第二十話
夜、セインとアレーナは二人で火の番をしながら、見張りをしていた。
「今夜は冷えるな」
「そうだね。僕達は火を焚けるからまだいいけどね」
魔獣は、その殆どが夜行性。中でも知能の高い魔獣は、火も恐れずに、むしろそこに人が居ることを察して近づいてくる。……が、そういった魔獣は魔力量の多い者には近づかない。
見た目はともかく、悪魔であるルーアが居るため、野生の魔獣はまず襲っては来ない。
とはいえ、全く危険が無いわけではないので、セナ以外の三人で交代をして見張りを行っていた。
「セナ、不満そうだったね」
「責任感が強いんだな。だが、せめて彼女にはしっかり休んでもらわないと。私達はセナに頼りきりだからな」
「もう少し、僕らの事頼って欲しいけど……でも、セナにとっては、僕はまだ子供なのかな」
寂しげにセインは膝を抱える。
「確か、セナがずっと、キミの事、育ててきたんだったな」
アレーナの一言に身を震わせたセイン。
不思議に思いはしたものの、すぐに理由は分かった。
「私が悪いのは認めるが、君達も気にしすぎだ。あまり度が過ぎると私も怒るぞ」
「えっ……ああ、ごめん」
初めて見た気がした、彼女の不満げな顔に戸惑っていると、企みが上手くいった様子で笑みを浮かべる。
「悪いと思うなら、教えてくれ。君達の話」
「そんなに面白い話でも、ないと思うけど」
「それは私が決めるさ。知りたいんだ、もっと、みんなの事を」
そう言うことならと、一度深く息を吐いてセインは気持ちを切り替える。
「小さい頃、気がついたら、僕は何処とも分からない場所に一人で居たんだ。それよりも前の事は、何も覚えてなかった。それに、よく分からないけど体中が痛くって」
「怖かった、だろうな。それは」
「まあね。それから当てもなく歩いてたら、いつの間にか、里に辿り着いてた」
セインは顔を上げて、懐かしむように遠くを見つめた。
「僕の事見つけて、みんな驚いてたなあ」
「永いこと人とは距離を置いていた訳だからな。珍しかったんだろう」
アレーナの言葉にセインは頷く。
「今思うとね。それに、困ってたと思う。どうしたらいいんだろうって。みんな見てくるだけて、ひそひそと何か話してて僕は、それが一番怖かったと思う」
そこまで話して、彼女が悪い事を聞いてしまったか、とそわそわしている事に気が付いたので、「気にしないで」と一言伝える。
「そんな時に、里の外から戻ってきたセナが、僕を見つけてくれて、一番最初に寄り添ってくれた。その後は、傷を治してくれたり、ご飯くれたり……」
「それが君達の出会いか」
「気が付けばずっと一緒に居るようになって、生きるために必要な事は、セナから……それだけじゃない、里のみんなから、教えてもらったんだ」
「血の繋がりなど関係なく、君達は全員で一つの家族、なんだな」
「うん。みんなのお陰で、今の僕がある。もちろんセナは、特に大切な人。あの里での暮らしは楽しかったよ……」
そこまで語って、セインは上げていた視線を落とし、顔に影がかかる。
パチパチと焚火の燃える音だけが辺りに響く。
急に口を閉ざしたのが気になり、顔を覗き込むと、彼はそれに気づき、少しだけ笑みを浮かべてみせる。
それから少しだけ間を置いて、火を見つめながらふと、口を開く。
「実を言うとね。みんなには感謝してるけど、それでも……自分は、この世界で一人なんじゃないかって、思ったりもしたんだ。多分、心のどこかで馴染めなかったんだと思う」
彼のこぼした意外な言葉に、アレーナは息を飲んだ。
そんな悩みを漏らすなんて、思いもしなかったから、少しショックを受けた。
目に見えて分かるほど、顔に出ていたのだろう。彼もマズい事を言ったというのが顔に出ていた。
「あ、ごめん。こんなの、人に話すような事じゃ無かったよね」
「待って……」
と話を切り上げようとしたのを、アレーナは思わず止めた。
……きっと、ずっと押し込めてきた思いなんだ。
悩みなんて、彼には無いのだと思っていた。いや、そう思うことで彼を遠ざけていたのかもしれない。
少なくとも、前の自分はそうだった。いずれくる別れが怖くて、深く関わろうとしなかったから。
でも自分に、その内に秘めていた想いを伝えようとしてくれた。
それを、ここで聞かなかったら、彼の心が離れてしまいそうな気がした。
今は何よりもそれが、怖くなっていた。
「アレーナ?」
「聞かせて欲しい。セインの、本当の想いを」
彼女の目は真剣だった。
言うべきなのか悩んだ。でも、彼女の目を見て、打ち明けると決めた。
「ずっと一人だと思ってた。みんな、初めて会ったその日から、何も変わらなくて……でも、その中で、僕だけが変わっていた。いつの間にかセナの背丈も追い越してて。なんだか、自分の中で何かがズレていくような気がしたんだ」
それは、人が人であるために、人為らざる者達と共に生きると生まれる隔たり。
生まれながらの感覚の違いは、必ずある。
寿命が違い、成長の速度が違う。
彼らにとっては、セインはどう映ったのだろうか?
