第百六話
群れを成し、統率された動きでゲレルを襲う魔獣。
熊のようにも、狼のようにも見えるその魔獣達は、素早く、力強い。
十体。最初に見た魔獣の数はそうだった。
半分倒した辺りからだろうか、異変に気が付いたのは。
倒せば倒すほど、残った魔獣が手強くなっていったのだ。
最初に感じたのは、俊敏さ。
矢を当てづらくなったのだ。
逃げ足が速いというだけではない。
その俊敏さで、気づけば目の前まで迫り、こちらの喉元を掻き切ろうとする。
──何体残ってる……五……いや、四か?──
代わる代わる攻撃してくる魔獣の数を、正確に把握しきれない。
四体ほどが自分の周囲を囲っている……ように思える。
避けるのに手一杯で、狙うことさえままならない。
ゲレルが《火炎の弓》から放つのは、宙を漂う源素を炎にし、さらに矢に変えたもの。
炎の精霊アグニが宿っている今の彼女は、矢が尽きるということはない。
……だが。
矢が尽きないといっても、それを放つのは人間だ。
当然、体力は消耗し、疲弊する。
息は上がり、動きは鈍る。
たった一歩動くことさえ、しんどい。
呼吸を整える間もない猛攻。
空気が脳まで行き渡っていないのか、もはや思考さえ上手く回らない。
意識が朦朧し始めたその瞬間を、魔獣は逃さない。
一瞬ボヤけた視界の焦点が合ったときには、魔獣はゲレルの目前まで迫っていた。
──やべぇ……!──
飛び掛かり、喉笛を噛み切ろうと迫りくる。
……その姿が、なぜかゆっくりと、見えた。
体は重い。
だが、このくらいなら、回避出来る気がした。
ほんの少し、ズラすだけでいい。
それだけで、”致命傷”は回避できる。
胸元を魔獣の爪が掠め、薄皮が裂けていく。
だが、魔獣は本来届くはずだった攻撃が当たらず、勢いは行き場を失い、地面を転がる。
ゲレルは、次々と迫りくる四体の魔獣の攻撃も、同様に避ける。
──おれ、今なにをした……?──
考えかけたところで、ゲレルは思考を止める。
──違う、考えるんじゃない──
ゲレルは残った力を、弓を握る腕に籠める。
──感じたままに動け。”生きたい”って本能に従うだけでいい──
目はより速いものを捉え。
鼻は深く嗅ぎ取り。
肌で空気を感じとる。
危機を感じ取れば、体が勝手に動く。
ままならない呼吸。
僅かな思考のリソースの中で、必要なことだけ考える。
体から余計な力を抜いて、体力を温存するのだ。
そうして……敵に囲まれた中心で、ゲレルは立ち止まる。
一見すれば、ただの的……
だが、ゲレルはただ静かに、弓を握り、待つ。
──狙う必要はねぇ……奴らはおれを狙ってる──
こちらの命を狙って迫る魔獣を紙一重で避け。
その一瞬の交錯で、大口を開けた魔獣に、弓を咥えさせる。
そして、弓は炎を纏い、刃となる。
──力は一瞬、籠めるだけでいい。そうすれば……──
刃を押し込む、その瞬間だけ力を籠める。
すると、魔獣は飛び掛かった勢いのまま、刃が体を通り抜けていく。
上下真っ二つに断たれた魔獣の体は、自らが死んだことに気づかないまま、地に降り立ち……崩れ落ちる。
同時に襲ってきていた二体の魔獣も、同様に両断する。
──これで、三体……──
強い殺気を感じた。
一体、こちらの様子を伺っていた。
同族を囮にして、ゲレルの出方を伺っていたのだ。
そして、理解した。
倒せば倒すほど、残った魔獣が強くなる理由……
死んだ魔獣達は、塵のように崩れ去っていく。
その塵が、一体の魔獣の元へと集まっていくのだ。
──仲間を喰って強くなってるってわけか……──
内心舌打ちするゲレル。
卑劣にして狡猾。
畜生の割に知恵が回る。
──いや、余計なことは考えるな──
雑念を払い、ただ目の前の一体を倒すことに集中する。
──多分、同じようにはいかねぇ……どうする?──
考えながら、指先に力を集中させ、炎の矢を生み出す。
魔獣は周囲を駆け巡る。
砂ぼこりを舞い上げ、姿を隠そうとしている。
実際、ゲレルは魔獣の姿を捉えきれていない。
……どこからくる?
殺気は感じ取れる。
だが、その脚の速さで、位置をハッキリと追いきれなくなった、瞬間……!
魔獣の牙が、ゲレルの左肩に食い込む。
体に組み付き、噛みちぎろうとする魔獣。
苦悶の声を上げるゲレル……
だが、すぐに歯をくいしばる。
不敵な笑みを浮かべて、矢を握りしめる。
「待ってたぜ……おれの肉は、そう簡単には食わせねぇぞ!」
握りしめた炎の矢を、魔獣の目に突き刺し、ぐりぐりと食い込ませていく。
一瞬怯んだ魔獣を引きはがし、距離を取る。
直後、魔獣に刺さった矢が爆発する。
直撃は避けたが、爆風に巻き込まれ、吹き飛ぶゲレル。
受け身もろくに取れずに地面を転がりながらも、なんとか立ち上がる。
矢を叩きこんだあの魔獣は、頭部を失い、崩れるように倒れこむ。
その体は、塵となって消えていく。
やった……ゲレルが安堵したのも、束の間。
その塵は、どこかへと飛んでいく。
まだ、居る……
背筋が冷え、体が震えた。
潜んでいた。
同族たちが全滅させられるその瞬間まで、その殺気を隠しながら。
自分だけ他の魔獣を取り込まず、”弱い”まま、目を逸らさせていたんだ……!
