第二十四話
アレーナは憂鬱だった。
昨日、領主である伯父の邸宅まで向かった時の事。
ただ書状を渡すだけだった。それだけだというのに、門番の反応は良くなかった。
態度に表すような事はしなかったが、邪険に扱われているというのが肌がひりひりとするほどに感じた。
正直、その程度の事ならアレーナは慣れていたし、覚悟もしていた。ただ……
……みんなの役にたちたいと、ここまで来たはずなのに。門前払いが関の山、か。情けないな。
仲間達の力になる事もできない。そんな自分に、何の価値があるのだろう……
窓から覗く日の出を見つめながら、アレーナはため息。
「まったく、お主は朝から辛気臭い顔しおって。いつもいつも、よくまあ悩みの種が尽きないものだな」
その声を聞いて、両腕を組んで大きくため息。
「随分な反応だな。傷つくぞ」
「どの口がいう」
なぜ同室にしてしまったのか。この時ほど自分を恨むこともないだろう。
もはや消去法でこうなるしかないので仕方がないが、次からは個室で部屋を取ることさえ検討できる。
「お前は一々人を茶化さないと生きていけないのか」
「そりゃあまあ、悪魔だからなあ。そこに関しては性というものだ」
一切悪びれる様子もないのが逆に清々しい。
そんな彼女が、ベッドであぐらをかきながら、こちらを見つめてくる。
「それはそれとして、だ。お主は一人で抱え込む悪い癖がある。……仲間ではないか、我々は仲間ではないか。どんな事も許容し受け入れるものだろう。相談にだって乗ろう。うむ、だからだな……」
ルーアは少しこちらに向けて手を伸ばすと、指先が空で何かに触れたのか、ピリッと火花のようなものが散り煙を噴く。
「昨日一人残して盛大に遊んだことは謝るので、この結界を解いて欲しい」
彼女の座るベッド、その周囲を囲うようにいくつも描かれた結界の陣。セナが作ったものだ。
それによって、ルーアはベッドから動けないでいた。
「……確かに羨ましかったし、少し怒ったのは本当だ。が、自分から引きこもったのだ。そこは仕方のない話だ。その結界はそういうつもりではないんだよ」
「そうなのか? では何故。他に閉じ込められるような事など、心当たりは………………ない」
「即答しない程度には良心はあるようだな。夜に同室で寝るのは身の危険を感じるんだ。寝相が悪いのかわざとかは知らないがな」
何の事やらと知らぬ風を装い口笛を吹くルーア。
そんな彼女を冷めた目で流し、アレーナは着替えを手にして脱衣場へ向かった。
「というか、君はそのくらいの結界は解けるんじゃないのか」
そして、着替えて戻ってきた所で、ルーアに問いかける。
「まあ、出来るが。これは仮にも水の聖霊から加護を受けた結界だぞ? ワシとて解くにはそれなりに時間がかかる。具体的にいうと夕方くらいまでは」
「そうか、考えてみれば確かに。分かった、ならセナを呼んでこよう」
話を聞いて納得したアレーナは、セナを呼んでくるべく部屋を出る。
それから少しして……
「いや無理だよ」
「「えっ?」」
部屋に連れてこられて開口一番、セナは何の気もなしに告げる。
「いや無理ってどういう事じゃ! お主が作った結界じゃろうが」
慌てて聞き返すルーアに、困った様子で腕を組む。
「いやまあ作るのはできるよ? なんとなーくこうかなーってやればね」
「えっ、そんな適当な感じで魔法を使っていたのか?!」
「適当って……いや、なんていうかさ、こう……バーンってイメージしたらその通りバーンってなる感じっていうかさ」
目を見開いて心底驚いている様子のアレーナに、当たり前の事のように語るセナ。
「そうか……私は魔法には疎いから、知らなかったが、魔法ってそうやって使うのか」
「大まかには合っているが、セナの場合は事情が少し特殊だな。まあ今はそれは置いておいてだ。それなら同じ要領で解除くらい出来るものではないか?」
「いや、あたしさ、使い切りっていうか、使った後の事は知らないから……」
力が抜けたように頭をもたれさせるルーア。そして、恨む様に睨みつけられ、アレーナは思わず気まずさで顔を逸らす。
「すまないとは思ってる」
「まあ、多分時間が経てば消えるよ」
それだけ聞いて、諦めたように頭を掻く。
「それは良かった。ワシが解除するのとどっちが早いかな」
「いやうん……なんかごめん」
「気にするな。暇つぶしならあるからな」
拗ねた様子でシッシと手を払う。
暫く機嫌は治らないだろうと判断した二人は、申し訳なさそうに部屋を後にする。
*
「悪い事しちゃったなあ」
街を歩きながらセナは呟く。
「セナ、私が頼んだんだ。君が気に病むことじゃない。その……軽率な事を頼んだと思う。帰ってから、改めて謝ろうと思う」
「いや、実行犯はあたしだし……」
「二人とも、ずっとそれやる気?」
うんざりした様子で、後ろから付いてきていたセインが言葉を掛ける。
「あっ、ごめん」
「すまない、どうしても気になってしまって」
二人が振り返ると、ジトーっと半目で見つめるセインの姿。
「今度は僕で続ける気?」
セナとアレーナが口を開きかけた所を、両手を広げて制止する。
「ほらまた、やめようよ。ルーアだったら時間が経てば頭も冷えてるだろうし、何か買って帰れば機嫌直してくれるよ」
「どうしてそんな事が分かるんだ? 君は」
アレーナの問いかけに、空を向いて考える。
「まあ、僕の中に入ってた事あるしね。二人よりは、詳しいと思うよ」
