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第十一話

 アレーナは、コンコンと部屋の戸をノックする。だが、返事はない。

 セインはまだ目覚めていないのだとしても、セナが看病をしていたはずだと思いながら、そっと扉を開く。

 中に入ると、セナがセインの眠るベッドに突っ伏して眠っていた。


 ……ずっと付きっ切りで看病をしていたんだ。疲れてしまったのだろう。とアレーナは思った。


 セナの元に近づき、彼女の事をそっと揺する。


「起きろセナ、こんな所で寝ていては、風邪をひくぞ」


 と言いつつ、そもそもセナは風邪をひくのだろうかと、疑問に思い首を傾げた。


「アレーナ……あたし、寝ちゃってたんだ」


 セナは起き上がると、眠そうに目をこする。


「セナ、交代しよう。私の部屋で寝てくるといい」

「え、でも……」

「あまり無理をするな。今の君は生身の体なんだ。セインが起きてセナが倒れては、意味がないだろう」


 アレーナに諭され、渋々といった様子ではあったが、納得はしたようだった。


「何かあったらすぐに言って」

「ああ、分かっている」


 少し歩く姿が心許ないセナを部屋まで送る。

 その後、セインの元へ戻り、看病をするために彼の眠るベッドの傍に座った。


 セインが目覚めないまま、一週間が経っている。

 これまでも度々あったことだが、そのすべてに共通するのは、『憑依』の力を使ったこと。

 ルーア、セナ……悪魔か空人の魂をその身に取り込み、強力な力を得るそれは、きっと彼の体に大きな負担をかけるのだろう。


 そんな力を使わなければいけなかった相手。

 それを使ってもなお、勝てなかった相手。


 ……何故、セインはたった一人で立ち向かおうとしたのだろう。

 ……何故、逃げなかったのだろう。

 ……私の為、なのだろうか。


 話に聞いた限りでは、セインが戦ったという敵の特徴は、空人の里に現れた獣男のそれと一致する。

 アレーナの命を狙っているというその男……もし、今回戦った相手がその男だとするなら……そう考えて、アレーナは深いため息をつく。


「私は、君に助けられてばかりだな……」


 思い返せば、出会ったその時から、赤目の魔獣や、レシーラとの戦い……いつだって彼の力に助けられてきた。

 今までは運よく乗り越えられてきた。だから、勘違いしてしまっていた。


 セインは、特別な力を持っていると言っても、争い事とは無縁の世界で生きてきた、普通の少年なのだ。

 

 ……頼ってばかりでどうする。本当なら、私が頼られるべきじゃないのか?


