第百二話
邪悪なる者の中へと入りこんだ、セインとアレーナ。
赤黒い負の感情が、強く吹きつけて来る。
少し震えているアレーナの手を、セインはそっと握る。
「大丈夫?」
「キミは、平気そうだな」
「そうかな?
ただ、強がってるだけかも。
何度来ても、この感じは慣れないよ」
「……そうだな。私はここが恐ろしい。
ここで、エデンはずっと一人だったのか」
アレーナは、セインの手を握る力を、少し強くする。
「早く、迎えにいかなければな」
「そうだね。行こう!」
二人は、感情の波の中を突き進む。
そして、その先で見つけた。
ぽつりと、ただ一つ浮かぶ、黒い球。
あれがエデンだ、とアレーナはすぐに気づく。
「……来たのか」
先に声をかけてきたのは、エデンだった。
なんとなく、こうなることが分かっていたかのように。
「ワタシを、ここから連れ出しにきたのかい?」
「そうだ」
アレーナは頷く。
「私は、キミの助けがなければ、今ここには居なかった。
幼いあの日、キミに助けられた恩を、まだ返せていない」
「……それは、ワタシがキミを利用しただけ、とは考えないのかな。
今みたいに、キミの同情を誘うため、とか」
「だとしたら、もっと早くに私を消してしまえばよかっただろう。
それに、そんなことを企むなら、わざわざ言う必要もないはずだ」
アレーナの言葉に、エデンは口をつぐむ。
「キミは、どうなんだセイン。
ワタシは、キミの仲間に……酷いことを、してきただろう?」
どこか後ろめたそうな、エデンの言葉。
それを聞いて、セインは少し安堵する。
「自覚はあるんだね、安心したよ」
そういって、エデンに手を伸ばし、触れる。
「なら、まずは謝らなきゃね。
僕の仲間だけじゃなくて、これまでやってきたことを。
そうすると誓うなら、僕はキミを受け入れるよ」
「受け入れる……?」
エデンは驚いた様子だった。
彼の言葉が、なにを意味するのかを察したからだ。
「私が頼んだんだ。
キミが誰かを傷つけず、この世界で生きていくには、どうすればいいのか。
これが、一番いい方法なんじゃないかと思ったんだ」
とアレーナは言った。
「だけど、ワタシが、許されるようなこと……
そんなこと、あるはずないだろう」
戸惑うエデン。
だが、セインは優しげな顔で、語りかける。
「確かにそうかもしれない。
でも、このまま戦うだけじゃ、僕らも、キミも傷つくだけだ。
どこかで、誰かが許してあげなきゃ、戦いは終わらない
キミは、人の心が生み出した存在でしょ。
キミだって、望まぬ力で傷つけられた側だ」
そう言って、セインは頭を下げる。
「だから、ごめん。
キミを苦しめたこと、謝るよ。
僕は……キミを受け入れる。
それが、僕のできる償いだ」
「キミが悪い訳じゃないだろうに。
ワタシは、ひねくれている。
だから、多分……こんなことは二度と言えないよ。」
エデンは、少しの間黙り、そして……
「すまなかった。
キミたちには、辛い思いをさせた。
もし、出来ることなら……ワタシに、償わせてほしい」
その言葉に、セインは微笑んで頷く。
「手伝うよ。キミが、自分を許せるまで」
「……ありがとう、セイン」
そう言って、エデンは、セインの中へと入っていく。
「ありがとう、エデンを受け入れてくれて」
彼のその姿を見て、アレーナも笑顔でそう言った。
セインはその言葉に、笑顔に、ほんの少し胸が高鳴った。
「どういたしまして!」
*
ルーアは、組み伏せていた邪悪なる者の様子がおかしいことに気がつく。
明らかに弱ってきているのだ。
「二人とも、成し遂げたようだな!」
邪悪なる者の背中にいたセインが、アレーナを抱えて飛び上がり、ルーアと目を合わせて頷く。
「これでもう、遠慮は要らぬなぁ!」
ルーアは、邪悪なる者を担ぎあげ、投げ飛ばす。
それでもなお、よろめきながら立ち上がる邪悪なる者。
おもむろに天へ向けて指をさし、黒い稲妻を放つ。
それは島を覆う結界に反射、拡散され、セイン達に降り注ぐ。
セナが防護の結界を張ろうにも、四方八方からの攻撃に展開が間に合わない。
そして、両手の塞がっているセインは、剣を取り出せず、防ぐことができない。
それを見たアレーナは声を上げる。
「セイン、私を下ろせ!」
「でも……!」
「心配するな、仲間たちがいる。
キミはキミにしか出来ないことを!
