第二十八話
サラーニサキ、朝。
食堂でテーブルを囲うセイン達。
「驚いたよ。君、夜が苦手なんだ」
静かで丁寧な手つきで食事をしていたアレーナは、ただその一言でペースを狂わされた。
「気の強い人だと思ったけど、時々ガチガチに固まって動けなくなる程とは。案外と可愛いところがあるものだね」
器用さはどこへやら、動揺で手元がおぼつかないらしい。
カチャカチャと音を立てながら力任せに肉を切ろうとするも上手くいかない。仕方なく残っていた半分ほどを、一口に頬張る……もれなく喉を詰まらせた。
「ああもう、雑な食べ方するから……」
隣に座るセナが彼女の介抱をしながら、釘を刺すようにジャックを睨む。
「うちのアレーナは繊細なので、発言には気を付けてもらえます? というか、案外とか失礼な言い方するなよ。この子は可愛いです」
「ご、ごめんなさい」
圧を感じて反射的に謝るジャック。
そんな話題の中心である本人は、茹で上がってしまいそうな程赤く染まった顔を両手で覆い隠していた。
落ち着いたアレーナは、ナプキンで口を拭い、気を取り直すように、こほんと咳払いする。
「夜、というよりも、明かりも全く無い暗闇がダメなんだ、私は」
「へぇ。何か理由があるのかい?」
「え?」
そんなに不思議な事だろうか。
コレくらいなら、恥ずかしくはあるが、珍しい話と言うほどでもない。と思い、首を傾げる。
「聞いた感じだと、少しでも明かりがあれば問題ないんだろう? 漠然と暗がりを怖がるなら珍しい話でもないよ。でも、状況は限定されてるし、何か理由あるのかなって」
「確かに、ちょっと気になる……かも……」
セナも、それに気づいて疑問に感じた様子。
「理由……言われてみれば、子供の頃は今のように極端に怖がることは、無かったと思う。それが……いつからだったか……」
思い出そうてしていたアレーナの顔から、徐々に血の気が引いていく。
目に見えるほどに顔は青白くなり、呼吸も荒くなりだした。
その時、セインがドンッ、と拳をテーブルに叩きつけた。
「やめなよ。怖がってるって事は、いい思い出じゃないって事だよ。そんなの、思い出させる必要ないでしょ」
低い声で凄むセイン。
こんな風に怒るとは思いもよらず、ジャックどころか、セナも。そして誰より本人が、困惑してしまう。
彼の言い分は最もだと思い、ジャックはアレーナに向き合った。
「ごめんアレーナ。つい好奇心で……無神経だったね」
「あたしも、ごめん。大丈夫か? 顔色、悪いぞ? 」
「いや、気にしないでくれ。怒ってはいないよ。これも多分、疲れが溜まって来てしまったんだろう」
「……そうじゃな。ここ数日、ろくに休むまもなかった。それで昨日は一睡もせずに夜通し歩いたのだ。疲れが出るのも仕方あるまい。おいジャック。また夜の移動であろう? ならば、昼間の内は休んでいて構わんな?」
「ああ、そうだね。休める時に休んでおかないと。体を壊したら元も子もない。この後は暫く休むとしよう」
食事を終えて、集合場所を決めた後、一旦の解散となった。
一室借りられた宿の部屋。そこへ皆が先に戻っていく中、セインをアレーナが呼び止めた。
さっきの事で気まずい彼は、思わず顔を逸らそうとしてしまうが、アレーナはその先へ回り込む。
「気にしているんだな、さっきの事」
「……まあ」
「君があんな風に怒るだなんて、正直驚いた。だけど、私の事を思って言ってくれたのは分かる。ありがとう、気遣ってくれて」
「えっ……」
「それだけ言いたかった……では、先に部屋に戻っている。君も早く体を休めた方がいい。私よりずっと、君が頑張っているんだから」
そう言って部屋へと向かっていく。
離れていく彼女の背を見つめ、自分の胸をわしづかみ、顔を俯かせるセイン。
「違う……そんなんじゃ……」
その顔は苦悶に満ち、声にならない声を絞り出した。
その様子をただ一人、ルーアが神妙な面持ちで影から見つめていた。
*
日の高さを見るに、まだ昼を少し過ぎたばかり、という所だろうか。
他の人達はまだ眠っているらしい。
……ジャックは不思議に思う。
追われているとのことだが、それならどうして自分の様な奴を信用できるのだろう? と。
こんなにも無防備な今なら、寝首をかけるだろう。金品を持ち去って逃げることだって出来る。……まあ、どちらも彼はやる気などないが。
信用されたいるのはありがたい反面、少しむず痒い。
──……というか、ボクも疲れてたし、流れでこうなってしまったけど……
寝起きの頭が、ようやく本調子を取り戻してきたらしい。
そして気づいた。今、とてもよろしくない状況であることに。
──年頃の女性……! 同じ部屋で寝ていたらダメじゃないか!
