六話
八咫烏の軍旗が風によってバタバタとなびいている。
その上空では、紀伊が落ちないように羽を定期的にばたつかせ空中停止していた。
その背中には直正が乗っており、立派な甲冑に身を包み、名刀、月輪を携えるという、英雄と呼ぶにふさわしい格好をしている。
上空より現在の状況を確認する。
一矢様と美幸様がそれぞれの軍勢より出てきたかと思ったら、お互い睨み合いはじめた。
それからお互い口を開くことなく沈黙。この開けた土地には風と軍旗がなびく音、そして紀伊が羽をばたつかせる音だけが虚しく響き渡っている。
「美幸。武装を解き、大人しく降伏してはくれないか? 自分はお主とは戦いたくない」
沈黙を破ったのは一矢様か。さて、どうなる。
話し合いで解決してくれればそれでいいのだが。
「そうか、戦いたくはないか。ならば、後継の座は私に譲ってもらおう」
「それはできん。母上の遺言だからな。一つ問おう妹よ、何が不服なのだ?」
「決まっている。貴様は穢れた血であるからだ。それと、私は貴様の妹になった覚えはない」
やはり両者とも、譲る気は無いようだ。と、なると戦か。
やれやれ、名上討伐はいつになることやら。
それはそうと、気になる言葉を聞いた。
一矢様が穢た血だと? 一体どういうことだ?
「自分を認めてはくれないか……致し方ない。こうなれば徹底的に戦うしかないようだな。美幸よ、覚悟するがいい」
「それはこちらの台詞だ。そうだ、貴様に一つ警告してやろう。今回の戦、今まで通りの戦いでは決して私に勝つことはできん。覚えておくことだな」
両者はそれぞれ、自分の軍勢の中へと引っ込み、お互いの軍勢は戦闘の準備や作戦を練るため、それぞれ反対方向へと離れていった。
俺は一矢様率いる八咫烏に所属しているのでそれを追う。
途中、美幸様率いる軍勢が気になって、後ろを振り返ってみるとあることに気づいた。
将兵の武器は皆、鉄砲だった。いや、正確にはらしきものか。
鉄砲玉を発射させるためには火薬に引火させるための火、火縄が必要だ。しかし、それを持ち歩いている者は見当たらない。
鉄砲に見せかけて、実は別の武器なのか。
何にせよ、戦場で分かるだろう。
美幸様の軍に背を向けたその時。
(一矢。貴様は今日ここで死ぬのだ。この西洋から伝わった新しい鉄砲でな)
突然美幸様の声が聞こえた。驚き、振り返る。
とても鮮明だった。直接脳内に話しかけられているような、そんな感じだ。
今のは一体、何だったのだ。
幕の中で直正をはじめ、一矢、それに彼を慕う将たちがひとつの机を囲んでいる。
直正は一矢の隣にいる。
彼らは敵である美幸の軍を打ち破るための作戦をたてていた。
「偵察に行った者たちによると、美幸の軍は前回と同じく大量の鉄砲を用いて戦ようだ。しかも、今回は時間の関係か馬防柵を築いていないらしい。よって、前回のように直正殿の力を借りず、弾込めの間に騎馬鉄砲隊を突撃させて壊滅させる。異論はないか?」
一矢様の作戦に家臣たちが頷いた。無論、俺も賛成だ。
まあ、賛成と言っても、俺は戦術と言うものを知らないだけなのだがな。
それはそうとだ。
「一矢様。前回私は何をしたのですか?」
そう、前回の合戦について何も記憶がない。
気付いたら野営をしていて、目の前に桂月様と一矢様がいたのだ。
「あー……その、何だ。記憶にないだろうが、前回の戦はそなたが活躍して勝てたのだ」
何と、俺は活躍したのか。これは、後世に語り継がれるに違いない。
記憶にないのが実に悔しい。その時何があったんだよ俺。
「全軍に伝令。騎馬鉄砲隊を編成し、弾込めの隙をついて突撃せよ」
一矢様の号令に、家臣たちは返事をすると準備に取りかかるため、幕から出ていった。
俺は隊を任されていないので、幕に残る。幕に残ったのは俺をはじめ、一矢様と数人の兵士。そして、あの気にくわない爺だ。
お前も行けといいたげな顔で爺が睨んできた。俺はお前が行けと言いたげな顔で睨み返してやった。
一矢様の家臣たちが騎馬鉄砲隊を編成して出陣してから数分がたった。幕の中では沈黙が流れ、とても気まずい。
あれから何も連絡がない。つまり、戦闘はまだ始まっていないということだ。
何も動きがない以上、話すことなど無い。かと言って、気まずい雰囲気をかき消すためにこんなところで世間話をしようものなら怒られるのは必然。非常識と言うものだ。
幕の外に目をやると、馬に乗った兵士が慌てた様子でやって来た。急いで馬から降りると、走って俺たちの元に駆け寄る。
「も、申し上げます! 我が騎馬鉄砲隊、敵軍により壊滅寸前!」
壊滅!? そんな馬鹿な!
