第十五話
なんと、なんと情けないのだろう……一方的に立ち去っておきながら、一人で居る事が、とても心細い。
アレーナは、暗くなった森の、僅かに光の差す場所で膝を抱えて、そんな自己嫌悪を繰り返していた。
追いかけられても見つからないように。と、森へ逃げたのがマズかった。
セイン達の元を去る時、既に日は暮れようとしていた。すぐに森が真っ暗になるのは、少し考えれば分かる事のはずだ……とますます自分が嫌になる。
武器も鎧もないのが心許ない。
かといってあんな別れ方をして、戻れるわけもなく、これから先、どこへ行くべきかも思い当たる所がない。
「これから、どうすればいいんだろう」
アレーナが途方にくれていると、近くの木々がざわつくのが聞こえた。
風かと思いたいが、そうではなかった時……警戒はしても、抵抗する手段がない。
逃げたくても、ここを離れると真っ暗で、足が動かない。ただ、気づかれないようにと、息をひそめ、普段は気にもかけない神という存在に祈りさえした。
だがそれも虚しく、次第に何かが近づいてくるのが分かる……
何かは、もうすぐそこまで来ている。
近くの茂みがかき分けられ、そこから現れたのは……
*
「なあ、セナよ。アレーナは、連れ戻すべきだと思うか?」
「お前、それをこんな時に言うのか?」
日は落ちて、辺りはすっかり暗くなった。
戦いからそれなりに時間は経ったが、それでも、セナはまだ体にだるさが残っている為、戦いのあった場所から動いていない。
勿論、セイン達の帰りを待つというのもあるのだが。
そんな時に、霊体になったルーアが、そんな事を言いだした。
流石に、こればっかりはこの悪魔の神経を疑った。
「そう睨むな。そもそも、あの子はこの戦いに参加する義務はないのだ。セインと違ってな。……故に、嫌なのならば、わざわざ戻ってくる事はないのではないかとな」
「ああ、そういう事……どうだろうねえ」
セナは少し考えるそぶりをするが、すぐに諦める。
「やめやめ。アレーナがどう思ってるかを考えるには、あたしら、あいつの事情を何にも知らなかった」
「ふむ……それも、そうだな」
「まあ、避けてたよな。その手の話題」
「突きづらい雰囲気ではあったからなあ。そこに関しては」
セナは、ルーアの事をジーッと睨んだ。
その視線になんだか妙に気まずさを感じたルーアは、かきもしないのに、額の汗を拭いたくなった。
「ルーアは分かってたんだろ。下手な事言って、アレーナが居なくなったら、セインも戦わなくなるってさ」
「それは……その……」
目をキョドキョドと泳がせる。どうやら図星らしい。
「ああ、その通りだ。我がかつて勇士の仲間になった時、既に彼らは戦う覚悟を決めていた。……だが、セインはそうではない。あやつも、お主もただ、なりゆきで戦いの中に入っただけであろう?」
「まあ、そうだな」
「二人がこうして、アレとの戦いを続けるのもアレーナが居たからだ。元々はセインがアレーナに付いてきただけなのであろう? 故にもし、居なくなったらと思うと、不安でな……アレーナだけではなく、お主ら二人にも、深く入り込もうとはしなかった。このままでも、なんとかやっていける。そう思っていた」
ルーアは、そこで深くため息を吐いた。
「だが、それは問題を先延ばしにしていただけだった。アレーナが居なくなっては、二人が、わざわざこんな危険な旅を続ける理由がない。情けない話だが、こうなってしまっては、この先、どうやっていけばよいのか……我には、わからぬ」
少し、沈んだ表情で俯くルーア。そんな彼女をセナは見上げ、問いかける。
「……ルーアはさ、どうしたいの?」
「どう、とは?」
意図がよく分からず、ルーアは首を傾げた。
「ルーアは、何がしたくて、みんなにどうして欲しいのかって聞いてるんだよ。どうなんだ、その辺は?」
「それは決まっておる。邪悪なる者を倒す。……だが、それは我一人だけでは、どうにもならぬ。一人でも多く、仲間が欲しい……勇士の力を得られる人間は多くはないし、アレーナは、セインに必要なのだあらゆる面でな……だから、居て貰わなければ困る。……こんな話を、今さらしても、遅いだろうが」
「そんな事、ないんじゃないかなあ」
セインが向かった森の方を見つめ、セナはそう言った。
