第四十一話
命ある者は、追い詰められたその時に真価が問われる。
屈強な戦士が怯え、命乞いをするのを見てきた。
ひ弱な村人が立ち向かってくることもあった。
その命の燃え尽きる瞬間、その最後の一瞬を輝かせる者と相対する事。それが、グレイガという男の唯一の娯楽。
追い詰められた者が生きようと足掻く様を見て……踏みにじる時。
それが唯一、グレイガが『生きている』と感じられる瞬間だった。
目の前の小僧はどうか。
痛みを忘れたこの体に、再び命を灯したセインというガキは。
どうすれば追い詰められる?
自信満々の出鼻を挫いてやった。
……違う。
痛めつける。
……違う。
そうじゃない、こいつにはもっとある筈だ。
追い詰められて、最後に燃やす灯火が。
なんだ? 何がこいつの、本気を引き出す?
グレイガは思考する。
思えば、こいつ"一人"はなんということのないガキだった。
さして強いという訳ではない。が、その持っている能力が、自分にとって都合が良かっただけ。
だが、そう。確かにあいつには光るものがあるのだと、確信できる理由があったはずなのだ。
名前を覚えてやるほどに、目をかける理由が……
──ああ、思い出した。
あの時も。ひょっとすると、初めて相対したあの瞬間も。
有る……こいつを焚き付けられるものが。
「それともあの女がいないとダメか? だったら今から首をもいで持ってきてやろうかァ?!」
さあ、これでどうだ。と、反応を待つ。
静寂。
その刹那、"感じた"。火の粉が掠めたように、肌がヒリつく……殺気。
こちらを見据える目つきが変わった。
そうだ、そうでなくては……グレイガは心が踊る。
その、全力の殺意を味わおう。そしてその上で踏みにじってやろう。
受けた痛みを体で感じ、それ以上の力で捩じ伏せる……そうだ、その時きっと……
極上の《生》を味わえることだろう。
セインが剣を構えた。
グレイガが駆ける。
相手は剣。距離を詰めれば、向こうから勝手に攻撃してくれるだろう。
それを受け止めて、痛みを味わってから殺してやろう。
少々惜しい気持ちはあったが、今この瞬間の方がグレイガには大事だった。
だが、どういう訳か。セインは構えていた剣を下ろした。
胴が、がら空きだ。
諦めた? あの殺気で?
疑問はある。だが、グレイガの思考はシンプルだ。
──やる気がないのなら死ね。
悩まず、迷わず。それこそが、グレイガの強さだ。
だから、例え相手にどれだけ思い入れがあろうと……戦意を失ったのならば、興味はない。
そのがら空きの胸をぶち抜いてやる……と、拳を突き出し、セインの心臓を貫く。
……はずだった。
確かにそこにあったのだ。
狙いもズレてはいないのに。
一瞬、肌に触れた感覚さえあったのに。
ならば何故、今……この拳は何もない中空に浮いているのか。
「まだ上手くはいかないな……でも、ようやく分かった 」
その声は、真横から聞こえてきた。
居なくなったのではない。避けたのだ。
ほんの僅かに体を反らせ、半身で。
すぐ横に居たかに思えたその姿は、徐々に後方へ遠ざかっていく。
また逃げるつもりか。そうはいかない……
肩を掴もうと手を伸ばすも、届かない。
腰を回せない。何故だ。
下を見る。分かった。
腹が……腹筋が切り裂かれている。故にそこから下に力が伝わらなかったのだ。
いつの間に……! 驚いたのも束の間の事。
セインは続け様に、剣を振り下ろす。
背中を斬られた……! 体が起こせない。
治そうにも、斬られた所が今なお焼けるように熱く、傷口が中々閉じない。
先程までとは、違う。
擦り傷を作るような痛みは感じていたが、今のはそんなものの比ではない。
激痛。
それこそ、『死』を感じてしまうかのような痛み。
グレイガは地を這い、立ち上がろうと足掻く。
ようやく傷が塞がりだしたところで立ち上がり、再びセインと対峙する。
「やってくれるじゃねえかセイン」
「別に。やられに来たのはそっちでしょ」
たかが女一つで、ここまで変わるか。
『腹立たしい』グレイガはそう感じた。
しかし、平静を装う割には息が上がっているのも見て取れた。
視界が色づき、肌が熱を帯びる。
