第三十八話
城の中で逃げ遅れた者が居ないかを見ながら、国王と合流しようと内部を進んでいたセイン達。
アレーナが先頭を歩き、その半歩後ろに、案内の為にステンシアが並んでいた。
「……あの、どうしたの?」
しんがりのセインに、ステンシアは時たま視線を向けてくる。
「いえ、その……気になるのよ、貴方が後ろにいると」
「姉上?」
挙動が不審な姉が、アレーナも流石に気になった。
しかしその視線を向けられる彼は、なんとなく検討をつけたようで、気まずそうに頬を掻く。
「その肩、まだ痛む?」
仕方なかった事とはいえ、やり過ぎてしまったという自覚はあり、罪悪感のあるセイン。
「……当然でしょう! 王女である私に、あんな狼藉、許されることじゃないわ。本来首を切られたっておかしくないのよ?」
「あ、姉上……それは、その、先程も申しましたが……」
慌てて弁解しようとするアレーナに、「言われずとも分かってます」とステンシアは答える。
「とにかく、それだけの事をしたって言っているの。嫁入り前の王女をキズモノにしたんですから、責任はとりなさいよ」
「う……ごめん、セナが居れば治してもらったんだけど」
「姉上、その、それはいったいどういう?!」
困るセインと慌てるアレーナ。
それを見て、くすりとステンシアは笑う。
「冗談。二人とも、肩肘張りすぎよ。気楽になさい、とまでは言わないけど。固まりすぎて、いざという時に動けないのは困るわ」
二人とも、指摘されて初めて意識した。
確かに、肩に力を入れすぎていたようだ。
「よく見てるんだね」
セインは素直に感心した。
「当然でしょう。私は、国を背負って立つ者として育てられてきたのですから」
それは鼻にかけるような傲慢さはなく、確かな自負から来る気品を感じさせる物言いだった。
「お強いのですね、姉上は。きっと今一番辛い思いをされているでしょうに」
「いいこと? アルミリア、私達はその血筋からいつだって危険は隣り合わせよ。辛くても怖くても、いつまでもそれに引きずられる訳にはいかないの。必要であるならば、無理にでも奮い立たねばならないの」
そう、優しくアレーナに諭すステンシア。
それから、二人に視線を投げて続ける。
「それに、今は頼りに出来る人が居るのだもの。一応ね。一人で落ち込んでなんて、いられないわ」
セインとアレーナは、彼女の言葉で気を引き締め、ステンシアもそれを見て「よろしい」と満足げだ。
気持ちを新たに、三人は再び歩み始める。
*
セイン達は順調に、過ぎると言えるほど順調に進んでいた。
「なんだか、少し不気味。静かすぎるわ」
ステンシアは、羽織ったマントで身を包む。
「やはり、姉上もそう思われますか」
アレーナ達がこの城に上がってきてから、ずっと抱いていた違和感。
ずっと城に居た者でさえそう思うのだから、これは間違いなく、異常なのだろう。
「この辺りは、誰も居ないのかしら。既に逃げた後、だったりとか」
「……二人とも、止まって」
セインの声に応じて、立ち止まる二人。
振り向くと彼は、音を立てないように、と人差し指を口に当てる。
すると、聞こえてくる。
コツッ…………コツッ…………と足音が、ゆっくりと近づいてくるのが。
暗闇でよくは見えないが、窓から射し込む月明かりで、足元が見えた。
黒光りする革靴と、同じ色のタキシード。
「なんだ、使用人の誰かね。貴方が深刻な顔するから、てっきり敵が来たのかと…… 」
安堵して再びセインの方へ振り返るステンシア。
しかし彼は、険しい顔のまま、剣を引き抜いた。
セインは抜刀した状態から、すかさず身を低く構え……そして、足をバネのように跳ね上げて、こちらに向けて剣を突き出した。
訳が分からず、硬直するステンシア。
裏切り、そんな言葉が頭を過る暇すらない刹那。
そんな彼女の『真横』を過ぎていく、銀の一閃。
驚いてその先を見れば、何やら人影を貫いているようだった。
それは顔はよく見えなかったが、タキシードを着た人物。恐らく、先程の。
「貴方……何を……」
戸惑い、震える声。
しかし彼は答えない。その目は、鋭く剣の先を捉えている。
「……姉上、下がってください」
「アルミリア?」
妹さえ、目付きが変わり、槍を握る力が強くなっている。
いったい何だと言うのか、何故この人に剣を構えなければならないというのか。
「下がって!」
