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第二十九話

 夜道を進むとき、アレーナは最後尾に居た。

 時々、立ち止まっては背後を確認している。


 今までは、こんなことも無かったのだが。先日からこの様子だ。特に今夜は頻度も増えている。


「なあアレーナ。ちょっと変だぞ? なんか気になるのか?」

 流石に気になったセナが問いかける。

 だが、アレーナは首を傾げるだけだった。

「何か、居るような気がしてしまうんだ。自分でも、よく分からないのだが……」

 今居るのはかなり開けた道だ。暗さを加味しても、誰かがつけてきているというのなら、余程離れた所から監視しているのでも無い限り、見渡せば分かるだろう。


「もしかして、幽霊でも感じたり? なんてね」

「えっ!?」

 ジャックが茶化す。それで怯えたのはセナだったが。


「……いや、多分なんでもないんだ。気にしないでくれ。先に行こう」

 なんでもない、という割には、まだ少し気にしているようだった。

 だが、これ以上は何も分からないだろうと、この話題は打ち切った。


 それから、少し進んだ先で暫し休息を取る事になった。


「ここまでは順当に進めておるな。あまりにも何も無さ過ぎて、些か拍子抜けでもあるが」

 先程の事を気にかけているのか、自分達の進んできた道に目を凝らしながら、ルーアが口を開く。

「まあ何もないのは、良いこと……だと思いたいけどね」

 そうは言うが、ジャックも楽観視はしていない様子だ。


「ああ。このまま何事もなくやり過ごせたのなら、心配は杞憂だったのだと笑えばよい。目的地も近づいてきたからこそ、気は引き締めねばならぬ……お主、さっきからジッと見つめてきて、ワシも流石に気になるのじゃが」

「ごめんごめん。いやあ、ちょっと思っちゃってね。見た目は子供と変わらないのに、やっぱり悪魔だね。場慣れしてるんだなあってさ」

 そんな事か、とルーアはどうでも良さそうにため息を吐く。


「ルーアが悪魔、セナちゃんが空人、と聞いた時は驚いたよ。でも、考えてみればまあ必然のことというか。寧ろそうである方がしっくりくるよ」

「何が?」

「何が、って決まっているだろう? 君が勇士だからだよセイン。勇士は悪魔と天使、それに竜の軍勢すら率いて邪悪なる者と戦ったと、記録には残っているんだから」

「へえ……あれ?」

 何かが引っかかった。が、それが何かがイマイチ思い当たらないセイン。


「……私が調べた伝承では、悪魔の話は残っていなかったんだ」

 アレーナがなんとなく居心地を悪そうにしているのを見て、思い出した。

 そう、確かにルーアに初めて会った時、そんな話は知らないというような事を、彼女は言っていた。

「アレーナ、それは無理もない話だよ。民草に向けて語られた伝承というのは、都合の悪い部分を省いているものだからね。悪魔の手を借りた、なんて、正直積極的に伝えたい話でもないし」