あまりに無防備が過ぎる。
しかも熟睡。異性という存在への警戒心が皆無とさえ言える。
「もっと……こう、気を付けなきゃダメじゃないか! みんな嫁入り前でしょうが……!」
叱りたいのもやまやまだが、夜通し歩いた彼女らを起こす訳にもいかず、声なき声を上げるに留めた。
頭を抱えながらも、これからやるべき事ははっきりした。
目が覚めたからには、ここに居てはいけない。
ジャックは一人、盗賊職としての技能を最大限に発揮して、音も立てずに部屋を後にした。
当てもなく廊下をうろつきながら、ずっと頭を抱えている。
「冒険者だから無頓着になってしまうのか……いや、そもそも警戒の対象にならないのか? セインって、人畜無害っぽそうだし、男性の基準が彼なせいなのか……あれ?」
ふとその時気がついて、先程の情景を思い返す。
一人、居ない。
*
ブォン、ブォン……と風を斬る音。
人気のない広場で、繰り返し繰り返し、彼は剣を振るっていた。
しかし、それは鍛練というよりも、何かを振り払いたいというような、危ういがむしゃらさを感じさせる。
「早起きだね、セイン」
声をかけると、動きが止まった。
肩を上下させる程息を切らしながら、彼はこちらへ振り向いてきた。
「熱心なのは良いことだと思うけど、ちゃんと眠れたのかい?」
「……まあね。もういい? 時間が惜しいんだ」
棘のある言い方で、追い返そうとするセイン。
様子がおかしい。それは、短い付き合いのジャックでも分かる。
何か、焦っているように思える。
……だからといって、別に何かをしてあげる義理は、彼にはない。
「その剣、ちょっと借りるよ」
気がついたら、セインの手元にあった剣を、ジャックが持っていた。
「へぇ……業物だね。かなり丈夫に鍛えられてるのに、重すぎもしない。ねぇ、それ、投げてもらえる?」
とセインの足元にある拳くらいの大きさをした石を指差す。
言われた通りに、石を軽く放り投げると、彼はそれを……容易く両断した。
「いい切れ味だ。これを鍛えた人はいい職人だね。紹介してほしいくらいだよ」
「今の……どうやって……」
ただの一振り。それも、力を入れた様子もない。不思議でたまらない。
「良かったら、相手してあげようか」
「いいの……?」
「ボク、結構厳しいけど。付いてこられるかい? ……なんて、聞くまでもなさそうだね」
セインの眼差しは、冗談を交じりに問いかけたのを恥じてしまう程に、真剣だった。
「からかう様な聞き方をしてすまない。なら時間もない、早速始めようか」
彼は静かに頷いた。
それからジャックは木刀を二本、持ってきた。
内、一本をセインに。
そしてそれから彼が言ってきたのは、ただ一言。「ボクに打ち込んでこい」と、それだけだった。
「それだけ? 教えてくれるんじゃ、ないの?」
困惑してセインは聞き返す。が、それに対してジャックは、
「相手をするとは言ったけど、教えるかどうかは別の話だよ」
不満そうな顔を向けられるが、そんな事気にも止めない。
「なら、ボクの体にそれを当ててみなよ。出来たら、考えてあげる」
これ以上、何も話す気はないらしい。しかも、そう言いながら構える様子もない。
──後悔するなよ。
思わず心の中で呟き……直後、一歩踏み込み、木刀を縦に振り下ろす……
完全に入った。そう思った。
だが、その一閃はただ、空を割いただけ。
ズレていた……確かにそこに居た筈のジャックの位置が。
──え?
