第十三話
黒装束の集団からの襲撃、そして鬣の獣との遭遇から、一週間ほど経った。
セイン達は目的地の街に前日の夜に到着し、街に一晩泊まった。
その翌日の朝。
街の外にある平原で、ルーアの足元でセインは息を切らして倒れていた。
「今日はここまでにするとしよう。午後には鍛冶屋の元へ向かうぞ」
「え……今日、行くの? やめとかない?」
「いいや今日行く。さあ、早う立て」
「ええ、やだー」
「……行くぞ」
「えー、せめてもうちょっと休ませ……待って自分で歩くから、引っ張らないで」
引っ張られそうになって、セインはへとへとの体で立ち上がり、ルーアの後ろをゆっくりと付いて行く。
「お主、なんか妙にワガママになっておらんか」
「そうかな……うーん、よく分かんない」
「まあ、ワシも相当無茶な特訓はさせてるし、鍛冶屋に行った後はしばらく休むといい。それまでは少し我慢をしてくれ」
自覚はあったのかと思うセイン。
それならもっと優しくしてもいいじゃないか……何か焦るような理由でもあるのだろうか? そうセインは考えた。
特訓も、移動も最短を行こうとしている。
――それだけ、僕が早く強くならないとマズイ相手って事なのかな。邪悪なる者は。
ルーアの様に実際に戦った訳でなく、アレーナの様に伝承を知っているわけでもない。 ただ、それでも勇士故なのか、なんとなく感じている。邪悪なる者の気配を。それが、日に日に少しずつ大きくなっているのも。
ルーアに言われた通り、どこか緩んでいたかもしれない。これからはもっと気を引き締めよう。そうセインは決意した。
*
「お嬢ちゃん、こんな所に一人で来ては危ないぞ。お主の親はどこにおる? お主のような可愛らしい女の子をこんな山中に一人にするとは、許せん親じゃな」
鍛冶屋へ向かう道中の事。
ルーアは少女が一人で山を歩いているのを見つけると、一目散にその少女まで駆け寄った。
少女は今の幼い姿をしたルーアと同じか、それよりも少し幼いかぐらいで、肌は浅黒い。
が、その両手には少女の体には余る大きさのバスケットが握られていた。
「お父さん、この山でお仕事してるの。お母さんがお弁当作ったんだけど、お母さん疲れてそうだったから、あたしが持っていくの」
「なんと! それは偉いな! 親孝行な子じゃの〜いい子じゃなあ」
彼女と会ってしばらく経つが、今まで観たことの無いほどに、ルーアの表情は緩みきっていた。
「よし、セインちゃん! 決めたぞ、ワシらもこの子が親の元へ行くまで守ってやろう」
「えっ?! 剣は?」
「どうせ同じ山の中じゃ。それなら先にこの子を親の元へ送っても大差などない」
セインは困惑しながらも、ルーアがすっかりその気になってしまっているので、従うしかなかった。
「ねえお兄ちゃん」
少女が、セインの服の袖を引っ張る。
「何?」
「あの子、あたしと同じくらいなのに、どうしてお兄ちゃんが言いなりなの?」
「えっと……色々あるんだよ」
どうせ説明しても分からないだろうと、適当に誤魔化すセイン。
「ふーん……お兄ちゃん名前は?」
「セインだけど……」
「そっか、セインね」
セインは思った。
今この瞬間、この少女から『自分より下』として認識されたと。
*
「ところでさあ、ルーア。どうしてセナとアレーナは街に残してきたの?」
少女を父親の元まで送り届ける道中、セインは気になっていた事をルーアに問いかけた。
そう、今はセナとアレーナが居ない。この山のふもと二は村があり、そこから更に離れた所にある街。今彼女たちはそこに居る。
朝出発する前、二人は街で待って居ろと、ルーアは言った。
「ああ、それは深い理由がある訳ではない。単にこれから会う奴が人見知りで、気難しい奴というだけじゃよ。必要以上の人数で行ったら、気に障るらしくてな。ワシにはよくわからんが、職人気質ともいうのか」
「へー、その人お父さんみたいだね」
「ほう、そうなのか。そう言えば、お嬢ちゃんのお父さんはこの山で何をやっておるのじゃ?」
「よく分かんないけど、いつもは斧とか作ってるよ」
「なるほど、鍛冶屋じゃな……ん?」
