第三十話
今回ほんのりシリアスです。
「こっちは準備できたけど、忘れ物はない?」
御者台に座ったジャックが皆に声をかける。
「忘れるようなモノ、何にも持ってないよあたしら」
とセナは軽い口調で返し「それもそうだった」とジャックはとぼけた様子で言う。
「寧ろ気を付けた方がいいのはお主だろう。ずっと大事そうに荷物を抱えておるではないか」
ルーアはジャックがすぐ傍に置いている鞄を見る。
そう、殆ど着の身着のまま飛び出してきたセイン達とは違い、ジャックはずっとこれを持ったまま。だが、この数日間、一度も中を開けたことは無い。
旅の道具ではないらしいが、それだけにルーアは少し気にしているようだった。
「お土産だよ、お土産。ユーミベノの知り合いにね。さて、それじゃあ乗ってよ。なるべく早めに行きたいしね」
何を聞いてもどうせはぐらかされるだろうと、ここ数日の付き合いでルーアも理解している。
なにより馬車を走らせることが出来るのは、この中では彼だけだ。仕方ないとばかりにいの一番に乗り込む。
「あっ、ルーア。またそうやっていい席取るつもりだろ!」
セナが指摘すると、即座にルーアは目を逸らした。図星らしい。
「セイン、どうした?」
ずっと辺りを気にして見回すセイン。その様子が気になって、アレーナが声をかける。
「どこかから、見られているような」
と首を傾げながら答えた。
セインは時々誰よりも先に何かを感じとる。アレーナも気になって周りを見渡す……しかし、何もない。
ひとまず気を付けておこう、と声をかけ、セインは渋々といった様子で馬車に乗り込む。
その後出発した馬車の中で、セインとアレーナは先程の事を伝える。
「気には留めておこうか。追っ手の可能性はある。とはいえ、ここまで手を出して来なかったのが気になるけど」
手綱を握りながら思案するジャック。
「ああ! もしかして!」
「どうした?」
わざとらしく声をあげるジャック。それに反応したのはアレーナだ。
「ずっと気配は感じるのに姿が見えない。しかし手も出してこない。それってつまり……幽霊。じゃない?」
「ええっ!?」
他の者達が呆れる中で、セナだけは震え上がって隣のセインに身を寄せる。
「お主は発言の時と場合を弁えろ」
「別に油断してたりふざけてる訳ではなくてね。ほら、考えてみてよ。幽霊相手だと生身の人間であるボクらは対処のしようがないだろう。一番最悪の想定だ」
「それは確かに……そう、かも……」
「惑わされるでないアレーナ」
ジャックの言葉に同意しかけるアレーナを、ルーアが窘める。
「大抵の人間はね、目的の為に段取りを組むものだ。目的を理解して手段を読む。そうすれば、意表ぐらいはつけるさ」
「だから目的も手段も分からない幽霊の方が怖い?」
「ま、そういうこと」
セインが問いかけに、軽く返す。
「セナはどうして幽霊が怖いわけ?」
「だってそりゃあ、目に見えないし、触れないし、何してくるかよく分かんないし……」
セナが語る理由を聞きながら、セインは考えた。
何か、引っ掛かるものがある。
「セナってさ。ルーアみたいに肉体無しで魂だけにも自由になれるんだよね」
「まあ、やる意味無いからやらないけど、出来るぞ」
「肉体が無くて自分の魔力だけで魂を維持してた時はさ、僕以外には見えなかったし、触れもしなかったよね」
「う、うん? まあ、そうだったな」
話の流れがイマイチ掴めないセナに、更にセインは続けた。
「それってさあ、幽霊と殆ど変わらないんじゃないの?」
馬車が小刻みに揺れる音が響く。
「だから別に怖がることないんじゃ……痛ッ! 何?! なんでほっぺつねるの?」
「あたしが気味の悪い幽霊だってのかお前は!」
「そういう意味じゃ! 痛い! 伸びる!」
涙目でセインの頬を引っ張るセナ。
その様子を正面から見ているアレーナとルーアは、
『これはセインが悪い』
とは思いながらも。
──セナが見えなかった頃、正直私も少し怖かったが……
──まあ、肉体を失いこの世に留まっている魂を霊と呼ぶわけだから、あながち間違ってはおらぬが……
黙っておこう。
二人は密かに誓っていた。
*
「それにしてもジャックって色々出来るよな、なんで?」
