第十二話
セイン達がレミューリアを旅立って、一週間程が経った頃。
旅の途中、近くに手頃な水場を見つけた。
そこで休憩をしようという事になり……しばらく経って、セナが水浴びから帰ってきた頃。
「何があったの?」
真っ青な顔をして、息を荒げて仰向けに倒れたセイン、気持ちよさそうに眠るルーア。
「死ぬかと思った……」
と一言セインは呟く。
たしかルーアがセインを鍛えると言っていた気がするが、どんな鍛え方をしたのだろうか……疑問に思ったセナは、アレーナに問いかける。
「ああセナ、戻ったのか。……これはだな、知っての通り、ルーアがセインを鍛えていたんだが……」
*
それはセナが戻るよりも前の事。
「剣の振り方は前に教えたが、これまでの戦いで、セインちゃんにはそれ以前に必要なものがあると分かった。なので、今回は別の事を教えようと思う」
勇士故か、皆が考えていたよりもずっと早く体力が戻り始めていた。その為、セインは遅れを取り戻したいと、ルーアに特訓を頼む。
ルーアとセインが向かい合って立ち、それを少し離れた所でアレーナが様子を見ていた。
「さて、特訓の前に一つ聞こう。戦いに『負けない方法』とはなんじゃと思う?」
「うーん……強くなる事?」
セインが答えると、ルーアはうんうんと頷いた。
「まあ間違いではない。が、あと一歩。ルールのない戦いは結局のところ殺し合い、これで勝敗を決するには、生きるか死ぬかじゃ。つまり死が負けじゃ。だがそれは、『生きていれば負けない』という事でもある」
「生きていれば、負けない……」
ルーアに言われたことを、噛みしめるように繰り返すセイン。
「そこでじゃ、たとえ勝つことが出来なくとも、ひとまずは生き残れば引き分けには出来る。なら最初に何を鍛えるべきか……ワシは逃げ足じゃと思う」
「逃げるの?」
「相手の攻撃を受けないことがまずは大事じゃ。それに剣を振るにも大事な事になるぞ。逃げ足を鍛えるという事は、足腰を鍛える訳じゃからな。一石二鳥じゃろう?」
「なるほどね」
と、セインは納得したらしい。
そんな彼に、「という訳で……」と言って少しセインから離れる。
その直後、セインの目の前に地面が隆起し、彼の鼻先を掠めた。
「今からこのように柱を連続で出していくので、それから逃げるんじゃ。良いな? では頑張れよセインちゃん」
「「ええ?!」」
ルーアの宣言に、セインだけでなく、静観していたアレーナも思わず驚きで声を上げる。
「それじゃあ、始めるぞ……よーい……」
セインに有無を言わさず、ルーアは魔法を発動させる準備をする。
セインは慌ててルーアに背を向けて走り出した……
*
「とまあ、そういう事があってな」
「なるほどね……」
事情を一通り聞き終えた後、セナは気休めではあるがセインに治癒の力を使用する。
その最中、ルーアの方へと呆れたような視線を向けた。
「で、ルーアは魔力使い過ぎて疲れたから寝たって事?」
「まあ、大体そんな所だ……というか、段々とエスカレートしていってな。流石にマズいと思って私が無理矢理やめさせた」
セナは心底呆れた様子で深くため息を吐いた。
「特訓させるのはいいけど、せっかく調子が戻ってきてるんだから無理させて、体壊すようなことはやめてくれよ……。セイーン、大丈夫かー?」
セナはセインの頬をペシペシと軽く叩き、反応を伺う。
「水……頂戴……」
微かに聞こえる声でセインはそう言った。
セナは水筒を片手にセインを抱き起こし、そっと水筒をセインの口に当てて傾けた。
「ありがとう……少し楽になった」
セインが落ち着いた頃、ルーアが起き上がる。
「いやあ、よく寝た」
「よく寝た……じゃないよ。まったく……せっかく調子戻り始めたんだから、いきなり無茶やらすなよな」
「ああ……いやあ、すまんな。何というか、恐れて逃げるセインちゃんの姿を見てたら、本能的な部分が騒いでな?」
そんな事を言って、気まずそうな顔で頭を掻くルーアを見て、そう言えば、こいつは本来、人の欲望や恐怖といった感情を糧とする悪魔だったのだ、とセナは思い出す。
最初は真剣に鍛えようとしていたのだろうが、逃げるセインの姿を見て、だんだんと血が騒いでしまったのだろう……
しかし、今まで全くそんな悪魔らしい素行は見せた事はなかった筈なのに、何故急に……とセナは疑問に思う。
「ルーア、お前魔力の使い過ぎで疲れてんだろ」
「ええ?! いやっ、そんな事は……」