驚きで、目を見開く。
狙いが甘かった? いや違う。
消えたのだ。そこに有った筈の像は、木刀が当たる寸前に消え失せた。見ていたものは、幻だったとでも言うように。
混乱で思考が纏まらない。
横目に、ジャックの姿が入った。腹部に何かが当たった感触があった。
しかし、体が状況に追い付かない。
前への慣性を止めることができず、軽く押し当てられていただけの木刀は、次第に深く、自らの力で食い込んでいく。
「今、君は死んだよ」
今度は食い込んだ木刀から、物凄い力が伝わってくるのが分かる。
気がついた時には、セインの体は宙を舞っていた。
受け身は取れたが、腹部に受けた衝撃のせいで嗚咽が止まらない。
その姿を見てジャックは思った。
──あ、やりすぎた。
と。
「ごめん、大丈夫かい? 立てる?」
かなり深く入った。最悪、肋骨が折れてもおかしくはない。
心配して手を差し伸べるも、セインは大丈夫だと言うように手を上げる。
少しして咳も治まり、上がっていた息を整えてセインはよろよろと立ち上がる。
「本当に大丈夫かい?」
「僕の事なら大丈夫。そんな事より、今のは? 僕は何をされたの?」
頑丈、というより痩せ我慢のようだ。顔色が良くない。
そんな状態で続けさせて、この後何があるかと思うと……
「まずはセナさんに体を診てもらいなよ。ボクもやりすぎた、ちゃんと教えるから今は……」
「大丈夫だから、本当に。怪我ならどうせまたするから。それよりももう一回相手してくれないかな。今のを、また見たいんだ」
「へぇ」
少なくとも、さっきまでに比べれば頭は冷えてる。
ように見える。
いくらかマシ、程度だが。今は真っ直ぐ、その目が此方を向いている。
さっきは、ほっとけなくて声をかけただけだった。
だが今は違う。
この目に、応えたくなっている自分がいる。
「分かった。来なよ、君の気が済むまで。全部叩き返してあげるよ」
その声は、いつもの、取り繕ったようなモノではなく、どこか弾んでいるように聞こえた。
──いつ以来だろう。誰かにこんなにも心を動かされたのは……!
*
それから、ただの一度もセインはジャックに木刀を当てることは出来ないでいた。
逆に何度も打ち当てられ、膝を地に付きながらも木刀を支えにして辛うじて立つセイン。
息も絶え絶えに、肩を上下させている。
対してジャックは、ふぅ……と大きく息を吐いたものの、疲れている様子はまるでない。むしろ余裕そうだ。
「終わりにしよう。そろそろ限界だ、色々とね」
空が茜に染まり出す。もう戻らねばならない時間だ。
それにもう彼自身、もたないだろう。
「じゃあ、もう一回、最後に……もう一回だけでいいから」
まだ立ち上がれたのか、と驚いた。
しかし、それだけだ。
立ち上がれた所で、今の彼では疲労と、怪我の痛みで、ろくに動けもしないだろう。
だが、セインの目だけは、まだ強い眼差しでこちらを見てきていた。
「分かった。一回だけだ。それで今日は終わり、いいね?」
それに見られていると、あとの一回ぐらいなら……とジャックも断れなかった。
彼は重たい頭を落とすかのように頷いた。
やはり止めさせたほうが良かったか。とは思いつつ、ジャックは構える。
力なくふらふらと構えるセイン。
構えてからも震えて剣先が定まらないようだったが、歯を食いしばって止めた。
見ているだけで不安になってくるが、真っ直ぐとこちらを捉えている気迫の籠った目。
何かが変わるかもしれない、そんな風に感じてしまう。
そして、セインは右足を一歩踏み出した。
……が、その直後。力尽きたように、頭から前に倒れそうになる。
流石にもうダメか。そう思った、その時。
倒れながらも、セインは踏み出していた右足の先を地に付けた。そして、跳ねさせるように勢いよく膝を伸ばし、左足で踏み込む。
前のめりにに迫ってくる彼は、驚くべき速さで距離を詰める。まるで地面の方が距離を縮めているように。
予想を超えるそれに、ジャックは反応が少し、遅れた。
回避した。いつも通りに。冷静に、素早く。
だが、一瞬反応が遅れた隙は大きかった。
セインの木刀は、ジャックの肩を掠めた。そしてそのまま、力尽きるように倒れた。
「当たっ……た?」
地に伏したまま、驚きで目を見開いていた。
「当てられた……というかは怪しいけど、オマケで、そう言うことにしておこうか」
本人が信じられていないらしい。喜ぶことさえ出来ないらしい。
「やるじゃないか。まさか、一日で……まあかする程度だけど。ボクも油断していた所はあったという前提があってだけど、オマケしてギリギリ、ボクに木刀を当てるなんてね」
褒めているような負け惜しみのような、どちらか分からない言葉に、セインは頭がこんがらがる。
「……いや、正直に言おう。凄いよ、キミは。その感覚を覚えておくんだ」
そう言った後、ジャックは手を差し伸べてきた。
「本当は、柄にもないことやる気はなかったんだけど、教えてみるのも悪くなさそうだ。ついてくるかい?」
「もちろん!」
セインは、力強く、その手を握り返した。
その後、みんなの待つ宿に戻ると、ボロボロになったセインの姿をセナに見られ二人まとめて酷く叱られたという。