第二十七話
「やけに人の通りが多いね。追跡されてるのかも」
街を出て街道沿いの木陰に身を隠すセイン達。ジャックが辺りを見回して警戒している。
「そうか、思ったよりも早い……いや、私達はかなりギリギリのタイミングだったのかもしれないな」
「となると、なるべく遠くへ行かねばならぬな」
深刻な顔でアレーナとルーアが話している所に、セインが声をかける。
「丁度いいんじゃない? 僕達、竜の渓谷って所行くんでしょ。そこなら追ってこれないんじゃ……って肝心の船がないんだね」
「え、竜の渓谷? って、竜達が住まう秘境の事かい?」
それがジャックの耳にも届いた。セインはまずいという顔をする。
「冗談、って訳じゃなさそうだけど。あそこは腕の立つ船乗りでさえ越えられない嵐が周りで吹き荒れてるって話だ。なんでわざわざそんな所に?」
「それは、私達には為し遂げなければいけない使命があるんだ。詳しくは話せない。だが、とても大切な事なんだ」
「もしかして、セインが勇士だからとか?」
「えっ、知ってるの?」
当然の事のように話すジャックに、一同が驚く。特にセインが。
「昨日出た赤い目の魔獣、勇士の伝承はお伽噺だと思ってたけど、実際に今この国で起きている事だ。信じないわけにもいかないだろう?」
「そこまで感づいているのなら、態々隠す必要もないな。そう、彼が……セインが勇士だ」
「一応、ね」
アレーナに紹介されて、なんとなく照れくさそうなセイン。
「勇士か。どんな大男かと思ってたけど……いや、キミの方が安心できていい。悪い事はしなさそうだしね。それで、船が要るって話だけど、ボクが力になれるかも」
「それは、本当か?」
「ここから結構離れてるけど、ユーミベノってもう一つの港街がある。こっちは異国の入港用だけど、向こうは漁師街だ。荒れた海を目指すなら寧ろ向いてる。王都はそっちの方が近いし、ここの領主と何かあったっていうなら、手を出しにくい所でもあるよ」
「それで、お主がどう役に立ってくれるのだ?」
ルーアは、訝しげにジャックを視界に納めながら問う。
「知り合いが居てね。その街では結構人望のある人だ。頼めば人手を貸して貰えると思う」
「それって、怪しい密漁船とかじゃあ、ないよな? 船に乗せる代わりに体で……とかなんとか言われたりしない?」
「セナ……君はどこでそんな事を覚えて……すまないジャック」
申し訳なさそうなアレーナに、ジャックは面白そうに肩を震わせる。
「安心してよ。カタギを紹介するからさ」
「お主が言うとあまりシャレにならんな」
女性陣から少し引かれる。
「だが、いいのか? ただでさえ私達は貴方を巻き込んでしまったというのに」
気を取り直して、アレーナはジャックに問う。
「それについては、どの道変わらなかったと思うけどね」
「それは、どういう?」
「こっちの話さ。気にしないで」
不思議に思ってアレーナが聞き返すが、ジャックは軽くはぐらかした。
「で、どうする?」
アレーナは、確認を取るように皆に視線を送る。皆、強く頷いて返してきた。
「その話、乗らせて貰う」
「決まりだね。じゃあ善は急げだ。と言っても、身を隠しながらだと時間がかかるな……せめてこの領地さえ抜けられれば、手出しは簡単に出来ない筈だけど」
「馬車を使えればよいが、冒険者の乗り降りの記録は確認されてしまいそうじゃ……」
街道を通る馬車を見るルーア。どれもこれもが『お高い』モノで、平民が使うようなものではなさそうだ。
「アレに乗るには、ワシらは目立ちすぎる」
「アレーナなら大丈夫じゃないのか?」
「それではわざわざ隠れて出てきた意味がないだろう……それにどの道私の格好では……」
普段着の上に、胸当てや籠手といった最低限の防具だけ付けた状態のアレーナ。上流階級のオーラは微塵も感じられない。
「……あっ、格好って事ならあれを使えばいいんじゃない?」
セインがアレーナを見ながら言う。当の本人はなんの事か分かっていないらしい。
それには構わず、ジャックに声をかける。
「ねえジャック。君は、盗賊なんだよね」
「えっ? まあ、一応」
「ちょっと頼まれてくれないかな」
*
「リトナノまで馬車を一台だして……ください。御者は専属が、おります。ので、四人乗れる物を。お嬢様はお急ぎなので出来るだけお速い馬がよろしい……です!」
馬車の待ち合い所で強ばった様子で受付に話しかける、メイド服を来た黒髪の少女……少女?