体に、抜け落ちていたはずの『感覚』が宿る。
不死に近い力を持つグレイガは、何も感じない。『危険』がないからだ。
そんな体に感覚が戻る。それはつまり、本能が、こいつを生かすなと告げている。
セインを見据え、睨む。
そして、笑う。尖った歯を剥き出しにして。
何故なら、彼は今、強く死を意識して……
最高に『生きている』と感じるからだ。
*
セインは剣を鞘に納める。
銀の剣は一度変化させれば、力を掛け続けずとも光の力を纏い続けられるようだが、それでは奴には効き目が薄いらしい。
一度に一気に対魔の力を込めて斬るしか、有効な手はなさそうだ。
完全には避けきれなかった。
肩にじわりと痛みが滲む。ヒビが入ったらしい。
見よう見まねの付け焼き刃では、こんなものだろう。とセインは冷静だった。
──繋がってる。なら、まだ動かせる。
それだけ。あとの余計なことは考えない。
そう、余計なものは要らない。
考えすぎるから恐怖が生まれ、体が萎縮する。
力を入れすぎれば体力を浪費する。
自分でも驚いている。
激しい怒りが奥底からこみ上げてきはずなのに、今は却って頭はすっきりとして……無視していた体の痛みがぶり返した。
だがその痛みがセインに思い出させた。
幾度となく打ち込むも、避けられてきたあの動きを。
そしてこの体に叩き込まれてきた技を。
呼吸を整える。
筋肉だけで振るうのではなく、もっと内から……骨から体を動かす。
『もっと内を意識しろ』
とは、ジャックに指導されている時に言われていた。それが、このタイミングでようやく体が意味を理解した。
どこまでやれているかは分からないが、それを意識したことで確かに、一つ一つの動作はスピードが上がっている。
これならば、グレイガの動きにも合わせることが出来るだろう。
再びグレイガが向かってくる。
セインは左手を鞘に添えはしたが、それだけだった。
構えもせず、自然体で待つ。
こいつは確かに怪物だ。何を考えているのか理解などできない。
しかし、何も分からないかと言えばそれは違う。
力も強く、動きも恐ろしく速い。まともに受ける訳にはいかないし、その動きを完全に目視するのも今の自分には無理だ。
だが、その分動きは直線的……それさえ分かってしまえば、対処のしようはある。
──最小限の動きで避けることを意識し、グレイガの攻撃を凌ぐ。
そして、その最も近づいてくるタイミングを利用し、斬る。
正直、体力としては剣を持ち上げるのさえ大変な程に、体が重い。
だからこそ、自らは動かず、相手の力を利用する。
まずは相手の動きに注視し、その標的となるこちらの『線』をずらす。
そうすることで、紙一重で回避。そして極限まで詰めた距離と、相手の勢いをそのまま利用する。
自分はただ刃を当てて、撫でさせるようにすればいい。
そして、その一瞬のすれ違い。その刹那で自らの剣に光の力を伝える。
それが、あの化け物と渡り合う為に、見いだした戦い方──
繰り出されるグレイガの拳。
それをセインは左半身を翻し、その拳を避ける。風を受け止める布のように。
左手で鞘の下部を掴み、押し上げる。
柄の頭でグレイガの腹部を突き上げて体を浮かす。
剣を引き下げ、左手は鞘の上部に移す。
そこですかさず剣の握りに右手をかけて、素早く抜刀。同時に、斬りつける……
……筈だったが、さすがにこのケダモノも学習するらしい。
勢いがつく前に柄頭を押さえられた。
握りを持つ手を放し、拳で殴りつけてグレイガの手を振り払う。
体勢の崩れたグレイガを見据えたまま後ろに下がる。
もう右手は使い物になりそうにない。
剣を鞘ごとベルトから外し、左手で持ち手を逆手に握り、鞘はふるい落とした。
無駄な動きは無くしているとは言えど、今までやったことのない体運びをぶっつけ本番。
それも、あの加減の枷がとうに壊れている化け物に追いつく速度で繰り返すとなれば、限界に近づいてしまうのは必然。
あと一度。
おそらく、そこでケリを付けられなければ、こちらが沈むことになるだろう。
しかし、あれほど積極的に向かってきていたグレイガが、今はこちらの様子を窺っている。
何故だ?
