躊躇いも。全てが首を伝い腹の底へと消えていく。
見る見るうちにセインの顔から表情が消え去っていく。
俯き、目元は前髪に隠れた。
透明な水の中に一滴、黒い雫が落ちてくる。
それはどんな見る見るうちに浸食し、透き通っていた水を黒く、濁らせていく。
一本のナイフが、空を裂く。
それは、避けるまでもない程に勢いがなかった。当然、届く前に地に落ちた。
落ちたナイフは、月明かりが反射し、金の装飾が施された柄が輝いた。
そんなもので目を眩ませる事が出来るとでもいうのか。バカバカしい……と気にも止めなかった。
……だが、違った。
「そこッ……かァッ!」
セインの姿が、眼前に迫っていた。
そこで初めて気が付いた。あれは、こちらの位置を探っていたのだと。
油断していた。こんな少年に、上手を取られることなどないと。
避けきれず、その刃は『顔』を掠めた。
地に落ちた白い仮面に、赤い雫が垂れ落ちる。
仮面を失ったその人は、両手で顔を覆いながら悲痛な叫びを上げた。
「私のッ……顔……顔に、傷がァアアアアアアアアア!」
それは明確に、女の声だった。
セインは驚いた。何も感じず、動じない。そう思っていたのに、これほどまでに動揺をしているこの女の姿に。
女は項垂れて、それまで顔を隠していたフードを上げ……金色の髪を、露わにした。
「……お前っ!」
知っている。セインはその顔を。
今、こちらを睨む、青の瞳を。
「アリシア……!」