拾ったばかりの子供のままか、それとも、急激に大人になろうとしている彼に、戸惑う事しか出来なかっただろうか。
多分、どちらも。
長い年月を生きる彼らには、あまりに一瞬の出来事だっただろう。
だからこそ、セインは成長する自分と、周りから見る自分に隔たりを感じ、それが、孤独を生み出した。
「それは、誰かに話したことは?」
「……ないよ。話せるような事じゃなかった。それに多分、分かってもらえない」
「そうか。そう、だな」
だからこそ彼は、きっとより孤独を深めてしまったんだ。
「……だからさ、アレーナ。君と出会えた時思った。僕は一人じゃなかったんだって」
そう告げられて、アレーナは心臓が跳ね上がった。
そんな場合でないのは分かっているが、それでも何故かどうしても気持ちが昂ってしまう。
「君のお陰で外の世界に出る決心がついた。まあ、あまりいい始まりじゃなかったけど……でも、旅そのものは楽しかったよ」
「そうか、それなら、よかった」
友情。そうだ友情だ。そう自分に言い聞かせて気を落ち着かせる。お互い、まだ深くは知りあってもいないのだから。
「どうしたの?」
無言で何か考え始めたアレーナに問いかけるセイン。
「ああ、いや……私も、同じではないが、似たような経験がある。この髪や、瞳の色。周りと違うせいで、誰からも受け入れられなくて、そんな風に……でも、その話を聞いた後だと、自分の悩みなんて、小さいものだなって」
「そうかな」
自嘲気味の彼女に対して、そんなことは無いと、真剣な表情で首を横に振る。
「同じ人間に受け入れてもらえないって、僕じゃ、分かってあげられないけど。でもきっと、辛かったよね」
同情などではなく、真剣に理解しようとしている。それは、見れば分かった。
頬を、雫が流れ落ちていくのが分かった。
「あっ、すまない。あれ……なんだろうな。はは、そんな事言われたの、初めてだから:
拭っても、また流れていく。それでも、悲しい訳じゃない。それが余計に自分を戸惑わせる。
「ありがとう。私も君に会えて、良かったと思う」
精いっぱい笑顔を浮かべて、ありのまま気持ちを伝える。
セインも、それに優しく笑みを浮かべて返した。そして、少し照れくさそうに頬を掻きながら、
「こんな事いうのも、あれだけど。僕は、その碧い瞳も、金色の髪も、すごく、綺麗だと思うよ」
「えっ! あ、そう……か? あの。どうも……」
今度は頬がじんわりと熱を帯びていく。顔の筋肉だけでは緩んでいく口を止められず、両手で押さえて顔を逸らす。
「どうかした?」
「いやっ、なんでも、なんでもないから!」
戸惑うセインに、近づかないように手で遮り、もう片方の手で、気になり出した髪を整えようとする。
……と、なんとも背中がむずがゆくなりそうなその空間の横で。
「あー、出にくい。いっそこのまま寝てしまおうか」
交代の時間で待機していたルーアは、気まずそうに息を潜ませるのだった。
*
それから少し経って、アレーナはルーアと交代した。
ビュン……ビュン……と空を裂く音。セインが剣を振るう音。
「なんだ、今夜はやけに気合が入っているな。何かいいことでもあったか?」
全部分かってると言わんばかりに、からかう口調でルーアが話かける。
しかし、セインの動きは正確さを失わない。至って冷静に、剣を振るっていた。
それはそれで面白くなかったが、しかし、彼の成長とも取れるので、諦めた。
「しかしまあ、よくこの短い間に上達したものだな」
「毎日……しごかれたから……ねっ!」
素振りを終え、一息つくセインに、ルーアはタオルと水を渡す。
