第一話
「でかしたセイン! 今日の夕飯は焼き魚だ!」
水色の髪を肩まで伸ばした少女が、川で魚を抱えた半裸の少年に呼びかける。
水色の髪の少女は、川から上がってきたセインと呼ばれた少年の元へ駆け寄った。
「どうセナ? 今日のは結構大物だよ。二人じゃちょっと多いかもね。」
「まあ多かったら里のみんなに分ければいいさ。それより、持っててやるから、風邪ひかないように体拭きなよ。」
「ありがと。気を付けてね。」
「? ……うわっ! まだ生きてるじゃないか、ちゃんと仕留めろよぉ。」
セナは受け取った魚が、腕の中で動き出したことに驚き、その様子を見ていたセインは腹を抱えて笑う。
「言ったじゃん気を付けてって。素手で捕ったから仕留められなかったんだよ。」
セナに文句を言われつつ、セインは体を拭いて上着を着る。
「じゃあ帰ろっか。ほら、また僕が持つから。」
セナから魚を受け取ったあと、二人は帰り道を歩き始める。
帰り道の途中、セインは背筋に悪寒の走る感覚を感じて立ち止まる。
何か、得体のしれないものが近くに来ている……そんな感覚。
「どうした? 急に立ち止まって。」
「セナ、悪いけどこれ持って里に帰ってて!」
セインはセナに魚を預け、どこかへ駆け出す。
「ちょ、おい! どこ行くんだよ!」
「たぶん、遺跡のところ!」
*
セインが、扉を勢いよく開けて家に入ってきた。
「おお、セイン帰ってきたか。さっきは急にどうした……って、その子どうした?! 大ケガしてるじゃないか!」
セインは、その両腕に傷だらけの金髪の少女を抱えていた。
「話は後! セナ、傷治してあげて。」
「あ、ああ分かった。そこに寝かせろ。」
セインは抱えていた少女を床に寝かせ、そこへセナが寄って少女の体に手をかざす。
少女にかざしたセナの両手が、光を帯び始める。すると、だんだんと少女の傷が癒えていく。
「これで、ひとまずは大丈夫なはず。しばらくしたら目も覚めると思う。」
セナの言葉に、セインは安心して胸をなでおろす。
「良かった。ありがとうセナ。」
「これくらいはお安い御用だけど……なあ、さっきは聞きそびれたけど、何があったんだ? この子一体どこで拾ってきたんだよ。」
「さっき遺跡の方から何か感じて、それで行ってみたらその子が倒れてたんだ。」
「うーん、分かったような……よく分かんないような……。まあ、そのことはいいや。それよりも……」
セナは、静かな寝息を立てて眠る少女に目を向ける。
「その子の傷、転んでできたようなものには見えなかった……なあ、近くに誰かいたりしなかったか?」
セインは首を横に振る。
「誰も居なかった。僕が見つけたのはその子だけ。それにその子、鎧を付けてるし、槍も持ってたし、冒険者ってやつじゃない? 魔獣と戦って出来た傷なんじゃないかな。」
「そっか。うーん、何もなければいいんだけど……あたし、一応この事おじいに伝えてくるよ。セイン、その子の様子見ながら夕飯の準備しててよ。」
「分かった。いってらっしゃい。」
しばらく経った頃。少女は目を覚まし、その碧い瞳で周囲を見回した。
すると、近くに黒髪の少年が居ることに気が付き、少年の方もこちらに気付いて寄ってくる。
歳は少女と同じか少し下くらいに見える黒髪の少年は、瞳の色も黒く、一瞬女性と見間違えそうな程、中性的で整った顔立ちをしていた。
「……ここは、どこだ?」
「ここは僕の家。傷ついた君を見つけて、連れてきて治療したんだ。体の具合はどう?」
少女は、上半身を起こし、自分の体を触って確かめる。
「……なんともない。魔獣との戦いで傷を負ったはずなのに、まるで何もなかったかのようだ。」
「僕の友達が使う癒しの力は強力だからね。まあ分かってはいたけど、大丈夫そうで良かったよ。」
「そうか、私はあなたに随分と世話になってしまったようだ。礼を言う……私の名はアレーナ。よければあなたの名を教えては貰えないだろうか。」
「僕はセインだよ。よろしくね。」
セインは右手を差し出し、アレーナは籠手を外して彼の手を握る。
「ああ、よろしく。今回は、本当にありがとうセイン。」
彼女に向けられた笑顔に、セインは自分の胸の鼓動が少し高鳴るのを感じた。