 自分の不甲斐なさに、唇を噛みしめるアレーナ。


「私にも、力があれば……」



 獣のような男が、金髪の少女の白く細い首を掴む。

 首を強く絞められ、苦しそうにもがく少女の姿を、黒髪の少年……セインは体が動かず、ただ見ることしか出来ないでいた。


 そして、少女は抵抗しなくなった……その手は力なく、だらんと垂れ下がる。


 獣男は、少女だったものをセインの方へと投げてよこす。

 少女は息もなく、動かない。彼女は間違いなく死んでいた。


 セインは倒れたまま顔を上げ、獣男を見つめる……その瞳には強い怒りが籠っていた。

 当の本人はそんな事など気にしない様子でセインに近づき、しゃがみこんで彼と目を合わせると、右手でセインの頭を鷲掴みして地面へ押し付ける。


「この女が何故死んだか分かるか? それはな、お前が弱いからだ。だからこの女を守れずに殺したんだ」


 そう言った後、獣男はセインの耳元に顔を近づけ、


「今からお前も送ってやるよ、あの女のところにな」


 と囁き、手刀を振り下ろす……



 不吉な夢だった。

 夢と言うには、あまりにもはっきりとし過ぎていた気がする。だが、今自分は生きている。と、いう事はアレは夢で間違いないのだろう。


 安心して一息ついた所に、アレーナがポットとコップの載ったお盆を持って部屋に入ってくる。


「水を持ってきた。飲めそうか?」

「ありがとう。喉カラカラだったんだ」


 差し出された水を受け取り、一気に飲み干し、もう一杯注いでもらう。


「少しは元気が出たみたいだな。……急にうなされ始めたから、驚いたぞ」

「ごめんね。ちょっと、悪い夢を見たから」

「どんな夢を見たんだ?」

「えっと、それは……」


 一瞬、彼女の方を見てすぐに目を逸らす。


 アレーナが、殺される夢……などとは言えるはずもない。

 何も言えずにいると、彼女も気を使ってくれたのか「無理に言う必要はない」と話を打ち切った。


「そうだ、セナに君の目が覚めた事を伝えてこなければ。本当は目が覚めたらすぐに教えに行く約束だったんだ」


 アレーナが、立ち去ろうとしたその時……


「待って」


 セインは思わず、アレーナの手を掴んで引き留めていた。


「どうか、したのか?」


 戸惑っている様子だった。

 セイン自身もそう。なぜこんな事をしたのか分からない。


 一人になるのが嫌なのか、それとも一人にしたくないのか。


 どちらにせよ、彼女だけを行かせたくなかった。


「僕も行くよ。その方がいいと思う」



「セナ……セナってば!」


 自分の名を呼ぶ、聞き覚えのある声。

 夢だろうか? だって彼はまだ……そんなことを寝ぼけた頭で考える。


「もう! 起きてよ、いつまで寝てるの!」


 声の主は、そう言って激しく体を揺さぶってくる。

 さすがに夢ではないと分かり、耐えかねたセナは上半身を勢いよく起こす。


「あ、起きた。おはようセナ」

「うん、おはよう……じゃなくて! セイン! お前、目が覚めたのか!」

「ついさっきね」


 驚きからか、興奮気味にセインに掴みかかるセナ。


「もう動いて大丈夫か? どこか痛いところとかないか?」

「大丈夫だから……今の方が、苦しい」

「セナ、落ち着くんだ。セインも困っているだろう?」


 セインのすぐ後ろに居たアレーナが、セナを引き離す。

 そして、宥めながらベッドに座らせる。


「ごめん、ちょっと興奮しちゃって。で、体の方は大丈夫なのか?」

「お陰様で」


 と、セインは自分の体を軽く叩く。


「そうか、良かったよ……」


 安心したセナはホッと胸を撫でおろす。


 それと同時に、ぐぅと腹の音が部屋に響く。


「……ごめん、安心したら急にお腹減っちゃって」


 恥ずかしそうに頬を赤く染め、頭を掻くセナ。

 そんな彼女の肩に、アレーナは気遣うように手を置く。


「ずっと気を張り詰めていたんだ、仕方ないさ。食堂に行って何か食べよう」

「僕もちょうどお腹空いてたし、一緒に行こ」

「そう? じゃあ、せっかくだから行こうか」


 セナがベッドから降りると、三人は並んで歩きだす。


 食堂へ向かう途中、セインは急に立ち止まる。


「ごめん、二人とも先に行ってて。僕ちょっと忘れ物してきたから、取ってくる」

「忘れ物って、食堂行くだけだぞ?」

「お金忘れちゃったの。だから先に行ってて」

