第十九話
大分日も傾き、もうそろそろ赤く染まろうかという頃。
旅立ってから半日、というぐらいだろうか。
「そろそろ日も落ちるな。今日はこの辺りで野営しよう」
アレーナの声かけに皆が応じ、準備を始める。
「ふむ、それならば……お主ら、少しの間、ワシの後ろに居ろよ」
ルーアが両腕を大きく広げると、彼女の前方の大地が大きく動く。
大きな半球状に砂が固まり、その中に空洞が出来ていく。
「まあ、こんなところか。一晩雨風を凌ぐには充分だろう」
「わあ凄い! ルーア、中入ってみていい?」
目を輝かせて問いかけるセイン。ルーアは少し体を後ろに引きながら、呆れた様子で答える。
「セイン、お主の歳が時々わからなくなるよ。まあ、中へは自由に入れ、その為に作ったのだからな」
「やった! 行こうセナ」
「えっ、まだ焚き火の準備が……あ、ちょっと! 引っ張るなよ服が伸びるだろ!」
セナを引き連れて簡易の小屋へと向かう彼の姿を見送るルーアとアレーナ。
「まあなんというか、良くも悪くも純真じゃな。まあ育った場所も場所だ。人の穢れとは無縁なのだろうが」
「……そうだな」
低く返すアレーナが気になり、振り返るルーア。
表情に影の見える彼女を見て、「どうかしたか?」と声をかける。
それは彼女にとって、思いもよらない事だったようで、真ん丸と目を見開いてルーアに視線を向ける。
「おい、その反応は流石に失礼だぞ」
「あ、すまない。君が声をかけてくれるとは、思いもしなかったものだから」
ムスッと不満げなルーアに謝る。しかし、そのすぐ後にそれも仕方ないとため息をついてきた。
「ワシも、人に深入りするつもりは無かったからな。今もただ、気まぐれかもしれん。話すなら、今の内だぞ?」
「そうか。なら、珍しいものにあやかっておこうか」
納得はいかなそうだったが、それも笑って流した。
「思うんだよ。彼をこの世界に連れてきてしまって、良かったのかな、と」
と、はしゃぐセインを遠い目で見つめて語る。
「仕方のない事とはいえ、平穏なあの里で暮らしていた方が、幸せだったんじゃなかったかなと」
「一人だったら寂しい癖に、どうしてそういう事を気にしてしまうのか」
「いや、それは話が別というか……」
自覚はあるのか、強くは否定してこないアレーナ。
しかし、言いたいことも分かる。
彼と出会い、今日までの旅で幾つもの死線を乗り越えてきた。その中で、自らの命さえもなげうつような戦い方を覚えてしまうほどに。
誉められた話ではない。しかし、彼には実力を付けるほどの時間もなく、その癖出会う敵は常にセインの、いやこのパーティーの実力を大きく上回る強敵ばかりとくる。
そうでもしないと生き残れない……正直、誰も彼もが背負う使命と実力がみあわない。
いつ消えてもおかしくない蝋燭の灯火のようなパーティー。
それなら、里で穏やかに生きていた方が良かったのでは、と思う気持ちはなくもない。
ただ、周りが心配するのは勝手だが、それは結局……
「本人に聞くのが手っ取り早いだろう。おーい、セイン!」
小屋を見終えたのか、セナと火を起こし始めていたセインに、ルーアが呼びかける。
「ええっ! 待て、それじゃルーアに相談した意味が……」
「相談とは、解決をしたくてするものだろう。端的に解決策を示してるではないか」
「いやそれは……」
たしかにその通りかもしれないが、強引が過ぎる。相談相手を間違えた……と、激しく後悔するアレーナだった。
しかし後悔してもすでに遅い。ルーアが呼び寄せたセインはもう目の前に来ている。
「セイン、一つ聞くが、お主は旅に出て良かったと思うか?」
こちらの心の準備もままならない内に、すかさず問いかけたルーア。
セインは、不思議そうに首を傾げ、「どうして?」と聞き返す。
