八話
あれから俺たちは、兜を脱ぎ捨てて歩き出した。
将というのは戦場おいて手柄を立てなければならない。しかし、皆と同じ格好だと目立たないし、誰だかわかりづらい。
そこで、兜は他の者たちと差別化を図るために装飾がなされている。
だが、それが仇となり、俺たちを討伐する部隊を編成されているとすると、部隊に見つかり、無用な戦闘をする事になると言う一矢様のお言葉に従い、脱げ捨てた。
歩くこと数時間後、日が沈みかけている中、俺、一矢様、美幸様の一行は『堺の国』に到着した。
辺りが暗闇に包まれる前に訪れることが出来てよかった。
紀伊の背中に乗り、飛んで行くつもりだったのだが、兜と同じ理由で不便ながら歩いて訪れることにした。
そして、紀伊は現在、ここから離れた雑木林の中で武器の見張りを兼ねて待機してもらっている。
連れていけないと言うと、不満そうな顔をしていた。しかたがないだろう? 目立つだろうし、そして堺の国は混乱するだろうし。
まあ、甲冑を着ている俺も紀伊の事は言えないのだが。
今頃拗ねて寝ているんじゃないだろうか。
「宿を探そう。そして明日、ここで必要な物を集める」
一矢様が言った。
宿を探し、そして明日街に繰り出す。その意見には賛同だ。
しかし、一つ気がかりなことがある。
「それはいいのですが、お金は?」
そう、お金がなければ何も買えない。もちろん、泊まる事だって。
おっかあにお金を持たせてもらってはいるが、少ない。今日、自分の宿を確保するのに精一杯の額だ。
仕方がない。家は貧乏なのだ。
八咫烏の将、やつらが裏切らなければこんな思いをする事もなかったんだがなぁ。
「安心しろ。何かあった時のためにと、金は常に持ち歩いている。美幸。お前もだろう?」
そう言って一矢様は懐からお金を取り出した。
美幸様も懐からお金を取り出す。
一矢様と美幸様、それぞれの所持金は俺の所持金――いや、実家の全財産を遥かに凌駕していることが分かった。
俺の財布は本当に中身があるのか? と、思うほどに痩せこけているのに対し、どれだけ入っているんだよと言いたくなるほどに一矢様と美幸様の財布は肥えている。
流石は紀伊国最大の家、八咫家だ。これでしばらくの間は困ることは無いだろう。
しかし、資金は無限ではない。尽きてしまう前に名上討伐を果たさなければ。
翌日、俺たちは町に繰り出した。縦横無尽に人が行きかい、人で溢れかえっている。
荷駄を引く者、必死で呼び込みをしている者、お金と引き換えに物を買う者など様々だ。
「凄い……」
誰に言うでもなく、感想を漏らした。
それだけかと言われそうだが、それしか感想が出てこないのだ。仕方がない。
「ここ、堺は天下の台所と言われ、全国から商人が集まって物の売買が行われている。月輪国一の商業都市だ。直正殿は、来るのは初めてなのか?」
「はい。お恥ずかしい話、今まで自分が住む里以外に人が住む場所に行ったことがないのです」
堺の事はおっとうから聞かされてはいた。全国から人と物が集まる凄い商業都市であり、そして、物価が段違いだと。
物を買うにはお金がいる。そしてしつこいようだが、家は貧乏。こんな所、訪れたところで何も出来ない。
元に今俺の目に止まった農具を販売している店に置いてある鍬。家にあるものとは違い、丁寧に仕上がっていて、丈夫そうだ。しかし、高額な値段が付いている。
その店の他の農具を見ても全て高価な値段が付いている。買えないことはないが、一つでも買ってしまった日には、暫くの間、今以上に質素な生活を送らなければならないだろう。
と、言うわけで、今まで一度も訪れることはなかったのだ。
「そうか、まあ、いい経験だ。見て回るといい。それで、今から必要な物を買い漁るわけだが、この広さだ。手分けしたほうがいいだろう」
異議なし。一矢様が言われる通りその方が買い物も早く終る。
「それで組み分けだが――」
「私は、一矢。貴様と一緒にならなければどうでもいい」
一矢様が言い切る前に、美幸様が言った。それに対して一矢様は少しムッとする。
ああ、またこの流れか……。
「なるほど、兄である自分と買い出しは嫌と」
「ああ、そうだ。そして、私は貴様を兄と思ったことはない。勝手に兄ぶらないでもらおうか。気持ち悪い」
一矢様と美幸様は睨み合った。
周りの行き交う人々も、何事かと集まっている。
しかも、甲冑の姿であるため目立ち、それが人を集めるのに滑車をかけている。
「二人とも、いい加減にしてください! 仲良くすると、約束したではありませんか! それにこれでは目立ってしまいます! 一矢様。言いましたよね? 無用な戦闘を避けるために目立つことは避けよと」
俺の言葉に、二人はしぶしぶと睨み合うことをやめた。
それと同時に集まってきた野次馬も解散していく。
名上の関係者に見つかっていないだろうな?