セインをその場に寝かせ、目を泳がせて明らかに挙動不審なルーアに、セナは詰め寄った。
「あたし、そう言えばルーアが寝た所なんて初めて見たぞ。お前、確か今は本来の力を使えないんだろ? 実はこの間の戦いでかなりの魔力使って、体が魔力作るの追いついてないんだろ」
ルーアは答えない……だが、それでセナは自分の推測は、大体合っているのだろうと考えた。
「まったくどいつもこいつも……ルーアは暫く戦いの時は後ろで控えてなよ?」
「いや、そこまで気を遣わんでも良いのじゃぞ? そこらの敵ぐらいは問題なく戦えるわ」
「駄目、無理に魔力使おうとして体が耐えきれなくなって爆発されたら困るし」
そこまで言われると言い返せないのか、ルーアは渋々と言った様子で頷いた。
「せめてそんな無茶な特訓やるなら、どこか落ち着ける所まで行ってからにしてくれよ。……なんか、実は結構ヤバい状況っぽいからさ」
「セナ、それはいったいどういう事だ?」
アレーナの問いかけに、セナは先ほど水浴びをしていた時に、シエラから聞いた話を皆に伝える。
「シエラが言ってたんだ。邪悪なる者の力が、エレスと一緒にこの地脈を流れてて、それで、レミューリアの結界をすり抜けて来たんじゃないかって」
「なるほどな。……となると、少し気になる事があるな。一度、王都に寄る必要があるかもしれぬ」
「えっ、王都に?! な、何故……?」
王都と言う言葉に、アレーナが今までに見たことの無いような反応で驚く。
それを不思議がりながらも、ルーアは訳を話そうと口を開く。
「ああ、そう言えばアレーナちゃんはこの国の王族じゃったな……ふむ、それなら都合がいいかもしれん。実はな……」
「ねえ〜それより先に僕の剣じゃないの〜?」
ルーアの話を遮ったのはセインだ。
大分気怠そうではあるが、体力は回復してきたようで、ゆっくりと彼は体を起こしていた。
「ん? ううむ……王都の方も気になるが……そうじゃな、セインがまともに戦えん事には、行っても意味がない……か。まずは先にセインちゃんの方を解決してしまうか」
今の行先は、セインが普段使う剣を作ってもらうため、ルーアの知り合いだと言うドワーフの鍛冶師の元まで向かっている。
と言うのも、セインが光の力を使う度に剣が壊れていては戦いに支障をきたす。
勇士の剣は、持っているだけで力を剣に吸われてしまうようで、普段から使うには使い辛い。
以前はそんな事はなかったそうだが、長い年月で力を失い、元の力を取り戻すのにセインから力を吸い上げているのだろう……と、ルーアは言った。
なので、光の力を使っても壊れない、頑丈な剣を作って貰おう。という事になったのだ。
「ああ、そうだな。まずは戦力を整えた方がいい。これから先何があるかも分からないし、石橋を叩きすぎるという事もないだろう」
アレーナは頷きながらそう言った。
そんな彼女を見て、セナはルーアに耳打ちをする。
「なあ、ルーア……ちょっとアレーナの様子おかしくないか?」
「うむ……そうじゃな。あれはまるで……王都を避けたいように見えるな」
王都……その単語が出てきてから、どこか様子がおかしいのは誰の目から見ても明らかだった。
セインだけは気づいているのかいないのか、よく分からないが。
「なあ、しばらくは王都の事は話すのやめておかないか?」
「……いずれは王都にもいかねばならんのだが、まあいい。暫くは様子を見よう」
あまり話していても怪しまれるだろうと、話も纏まったので、そこで二人は離れた。
セインもまた動けるようになり、休憩を終えて旅を再開する。
その道中……森へ入って暫くしてからの事だ。
ルーアが、周囲にしきりに視線を向け、
「ふむ……森に入ってから隠れる物が増えたからか、付けてきて居る者達が近づいてきたな。人数も少し増えたか……今は四人ぐらいじゃな」
と、仲間達に聞こえるようにだけの声の大きさで呟いた。
「ずっと付けて来ていたが、何もしてこない分には放っておこうと思っていたが……もしかするとここで仕掛けてくるかもしれん。気を付けろよ」
皆、言葉で返事はしないものの、空気が引き締まる。
こちらが警戒している事を悟れば、向こうも迂闊には動けないだろう。……そう判断した。
そんな中での出来事だった。
セインは、急に目の前が真っ暗になり、全身から力が抜けるような感覚に襲われて、その場に膝をついた。
それが、綻びになった。
セナは思わずセインに駆け寄り、隙が出来た。