「それくらい気にするな。私が出すぞ?」

「悪いからいいよ」


 と、一人で部屋へと戻っていくセイン。

 残された二人はどうにも腑に落ちない様子だったが、無理に着いて行っても追い返されるだけだろうと思い、仕方なく先に行くことにした。



 月が真上に上った頃。

 宿にある大浴場。その中に一人、水色の髪の少女が湯船に浸かっている。

 他に客はおらず、貸し切り状態だ。


「いやあ食べた食べた……ちょっと食いすぎた気もするけど。まあ大丈夫だろ。うん、大丈夫」


 自分に言い聞かせるように大丈夫と呟くセナ。


『そうですねえ、セナはもうちょっとお肉付けた方がいいと思います〜』


 どこからともなく聞こえる、間延びした話し方の女性の声に、セナは一瞬驚きで体を震わせる。

 だが、その後すぐに声の主が誰かが分かり深くため息をつく。


「シエラ、急に話しかけられると驚くからやめてくれよ」

『あら、ごめんなさ〜い。でも、どうやったら急じゃない話し方が出来るでしょうかあ』

「……水辺をピカピカ光らせるとか?」

『急に光りだしたら怖くありませんかあ?』

「急に話しかけられるのも、充分怖いと思うよ」


 声の主はシエラ。この街の神殿に住まう精霊の少女。

 だが、その姿はどこにもない……そもそも、彼女は神殿からは離れられない。


 では何故、彼女の声が聞こえるのかというと、セナが彼女から与えられた精霊の杖の力である。

 どうやら、ある程度水の溜まった場所の近くにいると、水の精霊である彼女と会話が出来るようになるらしい。


『まあその辺はおいおい考えましょう。でも、こういうモノだと教えていますし、水辺に居たら大丈夫という事になりませんか?』

「お風呂は別かなあ」

『私からはそちらがどうなっているのか見えませんので、難しいですねえ』


 二人が会話をしている最中、大浴場の入り口が開く音が聞こえる。 


「……その声はセナか?」


 少し怯えたような声だが、それはアレーナの声だとすぐに分かった。


「アレーナ? そっちも今お風呂?」

「そのつもりだったが。後にする」

「えっ、なんで?!」


 引き返そうとするアレーナを見て、セナは急いで追いかけて引き留める。


「どうしたんだよ! せっかくだから一緒に入ろうよ」

「いやその……それが一番嫌……」

「なんでだよー!」



 それから暫くして、ほぼ無理矢理ではあったが、アレーナを連れ戻したセナ。


 話を聞けば、どうやら彼女は他の人と一緒に風呂に入るという経験がほとんど無いせいで、裸を見られるのが恥ずかしいとのことだった。


「意外だなあ。なんていうか、今初めてアレーナを王女様なんだなって思えたよ」


 セナに背中を流されているアレーナは、赤く染まった頬を膨れさせる。


「それは少し失礼だと思うぞ。私をなんだと思っているんだ」

「屈強な女戦士だと思ってた」

「屈強は買い被りすぎだと思うし、そもそも私はまだ十八なので、もう少し女の子らしい評価をして欲しい……」


 背中を流しながら、「こいつ意外とめんどくさいんだな」と心の中で呟くセナだった。


「あれっ」

「どうかしたのか?」


 アレーナの背中に、あまり大きくはないが、何かに刺されたような傷跡があるのをセナは見つける。


「アレーナ、この背中の傷ってどうしたの?」

「背中の傷? いや、分からないな。戦っているうちに出来たんじゃないだろうか」

「ああ、そりゃそうか」


 セナは納得して、彼女の背中にお湯をかけた。


「ありがとうセナ。じゃあ、私はこれで……」

「え、温泉入らないの?」

「すまない、遠慮しておく……」


 引き留めようとしたセナだったが、アレーナは目に涙を滲ませながら物凄い力で振り払い、セナは床に尻餅をつく。


「ああ、すまない! でももう限界なので部屋に戻る!」


 と、彼女は急いで浴場から出て行った。


 一人になったセナは。体をさすりながら立ち上がり、再び湯船に浸かる。


「いてて、可愛いところあると思ったら凄い力……やっぱり屈強じゃんか。まあ無理させすぎちゃったか」

『おかえりなさぁい。どなたか来ていらっしゃったんですかあ?』

「アレーナっていうあたしの仲間がね。もう戻っちゃったけど」

『ええっ! 温泉に入っていかなかったんですか?』

「恥ずかしいんだって」


 勿体ない……と呟く声が聞こえてくる。セナも同意して頷く。