「何故、そういえる?」
「アイツとは長い付き合いだから。この中で誰よりもね……だからさっきの事、本人にちゃんと伝える心の準備をしておいた方がいいよ」
*
「驚かせちゃって、ごめんね」
茂みの中から現れたのは、セインだった。
アレーナは、色んな意味で驚いて、声が出せず、それを察しての今の発言だった。
少しの間呆然としていたが、気を取り直したアレーナは、すぐに立ち上がってどこかへ向かって走り出そうとした。
そんな彼女の左手をセインは即座に掴む。
「離して!」
「嫌だ!」
アレーナは、セインの手を振りほどこうとするが、思いのほか力が強く、なかなか振りほどけない。
「どうして離してくれないんだ!」
「どうしては、こっちの台詞だよ! 何も言わずに居なくならないで!」
「言ったでしょう、私は……」
「あんなので納得できるわけないだろう!」
そして、アレーナは凄い力で体を引き寄せられ、あと少し顔を近づければくっついてしまいそうな程、近い距離から真っ直ぐに、真剣な眼差しで見つめられた。
「僕はこの手を離さない。納得できる理由を聞くまでは」
「理由を言ったら、離してくれるの?」
セインがこんな強引な事をしてくるなどとは思わず、少し……いや、大分怯んだ。そのせいか、言葉はとても弱々しくなっていた。
そんな彼女の問いかけに、セインは悪戯っぽく、それでいて、どこか優しく笑みを浮かべる。
「僕が納得できたらね」
*
それから、二人はその場で並んで座った。セインは、アレーナの手を掴んだまま。
だが、お互い無言のまま。
「ところで、私の居る場所が分かった?」
沈黙に耐えきれなくなって、先に口を開いたのはアレーナだった。
セインは、今アレーナの手を握る右手の甲にある証を見る。
「なんとなく分かったんだ。多分これのお蔭」
「そうか……そう言えば、まだこれで繋がったまま……」
大きくため息を吐いて、顔を膝に埋めた。
「やっぱり私ってダメだ……」
とても落ち込んだ様子の彼女を見て、これはマズい事を言ってしまったらしい。と悟るセイン。
何か話題を変えよう。そう思って少し考えるような仕草の後、セインは問いかける。
「そうだ、いろいろ聞きたい事があるんだ。そう……そうだ、お父さんとお母さんってどんな人? アレーナにもいるんだよね」
「ふざけないで……その、私が、抜けた理由を聞きたいんじゃないの?」
「僕としては、結構真面目に親ってものを知りたいんだけど……うん、そうだね。今聞くことじゃないよね。それで、教えてくれる?」
アレーナは少し黙った後、沈んだ表情で答える。
「私が、役立たずだから」
「役立たず? どうして……ねえ、僕の力を奪ってるって話なら、誰からそんな事言われたか知らないけど、そんな事信じないでよ。確かに最近は、あんまり調子よくなかったけど……それはアレーナのせいとかじゃなくて……」
「そういう事じゃない!」
早口気味にまくしたてるセインの言葉を、アレーナは強い口調で遮った。
「セナみたいに治癒が出来る訳じゃない……ルーアのように昔の戦いなんて知らないし、強力な魔法だって使えない……手に入れたと思った勇士の力は、ただの借り物だった。……それなのに自分のモノだと思い込んで舞い上がってた……本当に、バカみたい」
「どうしてそんな風に自分を悪く言うの?」
「だって、私には何もない……誇れるものも、出来る事も……なにも……だから、貴方達の旅には、ふさわしくないの」
このまま放っておけば、アレーナは自分で自分を追い込むだけだった。
だから、何か流れを変えなければいけないと思った。
「アレーナだって凄いじゃない。だって、よくは分かんないけど、この国の王女様だし。それなのにこの国のみんなの為に、一人で旅をしてたんでしょ? そんな事、簡単にできることじゃないんでしょ?」
セインなりに、彼女を元気づけられると思っての言葉だった。……だが、効果はなかったどころか、さっきよりも、表情は暗い。
「違う……私は……民の為とか、そういう事の為にやってるんじゃない……」
アレーナは膝に顔を埋め、震えた声でそう言った。
「私が旅をしていたのはね、ただの厄介者払いなの。私が邪魔だから、追い出されただけの事……だって、私は、妾の子だもの」