付けて来ていた連中はそれを好機と取ったようで、物陰から出てきて飛びかかる。……アレーナに向かって。
だが、アレーナは槍を横に一閃……返り討ちにする。
流石に向こうも手練れの様で、それだけで終わりにはならなかった。
傷を負いはしたがそれほど深くは入っておらず、一度距離を取ってアレーナ達を囲む。
「……やはり、お前達か」
自分達を囲む黒装束の人物達に、怒りの籠った眼差しを向けて、低い声でそう言った。
「聞くだけ無駄だろうが……誰の遣いだ」
「答える義理はない。我々はお前を始末する……それだけだ」
「そうか。そうだろうな……それで、私以外の者は関係ない筈だが」
「我々の姿を見た者は生かしてはおけん」
そうか……と、一言だけ呟いて、アレーナは槍を構えた。
「……アレーナ、あやつらに心当たりはあるのか?」
ルーアの問いかけに、アレーナは答えない。
――アレーナも王族の子……か。まあ、その事に関しては、我が首を突っ込むことでもないが……
ルーアは、黒装束の人物達に目を配り。
「旅を邪魔されるのは不愉快じゃ。お主ら、悪いが気絶程度では済まさんぞ」
と告げると、なるべく戦うなとは言われていたが、そんな事など気にせず戦いに備えて構えるルーア。
――セナはセインに付きっきりで戦えないであろうし……やはり我が戦うしかあるまい。魔力を使うだけが戦いでもないしな。
セインは、今も苦しそうに頭を抱えている。いや、むしろ先程よりも苦しんでいるようにも見える。……何かに反応しているように。
彼の様子が非常に気になる所ではあるが、まずは目の前の敵を倒す事が先。
そう考えていた時だった。
「私の仲間に……手は出させん」
アレーナが一人で飛び出し、黒装束達の注目を一手に集めた。
驚くほどの速さで迫り、次から次へと倒していく。
あっという間に全員を倒したが、アレーナはそこで止まりはしなかった。
動かない黒装束の内一人の前に立ち、逆手に持った槍を掲げる。
ルーアは止めない。綺麗事だけでは生きていけないのを知っているから。
このまま放っておいても、また襲われて邪魔をされるだけだ。ならばここで追いかけられないようにした方がいい。そう考えた。
セナも止める事は出来ない。どうすればいいのか分からなかった。アレーナの都合を知らないから。
殺してほしくはない。……が、止める事が正解なのか? そう思うと、止める事は出来なかった。
誰にも止められる事はなく、槍を振り下ろそうとした、その時……
「待って……アレーナ……」
ただ一人、セインだけがアレーナに声をかけた。
思わず動きを止めたアレーナに向かって歩き出すセイン。
痛みが続いているのか、頭を抱えながらも、一歩一歩、ゆっくりと彼女に向かって歩いていく。
そして、セインは槍を持つアレーナの手を掴み、顔を覗きこむ。
「僕には、どうするのが正しいのか分かんない……だけど、今のアレーナは凄く、怖い顔をしてる……そんな顔してほしくないんだ……きっとこのままじゃ、アレーナは戻れなくなるよ……そんなの嫌だから……」
アレーナは、ふと顔を上げると槍の先に映る自分の顔が見えた。
それは、怒りに歪んでいるようにも、恐怖に引き攣っているともとれる醜い顔だった。
――自分の中の、黒い感情が弾けたように一気に溢れ出して止まらなかった。
――その結果が……こんなのが、私か……
一気に上っていた血が引いていったような気がして、力が抜け、アレーナはその場にへたり込んだ。
そして、その様子を静観していたルーアは、アレーナが動かなくなったのを見ると同時に魔法を使う準備をする。
――アレーナがやれぬのなら、それでも良い……だが、こ奴らを生かしておく道理も、ない。
魔法を発動しようとしたその時、森の中を何かが駆け抜ける音が聞こえてくる。
新手が現れた事に警戒して構えるルーアだったが、突如現れた『何か』は彼女の真上を飛び越えていく。
そしてそれは、アレーナとセインの前に降り立つ……
アレーナが顔を上げると、そこには漆黒の体毛に覆われ、鬣をたなびかせる獣が背を向けていた。
「この魔獣……あの時の……」
ぼんやりとした様子で、アレーナは呟いた。
そんな彼女を一瞥し、鬣の獣は黒装束達へと飛び掛かり、次々と頭をかみ砕いてトドメを刺していく。
黒装束全員の息の根を止めた後、鬣の獣は立ち去っていく。
何故あの獣は、黒装束達を殺して立ち去ったのか……いったい何が起こったのか、誰も理解が追いつかず、暫くの間、ただその場で呆然とする事しかできなかった。