慎重、そんな言葉とは縁遠そうな奴が、この行動……不可解に思ったセインは、観察する。
そして気づく。床に血の跡が残っていることに。
自分のか? とも考えたが、違う。見る限り、この跡は離れていっている。
それを目で追うと、その先に居たのははグレイガだった。
──あいつ……さっき斬った腹の傷治ってないのか?
見れば、腹部から血が滴り落ちている。 だが、傷そのものは深くはなさそうだ。
──おかしい。もっと深めに刃を入れたつもりだったけど……いや、もしかして治したのか?
腕を斬り落としても即座に再生させていたような相手が、あれしきの傷を塞ぎきることも出来ないなど、あるだろうか。
……セインは、ある一つの可能性にかけることにした。
「どうしたんだよグレイガ、随分おとなしいじゃない……威勢が良かったのは、最初だけ?」
頭頂部に付いた獣の耳が、ピクリと動く。
苛立つ目つきで睨まれるが、直後のセインの行動で、すぐに目の色を変える。
「……それとも、これが欲しいの?」
右腕の袖を捲るセイン。
肌が露になった前腕に、剣の刃を押し当てる……
赤い液体が滲みだして、溢れ、溢れ落ちていく。
喉が鳴る音。そして、口の端から滴が垂れてきている。
……思った通りだ。
グレイガは滴る血を、食い入るように見つめる。
奴は確かに、不死に近いのかもしれない。
だが、恐らく不死そのものではないのだ。
僅かでも斬り続けたこと、再生を繰り返させる内に、奴も消耗していたということだろう。
「体が動かない? 怖くなっちゃった?」
砕けてしまうのではないのか、と思うほどに歯を食いしばっているのが分かる。
意外にも自制するグレイガに、さらに一押しと挑発をする。
「お前が欲しいのは、これでしょ。僕は逃げも隠れもしない……」
右腕を、見せつけるように前に出したまま、半歩前に出る。
「獲りに来いよ」
その一言が火蓋を切った。
──やることは変わらない。ギリギリまで引き付ける。そして斬る……
左手で逆手に握った剣を振るう。
刃がグレイガの首筋に入る。
──このままだ! このまま、断ち斬ってやる!
光の力を込め続ける。先のことなど構わず、ここで終わらせようと覚悟を決めて。
だが、グレイガもただばか正直に斬られた訳ではない。
硬化を解除した両腕が、セインの脇腹を掴む。
激痛が走る。
指が肉に食い込んでくる。
このままあばらを折ってきそうな圧力がかけられる。
更には、余計に刃が通ることさえ構わずに、大口を開けた顔が迫ろうとしている。
──心臓に近いところにこの力を注げば、こいつを倒せるはず……噛みつかれるよりも先に!
痛みに耐え、グレイガの頭が近づかぬように抵抗する。
腕だけではなく背から。いや足の先から。全身、全力を持って、剣を押し込んでいく。
剣がグレイガの心臓へ近づけば、それは奴が迫ることと同義。
心臓に浄化の光が届き、焼き尽くすのが先か……或いは、セインが食われるか。
意地と、執念のぶつかり合い……
その決着は……
*
結論から言えば、決着をつけることは出来なかった。
先んじて、セインはグレイガに首筋まで迫られた。だが、食らいつかれることはなかった。
その上、グレイガはセインから離れ、辺りを気にし始める。
「なんだ……! このっ……気に食わねぇ感じは!」
まるで何かに……怯えているようだ。
「クソッ……今回は預けておいてやる!」
そう言い残して、グレイガは壁を蹴り、飛び上がる。そして、天窓を割って出ていった。
何が起こった? セインは困惑した。
──あのままじゃ……僕が、負けてた……
早まる心臓の鼓動を落ち着かせる。
すると全身に激痛が走る……戦闘状態で気にせずにいられた分をまとめて。
膝を地に突き、そのまま崩れ落ちた。
咽かえる。内臓から液体が逆流し、呼吸が苦しくなったから。
吐き出すように咳き込むと、床が赤く染まった。
──立ち上がら……ないと……アレーナの、所に……
立ち上がろうとあがいても、体を上手く動かせない。
そんな状態になりながらも、もがき、這うように進み始める。
──嫌な……予感がする。僕が居なきゃ……このままじゃ……
激痛……否、骨が軋むような感覚が走りながらも、セインはただ、意地で立ち上がる。
その歩みは遅く、おぼつかないものだったが。それでもなお、前へ……