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第四十三話

 生まれた命は、死んでいくのが定め。

 だがそれでも、生誕とは祝福されるもの。『死ぬために生まれる』命など、ないはずだ。


 ……とは、多くの『人間は』思うことなのだろう。


 死ぬために生まれてきた事を、同情されるいわれはない。

 こちらから言わせれば、理由もなく生まれ、意味もなく死ななければいけない人間に比べれば、こちらはどちらにも『必然』がある。

 その分は、いくらかマシだと思えるのだから。


 自由を欲する事もなかった。必要がない。

 自分はただ、『死ぬまで生きる』事を全うさえすれば良いのだから……


 その筈だった。


 自分の中で何かが狂いだした。


 あの時だ。

 ただの一度、幼き姿を一目見たそれきり。


 だがその時、それまでただ全身に血液を送り出すための器官でしかなかった、この胸の内にある臓器。

 それが初めて『心臓』として動いた。


 儚い可憐さを持っていた。

 齢は十二。人の娘であればまだ無垢から抜けきらず、僅かに狡さを覚えていく程度の歳であるはず。


 それが彼女はどうか。

 誰かと接する時、常に笑みを浮かべていた。

 しかしそれは本心から来るものでない。

 焦りと、不安。それらを隠すための『仮面』なのだと、私には分かった。


 人の子でありながら、下手に触れれば散るやもしれぬその一輪の花。

 愚かしくも同情し、不相応な望みを、抱いてしまったのだ。


 ……ただ、その華に触れたくて。彼はその手を伸ばすのだ。



「アルミリア……! 貴様ァ! まだ行く手を阻むか!」

 肩口を抑え、睨んでくるゴルド。


「あと少し、手の届く……所に……」


 アレーナはそれに言葉を返しはしなかった。

 淡々とした様子で相手を見据えるだけ。


──腹の傷……出血が止まっているな。


 必要以上の事には興味を向けない。

 ガルドスの背後に居る、姉にさえ……


 アレーナを排除しようとガルドスが大剣を振るう。


──怪我を負って尚軽々と片腕で。大した膂力だ。


 それを避けず、目を背けることすらなく……ただ、当たり前のように槍の柄で受け止める。


 一歩も引かないアレーナ。

 その顔はあまりにも涼しげで、ステンシアは恐れを抱いて、震えた。


 それどころか、先ほどまで為す統べなく押されていたあのガルドスに対して、今度は容易く押し返し始めている。


 ガルドスもこれには焦ったようで、咄嗟に両手で剣を握る。

 このまま押し通してやろう、と。


 だが、それさえアレーナはものともせず、遂にその剣を払い退けた。


 立ち上がる前までの劣勢が嘘のように、形勢を逆転させる。

 力負けしないどころか、的確に下半身、それも関節を狙って体勢を崩させようとする。


 だが、ガルドスも一方的に押されることはなく、凌いでみせる。


 僅かなブレといった隙の見当たらない立ち回り……ステンシアには、妹だと思っていた相手が、まるで別人に変わってしまったかのように映った。


 あまりにも無機質。

 その槍筋は感情というものが感じられず、ただ目的を遂行するためだけに振るわれている。

 そんな今の彼女が少し、怖かった。


 アレーナの攻めを、ガルドスは手負いながらなんとか耐えている。

 彼女の方は、余裕はあるように見えるが、決め手に欠けているといった様子だ。


「ずっと気になってたんだけど。君、人間なの?」

 それまで口を開かなかったアレーナが問いかける。

 槍を支えに立って、気だるげに、首をほぐしながら。

 僅かに、ガルドスの耳が動いた。


「お腹と肩……結構深く刺してると思うんだけど、もう出血してないよね。でも傷が治ってるようには見えない。どうしてかな? そもそも、止血したって手遅れだと思うんだけど、どうしてまだ生きてるの?」


 ステンシアからは、それは淡々と話しているように思えたが、よく聞いていると、何かおかしい。

 彼女は、こんな話し方をしていただろうか? こんな、砕けていて……


「考えられるとすれば、元々血が流れている必要がない……とかね? 例えば魔力を流しているとか……あれ? でもそれってなんだか、つい最近見た気がするなあ、なんだったかなあ?」


 額に指を当てて、思い出そうとしているらしいポーズを取る。

 そしてわざとらしく気が付いた! と言わんばかりに目を見開いた。


「ああ、そうだ。ついさっき見たなそんなの……まるで、呪詛で動く……”アンデット”みたいだよね?」


 あくまで淡々としながらも、あざけるようにその言葉を告げる。


 それが引き金となったか、ガルドスはアレーナに突撃する。


「”怒る”んだね。なら、アンデットは言いすぎた。感情がある分、少しはマシだ」

 大理石の床が僅かに沈む程の力を掛けられているにも関わらず、アレーナの表情は涼し気だった。

「だけど残念だったな。私は、”それ”では倒せないよ」

 驚くべき事に、彼女は軽々とガルドスの剣を押し返してみせた。

 そして壁際まで追い込んだ後、槍をフルスイングし壁へと叩きつけた。


 本当に、目の前に居るこの少女は『アルミリア』なのか?