一矢様は驚き、有り得ないとでも言いたげに目を見開いている。
「馬鹿なことを言うな! 敵が弾を込めている間に騎馬隊が有効射程内に入り、そこより射撃して敵の鉄砲隊を倒せるはずだ!」
「それが、敵の鉄砲は弾込めの隙なく、さらに連射できるようにございます!」
「連射だと!? 敵はどのようにして連射しておるのだ!」
「分かりませぬ!」
「よく調べよ! 行け!」
一矢様の命令に従い、兵士は走って幕から出て、馬に跨がり行ってしまった。
それにしても、連射できる鉄砲だと? 俺が知っている限り、鉄砲は一発づつしか撃てない。
さらに、一発撃つと次の弾を撃つためには非常にめんどくさい準備が必要であり、それが大きな隙になる。それも無い鉄砲とは一体……。
先ほどの事を思い出した。美幸様の声が鮮明に聞こえたあの時の事だ。
西洋より伝わった新しい鉄砲と言っていた。まさか。
(あれは小娘の方が持っていたか)
突如声が聞こえた。まただ、あの脳内に直接語りかけて来るような鮮明な声。
今度は爺の声だ。小娘とは……もしかして、美幸様のことか?
爺を見た。一矢様に気づかれないように二、三歩下がっている。当の一矢様は気付いていないようだ。
(そうとわかれば、こやつに用はない)
爺が腰に携えた刀に手をかけた。まさか――。
「一矢様! 危ない!」
直正は叫んで、月輪を抜き、一矢の後ろにたつ家老の者に斬りかかった。
しかし、紙一重にかわされる。
「直正殿?」
直正の声につられて、一矢は後ろを振り返った。
そこには、刀を構えた家老の者が立っている。事態を知った一矢は家老の者を睨み付ける。
「――じいよ。これはなんの真似だ?」
「若造。お主にはもう無いのじゃ。ここで、死んでもらおう」
「ほう? 形勢が不利になったから美幸の側につくと言うのか?」
一矢は槍を構えて臨戦体勢をとった。
幕の中にいた数人の兵たちも一矢を守るべく、駆けつけて槍を構えて穂先を家老の者に向ける。
「勘違いしてもらっては困る。我々が探していたものがあの小娘が持っていた。それだけじゃ。それに――」
幕の外より、一矢を慕う将たちがそれぞれ槍や刀などの武器を構えて現れた。
「そもそも我々将はお主なんぞを慕ってなどおらぬ。慕っておるのは精々兵ぐらいじゃろ」
将たちはそれぞれ得物を構えたまま一矢に近づいて行く。一矢は槍を力強く握りしめた。
「一矢様をお守りするのだ! 行くぞ!」
兵の一人が声をあげると、将たちに斬りかかった。しかし、将と兵士では格が違う。あっという間に将たちは兵士たちを蹴散らした。
「もはやこれまでか」一矢は死を覚悟した。
そんなとき、彼の前に一人の男が背を向けて立った。
「お前ら。よもや俺を忘れているわけではないだろうな」
男は直正だった。将たちの前に臆することなく、威風堂々と立ちふさがる。
「ほう、若造。剣を振るったことの無いお主が、経験豊富な我々に挑もうと言うのか。お主は気に食わん。お前たち、一斉にかかり残酷に殺してやれ」
「逃げるんだ直正殿! そなたの力でかなう相手たちではない!」
「大丈夫です。一矢様。あなたは私がお守りします」
はったりではない。俺には勝つ自信がある。
何故なら、あることが確信に変わったからだ。
将の一人が直正に斬りかかった。
直正はそれを横を向いて避け、将を斬りつける。
斬られた将は斬られた部分から血を吹き出してその場に倒れた。
「なっ! え、ええいまぐれじゃ! 次かかれ!」
先ほどの脳内に直接語りかけて来た現象。あれは桂月様が言っていた。特殊な力だ。
その力はどうやら、人の考えが分かるらしい。
今だってほら。
(首をはねてくれる! 死ねい!)
そんなことを考えた将が俺の首を狙って刀を横に斬りかかってきた。
それをしゃがんで避け、斬りかかってきた将を斬り上げる。
将は先ほど直正に斬りかかったものと同じく、斬られた部分から血を吹き出してその場に倒れた。
それを見て、将たちと家老の者は顔が青ざめていく。
「そんな、そんなことが! ひ、退け!」
彼らは一目散に逃げ出した。
(とりあえず今は美幸を殺し、西洋渡来の鉄砲を手にして八咫烏を支配じゃ。その後、名上様の元へ)
爺の考えが脳内に流れてきた。
あの爺。名上と繋がっているのか。
「すごいな直正殿。将をこうも容易く」
一矢は感心した。何せ、戦闘の経験は無いと聞かされていたのだ。感心するのは無理もない。
「それよりも一矢様。今は一刻も早く美幸様の元へ」
爺は美幸様を殺すと言っていた。そうとなれば美幸様が危ない。
西洋伝来の鉄砲は三八式歩兵銃のことです。(時代が違う上、西洋の物でもありませんが、そこは創作ということで)
詳しく知りたい方は検索でどうぞ。