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第九十三話

 わたしは彼女に憧れていた。

 可憐で、自由で、強くて。

 わたしはその現身。

 彼女の影。


『だから、邪魔だった』


 彼女がいる限り、わたしは表に立つことはない。


『だから、消さなきゃいけない』


 わたしは、それで……


『わたしが本物になるために、あいつが邪魔だ』


 違う……! わたしは……!


『消えろ、消えろ、消えろ、消えろ』


 わたしは……!



 霊脈で源素を貪る、黒い影。


 あれはアリシアなのか、エデンか。

 それとも、別のなにかなのか。


「バケモノ、だな……ありゃあ」


 それを見たゲレルがそう呟いた。


 セインも、似たような感想を抱く。

 エデンとは違う。

 アリシアだって、あんなことはしないはず。


 あれには、『理性』も『知性』も感じない。

 本能の赴くままに動いている、ように見える。


 では、あれはいったい何者か?

 と聞かれても、答えは出ない。


「あえて呼ぶなら『影の獣』といったところか」


 と、あの姿を見てルーアが言う。


「オッケー、『バケモノ』って呼ぶのは、ちょっと可哀そうだしね」


 アレが、助けるべき二人のどちらでもないのなら……


「よし、やることは……決まったね」


 なにも、躊躇うことはない。


「まあ、いつもと同じ感じでイケるでしょ」

「正気か⁉」


 腰の両脇に差した剣に手をかけるセイン。

 だが、それをルーアは引き留める。


「よく考えろ!

 いつものヤツって、心の中に入り込むあれだろう?

 あやつ、見るからにヤバそうではないか。

 絶対大丈夫ではない奴だぞ!」

「……正直言うと、セナの方がもっとヤバそうだったし」

「それ、本人には絶対言わぬ方がよいぞ」


 仕方ない、とばかりにルーアはため息を吐く。


「中に入って、本気でヤバいと思ったら一旦離れろ、いいな?」

「分かってる。やれたらやるよ」


 セインが頷いたのを見て、ゲレルは弓を構える。


「腹は決まったみてぇだな。んじゃ、始めていいな?」


 セインが走り出すのを合図に、ゲレルは矢を放つ。


 『影の獣』の気を、ゲレルと、ルーアに向けるためだ。

 だが、矢の一本や二本刺さった程度では、こちらに気づく素振りもない。


「お食事の方が大事ってか?

 嫌でもこっちに振り向かしてやるよ!」


 ゲレルは、影の獣に刺さった矢に意識を集中させる。

 すると、その矢は徐々に赤みを帯びて……大きく、爆ぜる。


「爆発、強すぎじゃね?」


 ゲレル自身、こうなるとは思わない勢いだった。

 だが、お陰でバケモノの気は完全にこちらに向いていた。


「え、『霊脈が近いから、共鳴して増幅した』?

 なるほどな! じゃあ、ここなら……」


 精霊から話を聞いて、表情に自信が満ちるゲレル。


「おれは『最強』ってことか!」


 そう言って、再びバケモノに向けて、矢を放つ。


 源素の吸収を邪魔され、アレは怒っている様子だった。

 口元以外、陰に覆われた顔が向けられる。

 黒塗りになった顔の上半分から、無数の目が見開く。

 ゲレルは、その視線を一身に集めていた。


「うわっ、気持ち悪ッ!