「悪かったな」

 ルーアに睨まれ、思わず目を逸らすジャック。一方で、アレーナは少しホッとしているようだ。


「じゃあなんでジャックは知ってるのさ」

 セナの一言で、シン……と場が静まる。聞こえるのは、夜風と、草の陰に隠れた虫の鳴き声だけだ。


 皆気になるのか、視線は集中する。

 動揺しているのか、それとも気に留めていないのか、顔が隠れているため分からないが……彼は暫し黙ったままだ。


「そろそろ休憩は終わりにしようか。夜も深まってきたし、本当に”幽霊”でも出たら面倒だしね」

 口を開いたかと思えば、やたらと『幽霊』という単語を強調するジャック。

 せめて答えを聞きたいとセインが声をかけようとするが、セナが震えながら「早く行こう」と言いだすので、気にはなったがこれ以上は追及できそうにないので諦めた。



 目的地に着いたセイン達。ここからユーミベノまでは馬車が使える為、この日は一日休息という事になった。

 とは言っても、警戒はしながら、になるが。

 野営時のように、交代で休息を取りながら、誰かは起きているように決まり、今は先にセナとルーアが眠っていた。


「……うん、美味しい。君の淹れてくれた紅茶は、とても気持ちが落ち着くよ」

「そう言ってもらえると、私も淹れた甲斐がある」

 起きている三人はというと、今はアレーナの振舞う紅茶を楽しんでいたところだ。セインは自分のカップにこっそりと砂糖を混ぜながら。


「しかし気になっていたんだけど、君の腕前はとても素人のモノとは思えないね。どこかで習ったのかい?」

「それは、だな……」

 ジャックには、セナとルーア、そしてセインの出自についてはある程度を話てある。しかし、アレーナが王族であるという事については、まだ黙っていた。

 万が一の場合を考えて、黙っておいた方がいい。ルーアだけはまだ彼を信用しきっていないために、そう言ってきたのだ。


「兄が、好きだったんだ。紅茶を」

「えっ」

「へえアレーナ、お兄さんいるんだ」

 初耳の話が出てきて、セインは驚いた。それを、ジャックに話すのか、と。


「お兄さんの為に紅茶の淹れ方を練習した訳だ。良い妹さんを持って羨ましいね、その人は」

「そんな、褒められるような事じゃないんだ」

「……謙遜って訳じゃ、なさそうだね」

 俯いて、陰のかかるアレーナの顔。


「私は、家族に居場所が欲しかっただけなんだ。父に突き放されていた。母は、姉に付きっきりで、見向きもしてはくれなかった。だが兄は、少なくとも、疎まれてはいないようだった。でも、仕事が忙しくて殆ど家に居る事もなくて。実は会ったことも、殆ど無いんだ」

 ジャックも、セインも、ただその話を静かに、真剣に耳を傾けていた。


「帰ってきても、話をする暇もなさそうで構われることもなかったが、だからこそ、せめて兄にだけは嫌われたくはなかった。気に入られようとしたんだ。兄が仕事中によく飲んでいるのを目にしたから、多分、好きなのだろうと思って。そんな、浅ましい理由だ……すまない。こんな話、聞いても気分を悪くするだけだろう」