 言動、しぐさ。まるで共に走ってきたあの妹の姿と一致しない。

 姿形、それ以外の何もかも……

 あれが本当? さっきまで心を通わせたと思っていたのは、偽り? 分からなくなる。

 はっきりしているのは、内で燻っていた彼女への恐れが、徐々に膨れ上がっている事だ。


「まだ立ち上がるんだ。しぶといというか……ここまで来ると哀れだね」

 立ち上がろうとする一挙一動、その度に骨の軋んでいるような音を発していた。

 それでも尚、立ち塞がろうとするガルドスの姿を、アレーナは僅かに体を反らせて見下ろしていた。


「魔力源を絶てば、さすがに止まるだろう。終わらせてあげるよ」

 トドメを刺そうというのか、槍を構えてアレーナの方から近づいていく。


 だが、あと一歩というその時に、彼女の足は止まった。

 急によろめいて、額に手を当てる。


「……ああ。まったく、あっちもこっちも手間のかかる……」


 聴こえた呟き。

 何の事かはわからない。

 だが、そんな事を疑問に思う間はなかった。

 彼女は両膝を地についつ直後、体はぷつり、と糸が切れてしまったように倒れた。


「……私、は……」


 アレーナは意識がぼんやりとしていた。

 急に体から何かが抜けてしまったような、そんな感覚。


──体に力を入れ直さなければ、立ち上がらなければ……姉上を、守らなければ……


 だが、体勢を立て直そうとするも遅く、目の前にガルドスが大剣を振りかざして構えていた。


 恐怖が勝り、思わず目を伏せた。


「貴……様……何、を……」


 聴こえてきたのは、絞り出したようなガルドスの声。直後に、何かが地に落ちた音。


 何が起きたのか。確かめるべく顔を上げる。


「あなたは……?」


 そこにあったのは、風の吹かぬこの場所で、はためくマントを纏う、後ろ姿。


「ジーク!? あなた、本当に生きて……」

 姉の声が響く。


 そう、目の前に居たのは、兄のジークだった。

 ガルドスの前に立ちはだかり、彼の腕を切り落としていた。


「何のマネだ……! 何故ここでジャマをす……」

 ガルドスの言葉を遮る、風を切る音……彼の口の両端から耳元まで血がにじみ出した直後、裂ける。


「悪いが、反逆者の言葉に貸す耳は持ち合わせていなくてな」

 そう言い放った後、暗闇に一閃の光が細く瞬いて……ガルドスは仰向けに"落ちていく"。


 それは、ジークの放った剣擊だった。

 彼の前に残された、ガルドスの両足だったもの。それを足蹴にして退かす。



 逃げようとしているのか、残された腕で這うガルドスを、ジークは踏みつける。

 そして彼の心臓に切っ先を向け……そのまま、突き刺した。完全に、動かなくなるまで。


 徹底的で、無慈悲。その冷酷さに、アレーナは恐ろしくて体が震えた。



 ガルドスという男は最後まで、手を伸ばし続けていた。


──私のため、と貴方は言ったわね。


 自分の何が彼をそうまでさせたのか。理解はしない。


 哀れみを感じない訳ではない。その死に様に何も思わない訳ではない。

 だが、一国を統べる一族の長として、反逆者を理解してはいけない。

 気を許しては、いけないのだ。


 だからステンシアは立つ。

 その屍も乗り越えて。それこそが、王たる者が背負う宿命なのだから。


「ジーク、助かりました。礼を言います」

 毅然とした態度でジークと向き合い、礼の言葉を告げると、それから表情は安堵のものへと変わった。

「……本当に、生きていたのね。良かった」

 弟、とはいえ、末の妹であるアルミリア同様、互いに距離をおいてきた。故に、仲が良かったということはない。


 だが、色々なものを失い過ぎた。

 それだけに、まだ失っていないものがあると分かったのが、ステンシアは嬉しくなった。


 分かり合うのはこれからでもいい。血を分けた家族は、彼らだけなのだから。

 共に王宮を立て直しながら時間をかけて……と、考えていた時だ。


「礼など必要ないよ。何、奴には元よりお前を殺す意志が無かった。それだけの事だ」

「それは、どういう?」

 言葉の意図を理解しかねたステンシア。

 そんな彼女に対して、薄ら笑いを浮かべるジーク。

「ここからが正しい結果になる。という事だ」


 何が起こったのか。ステンシアはすぐには把握できなかった。

 ただ、気がつけば目の前に妹が居て、ジークの剣を受け止めていた。


