第十八話
それは、少し前の話。
ギルの家にある応接間。
普段は仕事の交渉に使われる場所だが、現在はギルが仕事中で山に籠っているため、好きに使って良いとセイン達は言われていた。
そこで四人が集まり、長机を挟んで向かい合って座っていた。
療養も終え、もうじき剣も出来上がるというので、次の行き先を話すとルーアに集められたのだ。
「「竜の渓谷?」」
ルーアから告げられた次の行先。セインとセナは首を傾げていた。全く見当もつかない地名だった。
「竜は他の種族との関わりを断ち、嵐に覆われた孤島を住処としているんだ。そこを『竜の渓谷』と呼んでいる。まあ、私は伝承で読んだだけだが、実在したのか?」
アレーナの問いかけに、「まあな」とルーアは返しながら、地図を広げる。
「アレーナも言った通り、竜と言うのは他の種族との関わりを断っている。理由は色々あるが、それは別の話だ。当然、人間が得られる竜の渓谷に対する知識はそれが限界、という事になる。故に、地図にも載っておらぬ」
「そもそも、僕らが今どこに居るのかも分かんないんだけど」
「あたしも、同じく……」
「二人も、外界とは縁のない生活をしていたから、仕方ないさ。簡単にだが私が説明しよう」
アレーナはペンを持って、地図の大陸部分に線を引き始める。
「ここが私達の国、グランベルゼだ。そして真ん中には王都がある。今居るフーシャの村はこの王都から北に行って……ここだ」
「「へえ」」
アレーナの説明を聞きながらまじまじと地図を見つめるセインとセナ。
「僕ら結構歩いたつもりだったけど、殆ど上の方しか行ってなかったんだ」
「思ったより世界って広いな……なあ、この端っこの所。ここよりもっと上に行くと途切れてるけど、どうなってるんだ?」
「そうか、山育ちだと見た事が無いか。これは海と言うんだ。まあどういうモノかは言い表すのは難しいんだが……広い川、というか……」
「「広い……川……?」」
イマイチピンと来ない様子で、二人は首を傾げている。
そんな二人に対して、ルーアは優しく笑みを浮かべる。
「ならばちょうどいい。ワシらはこれからそこに向かう」
「えっ、海見られるの!」
「そうか、竜の渓谷は孤島、海を渡る必要があるんだな?」
その通り、とルーアは頷いた。
アレーナからペンを受け取り、ルーアはフーシャから更に北にある街を丸で囲む。
「ここにカザミノという港町がある。ここで船を借り、竜の渓谷まで向かうという予定じゃ」
カザミノ……その名を聞いた瞬間、アレーナの表情に影が見えた……気がした。セインの目には。
「その、竜の渓谷は船で行ける場所なのか? 伝承では嵐に覆われていると聞いていたが」
「もちろん、その伝承は事実じゃ。だが、嵐の前までは船で行ける。嵐は結界のようなものでな。通り方さえ分かっていれば問題ない。そこはワシに任せよ。ただ船の調達には、アレーナ、お主の力が借りたい」
「私……に? 何を……」
「この港町の領主、聞けば王家直系の者が領主をしているそうじゃないか。であれば、お主のツテを使ってなるべくいい船を……と思ってな」
隣に座るアレーナの表情は、ルーアには見えていないらしい。彼女は平然と、湯気の立たなくなった紅茶を口元に運んでいる。
「どうしたんだよアレーナ。顔色良くないぞ? 気分悪いのか?」
「いや、そう言う訳では……」
「む? そのようだな。すまぬ、無理をさせたか。話は後にしよう。少し休むといい」
悪気なんてない。ただ、知らないだけだ。
だからこそ、容赦がない。だからこそ、彼女を追い詰める。
「アレーナ、ルーアもああ言ってるし、休もう? こっちは僕が何とかするよ」
「セイン……」
セインは回り込んでアレーナの手を引いた。
それに彼女は顔を上げた。
一見、いつもの柔和な表情。
だがそれは、心配しているのを覆っているようにもみえた。
「どうにかするって、アレーナ抜きじゃ話進めらんないだろ? あたしら、何も分かんないんだしさ」
「いやほら、なんかあるでしょ……他の行き方とか、ないの? 抜け道とかさ」
「陸から遠く離れておるのだ、ある訳なかろう」
「じゃあ、セナが海割るとか」
「無理だっつうの」
いつだって、悩みなんてないように思えていた彼。こうして間近で見ると、その笑顔は仮面だったのかもしれない。
本気で、自分の事を案じてくれているのだと、今なら分かる。そんな彼の優しさに、甘えたい自分が居る。
だが、それではダメなんだ。
「みんな、その……聞いて欲しい事が、あるんだ」
セインがぎょっと驚いているほかは、何のことかときょとんとしている。
不安を隠せない様子で、セインはこちらを見つめている。
アレーナは立ち上がり、彼と正面から向き合い、出来る限りの笑顔を作る。
「大丈夫だ。私は、もう、逃げないと決めた」
「でも、」
「私一人では……無理かもしれない。でも、君が居る。居てくれる、そうだろう? セイン」
ほんの少し、上ずった声。握った手は、微かに震えてしまっている。
「勇気を、分けて欲しいんだ。頼む」
「……分かった。アレーナが、そう望むなら」
強く握れば壊れてしまいそうなその手を、セインは、優しく包む。
彼女の精一杯に、答えなければならない。そう思った。
ルーアとセナの方に向き直れば、二人はまだ状況を掴めない様子だ。……心なしか、セナはむつけているようにも見えるが。
……それから、アレーナは、以前セインに話した生い立ち。自分の立場を、二人に話す。
「その、済まなかったな。知らぬこととは言え、軽率な物言いだった」
ルーアは気まずそうに謝罪する。が、対してアレーナは平然と首を横に振ってみせる。
「そういうつもりじゃないんだ。正直、役に立てる保証はない。ただ、私はもう、自分の過去から逃げずに、向き合いたい。だから、その為にみんなに知って欲しかったんだ」
アレーナはルーアを真っ直ぐ見据え、話を続けた。
「だからルーア、やるよ私は。確約は出来ないがな」
「そこまで言うのなら、止める道理もあるまい。任せよう」
と答えたルーアに対し、力強く頷くアレーナ。
しかしそれも束の間、彼女は急に頼りなさげな困り顔になる。
「その、それでだな。結局の所ツテという点ではいっさい役に立てないので、交渉の材料もなくて……知恵を貸して欲しい」
先程までの堂々とした態度はどこへやらと呆れてしまうが。しかし、そんな弱気な面に安心するところもあった。
ただ目的さえハッキリしていれば、それだけで充分だと思っていた。あまり深く関わらないようにと。
同士というのであれば、それで良かったのかもしれない。だが、今共にいる彼らは違う。気高い目的の為に集まったのではない。ただ、偶然運命を巡り合わせた者達。きっと、自分の知る中でそれは……
「まあよい。もとより、一人に押し付けるような問題でもない。手伝うさ、ワシらは仲間……だからな」