「分かった。じゃあ、こうしよう。自分は一人で向こうに大道具の買い出しに行く。直正殿と美幸はそっちへ小道具を買い出しに行ってくれ。三時間後、この茶屋の前に集合だ」
一矢様はそう言うと、行ってしまった。
「やれやれ。それじゃあ、美幸様。俺たちも行きましょうか」
美幸様に振り向き声をかけると、美幸様は「そうだな」と、返事をした。
「これをくれ」
美幸様は並べてあった包丁のうち、一つを指差した。
日がくれる前に目的の町にたどり着けないこともあるだろう。そんな時は野宿しないといけない。
携帯食料が残っていればいいが、なかった場合、野生の動物を狩って食料にしなければならない。そこで役立つのが包丁だ。人を切った刀で捌くわけにはいかないからな。
なんせ、基本洗わないため、何がついているか分かったものじゃない。
「そろそろ時間か。戻るぞ」
美幸様は時計台を見て言った。
あれは西洋より伝わったカラクリ仕掛けの時を計るものだ。鉄砲といい、時計といい、西洋の技術というのは進んでいるのだな。
美幸様の後に続き、合流地点の茶屋に向かう。
途中、あるものが目に入った。題名がない本だ。山積みにされている。
美幸様がいるにも構わず、その本がある店へと足を向けた。
「いらっしゃい」
店員らしき人が声をかけてくる。その人に目もくれず、山積みにされた本のうち一冊を手に取る。
パラパラとめくってみるが何も書かれていない。真っ白だ。何だ、この本。
「それは自分で書き込むのだ」
後ろから美幸様の声が聞こえた。突然の声に驚き、振り返る。
ついて来ていないことに気づき、俺を連れ戻しに来たのだろう。迷惑をかけてしまったな。
「自分で、ですか?」
「そうだ。何でもいい、例えば……日々の記録とか。今の状況を書くのにちょうどいいんじゃないか?」
なるほど、これに俺たちの名上討伐までの事を書き込めば、これが伝記となるわけだな。
それが世に出回って、俺――いや、俺たちは英雄と世間から呼ばれる。
俺たちの活躍を書き残すために欲しいが、無駄遣いはできない。どこでお金がほしくなるか分からないからだ。
「欲しいのか?」
「欲しいのですが、お金が……」
「そうか……すまぬ、店の者。この書物と筆と墨をくれないか?」
美幸様の声に店員は答えて、書物、筆、墨を差し出し、対価として美幸様はお金を支払った。
そしてそれを俺に渡してくる。
「そ、そんな、ただでなんて受け取れません!」
「私がそなたに差し上げようと思ったのだ。受け取ってはくれないか」
差し上げると言われた以上、ここで拒否するのはかえって失礼だろう。
美幸様からその一式を受け取る。
「せめて、俺から何か美幸様にさせてください」
「見返りを求めて差し上げたわけではないのだがな」
「俺が納得行かないのです。どうか、何かをさせてください」
美幸様に頭を下げる。
これほどのものをもらったのだ。お礼をするのは当然だ。
とは言ったものの、返せるお礼だといいのだが。
「そうだな……それでは、私の友となってはくれないか?」
驚き、頭を上げた。
予想だにしない見返りの要求だった。まさか身分が低い者との友人関係だなんて。
聞き間違えかもしれない。念の為に聞いてみよう。
「俺が美幸様のですか?」
俺の質問に、美幸様は、「そうだ」と、答えた。
聞き間違えではなかったらしい。
「お言葉ですが、美幸様。美幸様と俺とでは身分の差があり過ぎます。俺など、不釣り合いでは?」
「恥ずかしい話、私には今まで友と呼べる者はいない。だから、友人というものを持ってみたかったのだ。それに、友人というものは身分など関係ないのであろう? そう、聞いているが」
(私と友になるのは嫌なのだろうか……)
美幸様は心の声と同時に不安な顔になられた。
美幸様のご友人になるのは嫌ではない。逆に嬉しい。
そうと決まれば、この人から不安を取り除かなければ。
「そんなことありません。嬉しいです。これから、友としてよろしくお願いします」
俺の言葉に、美幸様が笑顔になられた。人の言葉に一喜一憂して、かわいいなこの人。
かと、思ったら、美幸様は何やら疑問に思うような顔つきになった。
「直正。『そんなことありません』って、何故私の考えがわかったのだ? 私は何も言ってはいないのだが」
そう言えば、一矢様と美幸様、それに紀伊に俺が桂月様から授かった力について何も言っていなかったな。
「あー、そのことについては後でお話します。とりあえず、茶屋に向かいましょう」
茶屋で一矢様がお待ちのはず。向かわなければ。
この話は後だ。