 大浴場から逃げるように部屋へ戻ってきたアレーナ。

 普段からなるべく人がいないタイミングを見計らって入っていたが、やはり次からは個室に浴室のついた宿に泊まろうと決意する。

 まあ、この街は温泉街なので、別の街に移動しない限りそういった宿はないのだが。


「早く別の街に行きたい……」


 とはいえ、まだ目覚めたばかりのセインでは、体力的に別の街へ移動する事は難しいだろう。

 旅の再開はまだ当分先の事だ。

 それまでの間、我慢をするしかないだろう。


「ねえ、アレーナ居る?」


 部屋の外から呼びかけてくる声が聞こえる。セインの声だ。

 こんな時間に何の用だろうか……と疑問に思いながら、一度咳払いをして部屋の戸を開く。


「どうかしたのかセイン」

「セナが部屋に戻ってこないから、アレーナ知らないかなって思って」

「ああ、セナならさっき大浴場で会ったが……」


 まだ戻っていないのだろうか。だとすると、セナはアレーナが入るよりも先に入っていたので、結構な長風呂をしていることになる。


「そっか、じゃあ大丈夫かな。セナお風呂長いし。……ねえアレーナ。少しでいいんだけど、話し出来る?」

「ああ、構わないが……」


 セナは放っておいて大丈夫なのだろうか? とは思ったが、少しで済むのならいいだろうと部屋に招く。


「君から私に話なんて珍しいな」

「そうだね、二人きりで話すってほとんどなかったよね」


 ベッドのすぐ傍に椅子を置き、セインを座らせる。そして向かい合うようにベッドに腰を掛けるアレーナ。


「それで、話とはなんだ?」

「ちょっと聞きたいことがあってさ。昔の勇士の事、どんな人だったのかなって」

「私にか? それはルーアに聞いた方がいいんじゃないのか?」


 アレーナは伝承でしか話を聞いたことがない。直接会ったことのあるルーアに聞いた方がいい筈なのだが。


「僕は、アレーナが憧れた勇士の話を聞きたいんだ」

「まあ、それは構わないが……」


 それに何の意味があるのかはともかく、別に話して困る事でもないのでかいつまんで話すことにする。


「聞いた限りではかつての勇士は、どんな敵にも負けない強靭な肉体を持ち、それでいてとても優しい人物で……誰からも、慕われていたらしい」

「そうなんだ。凄い人だったんだね」

「あくまで伝承で聞いた話だ。本当かどうかは分からないぞ」

「でも、アレーナが憧れたのはそういう人なんでしょ?」

「それはどういう……」


 セインの言葉の意図が理解できず、問いかけようとするも、彼はそれを聞かずに立ち去ろうとする。


「話を聞かせてくれてありがとう」


 そう言い残してセインは部屋から出て行った。



「セナ、長風呂もほどほどにしなよ」

「面目ない」


 セインがアレーナの部屋を出てから暫くたった頃。


 流石に戻ってくるのが遅いと思ったセインは、アレーナに頼んで女湯へ見に行ってもらうと、セナは案の定のぼせて倒れていたらしい。

 そこをアレーナに担いで部屋まで連れて来てもらい、今はセインが看病をしている。


「これじゃあ立場が逆だな」

「ホントだよ。気を付けてよ?」

「お前が言うか」

「それは……お互い様、だね」


 二人は、互いに顔を見合わせて笑いあう。


「似た者同士だね、僕たち」

「そりゃそうだろ、家族みたいなもんだからな……さあ、そろそろあたしも落ち着いてきたし寝よう」


 セインは頷いて同意すると、自分のベッドへ戻ろうと……したところを、セナが呼び止める。


「セイン、よかったら一緒に寝ないか?」

「え、どうして?」

「いいじゃんか、前はそうしてたろ。今日は冷えるしさ、お願い」


 毛布に体を包めたまま、片手だけ出して手招きする。

 セインは仕方なく彼女の方へ近寄ると、腕を掴まれて布団の中へと引きずり込まれると、正面から抱き寄せられる。

 そして優しく、それでいてしっかりと離れないように抱きしめられる。

 あまりに突然の事に、驚きと恥ずかしさで頭が混乱するセイン。


「せ、セナ? どうしたの、いきなり」

「おとなしくして」

「う、うん。わかった」


 強めの口調で言われ、思わず従う。

 すると、体中に温かさを感じる何かが流れているのを感じた。

 体の痛みが和らいでいくのをセインは感じる。


「やっぱり、体に無理させてたんだな」