その後ろ黒のドレスで着飾った金髪の女性、そして二人のメイドが肩を震わせながら背を向けている。
必要な手続きを取るその少女? は顔を真っ赤にさせながら耐えるように奥歯を噛み締めていた。
「無事馬車を確保できて良かった。流石に領地を離れてしまえば、そう簡単にはこちらに手出し出来ないはずだ。お疲れ様、お嬢さん」
御者台からジャックが声をかけてくる。だが、黒髪の少女? はむっつりとしたまま、返事はない。
すると、隣に座る水色の髪をしたメイドが肩に手を置いた。少し、茶化すような笑みで。
「怒るなよー。お前が言い出した事だろ? セ・イ・ン」
「そうだけど! 僕までこの格好しなくてもいいんじゃない?!」
「向こうには、君達のパーティーが女性三人、男一人だって割れてると思うよ? それなら、一部だけ変えちゃった方が、寧ろバレにくいってもんさ」
とはジャックの弁。彼は割と本気で言ってそうなので、怒るに怒れない。
「まあそれに、そんなに恥ずかしがらないで。似合ってると思うよ。それ」
悪意無しに話してくるのでタチが悪い。
「その通りじゃ。そのままでも良いのではないか?」
「ルーア。それにセナも、セインは頑張ってくれたのだから、そういった態度は失礼だぞ。親しい間でもな」
「アレーナ……」
それまで俯いていた顔を正面に持ち上げ、少し表情に光が灯り出したセイン。
「セイン、気にする必要はない。君は凄い。見違えたぞ、本当に女の子のようで、とても可愛らしい。自信を持って……あれ、どうして落ち込むんだ? セイン? 私は何か不味いことを言ってしまったか」
「まあ、トドメだな」
あまりにも無自覚なアレーナに、それまで茶化していたセナも、少しセインに同情した。
「しかし、まさか叔父に会う時のために仕立てたドレスをこんな風に使うことになるとはな」
「ダメ、だったかな」
恐る恐る尋ねるセイン。
「いや、そんな事はない。寧ろ使いどころがあって良かった」
「にしたって驚いたよ。盗賊ってのは冒険者の役職で、本当に泥棒出来るとは思わなかったんだけど……あんた随分あっさりこの服くすねてきたな」
「失礼な。ちゃんとお金は置いてきたよ」
「アレーナのはともかく、あたしら着てるコレ誰かの名札付いてたけど、ちゃんとくださいって聞いてきた?」
セナの問いかけにそれ以上ジャックは答えなかった。
「それにしても、身分を偽り、欺く、純真な田舎坊やのセインがそんな悪知恵を働かせるとはな。成長と喜ぶべきか、擦れてしまったと悲しむべきか」
「悪いこと……だった?」
「む、そう言われるとじゃな……うむ。人を騙す、嘘を吐くという事は良いことではない」
ルーアは言葉を選ぶように、考えながら話を続ける。
「しかしだな。悪い事だからと、否定されることではない。今のワシらにとって、それが最善、のはずじゃ」
「悪いことが最善?」
「事の善し悪しなど、所詮はモノの見方で変わると言うことじゃ。逆だってあり得る。まあワシは悪魔なので、自分にとって都合の良いことが、何よりの"善"だ」
「ルーア、セインをお前側に引き込もうとしないでくれ」
「悪魔が人を誘惑するのは当然であろう?」
とアレーナにルーアは軽口を叩く。しかしそんな事、セインはもう意識の外だった。
「セイン?」
不思議に思ったセナが声をかけても、上の空……。彼の視線は何処でもない遠くを見つめ、自分の中に閉じ籠っているようだ。
「僕には、難しいな……」
無意識に吐き出されたその言葉は、馬車の走る音が掻き消した。
少しして、セナは御者台への窓から顔を出し、ジャックに声をかける。
「なあジャック、リトナノまでどれくらいかかる?」
「この分だと日暮れには着くと思うよ」
「そっか……じゃあ、ちょっとあたしら四人で話しておきたいことあるんだけど、いいか?」
「分かった 。じゃあ一旦休憩にしよう。そろそろ、馬を休ませてあげないとだしね」
「悪いな」
馬車を止め、ジャックは馬に餌を与え始める。
「どうしたんだ、セナ」
「いやさ、どたばたしちゃって余裕無かったから……気になってたんだ。アレーナ、大丈夫かなって」
「私が?」
「だってさ、お兄さんが……その……」