 もはやアリシアの面影すらねえな、あれ!」


 影の獣は、深くしゃがみ込んで、ゲレル目掛けて飛び上がる。


「なーに、あれくらいのほうが、加減しなくて良いというものだ!」


 迫りくる影の獣に、立ちはだかるルーア。


 腕を組みながら立つ彼女の両サイドから、舞い上がる粉塵。

 頭上でひと塊になったそれは、握りこぶしのような形となる。


 組んだ腕を解き、今にも殴りかかるように腰をひねる。

 その動きに対応するように、拳型の岩も動く。


 そして、横薙ぎに右の拳を振りぬくルーア。

 近づいてきた影の獣に向けて、岩を一つ叩きつける。


 影の獣は殴りつけられて、地に堕ちる。


 だが、すぐに起き上がり、両手を地につけた獣のような立ち姿でルーアを睨む。

 外套のように纏った影を広げる。

 広がった影は八又に分かれ、先が刃のように平たく、鋭く変化する。


 ルーアに襲い掛かる、八本の刃。

 それを前にして、彼女は両手の平を胸の前で合わせる。


 先ほど作られた拳型の岩が、今度は平手に変わった。

 岩はルーアの動きに合わせて動き……影の刃を挟みこむ。

 そして、指をしっかりと絡ませ、がっちりと組んで捕える。


 さらに、影の獣の足元が泥のようにぬかるみはじめ、僅かにその体が沈んだ後、固まる。

 影の獣が身動きを取れなくなったところで、ルーアが叫ぶ。


「今だ、セイン!」


 影の獣の視界から外れ、背後に回り込んでいたセイン。

 ルーアの声を合図に、『勇士の剣』と『エスプレンダー』二本の剣を、影の獣に突き刺した……



 そこは、真っ暗だった。

 いや、暗いというよりも、見渡す限りの『黒』。


 今までにない景色に、セインは困惑する。


──これが、アリシアの心の中?──


 いや、そんなはずない、とセインは首を振る。


 これまで見てきた心は、歪められていたとはいえ、『感情』があった。

 怒り、悲しみ、不安……そう言った感情が増幅して、『心の風景』を作っていた。


 しかし、ここはなにも見えない。

 まるで、黒く『塗りつぶされてしまった』かのような……


 そこで、セインは気づく。

 黒さのせいで、距離感を掴めなかったが……


 今、『この空間が縮まっている』ということに。


──これ、僕を捕まえようとしてる?──


 冷や汗が、頬を伝う。


「ルーアの忠告、ちゃんと聞いといたほう良かったかも」



 セインの様子がおかしい。

 彼の表情は苦しそうで、息遣いが荒くなっている。


 そして影の獣から、セインの握る二本の剣を通して、黒い影が伸びていく。

 まるで、根を張ろうとするかのように。


「おいルーア、あれどうなってんだよ!」


 様子を見ていたゲレルが焦り、ルーアに詰め寄る。

 問い詰められる彼女も、焦りが見えている。


「もしかすると……奴はセインを取り込もうとしているのかもしれぬ」

「やべぇだろ、それ! すぐに引きはがさねえと!」


 だが、その時……

 影の獣の拘束が破壊され、影の刃が二人に襲い掛かる。


 二人は咄嗟に攻撃を回避する。

 だが、ゲレルは矢筒の紐が切られ、落としてしまう。


──しまった……!──


 一本だけ矢を手に取ることができた。

 その一本に賭け、影の獣に放つ……


 だが、それはいたずらに獣の怒りを買っただけだった。


 襲い掛かる獣の攻撃を、弓でいなす。

 だが、その猛攻を受けきれず、ゲレルは地に組み伏せられてしまう。


──ちくしょう、おれじゃ、なにも出来ねぇのかよ!──


 自分の無力さが悔しくて、奥歯を噛みしめる。


 影の獣は、刃の先をゲレルの体に刺しこむ。

 体の中に、入り込んでくる。

 取り込まれていく……


──やっぱり、おれじゃ、ダメなのか……──


 心の中が、黒く塗りつぶされていくように感じた。

 絶望して、諦めかけた。

 ……その時。


『そんなことは、ない!』


 声が、聞こえた。

 それは、初めてのようにも、聞き覚えがあるようにも思える。


『キミは、キミだからここに居る!』


 強く、訴えてくる、少年のような声。


──おれ、だから……?──

『勇士様は、誰かの代わりにキミを選んだのか?

 違う、そうじゃないはずだ!』

──セインは……──


 思い出す……彼が、自分を仲間に引き入れてくれた日のことを。


『一緒にいて心強くて、同じところを目指してくれる人……他に思いつかないんだ』


 確かにセインは、そう言ってくれた。


──ああ……そうだ。

 あいつは、他でもない『おれ』を信じて、仲間にしてくれたんだ。

 なのに……──


 ゲレルは、黒く塗りつぶされようとした心に、『火』が灯りだす。


「おれが勝手に諦めるわけには、いかねえよな!」


 体に力を入れて、心臓まで伸びてきていた『影』を押し返し始める。


『そうだ、それでいい。

 ボクの名を呼んでくれ!

 ボクの声を聴いてくれたように……

 これはキミにしか、出来ないことだ』

「声を、聴いてくれた……?

 そうか、おまえ、精霊か!」


 それに気が付いた時、頭の中に『名』が浮かぶ。


「そうか、これかお前の名か!」

『そうだ、ボクの名は──』


──アグニ!──

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