 セナは力を使い、疲弊していたセインの体を癒そうとしていた。

 彼女の力は、直接体に触れていないと使うことが出来ない。


「分かっちゃった?」

「こっちは本気で心配してるんだぞ」


 震えた声で、セナはそういった。 


「あたしが治せるのは傷や怪我だけ。こういう内側の痛みは、和らげるぐらいしかできない」


 セナは、セインの胸に埋めていた顔を上げて、真っ直ぐ目を見つめてくる。


 暗い部屋の中、今、窓から射し込んでいるのはとても淡い月の光。

 細かい表情はよく分からない。ただ、ジッと見つめてくる彼女の目は潤んでいるように見えた。


「あたしに治せないものもある。このままじゃ、いつかお前の体が動かなくなるかもしれない。だから、あんまり無理しないでくれ……約束、してくれるよな?」


 縋るような目で訴えかけるセナ。

 暫しの沈黙。今はもう人々が寝静まっている時間だ。互いに黙ってしまうと、他に聞こえる音は殆ど無いと言っていい程静かだった。


 セインは考えていた。セナは、記憶のない彼にとって、たった一人の家族だ。その彼女にあまり心配をかけさせたくはない。その気持ちはある。

 ただ一つ、それが出来ない理由があるとすれば……今この瞬間、セインの胸をざわつかせる、この感覚の正体だろう。


「ごめん、セナ。約束、出来そうにないや」

「えっ」


 驚きからか、一瞬力が緩まる。

 その時セインは、自分の背中まで回されていたセナの腕を放させると、すぐさまセインはベッドから抜け出して、勇士の剣を携えて部屋を飛び出していく。


「セイン……どうして」


 とても、怖い顔をしていた。

 長い付き合いだが、セインのあんな顔を見るのは初めてだった。


 それから間もなく、街中に魔獣の襲撃があることを告げる警報が響き渡る。


「魔獣の襲撃、こんな時間に……まさか!」


 警報からセインの行動の意味を理解するまで、時間はかからなかった。

 支度も何もせず、彼を追いかけるために、セナは着の身着のまま部屋を飛び出す。


 まだ万全ではない彼の体ではすぐに追いつけると思ったが、宿の外に出ても彼の姿は見えない。だが、行先の検討はつく。

 セナはただひたすらに走る。出来れば、彼が目的地についてしまわぬ内に追いつくために……



 警報が鳴った後、アレーナはすぐに装備を整えて外壁の正門へと向かった。

 そこで彼女が見たのは、冒険者か、それとも逃げ遅れた住人か……先程までは命だったであろうモノが、辺り一面に転がっている凄惨な光景だった。

 いったいどんな魔獣がこんな事をしたのか、建物には大きな三本の爪痕が残っていると言うのに……魔獣の姿がどこにも見えない。


 ただ、周囲を見渡すうちに、幼い少女のような人影を見つける。

 そこへ駆け寄ると、居たのはルーアだった。向こうもアレーナに気がついたのか、顔を横に向けてこちらに視線だけを向ける。


「遅かったなアレーナちゃん。……ああ、今は暗いから、外に出るのが怖かったか」

「黙れ。……今は月が明るい、これくらいなら問題はない」


 そうか……と興味なさげにアレーナから視線を外すルーア。


「ワシは街から離れていてな。来た頃には既にこうなっていたが……どんな魔獣が来たかは分かるか?」

「いや、警報では特には」

「そうか。ただ、ここに残るこの殺気は……」


 直後、何かに気がついたルーアは、アレーナを突き飛ばしてその場から離れる。

 すると、先ほどまで二人が立っていた場所の地面から、黒い触手のような物体が数本、飛び出していた。

 黒い触手は何かを掴み損ねたかのように、空を裂く。

 その後、触手は一つに纏まっていき、『影』が立体となって、人の上半身だけのような姿を形作っていく。……ただし、両腕の先は鎌のようになっていて、長い髪が逆立ったような頭部には顔がなく、ただ『赤い目』だけが二つあるだけだった。

 


「やはり、この殺気は邪悪なる者の手先か……この街にはシエラの結界がある筈だと言うのに何故……」

「考えている暇はない。ここを襲った魔獣は明らかに奴だ。だが……」


 アレーナは敵から目を逸らすことなく、考える。


 ここにはセインが居ない。そもそも、今の彼を戦わせるわけにはいかない。

 アレーナの顔を一滴の汗が伝う。……そんな今の状況でいったいどうやって対処しろと言うのだろうか。……顔には出さないようにしていたが、多少なりとも不安が表に出てしまったのだろう。