妾の子。言葉の意味はセインには分からない。それでも、あまり良くない事だというのは、なんとなく分かる。
「王族だもの、複数の妻を持って、それぞれに子供がいるのは珍しくない。でも、私のお母さんは王族とも、貴族とも関係の無い、遊牧民の娘だった。だから、城では私の事は知らなかったし、私も、八年前に連れていかれるまで、王家の娘だと知らなかった」
影に隠れて、アレーナが今どんな表情をしているのか、分からない。ただ淡々と、静かに彼女は話を続けた。
*
私が育ったのは、アスカって言う一族で、みんな赤い髪をしていたのに、私だけ、髪も、瞳の色もみんなと違った。だからよく言われたわ……『お前はアスカじゃない』って。除け者にされていた私にとって、唯一の拠り所はお母さんだけだった。
だけど、そのお母さんも、八年前に死んでしまった。
これで、私は一人になった。……そんな時に現れたのが、王家の騎士達だった。
騎士達と大人達で、何か話し合って、その後、私は訳も分からない内に騎士達に連れていかれたわ。
着いた先が王都だってことを知ったのは、父親である国王と初めて会った時だった。
そこで初めて、自分の父親が居る事を知った。その人が国王である事を知った。
私には姉がいて、兄がいたことを知った
一度にたくさん家族が増えた。ここが、本当に居るべき場所だったんだ。私の、居場所が見つかったんだ……って、その時は嬉しかった。
でも、それは長く続かなかった……国王とは長くは話せなくて、それも「これからはアルミリアと名乗れ」そう言われただけで終わった。
急に名前を変えろと言われて、受け入れられると思う? 無理に決まってるじゃない。
だって、アレーナはお母さんがくれた名前。お母さんだけが私の拠り所で、思い出で……だけど全部……全部否定されたような気分だった。
それでも、新しい家族と居られるなら……辛かったけど、そう思って私はアルミリアを名乗った。
……結局、私が夢に見ていた家族は手に入らなかった。
父とは殆ど会う事はなかったし、姉は私を邪険にする。兄も、政務で方々を回っていたから数えるほどしか顔を見たことがない。
どこの馬の骨とも知れない田舎娘との間に生まれた子が、王位を継承できる立場にある事は、城の人間からすれば厄介な事この上なかった。
「お前はアスカの血が濃すぎる」
そんな風に忌み嫌われたことを知った。
アスカの里では王の血が、城ではアスカの血が、それぞれ異物でしかなくて、どこに行っても、私には居場所がなかった。
どこでも疎まれて、城に居るのが辛かった。
辛くて、辛くて、辛くて……こんな所無くなってしまえばいいと思った。
そんな時に、赤目の魔獣が現れた。
倒せない魔獣に頭を抱えてた王家は、必死に対処する術を探した。……それで唯一見つけたのが、私が、お母さんから寝物語に聞かされていた、勇士の話。
それ以外になかったとはいえ、本当に居るかもわからない存在を探すのに、人手を割いていいのかって話になった。
その時私は思った。これを使うしかないって。
私一人で探しに出る。そう名乗り出て、反対する人も居なかった。
旅の途中、どこかで死んだとしても、国の為に命を賭けた。そう言う美談にできるのが、向こうには都合が良かったんだと思う。
これなら、私も城に居る必要もなくなるって。私にとっても、都合のいい話だった……
*
「私は、今までどこに居たって必要とされなくて……だから必要とされたかった……ううん……せめて、褒めて欲しかった。私の存在を認めてほしかった。全部、全部自分の為なの……人のためになんて何も出来ない……私は、強くないから……だけど、私はどこに行っても邪魔者だもの。私なんて、きっと……」
顔を膝に埋めたままアレーナは、風の音に流されそうな程の小さな声で呟く。
「生まれたことが、間違いだったんだ」
本当に、かすかな声だったが、確かに聞こえた。
「アレーナ」
今までずっと、心の内に秘めていたのだろう。誰かに頼れることもなく、ずっと苦しんできたんだろう。
理解は出来ない。それでも、受け止めなければいけないと思った。
そう、ただ黙って受け止めているつもりだった、……ついさっきまでは。
「ねえ、顔上げて」
「えっ……?」