御者台の方へ話しかけるセナ。
「そうかな。大したことはしてないつもりだけど」
「なんか物知りだし、馬も操れるし。盗賊ってそこまでしなきゃなんないの? アレーナだって馬は乗れないんだぞ」
「いや、それは……そもそも私は動物に嫌われやすくて、背中に乗せて貰えすらしなくて……」
「乗馬はやったことあるんだ。へぇ、アレーナって裕福な家の生まれなんだね」
ジャックはただ感心しているだけのようだが、慌てて言葉を並べたアレーナは、墓穴を掘るまいと早めに話題を切り替えようとする。
「そうだジャック。貴方はもしかして考古学者ではないか?」
「どうして?」
アレーナに理由を尋ねるセイン。
「発掘調査をするにはかなり綿密に道具を揃えておく必要があるからな、人力での移動は効率が悪いし、馬車を使うのも珍しくはない。それに何よりもマイナーな勇士の伝承まで知っているからな」
「えっ。マイナーだったの、勇士」
セインは目を丸くする。
暫く固まるアレーナ。別の墓穴を掘ってしまった。
「そもそも勇士の伝承はかなり古い話だ。ここ数百年の話に比べると、記録自体が磨耗してしまっているし。仕方がないんだよ。ね、アレーナ」
御者台の方からフォローを入れてくるジャック。
アレーナは助かったとばかりに「そう、そうなんだ!」とぶんぶん首を縦に振る。
「勿論まったく無い、ということではないが。赤い目の魔獣が出てくるまで、おとぎ話の類いと変わらないものとして扱われていたんだ」
「それにそもそも、八首の龍を鎮めた巫女、先代の魔王を討伐したりした勇者と、この国には英雄譚がいくつかある。そんな中で相手が分かりやすい他に比べると、邪悪なる者って、よく分からないだろう。イマイチどんな存在かさ」
アレーナの説明にジャックが付け加える。すると、セナが「あー……」と納得の声を漏らす。
「そういやあたしら、そいつがどんな奴なのかぜんっぜん分かんないな。赤い目の魔獣を生み出してるって事ぐらいしか」
「なら聞いてみたらいいんじゃない?」
……と言ってセインが、ムスーっとした顔で外を眺めているルーアに目をやる。
自然と視線が集まってきている事に気がついた彼女は、横目でちらりとだけ見ると、
「どうせ倒す奴の事など知ってどうする。知らなくて良い。あんな奴の事など」
あまりに冷たく、棘のある返答。
「なあ、最近ルーアやけにピリピリしてないか?」
「状況が状況だ、ずっと神経を張り詰めているせいではないだろうか」
セナとアレーナが聞かれぬようにとコソコソと話しているが、当の本人は聞こえないフリだ。
「そうは言ったって、倒す相手なんだから、どんな奴か知っておいた方がいいんじゃないの?」
セインの追及は、流石に無視も出来ない。
「あれは心を持たぬ化け物だ。卑劣な外道。そうだな……背中を気にする癖は付けておいた方がいいかもな」
低く、怒りの籠った声。
どうにも、安易に踏み入ってはならない話なのだと言う雰囲気を、皆肌で感じた。
その時だ。
「まったく、随分片寄った見方だなぁ。そこまで言うことないだろう? もっとちゃんと紹介してくれてもいいのに」
背筋に冷気を吹き込まれるような、嫌な声が聞こえる。
「……セイン、何か言ったか」
「え、僕? なんで?」
「いや……なんでもない」
本当に何の事か分かっていないらしいのは、見ればわかる。
そもそも、皆なぜルーアがそんな事を聞くのかが分からないようだ。
「気のせい……か?」
それにしては、嫌にはっきり聞こえたような気がしたが。ひとまず、ここは頭の隅に避けておくことにした。
「卑劣だとか外道だとか。敵としてしか知りもしない癖によく言うよ。ていうか、悪魔が言えた話じゃないだろう?」
何者かが呟く。誰にも届かない所から。
*
馬車が急停止する。
大きな揺れに見舞われ、車内の者達は皆それぞれが咄嗟に何かに掴まってその場をしのぐ。
「ジャック、危ないだろいきなり!」
文句を言いに御者台へ顔を出すセナ。
「それについてはすまない。ただ……」
困った様子で頬を掻くジャック。
セナが気になって前方を確認すると……そこには、人が数名ほど横たわっていた。
「なんだよこれ……」