「何、お主も里を出てもう大分経っただろう。里を出て良かったのか、気になっただけだよ」
「そういう事なら、良かったと思うよ」
迷いもなく、ただ自然に、平然と言ってのける。
「何故だ? 辛い事だって、沢山あっただろう?」
アレーナは、面食らいながらも、真意が気になり問う。すると、「確かにそうだけど」と前置きして、
「里に居たままじゃ、観られなかった世界を観られた。色んな人に会えたし……辛い事なんて、気にならないくらい、凄くワクワクしたんだ。もっと知りたいって思える。だから、良かったと思うよ」
「そうか、それなら、良かった」
曇りのない笑顔でそう告げるセインに、アレーナは胸の中にあった重しが、軽くなったように感じた。
「なあセイン、火を起こすの手伝ってくれよー! もう日が落ちちゃうぞ」
「分かった、今行くよ! ごめん、そろそろ行かないとセナに怒られそう」
「ああ、すまない。邪魔してしまったな」
セナの元へと駆けていくセインの背中を見つめ、アレーナは呟く。
「君に会えて、良かったよ。セイン」
*
「順調に進めているな。この分なら、恐らく明後日の昼までには着く」
「意外と早いんだね」
太陽が天と地の境目まで沈み、空には一番星が輝き始めた。
日の落ちきる前に、とアレーナは地図で現在地を確認し、それを横からセインが覗きこんでいた。
「まあ、山道を横断しているからな。迂回するともっとかかるんだが、このルートにみんなが着いてきてくれて助かる」
「まあ僕ら山は歩き慣れてるしね」
「普通なら水の分荷物が重いのもあるんだろうけど、あたしらは心配ないからなー」
と、得意気にセナは自分のカップに魔法で作り出した水を注ぐ。
「本当に助かってるよ。一人で居た頃は、飲み水にも困っていたんだ。それが今は……その……旅の道中で体も清潔に保てるのは本当に……」
と、アレーナは恥じらいながら細い声で呟くと、ちらりと横に目をやった。するとそそくさと地図を畳んでセインから距離を取る。
「どうしたの?」
「なんでもない……」
首を傾げて問いかけてくるセインに、目を逸らして答える。
直後にセナがアレーナの隣に腰掛け、口を彼女の耳に寄せる。
「ご飯の前に浄化魔法かけよっか」
「ありがとう……」
「アレーナ顔赤いよ? 暑いの?」
「セイン、お前はルーアの所にいって夕飯作り手伝ってきて。ほらほら」
しっしと邪険そうに追い払われ、納得がいかなかったが、目が怖かったので大人しく従うことにした。
「なんだセイン。余計な事でも言って追い払われたか」
「分かんない」
「だろうな」
不服そうな彼の顔を見て、くすくすとルーアは笑った。
「やることがないのなら、山菜でも採ってきてくれんか。干し肉を煮ただけでは味気なかろう」
「分かった、任せて」
*
それから暫くして、満天の星が広がる空の下、セイン達は火を囲み夕飯のスープを食していた。
干し肉を煮だて、そこに山菜を入れただけの、スープと呼ぶには簡素なものだが、それでも、長い距離を進んだあとの彼らには充分に染み渡る温かさだった。
器を空にして、アレーナが一息つく。
「あまり緑の多い山ではないが、それでも、案外と山菜というのは採れるものなのだな」
「伊達に僕も山暮らししてないからね。こういうの見つけるの、得意なんだ」
「セインが採ってきてくれたのか。流石だな」
誉められてセインが得意気にしていると、あからさまな咳払いが聞こえてくる。
見れば、セナは自身を指差して何かを訴えかけている。それから少し考えて、何を言わんとしているのか気がついた。
「セナ師匠の教えが良かったお陰です」
「それで、よろしい。きちんと敬いたまえよ」
胸を張って、イタズラっぽく笑うセナに、「肩でもお揉みしましょうか?」とセインも冗談めかして返す。
