最終話
小田原城の上空で静止していた物体は、小田原城の天守閣に突っ込み、一部を崩壊させた。
八咫烏の陣営にいる俺たちは突然の出来事にざわつく。
「まずい、小田原城には正行殿や正直殿が!」
一矢が言った。
「何だって!?」
再び物体は天守閣に突っ込んだ。また、一部が崩壊する。
このままでは正行様たちが!
「くそっ! 紀伊!」
紀伊が俺のすぐ隣に降り立った。
すぐさま紀伊に取り付けられている鞍に跨る。
「紀伊、急いで小田原城に向かってくれ!」
「分かったよ!」
紀伊は返事すると飛び上がった。
ものすごい速さで八咫烏の陣営からどんどん遠ざかっていく。俺は振り落とされないように鞍についている取っ手を両手で掴み、前かがみになる。
凄い向かい風だ。目を開けていられない。顔を伏せて目を閉じた。
その状態で数秒後、向かい風が緩くなった。小田原城に着いたのか?
俺は目を開いて顔を上げた。
小田原城を旋回しながら飛んでいる。天守閣を見ると跡形もなく崩れ去っていた。
「天守閣が……!」
酷い有様だ。
あたりを見渡してみる。そう言えば天守閣を攻撃していたあの物体は何処へ?
「下だよ!」
下を向いた。
緑色の巨大な蛇とそれに乗った甲冑姿の男がこちらに迫ってきている。
あれは――!
巨大な蛇は大きく口を開けた。噛み付くつもりだ。
紀伊はそれをとっさに回避した。その時、とっさの判断で鞍を強く握った。体が大きく揺れ、振り落とされそうになる。
危なかった。少しでも鞍を握る反応が遅れていたら振り落とされていた。
それはそうと、あの物体だ。上空を見上げる。物体は空中で静止してこちらを見ていた。
宙に浮く緑色の巨大な蛇。そしてそれに騎乗する甲冑を身に着けた男。
蛇は龍、甲斐。そして、騎乗している男は名上家成の実子、名上家忠だ。
「またお会いしたな。謀反人よ」
「俺は悪党、名上家成を討ち、英雄と呼ばれる予定の者だ。謀反人などではない」
「今は名上の天下。それに楯突く者は謀反人だ。間違っていない」
家忠の言葉を最後に、俺と家忠は無言で睨み合った。現在聞こえるものは、風の音と紀伊がその場に浮遊するために羽ばたいている音だけだ。
「甲斐、だったっけ? あの時はよくも噛み付いてくれたよね。私より地位が低いくせにさ」
突如、紀伊は甲斐にそう投げかけた。
しかし、甲斐からの返答はない。無視されている。
「へぇ、そういう態度をとるんだ? 直正、しっかり捕まってて」
紀伊に言われた通り、鞍の取っ手にしがみつく。
瞬間、紀伊はものすごい速さで上空に向かって飛んだ。紀伊の飛ぶ先には甲斐と家忠がいる。
紀伊は口を開けた。噛みつく気だ。
紀伊がもう少しで甲斐に噛みつくと言うその時、甲斐は軽々と紀伊の攻撃を避け、横に回りこんで体当りしてきた。
予測できていなかったのだろう、紀伊は態勢を崩し落下していく。当然、騎乗している俺も一緒に落下する。
俺たちの下には小田原城がある。まずい、このままではぶつかる!
「紀伊!」
俺の声に答え、紀伊は態勢を立て直すと再び羽を羽ばたかせ、落下が止まった。
「おい、大丈夫か?」
「うん、何とかね。不意を突かれたよ」
紀伊は上空を見つめた。俺も上空を見つめる。
甲斐がどんどん迫って来ていた。
「紀伊、避け――いや、駄目だ!」
下には小田原城。避けたらあいつらが突っ込んで正行様たちが!
「分かっているよ!」
紀伊は甲斐に向かって突っ込んだ。甲斐にだんだんと近づく。
もう少しでぶつかるというところで紀伊は横にずれて避け、紀伊の側面めがけて再び突っ込んだ。甲斐と同じく体当たりするつもりだ。
しかし、それは当たらなかった。突如、甲斐は加速したのだ。紀伊は甲斐の後ろを横切る。
反撃を予測し、身構える。だが、甲斐はこちらに向かってくることなく、どんどん下降して行った。何故?