「武装してる。ということは、彼らも恐らくは冒険者だと思うけど。それにしては妙だね」
「妙とか、そんな場合じゃないだろ! まずは治さなきゃ」
「待ってくれセナ君! もう少し慎重に!」
ジャックが止めようとするのも聞かずにセナは馬車を飛び出す。
仕方なく、セナを追ってジャックも馬車を降りる。
近づいて見ると、彼の中で感じていた違和感は確かなものとなっていた。
「やっぱりおかしい。魔獣に襲われたのだとしたら、もっと深い傷を付けられている筈だ」
うつ伏せに倒れていて、出血はしているようだが、見た限りでは大きな傷を負っている様子はない。
「だとしたら、彼らを襲ったのは魔獣じゃなくて……!」
人間だ……そう確信した直後。セナの前に何者かが現れる。
それは砂色のツナギでフードを被り、"顔"が彫刻された仮面を付けていた。
馬車から飛び出したセナを、手際よく拘束する仮面の者。
その者は無言のままジャックへ向けて《外へ出せ》とジェスチャーする。
仕方なく従い、皆が馬車から降りると、六人の同じ服装、同じ仮面の人物に囲まれていた。
全員体格もほぼ同じ。あまりに統一され過ぎていて、個性というものが欠落している。不気味さを感じてしまうほどに。
「お前達、何なんだよ」
この場で一番に声を上げたのは、セインだった。
「名乗る名は持ち合わせていない。我らは『顔なき者』だから」
『顔なき者』を名乗る仮面の集団。その誰かが返答したようだ。
セインとジャックは、互いに視線を送り、瞬時に構える。
……が、踏み込むよりも前に、喉元にナイフの刃を突き立てられていた。
「余計な事はしない方がいい」
「次はない」
「我らは存在を知られてはならぬ者」
「お前達はそれを知ってしまった」
「故に、お前達の存在を抹消する事も厭わない」
男とも、女ともとれる中性的で、抑揚の無い声。
それが前後、左右。別々の方向から聞こえてくる。
そのどれも聞き分けをつけにくいほどほぼ同じ声だ。
「自分達から姿を見せておいて、すごい自信だね」
苦し紛れにジャックは皮肉で返す。
「一つだけ、お前達に道を与えよう」
正面に立つ仮面の一人が、人差し指をピンと立てて、おもむろにある一人を指す。
「お前達の手でその女……アルミリア・クライスを殺すのだ。そうすれば、残りの者達は見逃そう」
一同に衝撃が走る。セインは目を見開き、ルーアは彼らを睨み付ける。口を塞がれていたセナは、捕らえた者の腕の中でもがき始める。
ジャックは、驚きのあまり即座にアレーナの顔に視線を向けた。
「お主らに従う必要など何処にある? 要求に従ったところでワシらを生かす理由など無いであろう?」
「なるほど、確かにそう思うのは道理だ。こちらも相応の態度は示さねば」
セナを拘束している者は、そう言って手の空いている内の一人に顎で指示する。
指示された者は頷く。
その次の瞬間……その者は腰から短刀を引き抜き、仲間の内一人から首を切り落とした。
崩れるように倒れるその体から飛び散る血飛沫を、呆然と浴びるセイン達。
「何、やってんだよ……仲間なんじゃないのか、お前達の……」
目を丸く見開き、ひきつった顔のセイン。
「そう。同胞は我らの一部。お前達に仲間を殺せと要求するのだ。我らも自らの手で同胞を葬る事で痛みは同等」
「信用の為の対価だ。お前達がその女の命を断つというのなら、我らはお前達を見逃すと約束しよう」
「そして最後の通告でもある」
「我らは同胞の死を無駄にはしない。その女を殺せなければ、同胞の死が無駄になる」
「故にお前達が逆らうのなら、その時は同胞の痛みをお前達に味わわせる」
自分達で勝手に殺しておきながら、『だからお前達も仲間を殺せ』と言ってくる。
あまりにも横暴で、理不尽な理論。
「そんなのっ……! そんなのって、無いだろ! 仲間を、理不尽にっ! その人が……」
「それ以上言うな! セイン!」
ルーアが声をあげる。しかし、それは既に遅く……
「我らが同胞を可哀想、と思うのなら従うことだな。これはお前達を生かすために殺したのだ。お前達が従わず死ぬのなら……『死んだ意味』が無くなるのだ」
何を言われようと、彼らの要求に従えはしない。
