第四十二話
王都、地下。とある場所。
「まだか~? もう結構歩いたぞ」
「もうすぐだ。……うん、その筈だ」
不安だ。セナはルーアの背中を見ながらそう思う。
セイン、アレーナと別れてからもうどれほど経っただろうか。
地下では、時間を把握する手段がないために実際の所は分からない。だが、かなり長い事ぐるぐるとあちこちを回っている……気がする。
どこを見ても大体同じようにしか思えないので、同じ所をなんども行き来しているだけではないか? という不安が過るのだ。
「アレーナはよくこんな所を迷わず進めたよな~。すごいな~」
「それはワシが迷っているといいたいのか?」
「いや? 別に?」
とりあえず、とぼけておく。
「案外、ここを使って城を抜け出たりしていたのかもしれんぞ? 探検とか好きな方じゃろ」
「どうかな。真っ暗な所だと膝抱えて震えてそうだけど」
「うーむ……確かに」
考えてみればおかしな話だ。二人は首を捻る。
暗闇を怖がる性格と、地下通路。どうにも繋がらない。
「ってそれは後でいいや。早く早く! セインの事だからきっと大怪我するんだ。追いついてやんないと!」
ルーアの両肩を掴むセナ。
「あ~~~~! 分かった、分かったから揺らすな~!」
セナから解放されるが、首に妙な違和感を覚える。
「全く、過保護な……」
首をさすりながら、ルーアは聴こえないように文句を呟いた。
「で、肝心の目的地にはいつ着くんだよ」
「うーむ、それがだなぁ……」
「まさか、本当に迷ったんじゃないよな」
不安になって後ずさるが、そうではないとルーアは首を振る。
「迷ってないから困っておるのだなぁ、これが」
「なんだ、そうか……ん?」
おかしい言葉遣いに耳を疑う。
「なんで?」
少女らしからぬドスの効いた声。
気の逸るセナは、冗談か謎かけか、そんなものには付き合っていられないという圧力を纏っている。
「いやまて、聞け。話を。まずはそれからじゃ」
なんだか、一歩間違えればまた掴みかかってきそうな、そんな雰囲気にさすがのルーアも圧される。
「道は間違えていないのだ。じゃが……入れぬのだ……」
「隠し扉になってるとかじゃなくて?」
セイン達と一緒に居た時に、そういった仕掛けがあったのを見た。
ならばここもそうなっているのでは? とセナは考えたが……
「いや、その隠し扉が塞がれておるのだ。それで別の入り口をと回っていたのだが……」
「どこも、入れない?」
こくり、とルーアは頷く。
なるほど、それで『迷っていないから困っている』と。
しかし、入れないならば放置……ともいかないだろう。
だが、これ以上入り口探しに付き合っていると時間ばかり掛かってしまう訳で。どの道お互いにとって良くない状況だ。と、セナは考えを巡らせる。
「あっ、あるじゃん。入り方」
「ん?」
……。
それから《邪悪なる者》が封じられているという部屋に辿り着いた二人。
「いやあ、セナちゃんが居て助かった! いや、セナ様と呼ぶべきか」
「なんだよ急に……気味悪いからやめてくれよ。冗談はいいから、ちゃっちゃと済ませちゃお」
「分かった分かった。それじゃサクッと頼む」
そう言って『棺』の前までセナを案内する。
……が、それを前にして、ルーアは動きを止める。
「どうしたんだよ」
何か様子がおかしい。
気になって顔を覗き込むと、いつも余裕そうにしているその顔に、珍しく焦りが浮かんでいる。
「居ない」
「居ない? 何が……」
言いながら、彼女の視線の先に目を向けて分かった。
”棺が開いている。”
それが何を意味するかは、言われずとも分かった。
「何故だ! 封印が、解かれているッ……?! いつ……いつだ? どうして……奴が解き放たれているなら、どうして気づかない?」
混乱して、動転して、慌てている。
こんな彼女の姿を見るのは初めてだ。
「落ち着けよ……って言っても無理かもしんないけど。ルーア、ここに居たのは《意思》なんだろ? なら、それだけじゃすぐにはどうにも出来ないんじゃないか?」
「すぐに……なら。そうかもしれん。いや、今の所《意思》と《力》が一つになってはいないのだろう。獣が感染する程度で済んでいるのだから……うむ。少し取り乱しすぎた」
セナに声を掛けられて、いくらか落ち着いたらしい。
しかし、深刻そうな表情は変わらない。
「だが、近くに居る訳ではないはずだ。ここから離れて……だとしたら、既に何かに宿っているのかもしれない」
「それじゃ、どうなるんだ?」
「分からん、奴が何を考えるのかなど、分かるはずもない。ただ、破滅をもたらすだけの存在が、何を企むという……いや、そもそもだ。意思だけが立って歩いたりなどするものか。そんなはずない。誰かがここに踏み入ったのでなければ……誰だ? この通路を知っている者は限られるはずで、そうなると……」
ルーアは、ふとここに来るまでの会話が頭を過った。
何故かは分からない。だが、何かが引っかかっているのだ。
……口を両手で塞ぐ。
今自分は、とんでもない答えを出そうとしている。そう思ったからだ。
あり得ない。いや、そうであってほしくない。という、わがままのような感情。
「……セナ、行くぞ。城に」
「え、でもここは?」
「もうここに用はない! 急がねば、手遅れになるかもしれん!」
二人は揃って駆け出すも、途中、セナの様子がおかしくなる。
ふらつき、頭を押さえているその姿は、さすがに無視は出来なかった。