……というか、少しうるさいかもしれないが我慢してくれ」
どういうこと? とセインが聞き返す前に、アレーナは大きく空気を吸い込んで胸を膨らませる。
そして、体を下に向かせて叫ぶのだ。
「セナァッ! 私を受け止めてくれぇっ!」
地上に居たセナが驚いて背中を震わせ、こちらを見上げる。
間近で聞いていたセインが怯んで、力が緩んだ隙に、アレーナは飛び降りる。
「ちょっと?!」
あまりに無茶苦茶だ。
くらくらとしていた頭も、一気に冴えてしまう。
地上に居たセナが、なんとか受け止めようと、慌てて水のクッションを作り出していた。
なんとかそこに降り立ったアレーナが、こちらに向かってまた叫ぶ。
「セイン! 私は大丈夫だ! 思いっきりいけ!」
「……みたいだね」
少し呆れて、苦笑いするセイン。
自分の知るアレーナは、あそこまで行動的だっただろうかと、首を傾げてしまう。
「もしかしてキミ、実はアレーナを抑えてたりしてた?」
胸に手を当て、問いかけるセイン。
『まあ、あの子放っておくとあんな感じだから』
「……そっか」
まだまだ、彼女のことは知らないことばかりらしい。
「これから大変そうだ」
そう言いながら、笑う。
邪悪なる者が再び放つ雷撃。
それを、セインは《スパークレンス》を高く掲げ、受け止める。
「まずは、終わらせよう」
太く、強く輝く、光の束を振り下ろし、邪悪なる者を断つ。
崩れ去っていく、邪悪なる者。
その姿を、それぞれが目にする。
「終わったのだな……」
元の大きさに戻り、地べたに座り込んだルーアは、天を仰ぐ。
力を使い切り、疲労で体が重い。
だが、荷が下りた心は、とても軽く感じた。
「ちょっとおばあちゃんみたいだよ、ルーア」
彼女の横に降り立ったセインが、声をかける。
「良かったな、普段ならげんこつだが、今はそんな気分ではない」
「じゃ、怒られる前に最後の一仕事、してこようかな」
「おお、さっさと済ませて来い」
どこかに向かって歩き出すセインを、ルーアは見送る。
彼が向かうのは、《世界の中心》。
霊脈が一点に交わる場所。
そこで、セインは勇士の力を使い、大地に流れる穢れを祓おうというのだろう。
それがきっと、彼の勇士としての最後の仕事だ。
これで勇士としての役目を終え、彼は一人の少年として新しい始まりを迎えられるだろう。
……だが、その時。
ルーアは感じた。
ピリピリとした地面を伝わる電流のような感覚。
「何かが、来る」
すっかり気が緩んでいたルーアだったが、すぐに立ち上がり、辺りを警戒する。
「まだ、終わっていない……!」
*
《世界の中心》に辿り着いたセイン。
スパークレンスを手にして、大地に立てようとした。
『……まて、セイン。
ここから離れるんだ』
突然、エデンが声を上げる。
どうして? 理解できず、セインは呆気にとられる。
その時……
大地から、《影》が噴き上がる。
それは憎悪に塗れた、ドス黒い感情の渦。
《悪意》の吹き溜まり。
セインはそれに押し飛ばされてしまう。
吹きすさぶ《悪意》は、次第に「形」を持ち始める。
燃え盛るように広がっていた影は、小さく、凝縮して……人の姿へと変わっていく。
形作られたその姿を見たセインは、目を疑った。
どうして、こんなところで……また……。
そう、何度も、何度も。
セインの前に立ち塞がり、歩みを阻もうとしてきた、その姿。
「タタ……カエ……
オレ……と、戦えェッ!」
雄叫びのように、その男は叫ぶ。
そして、黒い眼球の中央で、赤く光る瞳を、セインに向ける。
「もう誰にもオレを見下させねぇ!
セイン! 今度は、テメェが、這いつくばる番だ!」
そう言って、鋭い爪の伸びた、長い指で差してくる。
威嚇か、それとも飢えか、喉を鳴らすその男。
見た目は少し変わっているが、その醜悪な魂の形を、忘れようはずもない。
セインは、覚悟を決めて立ち上がる。
「『因果』って奴なのかな、ここまで来ると。
……だからこそ、『終わらせ』なきゃいけないんだ」
セインはスパークレンスを手に取って、構える。
深く息を吸い込み、その男を、まっすぐに見据えて、宣言する。
「この先に、お前との因縁は残さない!
ここで終わりだ……グレイガッ!!」