熱した体を冷やそうと、上着を脱いで肌を風に晒す。
「ふむ、体つきも随分とよくなった。本当、見違えるよ」
体を眺めて感心している彼女に、セインは真剣な眼差しを向ける。
「ねえ、ルーアは、邪悪なる者と戦ったんだよね。……僕は、勝てるかな」
ルーアは目を閉じて黙り込む。そして少しの間考えていたようで、彼女の至った結論は。
「今のままでは、無理だろうな」
不思議と落ち込みはしなかった。なんとなく、その答えが分かっていた気がするからだ。
むしろ、誤魔化さずに答えてくれたことに安堵している。
「かつての勇士は、ワシが出会った時点で既に戦いにおいて無類の強さがあった。元々の才能もあるだろうが、それ以前に、長い年月鍛えたからこその強さだ。仕方がないとはいえ、積み重ねの差は、間違いなく影響する」
「でも、僕がそれに迫るためには、時間が、ないんでしょ?」
「恐らくはな」
困り果てた様子で、ただ、ため息を吐く。
「ああ、まったく、せめてセインが成人するくらいまで待ってくれればいいものを……と嘆いても仕方がないな。そうだな、必要なのは、今のセインでどうやったら勝てるか、だな」
「やっぱり、アレ?」
二人の視線は、土小屋に立てかけてある勇士の剣に向けられた。
「だろうな。本来内包していた魔力は、時の経過ですっかりなくなっている。アレになんとか魔力を注げればな」
足りない魔力の代わりに、セインの体力を変換して力を発揮することは出来る。だが、それでは短時間しか持たない。
今の実力で、短期決戦を挑めるかといえば、無理だろう。
だが、逆にいえばそれさえなんとかなれば、恐らくは、セインの持つ憑依の力と合わせて、邪悪なる者と戦う事は可能かもしれない。とルーアは考えている。
アレは限界状態から更に活動が出来るようになる切札。セインが、自分が、体力の限界状態まで陥ろうとも、憑依を用いれば恐らく更に戦う事が出来るようになる代物。
「まあ、考えておこう」
しかしそれは、自分は勿論、彼自身に大きな負担を強いる。せめて剣が十全な力を発揮し、邪悪なる者を追い詰められなければ意味がない。
伝えるには、今はまだ早い……
「ねえルーア。もう一つだけ、聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「赤い目の魔獣って、どうやって生まれるの」
「魔獣はそもそも、大地から魔力を補充する生き物だ。だが知っているだろう? 邪悪なる者の魔力が、地脈に流れ出しているのを。つまり、魔力を補給する段階で、体内に取り込んでしまうんだよ、奴をな。奴の力によって狂暴性が増幅し、更には力も増す。ある意味では、奴の分身と化してしまうのだ」
そこまで聞いてセインは、ルーアから視線を外し、俯く。
「ねえ、赤い目の魔獣になったら、もう、元には戻らないの?」
「そんな事を聞いてどうする。今更同情するつもりか? いや、そのつもりならむしろ殺してやれ。意思もなく、理性も失い、ただ暴れるだけのケダモノに成り下がるくらいなら、その方が奴らにとっても救いだろう」
「……そう」
それだけ聞いて、セインは再び剣を振り出す。
その質問に、何の意図があったのかは分からない。ただ気の迷いがあったのかもしれない。
そうだとしたなら、やはり、躊躇いは無くすべきだろう。アレは救えない。それが紛れもない事実なのだから。
だが、そうじゃないとしたら?
「セイン、お主は……」
何を知っている? その一言が言いだせなかった。
聞いてしまったら、戻れない……そんな気がしたから。
ただ、空を裂く音だけが、辺りに響く……