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第三十七話

「姉上、なのですね? ご無事でしたか。いったい何が……」

「来ないで! あ、痛っ」

 声をかけようとしたアレーナを、払いのけるステンシアと呼ばれた女性。

 しかし先程セインに締め上げられた右腕を使ってしまった事で、痛みがぶり返してしまったようだ。

 彼女は右肩を押さえて蹲っている。


「あの姉上、大丈夫……」

 アレーナが心配で近づこうとすれば、彼女は心底怯え切った様子で後ろに下がっていく。

 しかし、部屋の隅に背中が付いてしまったステンシアは、元々白い肌から更に血の気が引いて行った。


 膝と頭を抱えて縮こまり、ただただ震え、すすり泣いていた。


「殺さないで、お願い……謝るから……だから、お願い、命だけは、助けて……」

 すっかり怯えきっているステンシア。

 何故そこまで怯えられるのか分からないアレーナは戸惑う。


「姉上? 私です、アルミリアです。先程はすみません。彼、セインは仲間で、貴方が誰か分からなかったのです。ただ、私を守ろうとしてくれただけです」

 立ち尽くしていたセインに「そうだろう?」と目配せする。


「うん……ごめん。僕、自分でも、分からなくて」

 自分の手を、恐ろしそうに見つめるセイン。

 アレーナが予想していた答えとは違ったものだった。

 どうしたらいいか分からなかった。


 が、セインは大丈夫。自分でなんとか出来る男だと信じ、ステンシアと向き合うアレーナ。

「姉上、大丈夫です。ここに貴方の命を狙う者はいません」

「嘘、嘘よっ! 貴方が私を恨んでないはずない! 殺しに来たんでしょう?! お母様だけでなく、私も!」

「そんな! ありえません、私は……」

「そうよ。貴方は私を殺すのよ。だって……だって……私は、ずっと昔から……」

 ステンシアは口元を左手で押さえた。

 込み上げてくる言葉を止めようとするように。

 しかし、苦しそうに胸元を握りしめ、遂には吐き出すようにその言葉を放つ。


「私は、ずっと貴方を殺そうとしていたのだから」

 アレーナの頭は真っ白になった。

「なぜ、です? 姉上が、私を?」

 理解出来なかった。彼女が、それをする理由が分からない。


 ここへ来る少し前、ジークに言われた。

『お前の命を狙うのは、ゴルドだけではないかもしれない』

 それはステンシアもだと、暗に。

 だがそんな事はあり得ないだろうと、気に止めてはいなかった。


「怖かった。私は、貴方が居たら、私は、居場所がなくなるって。だから、貴方がいなければ、ずっと、ずっとそう思ってきた」

「姉上が? そんな事……」

 むしろここに居所が無かったのは自分だ。

 彼女とは立場が違いすぎる。自分が姉の居場所を奪うなど、出来るはずもない。


「私は、妾の子、ですよ? 私がどう、姉上から奪うと言うのです」

 戸惑うアレーナの言葉に、ステンシアは涙を拭い、顔を上げる。

 何故そんな事を言うのか、分からないと言うように。


「妾ですって? 違う。貴方は妾の子などではない。貴方は……お父様が、唯一……愛した人の娘なのよ?」

「お父様の唯一愛した人の娘? 私が、ですか?」

 表情で分かるのだろう。アレーナがとぼけているのでは無いのだと。


「何も知らないというの?」

「私の知る事は、話したことが全てで……それより、姉上が刺客を送っていたのですか? 私を殺すために」

「刺客?」

 どうにも話がお互い噛み合っていない。アレーナは不思議に思って、改めて問う。


「何度か現れました。私を殺せと命じられたらしい者達が」

「そんな……! そんな恐ろしい事、出来るはずないでしょう! あなたが居なくなれば、死んでしまえばいいと思いこそすれ、それでさえ心が咎めていたというのに!」

 彼女の瞳は澄んでいて、真に訴えかけるものを感じた。

 やはり血のつながりがあるからだろうか、彼女が嘘を吐いているのではないと、心で分かる。


「そうですか、良かった……姉上、安心してください。アルミリアは今こうして、生きています。貴方の思いがどうであれ、私は、姉上を恨む事などありません。貴方を殺す理由なんて、何一つないのです」