*
それは、セイン達が鬣の獣と遭遇してから暫く時が経った頃の事。
日が落ちて、薄暗くなった時間帯……いくつも十字架の建てられた地の真ん中に、頭に獣のような耳がある、焦げ茶色の髪をした半裸の男……グレイガが寝そべっていた。
露わになっている上半身には、酷い火傷の痕があり、見ているだけでも痛々しい。
だが、これほど酷い火傷にも関わらず、この男は何事もないかの様に穏やかに寝息を立てている。
この場所は、かつてはレシーラという魔王軍の幹部が、魔力を回復するために持っていた領地。
魔族は自らの体内で魔力を精製出来ない。その為、魔力の溢れる地から補給をしなければいけない。
だが、それが出来る場所はあまり多くはない。加えて、一つの地に複数の魔族が集まれば、その分だけ一人一人の得られる魔力が減る。
故に魔族は功績を上げた者に対して領地を与え、四天王程の位になると、こうして強く魔力が溢れる領地を一人で使える。
が、今は既にレシーラは居ない。
領地を持たないグレイガは、元々ここに入り浸っていた事もあり、彼女が死んだ後も我が物顔で使っている。
本来であれば、そんな事をすれば他の魔族から顰蹙を買う所だが、並みの魔族どころか、他の四天王でさえ迂闊にはグレイガに手を出せない。
彼は、人間も、魔族も、一切の境界線なく命持つ者を食らう。
今は魔王との約束で魔族は食らわない。という事になっているが、いったい何を引き金にその約束を反故にしないとも限らない。
魔王としても、グレイガに敵に回られるのは厄介だった。だから、むやみに彼の感情を逆なでる事はしない。
*
戦いの傷を癒すため、この地の魔力を吸い上げているグレイガの頭頂部に生えている耳が、ピクリと動く。
瞼を素早く開き、上体を起こすと、辺りの匂いを嗅ぎ始める。
「こんな時間のこんな所に人間が来るとは……物好きも居たもんだ」
口の両端を吊り上げた後、グレイガは息を潜め、気配を消す。
足音と匂いのする方へと、ゆっくりと近づいていく。
だが、グレイガは足を止める。耳を澄ませてみると、意外な言葉が聞こえてきたからだ。
「ぐ、グレイガさん……いますか? グレイガさーん……」
それは年端も行かぬ少女の声。怯えているからか、かなり震えている。
全く聞き覚えはない声だったが、どうやら自分がここに居ることを分かって来たらしい
……そんな彼女に、グレイガは興味が湧いた。
背後に忍び寄り、少女の肩を掴む。
「おいお前、こんな所で何をしている? 人間が、来るところじゃないぜ」
ビクンと大きく肩を震わせる少女。
恐る恐ると言った様子で振り向く彼女は、顔を真っ青にさせ、怯え切っている様子だった。
「あ、あの……貴方が、グレイガ……さんですか?」
「そうだったら、なんの用なんだ?」
「え……えっと、その……アギルって人から……これを……」
少女は手を震わせながら、一通の手紙を差し出す。
「……読まずに捨てるって訳にも、いかねえんだろうな」
グレイガは渋々といった様子でそれを受け取り中を開く。
読み終えると同時、深いため息を吐いて頭を掻く。
「めんどくせえ……」
手紙には何故レミューリアでアレーナを殺さなかったのかという事に対して、文句を言っている長ったらしい文章の後、彼らの次の行き先が記された地図があった。
次こそはやれ……そういう事だろう。
「なんでオレがやらなきゃいけねえんだ。アレ殺すぐらいなら他にも誰かいんだろ」
ぶつぶつとグレイガが呟いていると、少女が震えた声で声を掛けてくる。
「あの……わたし、帰ってもいいでしょうか……」
グレイガは少女を睨みつけると、少し考える。
「そうだな、もうお前はここに居る必要はないな」
そう告げると、少女は少し安堵した様子で、グレイガに背を向けて走り出す。
「お前の命は、俺が頂く」
少女の背後に、音もなく近づきその首筋に噛みつく。
血を吸いつくすと、グレイガの体の傷が急速に癒えていく。
残った少女の体を放り投げ、口元に付いた血を拭う。
「お前はここの魔力の糧にでもなっておけ」
グレイガは傷の治り具合を確かめ、完全に治って居ることを確認した。
「やはり魔力を吸い上げるより、人間の魂を取り込めた方が早い。……アギルの奴、これで恩を売ったという所か……まあ、そう言う事ならば仕方がない」
十字架の一つにかけていたロングコートを羽織り、その地を後にする。
「受けた借りくらいは、返してやるか」