第三十四話
「セイン」
これから王都へ向けて出発する。その直前だ。
アレーナが話しかけてきたのは。
「どうしたの?」
「傷の方は大丈夫かと思ってな。まあ、セナが治したわけだからそこに不安はないが」
そう、昨晩セインはジャックにナイフで刺された。
致命傷になるような所ではなく、すぐにセナが駆けつけ治癒したお陰で、大事にはならなかったが。
「それでも、出血が多かったようだし、体調が気になってな。傷は治せても、その辺りは全快にはならないと、セナには聞いている」
本来、傷を治してからしばらく療養をすべきなのだが、ジークには聞き入れてもらえず。
また、セイン本人もそれを望まなかった。
「まあ全力って感じではないけど……それでも、足手まといにはならないようには、出来ると思う」
「そうか……無理をするな、といえる状況ではないが、気を付けてくれ」
彼女の立場なりに、最大限の気遣いの言葉をかけた。
「ねえ、ジャックの事、考えてる?」
言葉をかけられながらも、それにどこかここに在らずな心を、セインは感じてしまった。
図星だったのか、一瞬口をつぐむアレーナ。
「半分……まさか、彼がこんなことをするなんて、思いもしなかったから」
彼女は、ジャックがセインを刺した後、行方をくらました。という『事実しか』知らない。
彼女の兄、ジークに報告したのも、それだけだったからだ。
ジークに言わせれば、彼は『裏切り者』だと言う。
故に戸惑っているのだろう。彼も、心を通わせた、仲間だと信じていたから。
「アレーナ。僕が刺されたところ、急所じゃなかったんだ」
「ん? ああ、そうだったようだな。大事に至らなくて、本当に良かった」
「でも出血はしてたから、『たまたま』セナが近くに居てくれなかったら、危なかったよ」
「そう……だな?」
セインの話がどこか引っかかる。
何かを、主張しているような、そんな気がした。
「……セイン。君は分かるのか、彼の真意を」
言葉は返されなかった。だが力強く、その目は彼女を見つめていた。
それで理解した。
セインは、まだジャックを信じているのだと。
それでも……いや、だからこそ、直接は何も言わないのだろう、という事も。
「分かった。もう、大丈夫だ」
アレーナが気づいたと分かり、セインも「それでいい」というように頷いた。
「それで、アレーナ。もう半分は、何を考えてたの?」
「ああ……ルーアの事だ」
空を見上げ、遠くを見るアレーナ。
「アイツは今、何をしているのかな……と、思ってな」
ろくに別れも言えぬまま、彼女はジャックの起こした混乱に乗じて、姿を消してしまった。
「大丈夫。また会えるよ、絶対」
自信に満ちた様子のセイン。
「……そうだな。勇士の剣があるからな」
そう言って、彼女は少し笑った。
*
当てもなく、ただ広い地をさ迷う、剣を背負った少女がいた。
「さて、と……」
ぼんやりと空を見上げるその顔は、途方に暮れていた。
「いや。ワシにも主義ってあるわけじゃから。こう、な。気持ちがどうこうじゃなくて、出来ないことというのはあるので、こうなるのは仕方がないというか」
誰に向かって言っているのか……単に、自分に言い聞かせているだけか。
長々と誰が聞いてるでもない言い訳を並べ立てた後。ルーアは、大きくため息を吐いた。
「あー……ここから先、どうしよ」
言うことも無くなり、とうとう……本音が漏れた。
「ちょっとカッコつけた言い方もしてみたが、いざこうして一人になってしまうと、どうしろと」
……誰か一人くらい引き留めるとか、してくれても良かったんじゃないか。意思を尊重してくれるのは良いことだけれども、そういう所を察するって出来ないのか……
など、理不尽に悪態をつき始める始末。
大体自分のせいであるが。
「それにしても、こうして抜け出せたとは言え……ジャックの奴め、やってくれたな。理由は分からないではないが……こう……」
そう、彼は恐らく「セインを襲ったという体」で、「裏切り者として」逃走を謀ったのだろう。
あの砦は、王都奪還に手間取られ、逃亡者を追える程人員に余裕はない。
そして、裏切り者であるならば、残ったアレーナ達は被害者。余計な疑いは掛からなくて済む……はず。と、そんなところだろう。
何故そんな行動に至ったかまでかは分からないが、彼なりに配慮はしていたようだ。
セナがすぐに駆けつけられる場所に居た事は、きっと偶然ではないだろう。
とはいえ、どんな事情と言えどセインに大怪我を負わせたのは事実で、ルーアとしてはそれが少し腹立たしい。
……のだが。
自分もその混乱を利用してしまった以上、抗議したくとも自分に跳ね返ってしまう。
結局、彼女のやり場がないモヤモヤとした感情は、大地がぶつけられることになる。
思いつく限り、文句を言いたいことを出しつくしてしまったルーア。
少しは気分が晴れるかと思いきや、却って気分が悪くなるだけとなり、踏んだり蹴ったり。
「……あっ!」
いくつか大地に窪みが出来た頃。一つ思い付いた。
「そうじゃそうじゃ。アレがあるではないか。うむうむ、アレを確かめに行くとするか!」
彼女の表情は晴れやかなものになり、楽し気に足を弾ませる。
「アレの場所はどこだったかのう。あー、そういえばあそこだったかあ。となると……ふふ、すれ違う事もあるかもしれんなあ? 偶然、な。いや、行先が近いからな、偶然」
と、誰に向けているのか分からない言い訳が、空に響いた。