 安堵させようと伝えた言葉。だが、それを聞いたステンシアの反応は違った。

 驚きで目を開いた後、その表情には見る見る怒りが灯り始めて……

「恨んで、いない? なら、何故……何故お母様を殺したというの?!」


 今にも掴みかかりそうだったステンシア。

 その手をセインが掴んで止めると、彼女は今にも悲鳴を上げそうなほどに怯えた。

 それを見て「ごめん」とすぐに手を放す。だが彼は、それでも二人の間に立った。


「落ち着いて、って言っても無理かもしれないけど。それ、いつの話?」

「つい、数刻前……日が、暮れる直前」

 セインに怯え、震えながらも答えるステンシア。


「それはおかしいよ。だって、僕らがここに着いたのはついさっきだ。そんな事、出来るはずない」

「え? そんな……でも、だってあれは……」

「話してくれない? 何があったか」

 セインは膝をついて、ステンシアの目を見据える。


「まずは、一週間程前。突然、何者かが王都に攻めいって来たわ。それで、王都の兵士、城の騎士も、その対処に駆り出されたの」

「では、城は手薄に?」

 アレーナの問いに、「そうではない」とステンシアは首を振る。

「当然、城の守りが薄くなるような事はない程度よ。でも、人の出入りは激しくなって……少なくとも、私の直属の騎士以外は、誰が何処に居るのかまでは分からなくなってた」

「もしや、その混乱に乗じて、何者か紛れ込んだのですか」

「ええ、恐らく」

 頷くステンシア。


「城の門を開けられ、敵の軍勢が一部突入してきた。でも城の騎士は優秀よ。城に侵入まではされて……無かったの」

「待って。それにしては、随分と静かじゃない?」

 彼女の話を聞いて、セインは違和感を覚えた。

 話と状況が一致していない。


「私だって分からない! 突然だったのよ! だって、あんな……あんなのが……」

 ステンシアは両手でそれぞれ肩を抱え、身を縮めて震え出す。

「大丈夫? どうしたの?」

 何かに怯える彼女は、震える声で絞り出した。

「大丈夫な分けないでしょう?! 化物が、化物が現れて、人を食べたのよ?!」


 彼女はその光景を見てしまったらしい。

 思い出してしまったのか、口元を押さえるステンシア。


 急な事で焦ったが、ひとまず身に着けていたマントを取り、震える肩にかけてあげた。

 そして、気分が悪そうなので、なんとか落ち着かせようとセインは背中をさすってみる。


 多分、こんな時セナならこうしていた気がする。と考えながら。


 少し時間が経ち、もう大丈夫と言うように手を上げて、深呼吸を数回繰り返したステンシア。

 落ち着きが戻ってきたのか、ようやく口を開いた。

「とにかく、そんな事があったせいで王宮は大混乱よ。お父様が自ら騎士を連れて対処に向かって、ここが安全だからと、私とお母様は逃がされたけど……」

 そこに来て、半目で睨むようにアレーナを見据える。


「目の前に急に現れたかと思えば、どういう訳か騎士たちが互いに殺し合い始めて、訳が分からないまま、お母様は私一人を逃がして……でも見たのよ、殺される所を! アルミリアっ、貴方がっ!!!!」

 またも掴みかかりそうだった所を、今度は全身で受け止めるように押さえるセイン。

 あまり力をかけないようにと心がけると、意外と力強いステンシアを止めるのに難儀した。


「待って、落ち着いてってば! さっきも言ったでしょ、僕らが来たのはついさっき! そんな事出来ないって! 思い出して、それは本当に、アレーナ……アルミリアだったの? そんなに滅茶苦茶な状況で、その人が誰か、ちゃんと見れたの?」