語気を強めて繰り返され、ステンシアは従うしかなかった。
彼女が離れたのと同時、セインは剣に貫かれた男を蹴りつけ距離を離す。
そこでアレーナが槍を振るい、男の首を斬り落とす。
「ごめん。狙いが逸れて一撃で仕留められなかった」
「いや、君が気づいてなかったら危なかった。助かったよ、セイン」
男が動かなくなったのを見届け、セインとアレーナの二人が話す。
「貴方達、いったい、何をしているの? どうして、その人を?」
ステンシアは戸惑いこそすれ、流石は王族というべきか、取り乱してはいない。
怯えながらも事情を聞く冷静さはあるらしい。
セインは判断を仰ぐようにアレーナに目を向ける。
それに答えるように頷くと、ステンシアを呼ぶ。
「お辛いかとは思いますが、これを見てください」
そう言って、男の死体を指差す。
首を飛ばされたその体を目にするだけでも目眩がする。
だが、大事なのはそこではないらしい。
「この手の爪、異様に伸びて、尖っています。見辛いですが、肌も青白くなっているのが分かりますか?」
今見ているだけでも既に吐き気を催す程だが、妹の指摘する箇所を確かめる。
確かに、言われた通り、普通の人間とは思えない特徴をしていた。
おぞましい姿だった。
まるで枯れ果てたかの様に肌が乾き、うっすらと残った肉に皮が張っているとしか思えないほどに細くなっている。
もう充分だ、と目を逸らしたいのを堪える。
前に立つ者として全容を把握するため、斬り離された頭部に視線を移す。
頭部も胴体と同様に肌は枯れている。
瞳は真っ赤に染まり、口からは牙を覗かせていた。
大体の特徴を把握した所で、限界とばかりに体ごと目を逸らす。
自分を落ち着けようと、深呼吸を試みるが、息を吸うだけで胃が逆流しそうになり、口元を押さえた。
「大丈夫?」
セインが声をかけてくる。
なんとか気持ちを鎮め、軽く頷いて返すステンシア。
「ごめんね。でも、覚えてもらわないと困るんだ……多分、この人で終わりじゃないから」
「どういう、事?」
「この体はね空っぽなんだ。満たしている筈の魂が無くなって、それを代わりの何かが動かしてたんだ」
セインはどうも感覚的に掴んでいるようだが、ステンシアにはそれが何を意味しているのか分からない。
「これは所謂、動く屍の一種です。何らかの呪詛を持つ者が、人の血を吸いつくした時、その枯れた体を呪詛が動かしてしまう。しかし、ゾンビが辛うじて動く程度の呪詛では、他の人間をこのような状態には出来ません」
アレーナが補足するように答えた。
ようやく飲み込めたステンシアは、すぐに気付く。
つまり、『大本』となる存在が居る。そして、恐らくそれは……
「あの化け物が、そうだと言うの? 城のみんなを、こんな……こんな姿に……」
「急ぎましょう、姉上。思っていた以上に厄介な相手かもしれません」
ステンシアは頷く。そして、足を早めて三人は動き出す。
「ワーウルフ……」
進む最中で、セインはあのゾンビの存在が気がかりになっていた。
あの特徴、もし自分の想像が合っているとしたら……そんな不安が頭を過る。
*
足止めを食らった。
進んだ先で、ワーウルフとなった人々が多く現れたのだ。
その対処に手間取られ、そこから先に進めないでいた。
大概のワーウルフの動きは鈍い。
だが、中にはそうでない者も居た。
「兵士のワーウルフ、厄介だね」
セインが横にいるアレーナに声をかける。
「ああ、鎧を着ているせいで心臓は狙えないし、それに……」
聞こえた空を裂く音、アレーナは咄嗟に槍で防御する。
足腰に力を込めて踏ん張るが、鎧を身につけたワーウルフは、元の身体能力の高さからか力が強い。
生きた人間であれば、自分の体が壊れる限界を頭が理解している。どれだけ力を込めようとしても、無意識に限界を超えないようにするものだ。
だが、既にそのタカが外れてしまっている彼らの力は、押し返そうにも、防御だけで精一杯になるほど。
その限界を超えた力のせいで、メキメキと骨が軋む音を立てているにも関わらず、構わず食らいつこうと迫ってくる。
「アレーナ!」
セインがアレーナを襲うワーウルフの背後に回り、首を断つ。
首を落とされ、崩れ落ちるワーウルフ。
そして、アレーナは自由になった槍を持ち直し、腰を入れて正面に向けて切っ先を突き出す。
それはセインの背後に居たワーウルフの脳天を貫き、沈める。