アレーナは、今まで聞いたことがないセインの声に驚いて顔を上げる。……と、すぐさま額に向けて指を弾かれた。
「いたっ……」
「アレーナ、流石に僕も怒るよ……出会ったことも、今までの旅も、全部間違いだって言うの? そんなの、あんまりじゃないか」
この人は、こんな風に怒ることが出来るんだ。と驚いた。怒られる事なんてないと、そう思っていた。
「僕は、アレーナと会ったこと、間違いだなんて思わない。君と出会って、旅をしてきた今まで、辛いこともあった。だけど楽しかったよ」
こんな風に思われる事なんて、今まで一度もなかったから。
だから、とても不思議だった。
「アレーナに会えたお蔭で、僕の世界は広がった。色んなものを見て、知ることが出来たよ」
真剣に、自分の事を見てくれる人が居る。向き合ってくれる人が居る。
ああ、なんて自分はバカだったんだろう……すごく、胸が締め付けられる。
「八年前からずっと、止まったままだった僕の時間が、動き出した気がするんだ。今の僕になれたのは、アレーナのお蔭。だから……」
何故涙が溢れるのだろう。ずっとずっと、頬を伝い続けて、止まらない。
怖い訳じゃない、悲しい訳でもない……それなのに、どうして……
「僕の旅には、アレーナが必要だ。色んな所を見たい。もっと色んな事を知りたい。だからまた、一緒に来てよ」
どうしてこんなに嬉しくて、涙が出ているんだろう。
分からない。……顔も心もぐちゃぐちゃで、整理がつかない。
「私は役に立たないけど、いいの?」
嗚咽交じりにアレーナは問いかける。
「そんな事、誰も思ってないよ。それにそんな事言うやつが居るなら、僕が許さない……もし、アレーナが戦うのが嫌なら、戦うのをやめたっていい」
「そんな……そんなの駄目……あの魔獣を止めないと、みんなが困るもの……戦わなくちゃ」
アレーナの答えに、セインはクスリと笑った。
「良かった。アレーナなら、そう言ってくれると思ってたよ。だから大丈夫だと思う。僕は、まだまだ弱いけど、それでも、頑張ってアレーナを支えるから。……僕だけが不安だったら、セナもルーアも居るから」
「支える? どうして?」
「だって、仲間ってそう言うものって、アレーナが教えてくれたじゃない。辛い事があるなら、みんなで支えるよ。四人でなら、きっと軽くなるよ」
今まで心に造っていた壁が崩れて、押しとどめていた感情が、波のように寄せてくる。
これが全部流れれば、今よりきっと前を向ける。きっと、心の澱みををすべて流してくれるはず……
「ごめんなさい。みっともない所見せて……」
こんなにも泣き続けたのは、初めてのような気さえする。
今では落ち着いて、少し恥ずかしい。
「いいよ。ありがとう、話してくれて。少しは、役に立てたかな?」
「うん……心が、軽くなった気がする……それで、その……」
もじもじと顔を俯かせて躊躇いながら、何かをきりだそうとしているアレーナ。
暫くして、少しだけ顔を上げて、上目遣いでセインに視線を向ける。
「こんな事、私が言う資格があるのか、分からないけど……私を、もう一度仲間にしてもらえますか?」
ふと、どこかでこういうのを見た気がする。とセインは思い返す。
確かそれは、リリーが何か悪さをしでかして、母親に怒られた時だ。その時に、本気で落ち込んだリリーが、許して欲しそうに様子を伺っていた姿に、よく似ている。
その時は、確かこうしていた……と、記憶に倣って、そっとアレーナの頭に手を置き、優しく笑みを浮かべてみせる。
「もちろん……また一緒に旅をしよう」
伝えたい言葉はまだあった。だが、それを言うのは今ではない。だから、今はこれでいい。
アレーナは、また視界を曇らせる涙を拭い去って、言葉を紡ごうとした……その時。
二人は、頭の中でキーン……と、音が響く。
繰り返し響くその音は、何かを、伝えようとしているように思えた。
「アレーナ、今の感じた?」
問いかけに、すぐさま顔を上げるアレーナ。
そこには、先ほどまでの弱った姿はどこにもない。……今の彼女は、間違いなく戦士の顔だ。
「ええ。これってもしかして赤い目の魔獣?」
「きっとそうだ。それも、多分……凄く、大きい奴」
セインの予想を裏付けるかのように、何処からか聞こえてくる、警報の響き。