「えっ……それは……でも……」

 言われて、自信が確固たるものでは無くなってきたのか、勢いが鈍ってきた。

 今しかないとセインは、攻勢に変える。


 彼女の二の腕をそれぞれ両手で押さえ、真正面から問う。


「君、騎士と一緒に居たんでしょ? じゃあ、先頭に立ってた訳じゃないよね?」

「ええ、そう、ね」

「なら、その敵に会った時も、面と向かい合った訳じゃないよね」

「う、うん……あの、近い」

 セインはとにかくアレーナの潔白を証明したくて必死で、それでいて力が籠らないようにとしていたら、自然と彼女に迫っていた。

 それは家臣や騎士といった存在も含めて、身内くらいしか男性に免疫のない妙齢の淑女にとっては心臓が飛び出そうな緊張をもたらしていた。


「ソイツが現れた時はどんな状況だったの? 詳しく教えて」

「えと、後ろの騎士が、何か様子がおかしかったから……気になって振り向いたら襲われそうに……なって……その時……その、間から見えたの……」

「じゃあ、はっきり見たんじゃないんだね? アレーナだって、言い切れる程、はっきりとは、見てないね?」

 迫る顔の前で、こくこくと数回、ちいさく頷いた。

「それで、どんな奴だったの? 分かること……うわっ!」

 襟首から強い力で引っ張られ、ステンシアから引き剥がされるセイン。


「セイン、もういい」

 何やら胸にズンと重しを乗せられるかのような低い声。

 横目でその顔を覗けば、碧の瞳が鋭く刺してきていた。


「え、でもまだ、どんな奴か……」

「充分だ。これ以上、姉上に辛いことを思い出させなくてもいい」

 多少、ほんの僅かに他意はあるが、それはアレーナの本心からの言葉だ。


 それを聞いて、セインも頭から熱が引いていく。

 落ち着いていなかったのは、自分の方だと気がついた。

 改めてステンシアと向き合う。


 彼女は、彼と目を合わせるとビクッ、と体を震わせた。

「僕、自分の事ばっかりで……ごめん、色々。怖い思い、させたよね」

「……ええ、そうね。でも、私にも非はあるわ。謝らなければいけないのは、こちらも同じです」

 ようやく、彼女もアレーナと向き合う余裕が出来たらしい。


「ごめんなさい、アルミリア。確証もなく、貴方を悪く言って。それと、今までも。ずっと貴方を怖がって、きっと、不快な思いを何度も、させてきたでしょう」

 そう言って、ステンシアは深く頭を下げた。


 そこまでされるとは思わず慌てた。

 でも、安堵もあった。

 こうして言葉を交わして、初めて実感を持てたから。

「ようやく分かりました。貴方は、私と血を分けた姉なのですね」


 そうして、アレーナは彼女の手を取り、微笑みかける。

「姉上」

「え、はい!」

 思わずステンシアは背筋が伸びる。

「色々、話すべき事はあると思います。お互いの事、今までの事……ですが、今は一刻を争います。まずは、共にこの危機を乗り越えませんか?」

「共に? 私と、貴方が?」

 静かに頷くアレーナ。


「はい。まずは、父上を助けましょう。力をお貸しください、姉上!」

「は、はいっ!」

 とても力強い言葉に、ステンシアは思わず首を縦に振った。



「ところで、王族や大臣が捕虜になっていると聞いておりましたが、姉上はいつからここに?」

「もう、三日になるかしら」

「それで、見つからなかったんだ? 一人だったんでしょ?」

「そう、ね……そういえば、不思議……」

 言われて今更疑問に思ったようだ。だが、その理由を考えている暇は、今はない。

 アレーナは捕虜の居場所に見当はないか聞いた。


「捕虜を連れていくとしたら、会議室じゃないかしら。あそこが一番広いもの」

「なるほど。では、そこへ向かいましょう」

「アルミリア、貴方は入ったことが無いから、場所が分からないでしょう。城は広いから、迷えば余計な時間を取られる事になる。私が案内するわ」

「はい、お願いしま……あっ……姉上! 待ってください!」

 ステンシアが案内の為に先に立とうとしたとき、アレーナは気付いてしまった。


「どうしたの?」

「あのっ……! 姉上、下が、その……!」

「アルミリア、一刻を争うと言ったのは自分でしょうに。用件は早く済ませて頂戴」

「はいっ……あの! お、おみ足が、はだけておりまして……あの、とても、破廉恥なお姿にっ!」

「えっ」


 それまで何を考えていたのだったか。

 ふっと頭の中から、何もかもが一瞬消えた。


 ぼんやりと頭を垂れて、自分の足元を見た。

 目に映るのは、腿の半分より下からが、丸っと千切れている、ドレスのスカート。

 そういえば逃げる時、必死過ぎて思わず裂いたのだったか。

 どこかに引っかけて余計に裂けたような気もする。


 僅かな間だけ、何故か冷静に原因を思い出していた。

 が、その後一瞬で熱が全身に回りだす。


 顔を上げて一番に目に入ったのは、セインの顔。

 思わず羽織っていた彼のマントで足元を隠すように覆ってしまう。

 が、当の本人は全くなんの意識も無さそうである。それどころか……


「何やってるの? 早く行こうよ」


 しん、と静まり返った部屋に響く彼の一言。



「なんで……?」

 右の頬を赤く腫らしたセイン。

 彼は一人、廊下に立たされている事に首を傾げていた。


「乗馬服があって良かったですね、姉上」

「あのままお父様と合流していたら自決していた所よ。それに、これなら動き回るにもマシでしょう」

 と、会話しながら部屋から出てくるアレーナとステンシア。


「やっと来た」

「ええ、待たせたわね。さて、どうかしら」

 胸を張って、自分の姿を見せつけるステンシア。

「どうって……あ、上着を着たんだね。じゃあマント返してくれる?」

 そうセインが返すと、彼女は睨んできた。


「……返さない。ほら、さっさと行くわよ」

「え、なんで?」

 待たされたのは自分なのだがと、理不尽を感じずにはいられない。

 しかし武器も持たない彼女がずかずかと先に行ってしまうので、危なっかしくてすぐに追いかける。


 ……そんな二人を、思わず無言で眺めてしまっていたアレーナ。

 こんな時に、と自分でも思う。だが、もやもやとした気持ちを、抱かずにはいられなかった。


『許せない』


 ただ一言、頭の中に響いた。

 ゾッとした。


 今のはなんだ? と。

 自分でもよく分からない衝動が、あったような気がする。

 それともあれが、自分の本心だと?


「アレーナ、どうしたの?」

 遠くから、セインが声をかけてくる。

 雑念を払うように首を振り、「今行く」と彼らを追いかけた。



 感覚が、走った。


 全身に血が通う。

 耳に入る音からは雑音が消え、視界に映る世界には彩が燈る。

 鼻先から入ってくる匂いに、腹が鳴る。


 ……ような気がした。


 こんなのはいつ振りだろうか。


「居るのか、ここに!」

 口元が、裂けているかの様に大きく歪む。


 飢えた獣のように涎を滴らせるその男……。

 戦いを求める黄色の瞳は、暗闇の中で怪しく輝いていた。

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