 ルーアはチラッとアレーナを見ると、嘲るような笑みを浮かべる。


「セインちゃんが居なくて不安か?」

「馬鹿を言うな……と、言いたいが、どうする? 勇士の力なしで、どうやって戦えばいい」


 彼女の疑問に対して、ルーアは笑みを不敵なものに変えて答える。


「ワシを誰だと思っておる。かつての戦いを経験した悪魔じゃぞ? あやつらと戦う術がないとでも?」


 そう言って、ルーアは肩をほぐす様に回す。そして、両手の掌を胸の前で合わせ、直後にそれを地面に叩きつける。


 すると地面が隆起し、先端が鋭く尖った石の柱が、回転をしながら敵の方向へと真っ直ぐ、素早く伸びていく。そしてそれは敵が避ける間も無く、標的の頭部へ突き刺さる。


「まあこんな所じゃ。……と、得意になりたかったのじゃが。頭を貫いたぐらいじゃ仕留めきれんようじゃ」


 影の魔獣は、頭が刺し貫かれているにも関わらず、何事もなかったかのように腕を動かし、その鎌のような腕で、石柱をまるで紙をナイフで裂くように容易く切り裂く。

 その後、頭部が真っ二つに割れて刺さっていた部分が地に落ちる。そして、頭部は再び元の形に戻った。


 一連の流れを眺めた後、アレーナは一瞬だけルーアに視線を向ける。


「攻撃が通用するのは分かった。それで、もう一度できるか?」

「……ああ。だがさっきと同じ事をした所で無駄じゃろう。……より強力な魔法を使う必要がある。魔力を錬る時間稼ぎを頼めるか?」

「どうせ私にはそれくらいしかできん。任せて……」


 言いかけて、アレーナは一つの疑問が浮かび上がる。

 ……先ほど見た爪痕は三本。それも荒々しく砕いたような痕だった。この影の魔物の鎌で付けたとは到底思えない。

 ならばいったい誰が、あんな傷跡を残していったのか……


 一つの答えに辿り着くと同時、アレーナは耳を澄ませる。……背後から何者かが近づいている、速い足音……アレーナは、ルーアを突き飛ばしてその場から飛び退く。


 そこへ、何かが空を裂く音。……それは、もう一体の赤い目をした魔獣が駆け抜ける音だった。その魔獣は狼のような姿をしていて、アレーナよりも一回り大きい。

 赤目の狼はアレーナの前に立ち、ルーアは駆けつけようとしたものの影の魔獣に阻まれて……分断されてしまった。


 ……マズい状況になってしまった。ルーアが居なくては、赤目の魔獣と戦いようがない。そして、ルーアは魔力を錬る時間が稼げないせいで、影の魔獣に対して有効打となる魔法を使えない。このままでは勝てない。こんな時に……


 そこまで考えて、アレーナは首を横に振った。

 セインに頼るなんて事を、考えてはいけない。手負いの彼に、これ以上負担をかけることは出来ない。

 この魔獣を倒すどころか、傷を負わせることも出来ないが、それでも出来る事はあるはず……そう自分に言い聞かせる。




 それから、どれほどの時間が経ったのだろうか。

 時間だけが経つばかりで、事態はまるで好転していない。


 赤目の狼は、どういうつもりか殺そうとはしてこない。攻撃をすれば反撃をしてくるが、アレーナが致命傷を負うような事はしない。ただ、決してルーアの方へと近づけさせはしないし、むしろ距離を離されている。

 ルーアの方はと言うと、影の魔獣に対して放つ魔法の魔力を少しずつでも錬るために、攻撃を避ける事に専念せざるをえず、攻めあぐねていた。

 しかし影の魔獣の攻撃は速く、あまり魔力を錬れていないらしい。


 劣勢だった。このままでは、こちらの体力の方が先に尽きてしまう。



 そんな時だった。声が聞こえてきたのは……アレーナの背筋に凍るような寒気が走り、体を震わせる。



「嘘……どういう事……」


 少年の声が聞こえた。聞こえてはいけないはずの、ここに居てはいけないはずの……戸惑う仲間の声……セインの声だ。


 気を取り直したアレーナは一瞬、声の聞こえた方向に視線を向ける。


 セインはその手に勇士の剣を持ち、セナに肩を預けて立っていた。

 何をしてきたのかは分からない。だが、彼はもう既に一人では立てないほどに、疲弊しきっているのだろう。


 視線を赤目の狼に戻すと、明らかにこの魔獣はセインに対して、警戒と、敵意を込めた視線を向けている。……本能で分かっているのだろう。彼は警戒すべき敵だと。

 気を逸らそうにも、奴らにとっては自分を殺す事の出来る勇士と、攻撃がまるで通用しないアレーナとでは、どちらが脅威かは比べるまでもない。……アレーナでは囮が務まらない。


 少なくともセナは特に怪我をしている様子はない。彼女一人であれば、仮に襲われても回避は可能だろう。そう、一人であれば。

 ……問題はセインだ。元々彼が万全の状態でないのは確かだ。そして今は、支えてもらわなければ立つことすらままならない状況のようだ。勿論そんな彼が襲われてしまえば逃げる事は不可能だろう。

 彼を支えたままでは、流石にセナも逃げ切る事は出来ない。


 魔獣は警戒はしているがまだ動く様子はない。


 二人を失う訳にはいかない……今の状況で二人を助ける方法があるとするなら……



 刹那の思考の直後、アレーナはその場に槍を捨て、上半身の鎧を外して身を軽くすると、赤目の狼に向かって走り出す。

 セインに気を取られていた事もあり、赤目の狼はアレーナに気付くのが遅れ、その間にアレーナは飛びかかって脚にしがみつく。


 赤目の狼はアレーナを振り払おうとその場で暴れ始める。

 そんな状況で、アレーナは出来るだけ声を張り上げ


「セイン、セナ逃げろ!」


 と呼びかける。

 