「何の真似だ、兄上……!」

「死に急ぐかアルミリア。お前が先に死にたいというのなら、それでも構わんぞ」

 思いの外アレーナが抵抗した為か、一旦退くジーク。


「ジーク、どういう事……?」

「何、わざわざ説明するほどの事ではない。この国の王には俺がなる。というだけの話だ」

 ステンシアの問いに、ジークは迷いなく言いきった。

「何故? 王になりたいのならば、なればいいじゃない。貴方はそれだけの力を持っているのを知っているもの。こんなこと、しなくたって……」

「分からないかステンシア。俺が王となっても、お前達は継承権を失う訳ではない。それはつまり、王と同質の権力を得る可能性があるという事。つまり、目障りなのだよ」

 ステンシアは言葉を失う。血を分けた弟にさえ裏切られてしまうということが、何より辛かった。


「安心しろ。お前達は反逆者に勇敢に立ち向かい、刺し違えた……と歴史には描かれることになる。その死に名誉が与えられるだけ、光栄に思え」

「……! まさか、此度のガルドスの反逆、それさえ貴方が仕組んだことだというのか、兄上!!」

 アレーナの問いに言葉は返さなかった。

 だが、彼はこれが返答だと言わんばかりに口の両端を吊り上げ、不敵に笑みを浮かべるのだ。


 怒りに身を任せ、猛攻を仕掛けるアレーナ。

 だが、その全てが虚空を突いているかのように避けられてしまう。


「これで終わりだ」

 逆に追い詰められてしまい、トドメを刺されそうになる、その瞬間……


 暗闇から伸びる一本の線。

 それが、ジークの剣を腕ごと捕らえ、動きを止めた。


「何……?」

 硬くしなやかなワイヤーに腕を引かれ、自然と視線が向く。

 この状況での介入……いったい誰が?


「ジャック……?」

 ポツリと、アレーナが呟いた。


 暗闇の中に目を凝らし、その人物を捉える。

 そこに居た男は、確かに見た覚えがあった。


「逃げたかと思えば……貴様、何故ここに居る!」

「何故? 決まっている。ボクはここを守るために来た」

「守る……貴方が? どうして?」

 ステンシアは見覚えのない男の発言の真意が分からない。

 だが、何故か不思議と、その男が懐かしく思えた。


「それは今に分かる。まずは、そこの偽りの王の正体を暴いてからだ!」

 ジャックは一本の棒を取り出し、先端をワイヤーで擦る。

「離れろ、アルミリア!」

 その声に従ってアレーナが引き下がる。

 そして、彼は点火したその小さな松明をジークに向けて投げつけた。


 それはジークの顔面に当たると、火を容易く燃え移らせる。


「なんだ、これは……! 火が……ぐ、ああああああああ!」

「それは聖なる炎を宿した魔道具だ。お前の邪悪な化けの皮はよく燃えるだろう!」

 炎に焼かれ、溶け落ちていくジークの姿……


 その炎の中から現れたのは、銀の髪が腰まで伸ばされ、深紅の瞳をした若く見える男。

 その瞳の周り、人であれば白目がとなっている部分が、黒く染まっている。

「あれは、魔族?」


 強い風が、王宮内に吹き荒ぶ。

 その中心は、あの魔族の男。


 その身を包んでいた炎を払うため、風を巻き起こしたらしい。


「……ああ。こうなっては仕方あるまい」


 煙を払い、佇まいを正す魔族の男。


「人間よ、よくぞ我が正体、見破った。我が名は、アギル」

「アギル……まさか! 魔王軍四天王の……!」

 その名を聞き驚くアレーナ。


「その通り。俺は魔王軍四天王が一人『疾風のアギル』」

 アギルは、自らの名を名乗った後、改めてジャックを見やる。

「お前も何者か、正体を明かしたらどうだ。その大袈裟な格好は酔狂ではないだろう?」

「そうだね。時は来た……今こそ正体を明かそう」

 そう言って、おもむろにぼろ布のマントを外し、アギルの方へと投げ込む。

 当のアギルは、視界を遮るマントを断ち、その奥に居る男の姿を確めた。


 その場に居た三人は皆目を疑った。


 男の髪は金色に煌めいて、瞳は緑がかった、碧。


 何よりその顔には見覚えがあった。

 つい数刻前まで対峙していた男の顔と、同じなのだから……


「我が名はジーク……ジーク・スティル・クライス! 我らの民の安寧を脅かす者よ、我が刃を持って断ち斬ってくれる!」

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