「どうした? 気分が優れぬなら、ワシは先に行くが……」
「違うんだ、なんか変だよ、ここ……」
寒さを感じているかのように、震えながら自らの身を抱くセナ。
「変? 何が……」
邪悪なる者の棺しか、ここには無い……筈だった。
見知らぬ通路が一つだけ、あった。
確かにそこから何か、異様な雰囲気を感じ、思わず確かめに行ってしまう。
あったのは積み上がった死体の山。それも、まだ幼い子供のものに見える。
ただでさえ見るに堪えない光景ではあった。
だがその中でも、より際立って何か異様な雰囲気を感じさせた……
「なあ、これ……どうして、同じ顔の人が何人も居るんだ?」
おぞましい光景に震えながら問うセナ。
「あり得ん。こんなにも似通った人相の人間など……いや、人間ではないのか? これは、ホムンクルス?」
「ホムン……クルス?」
「人の手によって生み出された生命、とでも言えば良いか。いや、だが何のために……」
「こんな所に客人とは。珍しい事も有るものだな」
振り返ると、そこに居たのは『仮面の者』。
「貴様、何故ここに!」
ルーアが叫ぶ。
「答える義理は無いな。お前達はここで死ぬのだから」
そう言って、仮面の者は数個の球体を放り投げてくる。
目の前に落ちたそれは、一目見て爆弾だと分かった。
それによって引き起こされた爆発。それによってこの空間が大きく揺れ、天井が落ちてくる……
二人の姿は、その中へと消えていった。
*
実戦に不慣れなステンシア。
動きの鈍いワーウルフに離れた所から攻撃する程度が彼女にとっては精一杯だ。
そんな彼女が、倍では効かない巨躯の持ち主と、まともに戦えようはずもない。
恐い。僅かにでも気を抜けば、腰が抜けてしまう確信がある。
それでも尚、彼女は華麗に戦う。
弱気を悟られないためというのはあるが、相手の目を奪うためでもある。
何より、誇り。
決して屈しないという気高さが、彼女をそうさせる。
それでも……だ。恐るべき忍耐、というべきか。
かなり深い傷を負わされて尚、ガルドスの剣戟は力強く、重い。
──私ではこれが精一杯。アルミリア……耐えて。
ガルドスの攻撃を掻い潜りながら、その合間。彼の背後の方で地に伏せっている妹の姿を見遣る。
辛うじてまだ息はしているらしい。微かに体が動いている。
──今は、苦しいでしょうけど。必ず……必ず……!
そう、まだ希望はある筈と、ステンシアは信じている。
──セインが来る、きっと! 私もそれまで、繋いでみせる!
何故だろう。会って間もないというのに。それも、出会い方は最悪と言ってもいい。
きっと、気の迷いなのだろうとも思う。心細さから、支えが欲しいというだけなのかもしれない。
それでもいい。ステンシアは断じる。
たとえそうであっても、居るかも分からない天上の存在を信じるくらいなら、今この胸を昂らせ、立ち上がる勇気をくれる……このときめく思いを信じる方がいいから。
幸い、傷のためか、ガルドスの動きそのものは鈍く、こちらが立ち回れない程ではない。
勝てなくても、これならば……
だが、彼女は分かっていなかった。自分の限界を。
気の昂りで紛れていただけで、もう体力は底で尽きようとしていたのだ。
想いだけでは、届かない事もある。
まるで、ぷつりと糸が切れてしまったかのように……
ステンシアの全身から一気に力が抜けてしまい、体は地に吸い寄せられる。
「まったく、じゃじゃ馬め……だがもうこれでお遊びは終わりだ。動けなければ、逆らえまい」
見下ろしてくるガルドスの視線にゾッとする。
身動きが取れない。
入り口の方へ、僅かな期待を寄せて視線を向ける。
……だが、頼みのセインの姿はない。
「何もする必要などないのだ。ただ、お前は受け入れるだけでいいというのに……」
そんな言葉と共に手を伸ばしてくるガルドス。
もうどうしようもない。限界を思い知らされた彼女は、遂にその心が折れてしまいそうになった。
……その時だ。
目の前の巨体。その肩口から、血のしぶきが噴き上がる。
何が起こったのか。それを認識できた時。
ありえない光景に目を疑い、ステンシアは言葉を失った。
何故なら、ステンシアの窮地に、ガルドスに一撃を加えたのは……
「アルミリア……?」
*
剣を引きずり、壁をつたっていながらでさえ、今にも倒れそうなおぼつかない足取りで進むセイン。
当然、そんな状態で長く進めるはずもない。
倒れてなど、いられないというのに。体は言うことを聞いてくれない。
地面を殴りつけたい程の悔しさも、ぶつける事さえ出来ない。それが余計に、彼に強い悔しさを与えていた。
──少しの間でもいい! せめて、あと一度……一度だけ、戦える力があれば……!
薄れだした意識の中で抱く、強い想い。
しかし、徐々に頭は朦朧とし始めていた。
ぼやけていく視界。
耳もうまく機能はしていないが、そんな中で、何やら複数人の足音が聞こえる……気がした。
「まだどこかに、……はず。……せ……しゃをさが……」
誰だろう? 聴こえた声に、どこか覚えがあるような気がした。
おもむろに顔を上げ、声の主を探す。
……ダメだ。目が霞んでよく見えない。
たが、向こうの方がこちらに気づいたようで、駆けつけてくるのが見えた。
「だい……か……すぐに……を……」
それが、最後に聴こえた言葉だった。
*
「必ず助ける。これ以上、死なせてなるものか!」