家忠はこちらを向いた。
「まずは、小田原を殺る。お前たちの相手はそれからだ」
「しまった! 紀伊、頼む!」
紀伊は甲斐を追いかけた。
紀伊と甲斐の差はどんどんと縮まり、ついに並んだ。
紀伊は再び体当たりを仕掛けた。今度は有効となり、甲斐と騎乗していた家忠は吹き飛ぶ。
「どうだ!」
「いや、駄目みたいだ。見ろ」
甲斐を指差す。
甲斐はすぐさま態勢を立て直し、こっちを見つめてくる。
「全然堪えてないみたいだぞ?」
「むう、中々やるね。褒めてあげる。でも――」
紀伊は再び甲斐に向かって飛んだ。甲斐もこちらに向かって飛んで来る。
「これで終わりだよ!」
紀伊の言葉から察するに、次で勝負を着けるつもりだ。
俺は前屈みになって事に備えた。それは家忠も同じようで、前屈みになっている。
甲斐との距離がさほど無くなった時、紀伊は大きく口を開け、同じく甲斐も口を開けた。
目を覚まし、まず目に入ったのは多くの星がきらめいている空だった。
何で俺、空なんて見てるんだ? 紀伊の背中に乗り、家忠が操る龍、甲斐と戦っていたはず。
とにかく、今の状況を確認しよう。とは言っても、分かっているのは俺は何故か地面に寝転がって空を見ていると言う事だけだ。
いや訂正、それだけではない。何かパチパチと燃えているような音がする。
上体を起こし、音の正体を確認する。
音の正体は、炎上している小田原城だった。
「小田原城が!」
素早く立ち上がった。
小田原城が炎上している。これより導き出される事は一つ。
俺は、守れなかったのだ。
受け入れられない事実に戸惑いながら、後退する。と、足に何か当たった。
足に当たったものを確認すべく、下を向く。
そこにいたのは、深紅の体に羽を生やした龍、紀伊だった。地面に横たわり、羽はボサボサである。
「紀伊!」
紀伊の目は閉ざされていた。
紀伊に向き直り、跪く。
「紀伊、俺だ! 直正だ! 返事をしろ!」
大声で呼びかける。呼びかけるも虚しく、一向に紀伊の反応はなく、目を閉ざしたままだ。
最悪の状況が浮かんだ。
それは、息絶えていると言う事。
じっくりと紀伊の体を観察する。疲れ、眠っているだけならば、呼吸による微々たる動きがあるはず。
「紀伊は既に息がありませんよ」
背後より声が聞こえた。この声は!
振り返るとそこには炎上している小田原城を背景に、桂月様が立っていた。
「紀伊が……死んだ……?」
桂月様は頷いた。
「紀伊は殺されたのです。名上家忠が従えていた龍によって」
再び紀伊に向き直る。
「――冗談だろ? お前言ってたじゃないか。『地位が低い龍のくせに』って。そんな地位の低い龍に殺されるわけないよな?」
紀伊の体を揺さぶる。目を覚まさない事を知っていても。揺さぶらずにはいられない。
揺さぶりながら目頭が熱くなるのを覚えた。その直後、目の前が曇り、液体が頬をつたる感覚を覚える。
「地位が低いからと言って弱いわけではありません。紀伊は龍に喉元を噛みつかれ、呼吸が出来ずに窒息死しました」
思い出した。
あの時、紀伊が勝負を決めることを口にしたあの後、紀伊は甲斐に噛みつくために口を開けて襲いかかった。
しかし、甲斐ほうが噛みつくのが早かった。紀伊は正確に喉元に噛みつかれて呼吸困難に陥ったんだ。
紀伊は振りほどこうともがいた。だが、一向に甲斐の口から逃れる事はできなかった。
紀伊はどんどんと弱り、ついに動かなくなった。そして、そうなって甲斐はようやく口を離した。
浮遊力を失い、重力に従って落下して俺と紀伊は地面にたたきつけられ、俺は今まで気を失っていたと言う事だ。
「――行かないと」
右手で目の前の曇りを取り払うと立ち上がった。
泣いている場合ではないのだ。
「どこに行くのです?」
「一矢と美幸の所です。合流しなければ」
少しそのままで待っていてくれ、紀伊。
後で必ず戻って来て、お前の墓を立ててやるからな。
「二人はもうこの世にはいませんよ」
振り返って桂月様を見た。
今、なんと言った?