二人はただ、向き合って無言で頷きあうと、警報の聞こえてくる方角へと共に走り出す。
その途中、まだ森の外へ出る程進んではいない筈なのに、森の中にしてはやけに明るく、開けた場所に出た。
……よく見てみると、ここだけ、木が何本も倒されている。それも、つい先ほど倒されたばかりのようだ。
その中心には、鬣が特徴的な漆黒の獣が居る。……その瞳は、赤く輝いている。
「こいつ、いつだったか見た事ある気がするね」
「ええ、私は何度も見た事がある……多分、同じ魔獣でしょうね」
「だけど、僕達が感じたのも、警報の原因もこいつじゃないよね」
アレーナは黙って頷いた。
セイン達が感じたのは、もっと大きな何かだ。……この獣も確かにただならぬ気配を漂わせているが、こいつではない。直感で感じていた。
ただ、もう既にアレの視界に入ってしまった。逃げようと隙を見せれば、間違いなく即座に攻撃されてしまうだろう。
「……セイン、私が奴を惹きつける。その隙にあなたは行って」
「あいつを一人で? そんな……」
「私にも、生きる理由が出来た。だから、死ぬような無茶はしない。それに……」
セインに紋様が見えるように、左手を差し出すアレーナ。
「これがある限り、私達は繋がってる。一人じゃない。そうでしょう?」
「……分かった。任せるよ。これ使って」
セインは持っていた剣を、アレーナに手渡した。
「何もないよりは、マシなはずだから……借り物だから、なるべく壊さないでね?」
「分かった。なるべく、ね」
ほんの一瞬、二人は目を合わせて、互いに不敵な笑みを浮かべる。
「じゃあ、任せたよ」
返事は聞かない。聞くまでもない。
セインが立ち去ると同時、彼に向って襲い掛かる鬣の魔獣に、アレーナが立ち塞がり、剣を突き立てる。
「お前に付き纏われるのも、いい加減うんざりだ。ここで終わらせる!」
*
森を走り抜けると、遠くに、火の手が上がっているのが見えた。
その方向から、悪意が迫ってきているのが分かる。……セナとルーアはここに居た筈だが、辺りを見回しても、姿は見えない。
きっと二人もアレに感づいて、既に向かっているのだろう。
そう確信して、セインは悪意の元へと向かって行く。
更にずっと走った先に、二人はいた。
「お待たせ、二人とも早いね」
日の手の上がっている方向を見つめていた二人は、声をかけられてようやくセインに気がついて振り返った。
「お主が遅かったのだ……一人か?」
ルーアは、周りを見回してセイン以外に誰もいないと分かると、少し残念そうに問いかける。
ただ、セインはそれに、右手の甲の紋様を見せて答える。
「一人じゃないよ、これでちゃんと繋がってる」
その答えに、ルーアは目を見開き、セナはニヤリと笑う。
セインは二人の間を抜けて彼女らの前に立ち、先ほど二人が見つめていた所を見る、
燃え盛る炎に照らされ、黒く艶やかな鱗がヌメリと輝く。
一言でいえば、巨大なトカゲ。ただ首は長く、四つん這いで立っているその後ろ足は鳥のよう。
更に言えば、前足はその体に対してはあまりにも細く、長い。そして、その肘から下はヒレの様なものが付いていて、まるで蝙蝠の翼だ。
「僕も話ししか聞いたことないんだけど、もしかしてアレってさ、竜って奴じゃない?」
「ああ、間違いない。ワイバーン種だな。……だが、竜は他の生物が居る地に降り立つことはない筈……」
ルーアが首を傾げていると、セナが竜に向けて指をさす。
「見なよアレ、目が赤い」
「今まで獣や、魔獣に憑りつく事はあったが、遂に竜が相手か……で、セインよ。アレを相手にどう戦う? 我は誰かさんのせいで肉体を失ってしまって戦えぬ訳だが」
睨み付けてくるルーアから目を逸らして空を見るセイン。
「でもまあ、なんとかなるんじゃない? 攻撃が当たらない訳じゃないし」
言うと同時、強く風の吹く音が聞こえる。
見てみると、赤目のワイバーンは体を起こし、前脚を大きく広げて羽ばたかせていた。そしてゆっくりと、空へと浮びあがる。
「で、アレに攻撃は当たるのか?」
「……えっと、まあ……なんとか、なるん、じゃない?」
「よく見ればそもそも武器がないではないか。それでどうする、丸腰で戦うつもりか?」
「え? ああ、それは……あっ」