塵の飛んでいく方を目で追う。
そこに現れた一体の獣。
九体分だ。
ここに居た魔獣の力を、すべて取り込んだ魔獣は、その毛皮が裂け、一気に体が膨らんでいく。
こちらを見下ろす、巨体。
ゲレルはその姿を目の当たりにして、思わず一歩下がってしまう。
巨獣が吠える。
耳を塞いでも、その身を震わせ、体の芯まで伝わってくる。
耳が痛い……体が痺れる……。
だが、それでもゲレルは足の震えを抑え、弓を構え、矢をつがえる。
巨獣に向けて矢を放つ……
しかし、何本撃っても、その太く分厚い体に突き刺さることさえしなかった。
巨獣は片足を上げ、ゲレルを踏みつぶそうと、おもむろに下ろしていく。
その挙動は決して早くはないが、逃げようにも、そう簡単に逃れ(のが)られる範囲ではなかった。
──こんなの、どうしろって言うんだよ……──
圧倒的な”差”。
それを突きつけられ……ゲレルは、体から力が抜けていく。
足が体重を支えられず、崩れていく。
膝をつきそうになった、その時。
ゲレルは、歯を食いしばり、弓を地に突き立て、踏みとどまる。
──ダメだ……! 心を殺すな!──
弱った足腰に喝を入れ、立ち上がる。
「おれはまだ、生きてる。
生きてる限り立て、戦え!」
精一杯言葉を絞り出し、自分を奮い立たせる。
「ここで折れたら……おれは裏切り者だ。
おれを信じてくれた奴を裏切っちまう。
それは、おれ自身を裏切ることと同じだ!
そんな卑怯者として、死ねるか!」
弓を握る手に力を籠め、再び矢を作り出す。
──おれは勇士にはなれなかった。
でも……! その心まで失うもんか!──
「最後まで戦い抜く!
おれの心の火が、燃え続ける限り!」
ゲレルの叫びと共に放たれた炎の矢。
それに、どこからともなく飛んできた一筋の光が交わり、巨獣の脚を射貫いた。
……なにが起こった?
状況を掴めないゲレル。
そんな彼女の前に、巨獣を射貫いた光が飛んでくる。
「これは……勇士の、剣……?」
輝きを放つその剣を、ゲレルは手に取る。
その瞬間、剣から体の内側に、”熱”が伝わってくるのを感じた。
「おれと、一緒に戦ってくれるのか……!」
勇士の剣は、ゲレルの言葉に応えるように、刀身に燃え盛る炎を纏う。
その炎がゲレルの腕を伝い、全身に纏われていく。
そして、彼女の胸の内から炎の球体が現れ、獅子の姿へと変わっていく。
「お前……アグニか!」
成長した獅子の姿となったアグニが、頷く。
その瞳には共に戦う、という意志が灯っていた。
ゲレルはアグニの背に跨る。
「いくぞ! 今だけは、おれも勇士だ!」
アグニが吠え、駆け出す。
巨獣の攻撃を掻い潜り、剣と弓、二つの炎の刃で斬りつけていく。
急激な巨大化をしたその体は、成長についていけず、脆い部分が露出していた。
特に、関節。
可動のために元々柔らかい部分であるその部位は、特に皮膚の生成が追いついていないらしい。
まずは腱。
そして足を駆け上がり、膝裏を。
支えを失った巨獣の体は、耐性を崩し、倒れる。
巨獣の正面に立つアグニ。
その上で、ゲレルは弓に勇士の剣をつがえる。
「心火……爆裂!」
全身に纏った炎を、剣に集中させ、更に強く燃え上がらせる。
強く、強く弦を引き絞る。
全身全霊、心の火……心火を激しく燃やして。
「《獅子轟焔咆》!」
アグニの口から放つ炎と共に、勇士の剣が放たれる。
二つの燃え盛る炎が、まるで、獅子の咆哮のごとき轟音を響かせ、大地を揺らしながら一直線に飛んでいく。
放たれた矢は、巨獣の体を射貫き、その巨体を爆散させる。
そして、聖なる炎が塵も残さず燃やし尽くす。
巨獣が消え去った後には、ゲレルの勝利を照らすように、勇士の剣が輝きを放っていた。
「……ありがとな。おれはもう大丈夫だ、行ってくれ」
その言葉に応えるように、剣は飛んでいく。
それを見届け、ゲレルはアグニの背で、仰向けに倒れる。
「あー、つっかれたぁ……腹減った……」
体いてぇ……と嘆きながらも、その顔には笑みが浮かんでいた。
「おれ、ちょっとだけ、勇士になれたぜ……」
天を仰ぎ、彼女は誰かに向けてそう呟いた。