窮地を乗り越えたのも束の間、先から更に現れてくるのが分かる。
二人とも、額から流れる汗を拭い、武器を構える。
消耗している。
二人は、休息もなくワーウルフと戦い続けている。
伊達に無謀とも思えた旅をこなしてきた訳ではないらしい。ステンシアがそう思う程に、彼らは粘り強く戦っている。
だが、それでも流石に厳しい事は目に見えている。
補給の暇さえない。
このままでは、こちらが劣勢になるのも時間の問題……
──何をやっているのステンシア。こんな時に、のうのうと見ているだけだなんて……いったいどうしたら……
彼らの背中を見つめ、人の上に立つ者でありながら、何も出来ていない歯痒さに、ステンシアは奥歯を噛み締める。
そうして顔をあげた時、ステンシアは、先程倒されたワーウルフの腰に下げられた、細身の剣が目に入った。
ワーウルフ。おぞましい化物。
怖がりなステンシアは、その姿を見るだけでも震えてしまう。
だが、それでも……
「それでも、もう……見ているだけなんて、そんなのは!」
彼女は決意し、その足を踏み出し、手を伸ばす。
倒せど倒せど、無尽蔵なのではと思う程に涌いてくる。
セインは思う。セナが居ないというのはこんなにも違うのかと。
一つの判断ミスも許されない。怪我を負えば、治す手立てがない。
何より今は背中に守るべき者も居る。自分が倒れれば、彼女も死ぬ。それが余計に緊張させる。
神経を研ぎ澄まし、集中する。
それは、使えば使うほどに摩耗し、一度気を抜いてしまうと足元から崩れてしまいそうだ。
──流石に、マズイかも……
そう思った時だ。
光が、真横を通りすぎていく。何事か分からないが、彼にはそうとしか思えなかった。
半月状の光は、瞬く間に過ぎ去って行き、去った後から風が吹く。
その行く先に佇むワーウルフに真正面から当たと……それは、胴の真ん中から真っ二つに分かれ、それぞれが左右に倒れた。
何事かとセインは振り返り、驚きで目を見開く。
「君、それ、どうしたの?」
そこには、細身の剣を構え、凛と立つステンシアの姿があったのだ。
「私だって……私だってクライスの女よ! 籠の中で護られるだけの、か弱いカナリアではないわ!」
微かに声を震わせながら、啖呵を切る。
彼女が剣を正面に構えると、その刃が、淡く光を纏う。
そして、持つ手を、おもむろに振りかぶる。
「アルミリア、下がりなさい!」
張り上げた声がアレーナに届き、彼女は驚いた様子だったが、すばやく従う。
それを見届けると、すぐさまその刃を振り下ろした。
放たれる半月状の光。
先程よりもはっきりと見えたその斬光は、途中のワーウルフも凪ぎ払い、アレーナの前に居たそれも両断する。
「姉上、今のは……」
「自分の身は、自分で守れるということよ。貴方達、私に構わずやりなさい! ……私も間違って当てないようにするわ」
そう言うステンシアは、既に肩を上下させている。
しかし彼女の思いを無下には出来ない。
セインとアレーナ、二人は目を合わせ、互いの意思が一つであると確かめる。
──一気に……
──終わらせるっ!
*
見える限り最後の一体を倒し、一段落つくセイン達。
一息ついて、呼吸を整える。
「大丈夫だった?」
ステンシアに声をかけるセイン。
「ええ、何の問題もないわ。それより、貴方達、ご苦労様。なかなかやるじゃない」
涼しい顔で彼女は答える。
しかし、彼女の頬を冷や汗が伝っている。強がっているのだろうと、目に見えて分かる。
「セイン、だったわね。今回の頑張りに免じて、出会い頭の無礼は不問にしてあげる」
「え、いいの?」
「私は寛大だもの。感謝なさい」
礼を言っているのか、言わせたいのか。自分で何を喋っているか、分かっているのだろうかと、少し不安になる。
「それにしても、凄い剣技だったね。あんな事が出来るなんて思わなかったよ」
「王女たるもの、自力で戦う術の一つや二つ、持っているのよ」
「あれって、僕でも出来るようになる?」
「さあ、適正次第だとは思うけど……いずれ教えてあげましょうか? アルミリアがいいのなら、だけど」
ちらりと、妹に視線を向けると、本人は驚いて体を震わせた。
「いえ、セインが知りたいというのなら、私は別に、止めはしませんが……」
「そう? じゃあ考えておくわね。さ、二人とも休息は充分に取れたかしら。先を急ぎましょ」
と、彼女は余裕ぶっている。