「いや、ボクの方こそ、軽率な物言いだった。すまない」

「そんな、貴方は何も……」

 悪くない、そう言いかけた所をジャックは制止する。


「ボクには、今の君に言葉をかけられるような人間じゃないんだ。どんな言葉をかけても、ただ耳障りがいいだけのモノにしかならない」

「それは、どういう?」

 アレーナの問いかけに、ジャックは答えない。

 ただ、少し温くなってきた紅茶をおもむろに、口に運ぶだけ。


「……それでも一つ。一つだけ、君に伝えたい」

 正面から向き合われ、緊張で畏まるアレーナ。


「君の淹れてくれた紅茶で、心を癒されてる人はいるよ。ボクもそうだ。だから、少なくとも、やって来たことは無駄じゃない。と、思うよ」

 アレーナはただただ驚いた。そんな風に言葉をかけて貰えるとは思わなかったから。言われて嬉しいのか、喜ぶべきなのかすら分からない。


「ああ、それにボクだけじゃないよ」

 とそんな彼女の姿を見て、ジャックは、居心地悪そうに自分から体を背けて紅茶を啜るセインの襟首を掴み、引き寄せた。

「セインだってそう。だろう?」

 アレーナの目がセインに向く。ほんの少し、期待の籠っているようにも見える。

 ジャックの言葉には目を泳がせていたが、彼女からの視線には目を背けられなかった。

「うん、僕も……好きだよアレーナの淹れてくれた紅茶。いい香りがするし」

 苦いのが苦手で、砂糖なしでは飲めないけど。というのは、言外にしつつ。伝えられる、本当の想いだけを、伝えたつもりだ。


「そうか……そう、なんだな」

 上手く伝わったのか不安だったが、当の本人は、安堵した様子で、胸を撫で下ろしていた。


「ありがとう、セイン」

 アレーナからの感謝に、セインは顔を逸らした。それは、照れくささ……などではなく。

 自分は、何もしていないから。という、罪悪感からだった。



 その夜。


 息が上がって、膝を付くセイン。

「じゃあ、この辺にしておこうか?」

 一切余裕を崩していないジャックが、問いかける。が、それに返すことすら、出来ないらしい。

 仕方ないとばかりに肩をすくめ、セインに寄って肩を貸すと、近くのベンチにまで連れていって座らせる。


「昨日はいい感じだと思ったんだけど、今日はまるでダメだね。どうかしたかい?」

 水筒の水を飲ませる……というよりも、浴びせるように顔にかける。セインはむせた。


 肺から空気を出し切って、内臓が捲れ上るかと思うほど咳を繰り返して、ようやく落ち着いた時。セインはジャックを睨んだ。

「どうした……って、そっちこそなんなの? なんでそんなに余裕そうなんだよ」

 ムカつく。奥歯を噛みしめて、心の中で呟いた。


 そんな気持ちを向けられようとどこ吹く風。ジャックは試すように問いかける。

「どうしてだと思う?」

「え……?」

「君は倒れるほど疲れ切って、それでもボクはまだ余裕がある。ずっと君の相手をしていたのにね」

 セインは面食らった。そんな事を聞かれるとは思いもしていなかったから。


「キミに教えるって言っただろ。でもヒントだけだ。キミ自身が気が付かなければ、意味がないからね」

「僕、自身で」

 胸に手を当て、考えた。何故自分だけが、膝を付かなければいけなかったのかを。

 今の打ち込みを、思い出す。自分の動き。ジャックの避け方。


 その時一つだけ、気がついたことがある。

 考え事をする際、頭の中が非常にスッキリと、一つの事をシンプルに考えられるようになっていると。


 ついさっきまで、黒く、尖った感情が渦巻いていた。

 だが、今はどうだ。疲れているからだろうか、余計な事を考える余裕も無いからか、ジャックの問いの答えだけを考えられている。


「……あっ」

 そう、余計な事だ。嫉妬も、対抗心も、無力感も、疎外感も。全部、そうだったんだ。

 そしてそれは、きっと、戦い方にも表れていたんだろう。


「余計な動きが、多かったって事?」

「その通り。ヒントを出したとは言え、よく気がつけたね」


 賛辞を贈るように、手を叩く。

「そう、キミの今の戦い方は無駄が多い。動作もそうだけど、剣の握り方、踏み込み、振るう時。余計な力をかけている。短時間でなら気にもならないだろう。でも、その一つ一つの積み重なりは、時間をかける毎に大きくなっていく」

「だから、僕は限界になった?」

 ジャックは頷く。


「いいかい、戦いで生き残るために必要な事。それは、なんだと思う?」

「えっと、体力って事?」

「そう。正確に言えば持久力。戦いの中では決して、限界を迎えてはいけないんだ。生き残るためにはね。動けなくなれば、確実に死ぬ。特に魔獣、奴らはシンプルだ。情けも、容赦も無い。生き残るために敵は殺す」