「ああ、そうか。そういう事、か」
寂しそうで、だが何か悩んでいるような、そんな複雑な表情になる。
「……分からないんだ」
「分からない、って?」
「ほとんど顔を合わせたことがなくて。兄上は、ずっと公務で国の各地を回っていたから。城に上がった頃……本当に幼い頃しか会った覚えがなくて、だから……」
「どんな風に受け止めたらいいのか、分からないんだね」
セインの言葉に、アレーナはそっと頷く。
「ただ、一つだけ……後悔は、ある」
自分の胸に手を当てて、気持ちを言葉に表そうと話すアレーナ。それに皆が真剣に耳を傾けている。
「もし、死んでしまっているのだとしたら……私はもう、兄上と分かり合うことが出来ないままだ。それは、寂しいことだ。だから……」
見上げたその目には、強い意志を感じさせる光が宿っている。
「私は兄上が生きていると信じたい。きっとどこかで、必ず会えると。だから、今は前に進むよ。立ち止まってはいられない」
「……そっか、余計な気を回しちゃったかな、あたし」
「いや、向き合えたのは君が聞いてくれたからだ。ありがとう」
照れるセナを、良かったねと言いたげにセインが肘でつついた。
それから間もなく、コンコンコンと、戸を叩く音。
「そろそろ出発しようと思うけど、大丈夫かい?」
「ああ、頼む。待たせてすまないな」
「いやいいさ、気にしないで」
高く昇っていた日も沈みだし、空が茜色に染まった頃。セイン達はリトナノに辿り着いた。
「さてと、一息つけそうな所で悪いんだけど、一つ提案」
とジャックが声をかける。
「ユーミベノまではあと街を二つ挟む。それもここから先は険しいルートで、馬車は使えない。というのは話したよね」
一同頷く。
「とはいえ、時間の掛かるルートじゃない。具体的に言うと、夜通し歩けば着くはず……というので本題なんだけど」
「えっ、これから進むってこと?!」
セナが声をあげると、申し訳なさそうに頷く。
「ここはゴルドの領地じゃない。だからゴルドが私兵を送り込むのは容易じゃないのは確かだ。何か事を起こせば、領地間の争いになりかねないからね。ただ……」
「そうでない者ならば、問題ないということじゃな」
ジャックの言葉を継いだのはルーア。彼も同意するように頷いた。
「どういう事?」
「簡単な話だ。無関係な人間を金で雇えばいい」
そう言った後、ルーアはセインの肩に手をかけて、彼の耳元まで背伸びする。そしてジャックに聞かれぬように小さな声で囁く。
「以前アレーナを狙ってきた連中が居ただろう。それと同じようにな」
セインの目付きが変わる。忘れはしない、あの時の出来事は。
「分かってくれたみたいだね。そういうことだから、今からサラーニサキの街までの道のり分の準備だけしてすぐに出発しようと思う。休む時間もなくて申し訳ないけど」
「あたしは大丈夫だけど……」
セナはちらりとアレーナに目を向けた。
その視線が何を案じているのかは、すぐに察しがついたらしい。
「ジャックの言い分に異論はない……それに、私の事なら大丈夫だ」
胸を張るアレーナに、事情を知らないジャックを除き、みんながただ視線を向けてくる。
「移動中明かりは点けられないと思うぞ」
セナ。
「何時ものように焚き火の前で夜を明かすとか出来ぬが」
ルーア。
「それでも本当に大丈夫?」
セイン。三人による。息の合った質問攻め。
「……はい、多分。最低限、月明かりでもあれば……真っ暗でなければ、大丈夫……です」
少し自信を失ったようだが、まだなんとか決意は変わらないらしい。
「えっと、それじゃあこの案でいくって事で、いいね?」
アレーナは控えめに頷いた。
「集合はここで。時間はあまりないけど日が暮れるまで。一晩分の食料だけそれぞれで用意して貰った方がいいかな。でもその前に……」
ジャックは改めて四人を見回す。
「まずは着替えてこよっか」
「……あっ」
最初は何の事かと首を傾げていたが、セインはふと自分の体を見下ろし、自分の下半身を覆うヒラヒラとしたモノに気づいて、軽くつまみ上げる。
「意外と、慣れちゃうものなのかな」
そんな彼を見ながら、ジャックは興味深そうに頷いていた。