セインは適当に周りを見渡すと、セナが槍を持っている事に気がついた。
目を付けられたことに気がついて、セナは槍を隠す様に抱えて身をよじる。
「ちょっと待てよ、これ使う気か? これアレーナのだぞ?」
「壊さなきゃヘーキだよ。今は緊急だし許してくれる」
「少し見ぬ間に随分と強引になったな。……まあ、今は仕方あるまいよ。渡してやれ」
セナは気が引けるのか、渋々と言った様子で、セインに槍を渡す。
「壊さないようにしてやれよ? 勝手に借りて壊すのはなんかヤだし、後で返すんだからな?」
「分かってる……さ、それじゃあアレ倒そうか」
「何か策はあるのか?」
セインは、無言で手をセナの肩に回し、グイッと自分の方へ引き寄せる。
突然の事に、セナはただただ戸惑った。そして、全身が暑くなる。
「えっ、なんだいきなり?! っていうかこんな時に……ちょっとはその、空気を読めというか……」
「セナの力を使う」
「……は?」
「……一応、話を聞いてやろう」
セナは理解が全く追いつかず呆然とし、ルーアは呆れながら話を聞く。
「ルーアに話したけど、憑依の力って、普段は使えない力を引き出せるかもって思うんだ。で、セナの本当の力ってなんだろうって考えてたの。それで思いついたんだけど……」
「まさか飛べると?」
セインは即頷いた。
「本気か?」
「本気」
セインの答えに、二人は流石に頭を抱えた。
「何を根拠にそんな事を言っておるのだお主は」
「だってアレーナ言ってたじゃない。空人は元は天使だったって。なら今は飛べないけど、憑依したらその力を引き出せるんじゃないかなって」
「ふむ、なるほどな。言いたいことは分かった。……色々問題はあるが」
「待った、聞き流してたけど、憑依だって? そんな事どうやってやるつもりだ、死にかけなきゃいけないんだぞ? そんな事やらせるか!」
「これとかな」
つい先ほどまで熱に浮かされていたセナの頭は、一気に冷えきった。
セインは困ったように頬を掻いた。
「誤魔化せなかったか」
「お前……! そもそも、どうやってやるつもりだ! 死にかけなきゃ出来ないんだかんな! 何があったもあたしが治すから、死にかけになんてさせないからな!」
「やる方法は、まあ、あるんだよ。……ね、ルーア?」
セインがルーアに対して視線を投げる。するとセナの怒りの矛先はそのままルーアに向かった。
困ったものを押し付けられた……と、ルーアはため息を吐いた。
「そういえば、なんであの男と戦った時憑依が使えたんだよ。はぐらかされたけど、教えてもらうからな!」
「言っておくが、セインが考えた事なのだぞ……で、セインよ飛べたとして、どうやって倒す?」
先ほどまで殆ど即答だったセインが、セナの口を押えたまま急に黙り込んだ。どうやら考えていなかったらしい。
「そんな事だろうとは思ったわ。……で、我に一つ策があるが、どうする?」
「本当? やろう!」
セナは抗議したそうにもがくも、口を押えられていて話は出来ない上に、思ったより力が強くて引き離すことも出来なかった。
「まあ待て……力を貸すのはいい。だが、これはお主の命に関わる事……一つ聞きたいことがある」
食いつき過ぎているセインを宥めながら、ルーアは問う。
「思えば今まで、避けてきた事だ。断られるのが怖かった。お主は勇士だが、知らなければただの人間だった。義務はあるが、義理はない。故に今、ここで選んで欲しい……いや、頼みがある。……我と共に、戦ってくれるか?」
セインはただ、可笑しそうに笑った。
「僕はまだ、ほんの少ししか知らないんだ。無くなられたら困るよ」
「……そうか」
ついていけていないセナを余所に、二人は、不敵に笑みを浮かべたまま向き合う。
*
「さて、手筈は理解したな?」
「まあ、一応」
「……大丈夫だろうな…………」
一通り策は話したが、どこまで理解できているのか、まるで分からない。世界の命運を託すのが、この男で本当に大丈夫なのかと、不安になりだした。
「なあ、話を聞いててずっと気になってんだけど、どうして憑依が使える前提なんだよ。そこが全然分かんないんだけど」
セインとルーアの間では、その事は分かっているようだが、セナはそこが解せないようで着いていけない。