セインとルーアはその場に立ち止まり、お互いに顔を見合わせる。
「「この山で鍛冶屋?」」
二人は声を揃えてそう言った。
「仕事してる間は人に会いたくないんだって……どうしたの?」
「お嬢ちゃん、お父さんの名前、なんという?」
*
山の、ほとんど山頂と言っていい位置に、レンガ造りの小屋があった。
そこが、セインとルーアの目的の人物であり……少女の父親『ギル』がいる場所だ。
「おいギル! 居るなら出てこい! とっちめてやる!」
「ちょっと待ってルーア、目的が違うよ!」
今にも小屋の扉を蹴破り、暴れまわりそうなルーアを、背後から羽交い締めにして抑えるセイン。
そんな二人を横目に、少女は全く気にしていない様子で小屋の中に入っていく。
「お父さん居るー?」
小屋の中に声が木霊するが、返事は返ってこない。
「居ないみたい」
「あの男……可愛い娘が遥々来たというのに……許せんな」
「ルーア、話がややこしくなるからやめようよ……」
そんなやり取りをしている頃の事、
「おい、人んちの前で騒がしいぞ。いったい何の用……」
話しかけてきた者の方を向くと、そこには、小柄だが筋肉質の褐色肌をした中年の男性が居た。
その男は、こちらを見て持っていた薪と斧をその場に落とし、引きつった表情で体の向きを変えて走り出そうとする。……が、彼の目の前に大地から柱が現れ逃げ道を塞ぐ。
「ワシを見るなり逃げるとは、失礼ではないか? なあギルよ」
「あんたが来たら大抵碌な事頼まれないのは知ってるんだよ!」
ギル……そう呼ぶ男の周囲を槍の柱で囲い、逃げ道を塞ぐルーア。
「失礼な! 人を疫病神みたいに呼ぶでない!」
「悪魔だろ! 似たようなもんだ!」
「悪魔と疫病神ではまるで違うわ」
「……どっちでもいいよ」
二人のやり取りを、呆れた顔でセインは眺め、ため息を吐く。
そして、このままでは全く話が進まないだろう、と無理矢理二人の間に入る。
「ルーア、この人が僕達が探してた人でいいの?」
「ん? ……ああ、そうじゃ」
それだけ確認すると、セインは小屋の中にいる少女の元まで向かい、彼女を連れてくる。
「リリーじゃねえか! お前なんだってこんな所に」
「お弁当届に来たの。お母さんが何食べてるか心配だからって」
「いや、その前になんでお前一人で来てんだ。母さんどうした」
「最近よくお腹痛いって寝てることが多いよ」
その一言で場が静まり返った。
「おい」
ルーアが厳しい視線を向けると、ギルは娘のリリーを抱え込む。
「帰るぞ」
「えっ、ちょっと待ってまだ僕の用が……」
「どうせ仕事の話だろ! それは後だ!」
と、ギルは娘を抱えて駆け足で下山を始める。
「ちょっと待ってよ……ねえ、ルーアもなんで止めないの?」
セインが問いかけると、ルーアは小首を傾げて答える。
「そりゃあ、家族の一大事みたいじゃし。ああしないのなら、しばいておったところじゃ。とりあえず、追いかけるぞ」
そう言って駆け出したルーア。
セインは一人置いてけぼりにはなりたくなかったので、急いで彼女たちを追いかけた。
*
それからどれほど時間が経っただろうか。そんな事など全く気にする間もない程の一大事が起こり、街に残していたセナとアレーナまで連れてきて、てんやわんやの大騒ぎだった。
どうやら、ギルの奥さんは臨月だったらしい。その事を彼はすっかり忘れてしまっていたようだったが……
「いや、まさかいきなり呼び出されて出産に立ち会うことになるとは思わなかったよ」
大分疲れた様子で、セナはそう言った。
「ごめん、この街のお医者さん呼んでとは言われたけど、この街の事も、そもそもお医者さんって言うのもよくわかんないし……他に思い当たるの、セナぐらいだったから」
「あたし、出産と殆ど無縁な生き物なんだけどな」
そうセインに返事すると、ソファにもたれかかって深く息を吐く。
「それにしては凄いじゃないか、赤ちゃんはちゃんと生まれたし、母親も元気そうだ」
「もうとにかく必死だったんだよ。ありったけの癒しの力を使ったからな。何やったらいいか分かんないから、とにかく痛みを和らげただけ、本当に頑張ったのはお母さんだよ……あたしはもうほとんど体力も残ってないよ」