だが、セインとアレーナの二人の方が戦っていたとはいえ、明らかに彼女の方が不慣れな事をして消耗しているはず。
この調子ではマズいのではないかと、二人が危惧した時だ。
ステンシアは手に握ったままだった剣を落とす。
「あれ……?」
そして、それを拾おうと腰を下ろすと、そのまま地面に吸いよせられるかのようにへたり込んだ。
「おかしい、わね。ちょっと、疲れちゃったのかしら」
立ち上がろうとはしているようだったが、まるで体に力が入っていないようにみえる。
それを見かねたセインは、左手を差し出した。
ステンシアがそれを両の手で掴むと、一気に引っ張り上げる。
それでなんとか立ち上がらせるも、尚も足元がおぼつかず、背中から倒れそうになった所を、アレーナが支えた。
「大丈夫ですか姉上、少し休まれた方が……」
その時気が付いた。彼女の体が震えている事に。
王族としての使命感が、彼女を奮い立たせてはいたのだろう。だが、今は分かる。
この小柄で、華奢な体で背負うには重すぎたのだと。
都が戦場と化した所から始まり、目の前で母が死ぬ所を目の当たりにした。
自分を逃がすために犠牲となった騎士達の死も見てしまった。
自らに仕えていた者達が化け物によって動く屍とされ、それを自ら斬ったとなれば、その心労は計り知れない。
「貴方は、よくやっています。姉上」
アレーナは、上手い言葉は思いつかなかったが、そう言って彼女を優しく抱き留めた。
それでも充分だったのだろう。ステンシアは、感情をせき止めていた物が無くなったかのように、妹の胸の中でむせび泣いた。
それから暫くして、三人は再び進み始めた。
ただ、ステンシアはまだ歩けるほどではなかったので、セインにおぶられて、だが。
「恥ずかしい所をみせたわね」
目元を赤く腫らしたステンシアが、セインの背中で言う。
二人とも、そんな事は気にしていないと、首を振る。
「貴方、その、重くないかしら。やっぱり私自分で……」
なんとなく気まずそうに、セインに問いかける。だが、彼はすぐに首を振った。
「全然。この先にはワーウルフの気配も感じないから、暫く休んでなよ」
「そ、そう? じゃあ、うん。そうする」
こちらに一切視線を向けてこない妹に悪い気はしつつも、ステンシアは彼の体に身を預ける。
「……意外と背中広いのね」
「ん、何?」
「ううん、なんでも……」
*
「随分時間がかかってしまったけど、目的の場所はこの通路の先をすぐよ」
とステンシアが指差した扉を開けるアレーナ。
扉の先の通路は、少し様子が違った。
開けていて、窓は天井に付けられているもののみ。
空から降り注ぐ月明かりの下、広がっていたのは……無数の死体。それも、どれも頭を潰されている。
「……ねえステンシア。歩ける?」
様子の違うセインの声。彼女はただ頷くだけの答えしか出来なかった。
ステンシアを背中から下ろすと、彼は一人、アレーナよりも先へ行く。
「セイン……?」
「二人とも、僕の後ろに居て」
彼が引き抜いたエスプレンダーは、即座に輝きの剣へと姿を変える。
背中を見るだけで分かる。怒り……いや、殺意。
こんなにも、彼から黒い感情を感じたのは、アレーナは初めてだった。
彼はいったい何を感じ取り、何が彼にここまでの殺意を抱かせるのか……
死体の山をかいくぐり、進む。その先で、嫌な音を耳にする。
肉を踏みつけているらしい、ぐちゃりという音。
ずるりと汚く、舌なめずりをするような音。獣のような、息遣い。
「よぉぉぉぉぉやく……見つけたぞぉ!」
窓と窓の間の陰から、一人。
その焼けたようなガラガラの声に、アレーナは聞き覚えがあった。
暗がりの中からでも分かる黄色い目の輝き。それに、ステンシアは恐怖を呼び覚まされる。
「偶には真面目に働くもんだなぁ! 退屈な仕事だと思ったが、こんな所でお前に会えるなんてよぉ」
月の元に照らされる男の影。
獣の皮で出来ているらしい上着の胸元から覗かせる、色素が抜け落ちたかのような白い肌。
赤く濡れた口から覗かせる人のものとは思えぬ鋭い牙。
足元は何かを踏みつけた後らしい肉片が付いていて、赤く染まった手先からは雫が滴り落ちている。
獲物を見据える黄の眼と、獣のような茶の髪の毛。そして頭頂部に生えた三つ、四つ目の肉食獣の耳。
ああ、忘れもしない。忘れられないその姿。
幾度となくセインの前に立ちはだかる、災いのような存在。
そう、その男は……
「グレイガ……」