「まあ、分からないだろうから話を進めていたんだが」
「知ったらきっと止められるからね」
「は? どういう事だよそれ」
セナが首を傾げていると、セインは槍の矛先を地面に向け、高く持ち上げる。
その直後、槍はセイン自身の腹に突き刺さる。
「セイン?! お前何やってんだ! 待ってろ、今治す……」
セナがセインの傷を治そうと近づくが、セインは血の吹き出す腹部を抑えながら、もう片方の手で彼女を制止する。
「これで……いいんだ……これで……力が……」
息も絶え絶えに、セインは何かを言おうとしている。
だが、うまく言葉を出せないようで、見かねたルーアは代わって説明する。
「セナ……これが、憑依の力を使う方法だ」
「こんな事がか? あ、いや理屈は分かったけど……だけど、だからって……!」
「お願いだ……他に……無いから……」
「問答をしている暇は、ないぞ……我はもう、覚悟は聞いた。止める気は無い」
「これは……生き残る……ため、だから……信じて」
制止させた手を返して、今度は"掴んで"と差し出している。
勝手だ、本当に身勝手。こっちの気持ちなど知りもせず……いや、知っていて「信じて」というんだ。この男は。
納得はいかない。だけど、信じてと彼が言うなら、それを、裏切れない。
「あとで、説教だかんな。みんな纏めて!」
「ふっ……後が憂鬱だぞ。続けるか? セインよ」
「そっちのが……怖い、けど……仕方ない、ね……」
苦しそうだが、それでも笑うセイン。
応えるように笑うルーア。
本当に、呆れた様子でセインの手を握るセナ。
それで、戦いは始まった。
*
どうやらあの四つの脚ば、地上では体を支える事しか出来ないらしい。
少し飛んでは、また降りて森を燃やす。……ずいぶんと几帳面に、焼き残しが無いようにしているようだ。
飛んでいる間は火を吐けず、地上にいる間は動けない。ルーアの話していた通りだ。
あとは、セインがちゃんと飛べるかどうかだった。この作戦はそれに掛かっている。
「どうだ、飛べそうか?」
「ああ、任せとけって。出来るって気がしてるんだ」
セインは青くなった瞳をギラギラと輝かせ、不敵な笑みを浮かべる。
「自信はあるようで何よりだ。……とは言え、ぶっつけ本番ではそうそう簡単にはいくまい。一つ助言をやろう。飛ぶ時に大事なのは、『出来て当然』と思う事、そして何より『空に居る事を恐れない』という事だ」
「ああ、分かった。覚えとく」
「それと、お節介だがもう一つ。日に二度も腹を斬るなどという事をしでかしたのだ。人間の体には負荷が大きかろう。なるべく早急に決着をつけろ。でなければ身が持たぬぞ」
「分かってる……じゃ、行こうか。速攻でケリをつける」
肩慣らしに少し跳ねると、槍を構えてワイバーンめがけて全力疾走を始める。
そして、セインは地面を蹴り、崖から飛びあがる。
地面が無くなり、完全に宙に浮いている。が、それでもまだ地面が続いているかのように、セインは歩みを止めない。ただ、変わらず走り続けた。
その横をルーアは付いていく。
「飛行とは言えんが、まあ付け焼き刃にしては及第点か。……! 来るぞ」
ワイバーンは近づいてくるセインに気がついたようで、森を燃やしていた炎が、こちらに向けられてきた。
とっさにセインは空いた左手を迫りくる炎に向ける。すると、正面に魔法陣が現れ、そこから大量の水を放出して炎と相殺させた。……がその時、ガクッとセインはその場から落ち始める。
「うわっやばっ……!」
なんとか持ち直したが、先ほどより大分高度は下がってしまった。
「気をつけろ、魔法は同時に二つは使えないと言っただろう」
「何度もやられると落ちちゃうな。もっと全力で走んなきゃ」
炎が防がれたと分かると、ワイバーンは再び飛び立ち始める。
風圧に飛ばされそうになりながらも必死に耐え、前に進み続ける。
突進を仕掛けてくるワイバーンに、セインは思い切って槍を突き立てた。
イチかバチかの賭け……それは運よく上手くいき、ワイバーンの頭部に突き刺さった。
槍を辿って、ワイバーンの体に手を伸ばす。
「触れさえすれば、こっちの勝ちだ!」
セインが触れた途端、彼の魔法が発動してワイバーンは急に空から落ち始めた。