「まあ、傷を治したのは僕じゃないから、セナって僕の友達で……だから、お礼を言われるようなことなんて……」
「あなたが私のことを見つけてくれたのだろう? 見つけてもらえなければ、今頃私はどうなっていたか。」
セインは照れ臭くなって、アレーナから目をそらす。
「そうだ、お腹空いてない? 夕飯を準備してたところだから、良かったら食べていきなよ。」
「何から何まですまないな。なら、私も何か手伝おうか。」
「いいよ。君結構血が流れてたから、まだ安静にしてた方がいいと思う。」
立ち上がろうとするアレーナを優しく抑え、その場に留める。
「本当に世話を掛けるな……では、お言葉に甘えて休ませてもらうとしよう。」
「うん、ゆっくり休んでてね。」
「たーだいま……あ、アンタ目が覚めたんだ。」
「ああ、お陰様で。」
セナは、アレーナの傍に寄って彼女の様子を確かめる。
「うん、大丈夫そう。あたしセナ。よろしく。」
「セナ……そうか、あなたが私の傷を治してくれたという方か。私はアレーナ、治療していただきありがとう。助かった。」
「いいのいいの。あたしの少ない取り柄だからさ。大したことしてないよ。」
「あ、セナ帰ってきてたんだ。ちょうど夕飯出来たとこ、持ってくの手伝って。」
奥の方からセインが呼びかけ、セナがそちらへ向かう。
「それなら私にも手伝わせてくれ。」
「いや、悪いよそんな。」
「そうだよ、休んでていいんだよ?」
「あなたたちには世話をかけてばかりなのだ。これくらいは手伝わせてくれ。」
「まあ、そういうことなら。」
「ごちそうさま。とても美味かった。料理、得意なんだな。」
「普段からセナと交代でやってるからね。」
「……そういえば、ご両親は居ないのか?」
アレーナは恐る恐る問いかける。
「あたしの両親は、何年か前に狩りの途中で死んじゃった。それからはセインと二人暮らし。」
セナは何気なくそう答える。
「そうだったか、その……すまない。」
「いいよ、気にしないで。狩りで死んじゃうのは仕方ないし。あ、そういえばセイン、明日の朝でいいからアレーナさんをおじいの所に連れてって。」
「うん、分かった。」
「おじい……あなたたちのおじいさんか?」
首を傾げるアレーナに、セインは首を横に振って答える。
「そういうのじゃなくて、この里で一番長生きの偉い人。僕らはその人をおじいって呼んでるんだ。」
「なるほど、そういうことか。ちなみにその方は一番長生きというが、何歳くらいなのだ?」
「えーと、何歳だっけ?」
セインが悩んでいると、セナも顎に手を当て「うーん」と唸る。
「確か、……三百歳くらい?」
「さ、三百歳?! それは、冗談……では、なく?」
それまで冷静な態度だったアレーナが、初めて素っ頓狂な声を上げて驚いた。
そんなアレーナに対し、二人は何を驚いているのだろうと首を傾げた。だが、セインはそのすぐ後に何かに納得したようにポンと手をつく。
「そっか、アレーナは僕と同じで人間なんだね。僕以外の里のみんなは、『空人』だから、僕らよりずっと長生きなんだよ。まあそれでも、おじいほど生きてる人なんて、そうそう居ないけどね。」
「空人……それは地上に住む天使と言われる、あの空人のことか! ということは、ここは空人の里?!」
今度はアレーナは目を輝かせて喜々とした声を上げる。
「う、うん。そうだけど。」
セインの答えを聞いて、アレーナはより一層目を輝かせる。
「そうかあ……私は空人の里に来ていたのか。ああ、まさか生きてるうちに、空人の里に来ることが出来るなんて。」
「嬉しそう……だね?」
「ああ! 幼い頃に『勇士の伝承』を聞いてからというもの、ずっと憧れだったのだ! 勇士と共に『邪悪なる者』から世界を救ったという空人……どちらも私の英雄だ。それに、今まで存在するとだけ伝えられ、ほとんど誰もその姿を見たことはない。と言われていたのだ……私が空人と会えるなんて、これ程嬉しいことはない。」
それまでの堅い表情からは想像もつかない、まるで子供のような無邪気な笑顔を浮かべるアレーナ。
そんな彼女を、気づいたらセインはジッと見つめていた。
「セイン……?」
セナが何かを言おうとした所に、アレーナが興奮気味に話しかける。
「……ということはセナ殿! やはりあなたも空人なのだな?」