 攻撃が通用しないのなら、自分にできるのは『守る事』。たとえ命に代える事になろうとも、この身を呈して二人を守る。



 せめて彼らさえ生き残れば、希望は残る。



 たとえ死んでも、この死には大きな意味がある……そう、思っていた。



 それなのに何故、思い通りにはいってくれないのだろう。とアレーナは思った。

 力任せに足から振り払われ、宙を舞う、その一瞬で……見えてしまった……セインが、逃げるどころか、こちらへ向かってくる、その姿を……


 本当ならそのまま地面と衝突する筈だったその体は、間にセインが挟まり、アレーナは無事に済んだ。

 一瞬気を失いかけたアレーナだったが、何とか持ち直しセインを抱えて物影に隠れる。


「アレーナ……大丈夫?」


 息も絶え絶えに、セインが問いかける。セナが治したのか、怪我は無さそうに見えるが、明らかに彼の方が大丈夫ではない。

 後からたどたどしい足取りで追いかけてきたセナが、倒れたセナを抱える。


 二人共、服に血が付いているが、これは返り血のようにも見える。何かと戦ってきた後なのだろうか。


「何を言っているんだセイン……逃げろと言っただろう! どうして、こんな所に居る! 君が死んでしまったら、どうやって奴らと戦うというんだ!」

「そんなの、意味ないじゃないか」

「何?」

「僕はアレーナを守りたくて旅をしているんだ、アレーナを守れなきゃ……強くならなきゃ、意味がないんだ……僕は勇士でしょ?」


 セナを押しのけて、再び立ち上がろうとするセイン。それをセナは必死に抑えようとする。


「お前、アレと戦うつもりか! そんなの無理だ、さっき魔獣を倒した時だってあたしが居てもギリギリだったじゃないか! そんな体で戦えるわけないだろ! いいか、あたしが治せるのは怪我だけだ。それ以外はどうしようもないって言っただろ! これ以上無茶はやれせるかよ!」


 抵抗しようにも、体がいう事を聞かないのか、起き上がれないセイン。動けないのなら、ひとまず無茶は出来ないだろう。



 ……それよりも、セナは『さっき魔獣を倒した』と言っていた。セインとセナは、先程街の外の方からやってきた。

 まさか、今ここに居る魔獣の他にも、街の外に現れたというのだろうか。

 どうやってそれを知ったのかはともかく、彼が持っているのは勇士の剣。それを持ち出したのは、赤目の魔獣という事だろうか。

 いや、そうでなくとも、今の彼は体にハンデがある、それを埋める為とも考えられる。大事なのはそこではない……何故、そんな事をしたのか。



 アレーナは、セインがかつての勇士の話を聞きに来たことを思い出す。

 その時、自分もそうならなくてはいけない。とそう思ったのだろうか……


(それだけじゃない。こんな私の命を守りたいと言った。セインは一人で、勇士の使命も私を守ることもしようと言うのか。……その為に、強くなると、焦って無茶をしているのか?)


 心優しい少年が、一人で背負うにはあまりにも重い。

 今の彼にはまだ背負い切れるものではない。それならば……


 アレーナは、セインの傍に寄り、彼の目を真っ直ぐに見つめた。


「セイン、君は私から『私の憧れた』勇士の話を聞いたな。君が無茶をするのは、伝承の勇士と、同じになろうとしているのか? 私の、憧れた勇士に」


 セインは答えない。ただ、アレーナから目を逸らす。


「それは肯定と受け取るぞ。……セイン。確かに今の君は、未熟だ。だが、いきなりかつての勇士と同じ事をする必要なんてない。強くなって貰わなければ困るが、それでも、今は、未熟なら未熟なりのやり方がある。君には、仲間がいるのだからな」


 そして、アレーナは両手でセインの右手を優しく包み、続ける。


「君の使命は、とても大変で、一人で背負うには重いものかもしれない。だが、君にはセナが居る、ルーアも居る……それに、私も、な。……辛いのなら、辛いと言っていい。一人で背負うには重くても、私達が支える。君が強くなるまで、そして強くなってからでもだ。みんなで支え合えば、幾らかは楽になる」