*
セインはいよいよ出発という時に、気持ちを入れ直そうと、武器ベルトを締め直した。
……その時、僅かに違和感を感じた。
いつも腰の右側に差していた勇士の剣が無くなり、すこしもの寂しい。
「物足りない、か?」
それを察したアレーナが、声をかけてきた。
「まあね。無いと、ちょっと心許ないかな」
「ずっと持っていたからな。ある意味、御守りだったのかもしれないな」
「使えてなかっただけだけどね……」
と、セインは苦笑いする。
しかしそれにアレーナは「そうではない」と首を振る。
「確かに、上手く使えてはいなかったかもしれない。だがそれでも、最後にセインを守ってきたのは勇士の剣だった。だから、君を護っていた……と、思いたくて」
ロマンチックな事を言ってみたが、少し恥ずかしくなったらしい。言葉尻の方は自信無さげだ。
「柄にもないことを言った。忘れてくれ……」
「ううん。良いと思う」
「そう……かな」
少し照れくさいアレーナ。
「そうだ。セイン、その剣なんだが」
と、彼が今腰に差している剣を指差す。
「これが、どうかした?」
「特に呼び名が無かっただろう? 君のために作られた、ただ一つの剣なんだ。名前をつけよう」
セインの持つ『武器に対魔の光を宿す力』。それに耐えうるものをと、ルーアの知り合い、ギルに頼んで打たれた剣。
そういえば、彼にも「名を打ってやれ」と言われたのをセインは思い出した。
まあ、今思い出すほどなので、未だ呼び名はないままだが。
「無くても困らないけど……」
「その……付けさせて欲しいんだ、私が。ダメだろうか?」
「いや全然! ダメじゃないよ!」
彼女にそんな風に言われて、無下には出来ない少年の心。
「でも、どうして?」
少し気になって聞いてみると、なんだか恥ずかしそうにするアレーナ。
「祈りを籠めたくて。君を、護ってくれるようにと」
少し、ドキリとする。
「あ、えと……ああ! 勇士の剣が無いから?」
「それも、だが……私はセナのように傷を治せない。ルーアやジャックのように、戦い方を教えたりも出来ない。だから、君が生きて帰ってこられるように。私も何かしたくて」
聞いてみれば、思った以上に照れくさい。
それは言ってる方もそうらしい。
「それで、どんな名前にするの?」
無理矢理に話題を戻して、空気を変えようと試みる。
「ああ、光を解放するもの。という意味で『エスプレンダー』はどうだろう?」
「エスプレンダー……うん。なんかカッコいいし、それにする」
「そうか! 気に入ってくれて良かった……実は、ずっと考えていてな。受け入れられなかったらどうしようかと」
そんな事、あるはずない。とセインは思いながら、また照れてしまうのは目に見えているので、言わないでおく。
それから、アレーナは片膝を着いて胸の前で両手を組む。
そして、静かに瞼を閉じた。
「エスプレンダー……どうか、セインを護ってくれ」
そう口にし、暫く沈黙した後、立ち上がる。
「今のは?」
「祈りを、捧げてみたんだ。私は宗教には属していないから、単なる真似事だが」
アレーナはセインと目を合わせる。
「……本当は、君にこんな戦いは、させたくない。君が、新しく見たものに目を輝かせるのが好きだから。だから、世界の良いところを見て欲しかった。世界を好きになって欲しかった。君が好きになった世界なら、私も……」
と、申し訳なさそうに語る。
その内、だんだんと俯いていきながら。
「それなら、見に行こうよ。僕の知らない世界を。一緒に」
セインの言葉に、アレーナは顔を上げる。
「この戦いも、何もかも。全部終わったら、ね。約束しよ? 一緒に旅をするって。僕は祈り方は分からないけど、約束なら、出来るから」
それが、彼なりの返し方なのだろう。と、アレーナは気がついた。
「……ああ、そうだな。きっと」
セインが右の拳……『勇士の紋』が刻まれた手を突き出した。
それに、彼から受け取った『従士の紋』の刻まれた左手を当てる事で、アレーナは応えた。
「お二人さん、そろそろいい?」
と、二人が拳を離した直後。その間にセナが現れた。
前触れ無く現れた事に二人は驚き、思わず後ずさった。
「びっくりした、どこから出てきたの?」
目を丸くしたセインが問いかける。
「実はずっと居たんだよ。二人ともお互いの事しか見てないからさ」
「いや、そんな……それなら普通に声をかけてくれれば良かったのに」
「まあ、試したい事もあったし。それにお邪魔はしないようにと」
セナはいたずらっぽく笑って、アレーナに答えた。
そんな彼女に対して、セインとアレーナは顔を見合せ……二人はそれぞれ、セナの手を握った。
それが思いもよらなかったため、戸惑うセナ。
「じゃあセナも約束。僕らは、全部終わらせて、世界を見てまわる。」
「ああ。私達も、ルーアも。みんなでな」
同意を求めてじっと見つめられ、おもむろにセナも頷いた。
「よし、じゃあまずはアレーナの家の事、解決しよっか」
「ああ!」
「お、おう……」
再び拳を突きだしたセインとアレーナ。
それに、セナも控えめに差し出すと、二人の拳が勢いよく当てられる。
そうして二人、並んで歩み始めた背中を、少し後ろからセナは見つめた。
「あいつ。あんなに背、高かったっけ」
胸に隙間が空いたような感覚。
それに戸惑いを覚える。
「セナ、どうしたの?」
「あ、今行く!」
それを今は胸の内側に仕舞って、セナは彼を追いかけた。