しかし、『死んだ意味が無くなる』その言葉が、どうしても引っ掛かってしまう。
目の前で起こった理不尽に混乱する心の隙間。そこの隙間を狙い透かして針を投げ込んでくるようだ。
──セインが奴らの言葉に従う事はないだろう。だが……
ルーアは横目でセインを見遣る。
懸念は的中。彼は剣の握りから手を放していた。戦意を、削がれてしまった。
想定を、全くしていない訳ではなかった。
以前アレーナを狙う刺客が現れた時……いや、その不安自体はずっと前から。
いずれ、セインが人に刃を向けなければいけない日が、来てしまうだろうという事を。
その時、彼が剣を抜く事が出来ないのではないかという事を。
──誰かを護るために戦う事は出来よう。生きるために命を奪う、という事も出来よう。だがその矛先を、『同じ人間』に向けるには、優しすぎる。
それでも、彼から優しさを奪えなかった。奪ってはいけない気がした。それは自分の甘さと知りながら。
なればこそ、その役割は。泥は、自分が被らねば。
──隙の無い連中ではあるが。一瞬でいい。せめてセナだけでも解放出来れば……
あまり時間のない中で、思案を巡らせていた……その時だ。
「私の……私の命で、みんなは助かるのか?」
震える声で、アレーナが問う。
「ああ、約束しよう。同胞の命にかけて」
セナを掴んでいる者が答える。すると、アレーナは唇を噛みしめて、背中に忍ばせていた紋の入ったナイフを取り出した。
「何をやっているんだアルミリア! やめろ、自分の命を……!」
ジャックが叫ぶ。
だが、すぐに仮面の者に抑えられ組み伏せられる。
「ダメ、だよ……アレーナ、そんな……」
セインも俯かせていた顔を上げるが、出せたのは、か細い声だけだった。
ナイフを握る手を震わせながら、アレーナはその切っ先を自らの喉へと向ける。
「私が、みんなを助けられるなら……誰にも迷惑はかけない。私は、自分の手で……!」
「ダメだ、それでは意味がない」
「え?」
止めたのは、仮面の者の声だった。
「お前が自ら命を絶ったのでは意味がないと言っている。言ったはずだ、お前達で殺せと。それでは彼らの解放は出来ない」
「そんな……! お前達の狙いは私の命だろう?! なら、私が死ねばそれでいいじゃないか!」
アレーナは驚きと戸惑いが隠せない。
「他の者が咎を負わなければ。我らの存在を忘れられなくなる」
「罪を犯した者はその罪の記憶を避けようとする」
「何もしない罪。止められない罪。手にかけた罪をそれぞれで負って貰う。そしてこの娘は、自らが原因を作ったと自責の念に囚われて生きるだろう」
「そうすればお前達は我らを思い出せなくなる。我らの存在に触れることが出来なくなる。我らは存在しない、顔無き者のままでいられるのだ」
自分のせいだからと、責任を果たそうと。仲間を守ろうとする尊厳すら、打ち砕かれた。
アレーナはその場に膝を突く。
何も、自分には何も許されないのだと絶望する。
万事休すと思われた、その時。
何かが近づいてくる。その場にいる誰もが分かるほどに、音が轟いていた。
このけたたましさは、馬の足音。それも複数だ。
「潮時か」
セナは確かに耳にした。自分を拘束していた者がそう呟いたのを。
その直後だ。セナが解放されたのは。
突然拘束を解かれ、戸惑ったセナが背後を見たときには、そこには誰もいなかった。
すると、まるで糸が切れたかのように、次々と残っていた仮面の者達が倒れ始める。
何が起こったのか事態を把握するする暇もなく、彼らの側で、数匹の馬が足を止める。
「不逞の族が現れたと聞きつけて来てみれば、随分と珍しい族が居たものだ」
馬上からこちらを見下ろし、冷たくそう言い放つ男の声。
うつむいていたアレーナは、その声の主に向かって頭をあげ、姿に驚く。
同じように、ジャックも息を飲んだ。
そして拳を強く握りしめ、
「何者だ、貴様……!」
と声を荒げて問いかける。
「よもやオレの顔すら分からんとは。随分と不敬な民だな。だがまあいい、特別に貴様らには教えてやろう」
そんな事気にしていないと言うように、その男は平然と言ってのける。
「オレはジーク・クライス。この国の、王位継承者だ」