「あの状況でその判断が出来ただけでも凄いと思う。セナはもっと自分のした事を誇るべきだ」
「よせって、あんまり褒められると、体中ムズムズするからさ」
アレーナは少し興奮気味にセナの前で彼女を褒め倒す。
最初はまんざらでもない様子のセナだったが、流石に耐えられなくなったのか、両手で顔を覆い隠した。
と、そこへ今まで別の部屋に居たルーアがやってくる。
「医者の診察が終わったぞ。母子ともに状態は良いそうじゃ。お手柄じゃったな、セナちゃん」
「もうやめてくれ! 慣れてないんだよこんなに褒められるの!」
*
それからさらに丸一日程が経ち、四人は改めてギルの家を訪ねていた。
「今回は本当にありがとうございました。貴方達のお陰で、こうして、無事に子供も生まれました」
「いやあ、そんな……あたしはただ、手伝っただけで……」
ギルの妻に改めて礼を言われ、セナは顔を赤くしながら後頭部を掻いた。
こんなしおらしいセナを見るのが珍しいからか、彼女の横でセインは笑いを堪えていた。
「それでも、こうして無事に産めたのはセナさんのお陰ですから……本当に感謝しています。お礼をしなければならないとは思うのですが……その、あまり余裕が……」
それを聞くと、ルーアはギルを睨み、彼は気まずそうに顔を逸らす。
「あのっ! それなら……良ければ、赤ちゃんを抱かせて頂けないだろうか!」
「ええ、構いませんよ。この子が生まれたのは貴方達のお陰ですもの」
ギルの妻は快く生まれたばかりの子供をアレーナに預けた。
子供を抱く彼女の様子に、仲間達も驚いていた。……今の顔を綻ばせた彼女は、いつもの凛とした女騎士の雰囲気など微塵もなく、そこにあったのは、ただ、普通の少女の姿であったからだ。
そんな彼女の足元に、ギルの娘、リリーがやってきてアレーナの服の裾を掴む。
「お姉ちゃん! あたしにも抱っこさせて!」
「ああ、君の妹……大切にな」
リリーの両手に赤ん坊を渡し、彼女が赤ん坊を落とさないように、とアレーナはそっと手を添える。
自分の妹を大切そうに抱えるリリーを見るアレーナは、とても優しい笑みを浮かべていて、そしてどこか、羨ましそうだった。
「あんな顔もするのじゃなアレーナちゃんは」
「一人で旅してたり、実は王女様だったりとか、あとは普段の話し方で忘れるけど、アレーナも十八の女の子だもんな」
そんな事を、本人に聞こえないようにコソコソと話すセナとルーア。
その二人の間を割って、セインはアレーナの元へと向かっていく。そして、リリーと二人で抱える赤ん坊の事を覗き込む。
「ずっと気になってたんだけど……この人間は、どうしてこんなに小さいの?」
「セインそんな事も知らないの?」
リリーから呆れたと言わんばかりの視線を向けられ、精神的に痛いセイン。
「そういえば、セインは自分よりも幼い人間見るのなんて初めてか。周りにはずっと、大人しか居なかったもんな」
その場に居たセナ以外の全員が、彼女の発言に対して小首を傾げる。
「まあ、生きてきた環境が環境なだけに仕方ないな。セインちゃん、お主とて、そのように小さいころがあったのじゃ。まあ、覚えてはおらぬだろうが」
「そうだ、どんな生き物も最初は小さく、か弱いものなんだ。……それを、親が守り育てていくんだ」
「そうして子供は大きくなり、また親になる。それを繰り返し命を繋げていくのが、この世界の命じゃ」
アレーナとルーア、二人の話を聞いて、セインはリリーと同じ目線になるように跪く。
「僕もその子……抱いていいかな」
「……いいけど」
リリーから子供を預かり、抱きあげるセイン。
まだ、自分では何もできない、小さな命……抱いていると、僅かに思い出す。まだ自分が何も覚えておらず、周りの何もかもが怖かった頃を。
そう、あの頃はまだ、セナを見上げる事しか出来ていなかった。
でも今は肩を並べている……気付かない内に、自分が大きくなっていたんだ。と、今になって気づいた。
今まで、ズレて繋がっていなかったものが、一気に繋がった気がした。
自分も守られてきた……だから……
「今度は、僕の番だね」