『竜がその巨体で空を飛べるのは、魔法によるものだ。故に、その魔法を解除させてしまえば、竜は空に留まれなくなる』
ルーアの言葉通り、魔法を解除させた途端に落下を始めたワイバーン。
急速に落下したワイバーンは、勢いよく地面に体を叩きつけることになる。想定していないからか、脚も伸びたままで、立ち上がれないらしい。
だが、その衝撃を受けたのはワイバーンだけでなく、セインもだった。
地面に投げ出され、受け身は取ったものの、かなりの痛手を負ってしまった。
限界を訴える体に鞭を打ち、セインは意地で立ち上がる。
するとワイバーンと目が合った。……その直後、ワイバーンは仕返しとばかりに炎を吐く。
ありったけの力を込めて水の壁を作り相殺するも、もう立っているのもやっとだ。
「大丈夫かセイン」
「なんとかね……さあ、交代頼むよ」
セインは心配して近寄ったルーアに手を差し出した。
それにルーアは応え、その手を握る。
燃え盛るように真っ赤な髪をしたセイン。
「あんまり余裕もないからね、悪いけど、一撃で決める」
赤い瞳でワイバーンを睨みながら、地面に槍の矛先を向け、突き刺した。
セインの周りを囲むように現れる、赤い魔法陣。同じものが、ワイバーンの頭部の下にも現れ……そこから、特大の土の槍が、その頭を貫いた……
それまで黒かったワイバーンの鱗は、毒気が抜けたように色が抜けていく。どうやら、息の根は止まったらしい。
それを見届けると、セインの髪と瞳の色も、元の黒に戻った。憑いていたルーアが抜けたのだ。
その瞬間。セインは急に力の抜ける感覚がして、足元がグラついた。
しかし、槍を支えにしてなんとか踏ん張った。
「こんな所で、倒れる訳にはいかない……負けるもんか……」
誰かに向けてはいない。ただ、自分の内に言い聞かせるように、セインは呟いた。
*
「ねえ、それ今じゃなきゃ、ダメ? みんな疲れてるでしょ? 消火もやったばかりだし、セナも疲れてるでしょ? 今は休もう?」
「そんな事言って、今怒ってるうちに説教しなきゃうやむやになっちゃうだろ! 無茶はしないでくれって何度も言ったのに、お前って奴は!」
「まあまあ、ほれ、今回は街を救うため、仕方がなかったのだ。な?」
「ルーア、お前まで肩を持つのか! お前も説教だ!
「年下に説教されるのは、嫌だなあ」
とても、賑やかな声が聞こえてくる。
何を話しているのだろう。今の距離からだと、会話の内容がよく聞こえない。
もっと近づきたい……ただ、どんな顔をして戻ればいいのか、分からない。
――こうして、木陰に隠れていればまた、セインが助けてくれるだろうか……?
そんな考えが、脳裏を過った。……でも、それではいけないと、振り払うように首を横に振った。
弱い私から、変わるんだ。
資格がないんじゃない。みんなと、並んで歩くのに相応しい戦士になるんだ。その為に、まずは踏み出すんだ。
みんなの姿が少しづつ、見えてくる。
――みんなはまた受け入れてくれるだろうか?
そんな不安はある。だけど今は、それを打ち消せるくらいに、大きな誇りだってある。
あの鬣の魔獣を倒したんだ。きっと、みんなの役に立てる自分になれるはず。
霊体のルーア、服はボロボロで、体中に傷が出来ているセイン。変わらず元気そうなセナ……そんなみんなの様子が、こうしてはっきりと見えるようになった時……セインが、こっちに気がついた。
「アレーナ!」
セインがそう言うと、他の二人も、こっちに気がついて振り返ってきた。
どこか安心したような、そんな表情の二人。……心配をかけさせていたらしい。本当に、私はバカだ……望むものは、こんなに近くにあったのに。
どんな言葉をかければいいのだろう。
ここまで来たのに、また立ち止まって、俯いてしまう、
……気がつけば、誰かが私の前に立って、手を差し出してくれる。
顔を上げると、みんなが優しく笑みを向けてくれていた。
「おかえり、アレーナ」
まだまだ、ダメな私だけれど、こうして受け入れてくれる場所がある。
みんなに今、私が出来るのは、ただ、この言葉を返すことだけだろう……表情は、出来る限りの努力をしよう。
「ただいま」
第二章はこの話で終了です
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