「あ、ああそうだけど……」
アレーナはセナの両手を手に取り、グイッと自らの顔を近づける。
「なるほど、それで合点がいった! 私の怪我を、傷跡も残さぬほどに治してしまうその力も、空人であれば当然だったという訳だ!」
「う、うん……あの、顔が近い。」
セナに言われ、自分が何をしているのか気づき、顔を赤らめバッと両手を離して距離をとる。
「す、すまない。興奮してしまって、思わず……無礼を働いた。申し訳ない。」
気を落として、シュンとなったアレーナの姿を見て、セナはクスリと笑う。
「いいって、無礼だなんて思ってないから。気にしないで。なんか、アレーナさんって堅そうな人だと思ったけど、案外可愛い所あるんだね。」
「そんな……私が、可愛いなんて事は……」
「楽しそうだね二人とも。……じゃあ、僕食器片付けてくるから、二人はゆっくり話してて」
そう言って立ち上がるセインに、二人は申し訳なさそうに声をかける。
「私も手伝う。あなたに世話をかけてばかりなのだ、少しでも恩を返さねば……」
食器を受けとろうとしたアレーナの手が、セインの手に触れる。
「セイン、なんか顔赤くない?」
セナがからかう様にセインに言うと、アレーナも彼の顔を見つめる。
「本当だ……風邪でも引いたのではないか?」
「だ、大丈夫だよ。アレーナさんは無理しちゃダメ。今はゆっくりしてて」
そう言い残して、セインは食器を持って台所へと向かった。
「ああは言っていたが、本当に大丈夫だろうか? 気を使わせて無理をしているのでは……」
「いやあ、セインは大丈夫だと思うよ?」
セナは苦笑いを浮かべて答える。
「すまない、貴方達には迷惑をかけてばかりだ……」
「別に迷惑だなんて思ってないけどなあ……あ、そうだ。じゃあ、一つお願いがあるんだけど」
「なんだ? 私に出来ることなら何でも言ってくれ」
「そう? じゃあ、外の世界の事教えて欲しいな」
「ああ! そういう事なら任せてくれ」
*
「いやあ、アレーナさん色んな事知ってるんだなあ」
「ああ、それなりにこの国を見て回った」
「いいなあ、あたしも外の世界に出てみたいな」
アレーナはセナの言葉に首を傾げる。
「貴方達は外へは出ないのか?」
「うん、空人は結界の外には出ちゃいけないんだ。なんでか分かんないけど」
「そうだったのか……一つ聞いてもいいだろうか?」
「なに?」
「その……セイン殿は、人間のようだが、この里に他には人間は居ないのだろう?」
アレーナの質問に、セナは首肯する。
「そうだよ。ここに住んでる人間はセインだけ。それ以外は、みんな空人。」
「ならば、いったい何故、彼はこの里に暮らしているのだ? 空人の里は、人間が近づくことはできないと聞いていたのだが。」
「セインはね、迷い込んできたんだ。八年前、里の近くで、ボロボロになって倒れているのを見つけて、それで里に連れて帰って治してあげたの。……今日のあなたみたいに。」
アレーナは、ただジッとセナの話を聞いていた。
「でね、セインが気が付いた時、名前とか、どこから来たのか……とか、聞いたんだけどね、何も覚えてないっていうの。……ここはね、おじいが強力な結界を張っていて、結界の中には強い聖気が流れているから、人間があまり長い間居ると体が持たないはずなの。だけど、セインはなんでか平気だった。それで、記憶の無いまま外に放り出す訳にもいかないし、結界の中に居ても大丈夫だったから、この里で育てようって事になったんだ。」
「そうか、彼にそんなことが……」
「本人は気にしてないみたいだから、あんまり重く受け止めないで。」
セナは暗い表情のアレーナに、笑みを浮かべながらそう言った。
「そう、なのか?」
「うん。『忘れた昔の事より、楽しい今の方が大事。』ってセインは言ってるよ。」
セナの言葉を聞いたアレーナは、しばらく黙る。そして、顔を俯かせ……
「強いんだな……あなたたちは。」
と、小さく呟いた。
*
その夜、セナとアレーナが寝た後……セインは一人、家の外で夜空を見上げていた。
(あの人の事……アレーナさんの事が、気になって眠れない)
それはセインにとって初めての感覚。
この感覚の正体がいったい何なのか……
その答えを、セインはまだ知らない。