第三十九話
「セイン……そうだ、セイン! ああ、覚えているぞ、お前の名を!」
ニマリと嬉しそうに口を歪め、両腕を大きく広げる。
まるで好意を示すかのように。
対して、それを向けられた当人は眉間に皺を寄せ、嫌悪を強く表す。
「僕はお前の顔なんて二度と見たくなかったよ、グレイガ」
「俺の名を覚えていたか! いいぞ、そうでなきゃなぁ。強く、運命に結びつけられた者同士は」
あれは何を聞いていたのだろう。まるで話が通じていない。
「最初は覚えもしなかった癖に」
小声で悪態をつく。
セインは、対峙しているだけで胃の中がむかむかとしてくる。
「お前の事は覚えた。お前が近くに居ると気づいて、俺はこうして待っていたんだ。だが、待てども待てどもやってこない、何故だ? そこで俺は気付いたよ。『食いカス』が邪魔で来れないんじゃないかってな? だから片付けてやった。感謝しろよ」
『食いカス』あれがそう言うのは、きっと今まで倒してきたワーウルフ。
あのワーウルフ達は、何か目的があって生み出されてきたのではない。ただ、あのケダモノが自らの欲求を満たすためだけに食われた。
そして、奴の放つ呪詛に、ただ充てられてしまっただけ。
不運な事に、ただそれだけで動く屍と化してしまい、果てには邪魔だからと『片付け』と称して踏みにじられる。
何もかもが奴の身勝手。
言葉を聞くだけでも不愉快で、頭に血が上って熱くなる。
「何を言っているの、あいつ……」
「姉上、聞いてはいけません。あれの考えを、理解しようとしてはいけません」
一見すれば人族の姿形をしているが、あれの言葉はどうも理解し難く、ステンシアは恐怖とも別の何かに、身を震わせた。
そんな彼女を背に庇いながら、槍を構えるアレーナ。
だが、それを止めるようにセインが手を水平に上げる。
「セイン? どういうつもりだ」
「多分、あれが見ているのは僕だけだ。アレーナは、ステンシアを連れて二人で先に行って」
そうは言うモノの、正直、自分の事さえ見ているのかは怪しい。あれはただ、自分の世界に浸っているだけではないのかとも思う。
だが、少なくともアレーナや、ステンシアに興味が向いている訳ではなさそうだった。
「何を言っている! あれがどんな奴かは私も知っているんだ。セイン一人で敵う相手では……」
「アレーナがやらなきゃいけない事は何?」
アレーナの言葉を遮るセイン。
「アレーナも、ステンシアも、会わなきゃいけない人が居るでしょ? 話さなきゃいけないことがあるんでしょ? なら行って。ここで奴を止めるのが、僕のやるべき事だ」
言葉から感じる、強い覚悟。
しかし、とてもそれだけで飲み込めるものでもなかった。
そんな彼女の不安は分かっているのだろう。
セインは、アレーナに横顔を向ける。
「アレーナ、簡単に大丈夫なんて言うつもりは無いよ。でも、僕にはエスプレンダーが、君の祈りがあるから……」
そう言って、手にした輝く剣を握りしめた。
「だから、生き残ってみせる」
二人の女性に背を向けて。彼は真っ直ぐ敵を見据える。
──ずるい。セインはずるい。
そんな事を言われて、もう止めるわけにはいかない。
彼の言葉を否定することは、自分を嘘つきにすることだ。
「姉上、行きましょう」
ならばもう、託すしかないと、覚悟を決める。
「でも……いえ、分かったわ」
ステンシアも分かってる。ここに居たって役に立てることはないと。
「セイン、待っているぞ」
そう言い残して、アレーナ達は先へ向かう。
「終わったか?」
それを見て、グレイガはもう待ちきれないと言いたげに問いかけてくる。
「……待てぐらいは出来るんだ」
「邪魔が入るのが嫌なだけだ」
首をぐるりと大きく回し、熱く、吐息。
「さあ来い! 俺をッッッ! 殺しに!」
両腕を大きく広げ、胸を張り出す。ここを狙いに来いと、奴はそう言っている。
「言われなくても……やってやる!」
構え、走る。
一息の間に懐へ飛び込む。
そして瞬時に剣を振り下ろし、右腕を断つ。
これ見よがしに心臓を見せつけて、バカ正直に狙えば反撃を食らうのは必然。
ならば敢えてその誘いに乗ってやろう。先に腕を断ち、反撃の術を無くした上で、望み通りに……
そうセインは考えた。
グレイガの実力は知っている。