 真剣に聞き入っていた。


 今まで、戦い方は教えられてきたつもりだった。

 けれどもこんな風に、生き残るための考え方を教えられたのは、初めてだったから。


「それで言うと、君は昨日以上に無駄が多かった。何か、悩み事?」

 戸惑った。まるで見透かしているかのような、その物言いに。


「戦う相手をよく見る。それも大事な事だからね。キミの打ち筋を見てると、なんとなくそんな気がしたんだよね」

 なろほど、とセインは納得していると、ジャックは急に肩に手を回してきた。

「さてと、話を聞くぐらいならするよ? お兄さんに言ってみたまえ」

 うっとおしい。それだけでも嫌ではあったが、なにより、彼に話せるような事でもなく……というより、そもそもこんなキャラをしていただろうかと戸惑う。


 だが分かってもいる。自分の中では、答えが出ない事も。


 話すか否か逡巡した結果、セインはおもむろに、口を開いた。


「……どう思ってるの」

「え?」 

 それは、聞こえるかどうかの、僅かな声


「その、ジャックは……アレーナの事、どう思ってるの」

「なんだいいきなり」

 どうしてそんな事を聞いてくるのかさっぱり分からなかったが、少なくともセインは真剣に聞いてきたらしい。

 ならば半端な答えは出来ないと。暫し考えた。


「うーん、まあなんだか、ほっとけない。かな」

「それって、好き……って事?」

 それを聞いてニヤつくジャック。顔は分からないが、声音で多分そうなのだろうと分かる。

「だとしたら、どうする?」

「えっ……」

 一転真剣に問いかけられて、セインは体が硬直した。頭の中もスッと真っ白になって、何も思い浮かばない。


 とそんな彼の肩をジャックはポンポン、と震える手で軽く叩く。

「冗談。そういう風には思ってないよ」

 セインの眉間に皺が寄る。沸々とドロドロした感情が胸の内で湧き上がっているのを感じた。

「安心して、君から取ったりしないから」

「いや、別に……そういう意味で、聞いたんじゃ」

「へえ、そうなんだ」

 セインの感情の揺らぎすら、どうやら彼は楽しんでいるらしい。

 木刀を強く握りしめた辺りでようやく、ジャックから「ごめんごめん」と半笑いで謝罪を受ける。


「本当、そういうんじゃないんだ。ただ……」

「ただ?」

「ずっと気になってたんだ。彼女に会った時から。何故か、放ってはおけない気がしてね。それもあの話を聞いて、ようやくその理由が分かった」

 どこか遠くを見つめるジャック。先程までとは、雰囲気が違うのが、目に見えて分かる。


「ボクにもね、妹が居るんだよ。歳の少し離れた……そう。そういえば、丁度今はアレーナくらいの歳、なのかな」

 自信がなさそうに言うのが、気になるセイン。聞こうとするよりも前に、それを察したジャックが口を開ける。


「妹は引き取られた子供でね。血が繋がってない訳じゃないんだけど」

「それって、どういう事?」

「母親が違う。長い間、自分に妹が居る事も知らなかった。ボクは妹とどう向き合ったらいいのか分からなかった。だから、逃げてたんだ。きっと」

「だからあの時、自分にはかける言葉がないって」

 セインは昼間の会話を思い出す。ジャックは頷いた。


「忙しいから仕方がないんだ。って、ただの言い訳を自分に聞かせてた。でも、アレーナの話を聞いて、本当は妹も、歩み寄ろうとしてくれていたのかもって、思ったらね」

「今、妹さんはどうしてるの?」

「どうにも家を出たらしい……というのも、人伝で聞いた話だ」

「じゃあ、もしかしたら……」

「どこかで会えるかもしれない?」

 セインの言葉を遮るジャック。


「考えるよ当然、そういう事も。でもね、会っても、きっと何も話せない。向こうだって、ボクに会いたいのかどうか……もしかしたら、実はもう会っているのかもしれない。ボクはそれに、気づけもしていないだけで」

 自嘲気味に語るその姿。見ていて分かった。

 彼とアレーナは、とてもよく似ているのだと。


「それでも、生きてるんでしょ?」

「え?」

「アレーナのお兄さんはもしかしたら、もう……でもジャックは、今ならまだ、間に合うかもしれないでしょ?」

 上手く伝える言葉が浮かばない。それでも必死に、セインは言葉を繋げる。


 何も出来ないままの自分ではいたくなくて。


 ジャックはそんな事を言われるとは、思ってもいなかったのだろう。暫くセインを見つめて黙ったままだった。


「……そうだね。確かにその通りだ」

 ジャックは立ち上がり、大きく伸びをした。


「また逃げる所だった。そうだね、遅くはなったのだろうけど、でも時間は、まだあるんだよね。なにより、家族と向き合えないような男が、これから……」

「これから?」

「あ、いやこっちの話。ところで、良かったの? ボクにアレーナのお兄さんの話なんて」

 あまり深く考えていなかったらしい。見る見るうちに血の気が引いてく。


「大丈夫、別に誰かに話したりしないさ。そんな話でもないだろう?」

「本当?」

「本当。そうだ、あまり趣味じゃないけど、男同士の約束ってのはどう?」

「男同士? 普通の約束と、違うの?」

 ピンと来ていないらしい。ジャックとしては密かに憧れていたので、そういう反応を返されるのは予想外だった。


「そうだなあ。互いに認めた男同士、決して破る事のない強い約束って感じかな」

「それって……もしかして、友達ってこと?」

「友達……うん、そうボクらはもう友達、と言っても差し支えないんじゃないかな。どう?」

 セインは嬉しそうに頷いた。


「なら、約束だ。アレーナのこと黙っておくよ」

 ジャックが突き出した拳に、セインも拳で突いて応じる。

「で、黙っておくから教えて欲しいんだけど。どこが好きなの? アレーナの事。年上が好み?」

「えっ……いやそれは……」


 うっとおしい絡み方をしてくる彼に、なんとなく後悔したセインだった。

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