「みんなで……」

「そうだ、私達みんなで」


 セインの右手を包む、両手の隙間から、淡い光が溢れ出す。


「アレーナ、あの魔獣、任せてもいい? 僕、動けそうにないんだ」

「私が?」

「うん、アレーナなら、出来るはずだから」


 そうセインが言った直後、アレーナは左手の甲が少し熱くなるのを感じた。

 熱が治まってから確認すると、そこには、何かの紋様が描かれていた。それは、勇士の証によく似ていたが、少し違う。

 だが、感じた。これはセインの力だと。


「セイン、力……借りるぞ」


 アレーナは、物陰から赤目の狼を確認する。

 どうやら既にこちらに気付いて、睨んできてはいるものの、何故か襲い掛かろうとはしてこない。


 アレーナは今しかないと飛び出し、先程捨てた槍を手にする。

 手にした槍が光を帯びる。が、それはすぐに弾けるように消える。そして、アレーナの手に槍は、銀色に輝く物に変化していた。


 それを、赤目の狼の目に突き刺す。すると、魔獣は苦しむように悶えだす。


(効いている……私も、赤目の魔獣と戦える!)


 続けて足を斬りつけ、体勢を崩した魔獣に対して、アレーナはトドメとばかりに、脳天へ槍を突き刺し……魔獣はそれから動かなくなった。


 アレーナは額に流れる汗を拭い、呼吸を整えると、もう一体の魔獣……ルーアが相手をする影の魔獣へと視線を向ける。


 ルーアの元へと駆けつけ、影の魔獣に攻撃するが、影の魔獣は体がすぐに再生してしまう。やはりアレを倒すには、一撃で倒せる強力な魔法を使うしかない。


「アレーナ、その力は……」

「その話は後だ。私が時間を稼ぐ、魔法の準備をしろ!」


 ルーアは頷く。

 アレーナは足止めの為に攻撃を繰り返す。が、影の魔獣は反撃をしようとはしてこない。

 しかし、反撃はしてこないが何か様子がおかしい。その体を広げ、アレーナを包み込もうとする。



 アレーナの心臓が高鳴る。これは、恐怖か……それとも……



「魔法の準備が出来た! 離れろ!」



 ルーアの声に、アレーナは気を持ち直し、すぐさまそこから飛び退く。



 すると、地面が隆起し、鋭い槍のような柱が無数に影の魔獣に突き刺さる、そして突き刺さった柱から、さらに鋭い槍が飛び出し、影の魔獣は跡形もなく千切れ飛んだ。




 それから数日。

 戦いの傷を癒したセイン達は、次の街へと旅立つ準備を始めた。


「セイン、もう動いて大丈夫なのか?」


 セインの旅の準備を手伝いながら、アレーナが問いかける。


「うーん、まだ本調子じゃないんだけど……でも、これ以上ゆっくりもしていられないでしょ?」

「それは、そうかもしれないが……」


 荷物を纏めたセインは、ゆっくりと立ち上がり、アレーナに顔を向ける。


「セナにはもう動いていいって言われてるよ。渋々っぽかったけど。それに、勇士はもう一人じゃないし」

「……そうだな」


 アレーナは自らの左手にある紋様を見て、セインに笑いかける。


「足手まといにはならないようにするけど、それでも……辛い時は、頼りにするね」

「ああ、任せておけ」



 それから二人は、旅の買い出しをして先に街の正門で待つセナとルーアまで向かい、二人と合流して出発をした。


 その時、セインは背後に誰かの視線を感じて振り返るが、誰も居なかったので、気のせいだと思いそのまま皆を追いかけた。







「あの方が、今の勇士様なのですねえ。なかなか可愛いお方でしたねぇ。結界の張り直しは大変でしたが、ついでにいいものが見られましたぁ」


 シエラはレミューリアの地下深くで、一人笑みを浮かべて呟く。

 しかし、すぐに表情を引き締め、顔を俯かせ、顎に手を添えて考え込む。


「それにしても、何故赤目の魔獣は、結界の内に入れたのでしょうかぁ。外側から入る事は出来ても、本当なら入った時点で気づきますしぃ……入った所でぇ、結界を潜ればその時点で力が半減する筈……まさか、結界の内側で生まれたというのですか……? 少なくとも一体が。そして、内側で生まれた魔獣が結界を破壊したとすれば、説明はつきます。ええ、そうだとすると……」


 

 シエラは、体は無い筈なのに、血の気が引く様な感覚を感じた。



「邪悪なる者の力が……この街まで来たのですか……?」


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