二人は驚いた様子で目を見開いて、互いの顔を見合わせる。
そして今度はセインの方が睨まれて、アレーナは庇うようにセナを背後に回すと、振り返って彼を一人置いて歩き出す。
それで自分がマズい事を言ったらしいと気付いて、慌てて追いかける。
「ちょっと待ってよ二人とも! 冗談だから、ねえってば!」
*
両手に持った荷物を下ろし、ベンチに腰掛けたセインは、大きく息を吐く。
正面に広がる海を眺めた後、そこから吹く風を浴びて、気持ちよさそうに目を閉じた。
アレーナとセナの二人は、買い物の荷物持ちを任せる事でセインを許した。
なんとなく、口実だったのだろうなという気はするが、まあ、無視されなくなっただけいいかと自分を納得させる。
当の二人は、近くに見つけた屋台を眺めにいっていた。セインはその隙をみて休憩中だ。
「また妙な所でよく会うね、君とは」
隣に誰かが腰掛ける。それは、最近よく聴く男の声。
「女の子だったら運命だけど、そうじゃないのが残念だ」
「あ、昨日のおじ……」
「お兄さんね、多分君とそんなに歳変わらないから」
「顔が見えないんだから、そんなの分かんないよ。誰かに言われた事ない?」
首を振って返すその男に、疑わしそうに彼を見ながら。
「もしかして、友達居ないの?」
「仕事柄、隠密行動に適した格好しているだけだよ」
冒険中ならともかく、街中ではかえって目立つだろうと思ったが、黙っておいてあげることにした。
「それで、お兄さん。どうしてここに一人で?」
「ここの灯台、街を一望できるだろう。ちょっと街並みを拝見したくてね。……言っておくけど、友達が居ない訳じゃないからね?」
セインは「そんな事言ってないよ」と誤魔化すように顔を逸らす。
「そういえば、昨日はいつの間にか居なくなってたけど、どうしたの?」
「ああ、用事があってね。そういえば、大騒ぎになっていたよね。お陰で助かったよ」
意図が分からず、首を傾げるも、「こっちの話だ」と彼は流す。
そして何かに気づいたように背後を振り返ると、彼は立ち上がってベンチを跨ぐ。
「じゃ、そろそろ僕は行くよ。お仲間と、ごゆっくり」
含みを感じる言い方で残し、彼はいずこかへ去っていく。
それと入れ違うように、二人も戻ってきて、不思議そうに遠のく彼とセインの間に目を行き来させていた。
「セイン、今すれ違った人誰? 仲良さそうだったけど、知り合いか?」
「セナ、今のは仲良さそうだったのか?」
問いかけられて、そういえば、と改めて彼の背中を追うセイン。
「そういえば、名前聞いてなかった」
それを聞いて驚く二人を余所に、なんとなく、また会えるだろうと思いながら、向き直って海へと視線を戻した。
「それよりさ、二人も座りなよ。いい風、吹いてるよ」
二人はまだ不思議がっている様子ではあったが、立っているままでもしょうがなかったので、彼の両脇に挟むように座る。
「どう?」
「あー、うん。確かに、気持ちいいかも」
セナは風を浴びながら、大きく伸びをする。
「でしょ。……それに、昨日初めて見た時思ったんだ。なんていうか、気持ちが、柔らかくなっていくのがさ」
海をまっすぐ見つめながら語るセインにつられ、アレーナも視線を移す。
……こうして腰を落ち着けて海を見るのはいつぶりだろうか。長いことなかった気がする。
確かに穏やかな青空と、そこから注がれる光を反射して、宝石を散りばめたように輝く海の姿は、見ていて心が安らぐ。
「少しは、気持ちも晴れた?」
「暗い顔、してたからさ。僕じゃ多分、他に出来ることなんてないから」
思わず、自分の顔に手を当てる。
二人の前では、出さないようにしよう。そう思っていたのに、そんなに分かりやすかっただろうか……などと考えてしまう。
「気を遣わせてしまったな……」
すまない、そう言いかけた所で、セインに止められる。
「そういうの、アレーナの悪いところだよ。『ありがとう』って、言って欲しいかな。嫌じゃなければ、だけど」
「……そうだな。ありがとう、セイン」
微笑みと共に送られたその言葉に、セインも満足げに笑う。
すると、右肩に何かがストンと下ろされる。見れば、セナの頭が肩に預けられている。
「どうしたの」
「別に、なんでもない」
長い付き合いなのだから、見ればそれは嘘だと分かる。
だが、これ以上詮索しても機嫌を損ねるだけというのも、よく分かる。
だから今はとりあえず、彼女に肩を貸しておく事にした。
*
沈み行く夕日を背に坂を登る三人。
「すっかり暗くなっちゃったね」
「ああ、早く帰ってやらないと、ルーアにこれ以上機嫌を悪くされると困る」
談笑するセインとアレーナを、セナはなんとなく、少し後ろから追いかけるように付いて行っている。
その視線に気が付いたのか、彼はフラッと顔を向けてくる。
「セナ、少し遅くない? どうしたの」
「……並んだら邪魔かなと思って」
「ここの道広いから、大丈夫じゃない?」
「いや、そうじゃなくて」
セナの言いたいことがいまいち分からず首を傾げる。
心配で様子をみようと振り返ったその時……
背筋に身の毛がよだつようなヒリヒリとした感覚。
決していい感覚ではない。これまで、何度も感じた事がある。その正体はつい最近まで分からなかったが……今なら分かる。
「セナ、アレーナ。すぐに戻ろう」
それまで穏やかだった彼の表情が、突如として険しいものに変わり、困惑する二人。
しかし、説明するほど余裕もないセインは、二人の手を引いて走り出す。