そんな二人のやりとりを、遠くを見つめるようにアレーナが眺めていた。
「どうかしたのか、アレーナ」
ルーアに声をかけられ我に返ると、「なんでもない」と首を振る。
「ただ、家族というのは、こういうモノなのかなと、な」
何気なく呟いたつもりだった。が、からかいあっていた二人はスッと身を引き大人しくなる。
「……あっ、違うんだ。水をさすつもりはなかったんだ。……すまない、私がいうと笑い話にもならないな」
空気を察して訂正するも、取り返しがつかない事をしてしまったと項垂れる。
下手な気休めを言っても、それは逆に彼女を傷付けるだろうと思い踏み出せない二人。
誰も彼もが下を向いて黙り込んでしまい、淀んだ空気が流れた時だった。
一人、ルーアが静かに立ち上がり、アレーナの背後に回り込んでいく。すると、彼女の背中に飛びついた。
「寂しいなら寂しいと、そう言えば良かろうに。寂しがり屋なのにそれを内にしまいこんでは、手を伸ばしても届かんよ」
いきなりの事に驚くアレーナに、耳元で囁く。
「寂しいっ……とか、別にそんな事は!」
「だから……まったく、いっちょ前に大人ぶろうとして、本音を隠してしまうのは、人の悪い所よな。良いか? せいぜいが十数年しか生きていない生き物など、ワシにとってみれば皆子供も子供。赤子が歩けるようになった程度だ。なら子供らしく甘えてこい」
肩にしがみつきながら、頭に手を伸ばしてそっと撫でてくる。
急にどうしたと思うほど優しく語りかけられる言葉に、困惑しながらも、自分を硬く縛っていたものが、解けていくようだった……
そんな時。
「それを一番小さいルーアに言われてもね」
「そこ、口が悪い、躾けてやろうか」
セインの余計な一言に、睨んで返すルーア。
それに緊張が解けたのか、今まで沈黙していたセナが吹き出す。
「いやごめん、耐えきれなくって……」
と肩を震わせながら伝えると、上半身を皆から逸らすセナ。
それでも抑えていたようだったが、結局腹を抱えて大笑いし始める。
釣られているのか、アレーナの肩も震えだしているのをルーアは感じた。
ちらりと視線を向けてきて、気を遣っているのか、口元を歪ませながらも堪えているのが分かる。
それが分かってあほらしくなってきたのか、スッと背中を降りることにした。
セナと違って声こそ上げないものの、体が震えている。
セインの隣に来たルーア。
その顔は、照れなのか羞恥なのか、少し頬が朱に染まっている様に見えた。
「まったく、慣れない事はするものではないな。誰かさんのせいで大恥をかいたぞ」
「ごめん。どうしても気になっちゃって」
むっくりと頬を膨らませるルーアに、申し訳なさそうにしながら、頬を掻くセイン。
しかしその直後、にやりと笑みを浮かべて彼の背を軽く叩く。
「……なんてな。怒ってなどおらぬよ。お陰で場も和んだだろう。それで充分」
と言い残して自分の席に戻ろうとする。
「ルーア、少し待ってくれ」
そんな彼女を、アレーナは呼び止めた。どうやらもう落ち着いたらしい。
「すまなかった、気を遣わせてしまって」
「気にするな。リエナの飯が食えなくなったのに、これ以上飯が味気なくなるのも嫌だった。それだけ……だ?」
目の前に立ったアレーナが膝を地につけ、腰を下ろして目の高さを合わせる。
緊張した様子で、繊細なものに触ろうとするように恐る恐る手を伸ばし、その手をルーアの背に回して、引き寄せる。
「どうした、急に……」
思いもよらない事に、困惑する。
彼女の顔も、少し強張っていたが、抱き寄せた後に、深呼吸。
「甘え方、というのが、よく、わからなくてな。ただ、少しだけ、こうさせてほしい」
と言われ、引き離すわけにもいかず。他の二人も見守るようにただ見てくるだけなので、困り果ててしまう。
「慣れない事は、するものではないな」