アレーナの言っていた通り、一人では無謀だということも理解している。
セナも居なければルーアも居ない。
奥の手の憑依にも頼れないならば、出来るだけ短期に終わらせるしかない。
──それを卑怯なんて、言わせないからな。
「がぁぁあああああああああ!!!!!!」
苦悶の声をあげるグレイガ。
右腕を切り落としてすぐに、次は左……と、下ろした剣を振り上げた。
こいつは例え腕を切り離しても再生する。素早く攻撃を続けなければ、意味がない。
腕の肉に刃が食い込む……だが、それまで。
腕の半分ほどまで刃が入ったところで、それより先に動かせない。
引き抜こうにもびくともしない。
「そうだ、これだよ! これが欲しかった!」
グレイガはそんな事を言いながら、顔は不敵に笑みを浮かべていた。
「じわじわときやがる。まあ、これも悪くはねえ……だが、足りねぇ」
セインは震えた。
こいつは片腕を落とされ、今もなお腕に刃が食い込み、対魔の力で浄化され、煙すら出ているというのに。
何故、こいつはこんなにも、余裕なのだと。
「折角の殺し合いなんだよ! こんなみみっちぃ狙いかたすんじゃねえ!」
腕を斬り落とした筈の右肩が、不気味に蠢く。
それはぶくぶくと泡のように膨れ上がり、そして……
再び腕が生えて出た。
生えた腕は直に剣の刃を掴んだ。
指から血が出ようと、食い込むのさえも気にせずに、力強く。
無理くり左腕から剣を抜き、血を滴らせながら握りしめたまま、強い力で無理矢理動かしてくる。
そして……
「狙うならここだ! ここに寄越せ!」
と切っ先を自分の胸の中心辺りに刺す。
「何言ってるんだお前! イカれてるのか?!」
当然、相手を殺そうとすれば狙いもする。
だが、それを当人から発言されれば、流石に戸惑い、一歩引いてしまう。
「いいや正気だ。俺に、死を! 味わわせろ!」
興奮気味に顔を近づけてきて、叫ぶグレイガ。
……分かっていた事ではある。
だが改めて思う。これはとてもではないが理解の及ばない生き物だ。
いや、そもそも。これは果たして生き物なのか?
もはや『死ぬ』という事に快楽を見出しているかのような発言。
そんなの、『生命』である限り到底辿り着くものではない筈だ。
セインはおもむろに右足を上げ、グレイガの腹部に思いっきり足の裏を叩きつける。
刃を伝う血が潤滑材となって、先程とは違い引き抜くことが出来た。
一度グレイガから距離を取る。
得体の知れなさからくる恐怖心を、少しでも和らげるため。
あれは勢いあまって廊下に頭を打ち付けたようだが、なんという事はなさそうに立ち上がる。
焦る。
今のところ、何一つ有効と思える手応えがない。
「お前、どうやったら死ぬわけ?」
「少なくとも今みたいなのじゃあダメだな。もっと本気出せよ、こんなもんじゃないだろ?」
「あっそ、ムカつくアドバイスどうも」
今までの自分からは想像もつかないような、ガラの悪い言葉が次々出てしまう。
未知という恐怖。
一人で立ち向かわなければいけない不安。
しかしそれらを振り払えるほどに、セインは今、苛立っていた。
「まあいいさ。『たのしみ』は始まったばかりだろうが。邪魔も入らねえ。とことん、殺りあおうぜ!」
同じ里の仲間を殺され、自身もその手前まで追い詰められた。
更にはアレーナの命を狙い、痛めつけ。
この城では、数多の命が奪われた。
それを奴はいつだって『愉しむ』。
許せない。
腹の底で沸き立ち、込み上がろうとする『怒り』。
奴を倒せと心の奥底から声が響く。
怒れ、怒れと囁きかけてくる。
──ごめん、セナ。約束、守れないかも。
怒りに震える拳を力で抑え。
セインは再び、剣を構える。
*
二人の戦いの場から離れ、走るアレーナとステンシア。
そして、会議室へと訪れた二人。
「ようやく着きましたね」
「ええ……見張りは居ないのね」
息を切らしながらも、周囲の確認をする二人。
──まさか、敵兵も巻き込まれた……? いや、元よりあのグレイガを誰かが御せるとは思わないが……
疑念がアレーナの頭を過る。
「アルミリア、扉は内側から閉じられているみたい。開けられる?」
「……あ、はい。やってみます」
一旦思考を打ち切り、扉を開くために全身でぶつかる。
一度ではダメだったが、確かな手ごたえはあった。これならば、なんとかなると判断し、アレーナは繰り返す。
