第百七話
巨大蝙蝠の体に組み付き、至近距離でブレスを放つクロム。
ブレスを受けた蝙蝠は、霧のように散っていく……まるで、最初からそこに居なかったかのように。
……”これもだめ”か。
不満げに頬を膨らませる竜のクロム。
戦い始めてからずっと、”本物”に攻撃を当てられていない。
敵はたった一体……そう、一体だけのはずなのだ。
だが、クロムの目の前には、同じ姿をした蝙蝠が、六体居た。
何体倒しても、その数は減らない……
なぜなら、たった一体を除いて、それら全てが”ニセモノ”だから。
戦い始めた直後から、蝙蝠は自分の分身を作り出した。
厄介なことに、分身を倒そうと霧散するだけ本物はなんのダメージも受けない。
だが、分身達はクロムを攻撃できる。
それが非常に面白くない。
こっちは手ごたえがないのに、向こうだけ好き勝手する。
弄ばれている感じが気に入らない。
だんだんとクロムもムキになってきて、なんとしても一発叩き込んでやろうと躍起になっていた。
とはいえ、がむしゃらにやっても無駄なことは分かった。
飛びついて掴めれば本物、というわけでもないらしい。
よくよく考えれば、分身でも攻撃が出来るのだから、それも当然なのだが。
……ズルい。
バカにされているような気がして、余計にムカムカしてくる。
そう思い始めると、あの蝙蝠は腹立たしい顔しているな、とクロムは感じる。
もういっそまとめて吹き飛ばしてしまおうか……
──……あっ。それでいいのか──
気づいたクロムは、さっそく実行する。
クロムは体を丸め、自身の周りに風を集め、凝縮していく。
できる限り、たくさん。
そうして凝縮させた風を、一気に開放する。
その風は嵐のように激しく、刃のようにするどく、全方位に広がっていく。
的を絞れない大雑把な攻撃だが、敵の体格を考えれば、避けられることはまずない。
これならば、何体に分身されようがまとめて倒せる。
──どうだ、まいったか──
クロムは得意げに鼻を鳴らした。
……が、直後にその表情は驚きに変わる。
蝙蝠は無傷で飛んでいた。
……そんなはずはない。
生き残れたにしても、無傷なんてあり得ない。
だが、奴は平然と飛んでいる。
それが憎らしくて、悔しい。
ここが地上ならば、クロムはきっと地団太を踏んでいたことだろう。
冷静さを失いかけたクロム。
そんな彼女を、風がくすぐる。
クロムは突然のことに驚いて、思わず笑いだしてしまう。
だが、それが落ち着くとなんだか妙に頭がすっきりした気がした。
風は気まぐれ。
何をしでかすか分かったものではない……
ただ、いつだってクロムの味方だった。
……そうだ。
クロムは、一人で戦っているんじゃない。
『数で勝った気になるな、蝙蝠。
クロムには、大きな友達が居るぞ』
クロムは目を閉じる。
──見えるものに惑わされちゃダメだ。もっと、深く感じ取らなきゃ──
風を読み解き、”魂”の在り処を探る。
どんなに体を増やそうと、魂を増やせはしない。
……そして気づく。
分身一体一体に実体があるのではない。
魂が移動し、”器”となった分身が実体となるのだ。
目に映る肉体は虚像。
知覚すべきはその魂の在り処……
捉えた瞬間に、すかさずブレスを食らわせる。
……当たった、はずだ。
だが、倒せてはいないらしい。
むしろ遠ざかった……ような……?
目を開けて確かめる。
すると、その光景に驚いて目を見開く。
魂……奴の本当の姿が、そこにあったのだ。
『……ちっさ!?』
それは、竜のクロムからすると豆粒のような大きさ。
いや、多分普通の蝙蝠ぐらいの大きさなんだろう。
そして、その本体を包むように、大量の蝙蝠が群れを成している。
厄介だ。
クロムのブレスは、あの小さい蝙蝠に当たっても吹き飛んでしまうだけ。
致命傷は与えられない。
その上、分身は無駄だと悟ったようで、一体化しより大きな姿となる。
『だったら、これでどうだ……!』
クロムは蝙蝠に突撃し、群がる蝙蝠達を撥ね退けて、中心部へ向かって突き進んでいく。
そして、核となる本体を見つけると、人間に替わりピンポイントで倒そうとする……
だが、群がる蝙蝠達に遮られ、本体まで辿り着けない内に押し退けられ、核は逃げてしまう。
竜の体ではあの小さい本体を倒せないが、人間では群がる蝙蝠を突破できない。
どちらも同時に使うことが出来たなら……
そんなことを考えながら、思わずクロムは笑ってしまう。
──こんな風に、思う日がくるなんて、思わなかったぞ──
人と竜、二つの魂の器を持つクロム。
竜は人を同族とは認めない。
人は竜を恐れるだろう。
『どちらの世界』にも馴染めず、かつては他者との関わりを恐れていた。
けれど、セインと出会った。
竜でもなく、人でもなく『クロム』という存在を受け入れてくれた。
その出会いがきっかけで、”どちらの自分”も彼の役に立てると、自分自身を受け入れることができた。
もう自分の力を恐れない。
使えるのならば、自らの全てを使い切りたい。
──そのための、力が欲しい──
クロムは、強く願った。
その願いに応えるように、一筋の光がクロムの前に現れる。
「セインの剣……?」
クロムは目の前に現れたその剣を手に取る。
すると体の中に、暖かい光が流れ込んでくるのを、感じ取る。
溢れる光が、体を突き抜け竜となる。
そして新緑に輝く風が、少女を包み、纏われる。
並び立つ竜と少女、二つのクロム。
少女は首元から溢れる光の風をたなびかせ、剣を高く掲げる。
「『我が名はクロム! 聖なる風が、悪しき魂を清めん!』」
高らかにそう告げる二つのクロム。
少女のクロムは、竜のクロムの頭に乗り、再び蝙蝠の元へと突撃する。
烏合の衆の蝙蝠達を撥ね退けて、突き進むクロム。
「『人、竜、剣。三つの風が、邪悪を清める調べを奏でる』」
竜の頭から飛び上がり、核へと飛び込んでいく少女クロム。
竜の放つ風を背に受けて、少女は加速する。
巻き起こる風が、集る蝙蝠を刻み、逃れられない速さで核の元へと辿り着く少女クロム。
掲げた剣に、光となった竜が纏わり、振り下ろす。
「『《そよ風と暴風の多重奏》!』」
光と風が、核を刻み、消し去る。
「『悪しき魂よ、闇へと還れ』」
光の粒となって風に消えゆく魔獣の中に、一人浮かぶクロムは、得意げに笑みを浮かべた。
「『カッコよく、決まったな』」
そんなクロムの手を、勇士の剣は離れ、上へと飛んでいく。
竜に戻ったクロムが、その軌道を目で追った。
『……もう、行っちゃうのか』
少し名残惜しそうに、そう呟いた。