「――今、何と言いました?」
「ですから、二人はもうこの世にいないと言いました」
俺は膝から崩れ落ち、目線を地面に向ける。
そんな、あの二人が――。
「あなたが気絶している間、名上の本隊がここに攻め入って来ました。一矢、美幸が率いる八咫烏と小田原の連合軍は抵抗しましたが、名上が西洋から仕入れた鉄砲を使った全く新しい戦略の前に為す術なく討ち破られました。一矢、美幸を始め、八咫烏、小田原の者たちは全員打ち首。小田原城と城下に火が放たれ、この有様です。あなたは恐らく、あの高さから落ちて死んだと判断されたのでしょう。見逃され、今こうして生きているのです」
一矢、美幸、何でだよ!
一矢、俺はあんたたとタメ口で話せる関係にまだなってない!
そして美幸、まだお前に「好きだ」って思いを伝えてない!
何で、何でなんだよ!
再び目頭が熱くなった。もう、耐えられない。
声を上げて泣いた。
「こんな状況ですが、直正、私があなたの前に現れたのは他でもありません。今あなたが身に着けている甲冑と月輪を返していただきたのです」
桂月様の衝撃の発言に涙が止まるのを感じた。
顔を上げて桂月様を見る。
「今、何と……?」
「月輪と甲冑を返していただきます」
月輪と甲冑を? 何故?
「な、何故ですか!? 私はまだ名上を討伐していません!」
「それは、次の英雄候補に譲り渡すためです」
「次の、英雄候補……?」
「はい。私はもうあなたには名上を討伐するのは不可能と判断しました。ですので、名上討伐を次の候補に託すため、返していただきたいのです」
このお方何を言ってるんだ。
英雄は俺、ただ一人のはずだ!
「何を、仰られているのですか……? まるで意味が分かりません!」
「私は今まであなたのように外界を知らず、なおかつ地位が低い者たちに名上討伐の使命を与えてきました。しかし、決まって皆失敗に終わりました。そして、あなたも」
開いた口がふさがらないとはまさにこの事。
そんな、俺の前にも名上討伐の使命を課せられた奴らがいたと言うのか!
「――一ついいですか? 何故、俺のような者たちに使命を?」
名上という強大な敵に立ち向かうならその道の者、武家の人間がいいはず。
何故、俺のように何の変哲もない農家の人間に使命を課したのか、気になったのだ。
「まあ、いいでしょう。あなたなりによくやってくれたようなので、お教えします。それは、その方が都合がいいからです。外界を知らないという事は、名上という強大な相手の事を詳しくは知らないという事。相手のことを知らない状態で使命を課されると、自分でも倒せる相手だと思い込む。元に、あなたがそうだったでしょう?」
言われた通りだ。桂月様に使命を課せられたあの時、実は内心自分でも倒せる相手だと思い込んでいた。
だってそうだろう? 何の力もない農家の人間に使命を課してくるのだ。まさか、倒せない相手だとは思うまい。
「もう一つ、何故地位の低い者に使命を課すかと言うと、死んだところで影響がないからです。これがあなたのような者に使命を課す理由」
つまるところ、俺は捨て駒だという事だ。
「今回で名上を討ちたかったので、紀伊をはじめ、八咫烏に協力させたのですが駄目でした。一矢と美幸。後、貴重な龍を失ってしまいました。あなただけなら問題なかったのですが――」
怒りがこみ上げてきた。月輪を抜き、構える。
「ふざけるな! 俺の命はあんたのものじゃない!」
「私に立ち向かおうと言うのですか? 無駄ですよ。あなたごときでは」
桂月様――いや、桂月は手を叩いた。
瞬間、俺の手から月輪、体から甲冑が消え、桂月の足元にさっきまで俺が身に着けていた物が現れる。
俺が今身に着けているものは、昔から愛用している着物だけになった。
「お伝えした通り、これらは返していただきます。そうそう、これはお返ししますね」
桂月は再び手を叩いた。
脳裏に何か流れてくる。走馬灯という奴か、俺は紀伊の背中に乗り、手には火縄銃を――!
「ああ、許してくれ! 許してくれぇ!」
膝をついて跪き、頭を抱えた。
突然恐怖がこみ上げてきた。人を手にかけてしまった恐怖。
「それでは、私は行きますね」
桂月は手を叩いた。その場より一瞬にして月輪、甲冑とともに桂月の姿が消える。
小田原城が炎上する中残されたのは、恐怖に支配され、跪き頭を抱えて壊れた機械のように何度も謝罪の言葉を繰り返す直正の姿だけになった。