三度程繰り返した所で、扉を破壊し、中へ入る事が出来た。
中に入ると、そこには捕虜と思わしき者達が居た。
敵襲かと警戒したか、その中の兵士達は、傷ついた身でありながら武器を構えていた。
「あ、すまない……待ってくれ。私は、敵ではなく……助けに……」
彼らの後ろに居る戦えぬ者達は、アレーナの事を見る事さえせず怯えている。
兵士からの警戒も解けず、少しショックを受ける。
「お前達、剣を下ろしなさい。無礼ですよ」
そんな中で、アレーナの後ろからステンシアが出て、声をかける。
彼女の姿を一目見て、彼らはかなり驚いていた。
「ステンシア王女! ご無事だったのですか!」
「ええ。貴方達も生きていたこと、嬉しく思います。ですが、我が妹、アルミリアに対しての無礼。私の無事を喜ぶより先に、する事があるのではなくて?」
彼女の一声で、皆の視線がアレーナに集まった。
深く気にしてはいなかったので、寧ろこのような慣れない光景に委縮してしまう。
「貴方は、アルミリア……様?」
二人の間に視線を行き来させる。
どうも『アレーナとステンシアが共にいる』という状況が信じられないらしい。
だが、それでも兵士の一人が膝をつき、頭を下げた。
「そうとは気づかなかったとはいえ、ご無礼、お許しください!」
それに続くように次々と。
アレーナは「もういい、大丈夫だ」と慌てて顔を上げさせた。
それから落ち着いた時、二人の父である国王の姿がない事に気づく。
「ここに居るのは、捕虜として捕らえられていたと取っていいのかしら」
「ええ、大臣殿や、我々のような怪我で戦線を離れていた兵士が、ここに」
ステンシアが問うと、すぐに兵士の一人が答えた。
「ということは、父上は、別の場所に?」
「……ええ。国王様は一人。謁見の間に、敵の首領と……我らの力が至らず、申し訳ございません」
沈痛な面持ちで、アレーナの質問に答えた兵士。
「いや、気に病むな。これから助ければいいのだから……姉上」
「ええ勿論。その為に、ここにいるのですから」
顔を見合わせ、すぐに答えるステンシア。
何の事かと兵士は首をひねったが、すぐに気が付いて二人を止めようとする。
「お二人が救出に向かわれるのですか?! いけません、貴方方は、王族の血を引く大事なお方なのですよ! 我々が……!」
他の者達も同調するが、しかしステンシアは毅然としていた。
「怪我をしている民に戦わせるようなら、王族である意味はありません。私達は棚に飾って眺めるだけの人形ではないのです。今戦えるのは私達だけ。ですから、貴方達は今自分に出来る事をなさい。兵士としての誇りがあるのなら、力な無き者を守り、ここから逃げなさい」
彼女の力強い言葉に、彼らは異議を唱える事は出来なかった。
──凄いな、姉上は。こうやって、みんなに言葉を響かせることが出来るんだ。流石は、お父様の本当の娘……
それを後ろから見ていたアレーナは、そんな胸の内で燻る感情に、戸惑っていた。
彼らを解放し、脱出用の避難路へと案内した後、二人は国王の元へ再び走り出した。
「いい? お父様を助けて、敵を打ちのめすの。それで、全部終わりよ」
隣を走るアレーナに、声をかけるステンシア。
だが、何か考えているのか、返事がない。
「アルミリア、どうかしたの?」
「……あっ。すいません、気になる事が……」
「気になる事?」
「……いや、大した事ではありません」
「そう? 気を抜かないで頂戴ね」
そんな妹の反応に引っかかりはしたようだが、今はそこまで気を回せない。
アレーナも、表向きは彼女に頷いて返す。
だがやはり、浮かんでしまった疑念が頭から離れない。
──本当に、この先に居る敵を倒せば終わるのか?
元々は、叔父であるゴルドが反旗を翻したと聞いていた。
だが、ここまでの道中で現れた仮面の者、そしてグレイガ。
仮面の者はともかく、グレイガはとてもじゃないがゴルドの手先とは思えない。
何より、そう。誰も、この戦いを煽動した者の正体をはっきりと知らない。
よく考えれば、自分だって口頭でそうだと聞かされただけだ。
だから、この戦いが本当に、この先に待つ玉座の前で終わるのか。疑念が拭えない。
──私達は……いったい、誰と戦っているんだ?