十三話
自分、一矢は今布団をかぶり、見知った天井を見ている。あの天井、何処かで見たな。
なぜこのようなことになっているのだろうか、覚えていることを整理しよう。
確か、見知らぬ龍が紀伊の体に噛み付いたことで紀伊は咆哮を上げ、それに気を取られたことは覚えている。それから何があったか――。
「一矢!」
自分の名を呼ぶ声がした。聞き慣れた声だと思いながら、声のした方を振り向く。
そこにいたのは直正と美幸だった。二人とも驚いたような表情をしていたかと思うと一転、安堵の表情を浮かべた。
「良かった、目を覚ました」
美幸が言った。この声、先ほど自分を呼んだものと同じだ。とすると、自分を呼んだ声は美幸のものだったのか。
それにしても、自分に対して常に敵対心むき出しの美幸が心配してくれているとは。
突然、美幸ははっとしたような表情を見せると次の瞬間いつものように自分を睨みつけてきた。
「貴様、皆を心配させるとはいい度胸をしているな。そして、未だに謝罪の言葉もないとは呆れたものだ」
美幸の言葉に一同にすかさずすまないと謝罪の言葉を述べた。直正は美幸に向かってまあまあと言いながらなだめる動作をしている。
美幸が本調子に戻ったようだ。残念だが、少しでも自分を気にかける表情が見れただけでも良しとしよう。
そう言えば、直正と美幸の姿はあるが紀伊の姿が見当たらない。
「直正、紀伊はどうした」
直正と美幸は自分から視線を外して目を落とした。
「紀伊は――」
「失礼します」
直正の声を遮るように女性の声が聞こえたかと思うと、突然部屋の入り口だと思われる障子が開いた。自分たちはその開かれた障子へと目を向ける。
そこには女性が立っていた。ボロボロの着物を身にまとっている。女性は自分たちに向かって頭を下げた。
あの女性どこかで……ああそうだ、思い出した。昨晩泊まった宿の女将だ。
女将を見て、先ほど既視感があった天井のことも思い出した。そうか、あれは宿屋のか。となると、ここは昨晩泊まった部屋なのか。
よく見ると女性の後ろに誰かいるようだ。その者が女性の後ろから出てきて姿を現す。
紀伊だった。
「紀伊――っ!」
突如頭痛が襲った。目を閉じて両手で頭を抱え、唸り声を上げる。
脳裏にある情景が映った。
目の前に家忠がいる。家忠は両手で刀を持ち、その刀の柄頭を――思い出した。自分は家忠に殴られたのだ。
突然一矢は頭を抱えて唸りだした。恐らく頭痛だろう。家忠に殴られた時の影響が残っていたか。
俺が一矢に声をかけようとしたのより早く紀伊が一矢に駆け寄る。
「一矢、大丈夫?」
言いながら紀伊は一矢の頭を撫でる。紀伊の言葉に一矢は痛みが引いたのか、両手を頭から離して姿勢を正し深く呼吸をすると紀伊を見て「大丈夫だ」と返事をした。
本当に大丈夫なのだろうか。無理していないといいのだが。
「それはそうと、紀伊よ。自分を心配する前にお主はどうなのだ? 龍に噛みつかれたはずだが」
「私? 私は大丈夫だよ。ほら!」
紀伊はそう言って着物の帯を解き着物の前を開き――ってちょっと待て!
急いで紀伊に駆け寄る。
「ごく当たり前のように裸を見せる奴があるか!」
急いで着物の前を隠してやる。
一矢と美幸を見ると、二人とも鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔をしている。
「えっと……見ました?」
一矢に質問する。
「あ、ああ、見た……包帯が巻かれていたな」
一矢は下を向いた。
美幸の表情を確認しようと美幸を見るとそっぽを向かれた。
ともかく、紀伊は噛みつかれた所に包帯が巻かれている。家忠との戦いの一部始終を見ていたこの宿の女将のご厚意に甘えて巻いてもらったものだ。
「包帯はこの宿の女将のご厚意で巻いてもらいました」
事情を知らない一矢に説明する。それを聞いた一矢は女将を見据えた。
「このような計らいをしていただけるとは、なんとお礼を申し上げればよいか」
一矢は頭を下げた。
それに対して女将は「この町を治めていた大名を討っていただいたお礼です」と言った。
大名? 女将の言葉に疑問を覚える。
「待ってください。俺たちは家忠を見逃しました。なのに大名を討ったとは一体」
そう、俺たちは家忠を見逃した。
なのに大名を討ったとはおかしいのだ。
「家忠はこの町の大名ではない。太った男がいただろう? 奴がこの町を治めていた大名だ」
美幸が言った。
何と、家忠はこの町の大名ではなく、あの豊満な男がこの町の大名だったのか。そうなると女将が言ったことに納得がいく。
「そうだ。三人とも八咫刀を知らないか? 見当たらないのだが」
一矢が言う。
俺、美幸、紀伊はそれぞれ目を伏せる。
八咫刀か……言わねばなるまい。
俺は顔を上げて一矢を見据えた。
「一矢、よく聞いてください。八咫刀は――家忠に奪われました」
俺の言葉に一矢は力なく「そうか……」と答えた。
部屋に沈黙が流れる。
「困ったな。これでは八咫烏を力ずくでしか取り返すことができない」
一矢が部屋の沈黙を破って言った。
八咫刀を八咫烏の兵士たちに見せることで八咫烏を取り返す算段であった。
それを失った以上、八咫烏を取り返す方法は、一矢が言ったように力ずくで取り返すしかなくなってしまった。
しかし、今の俺たちには八咫烏を打ち破る力はない。よって、力ずくで取り返すのは無理な話なのだ。
では、家忠から八咫刀を取り返せばいいだけの話ではと思うかもしれない。だが、それも無理な話だ。
実はと言うと、一矢が気絶して目を覚ますまでほぼ一日経っている。その間にも家忠は名上のもとに八咫刀を届けているはず。
取り返すとなると、名上の本拠地である江戸城に乗り込むことになるのだ。
俺たちは名上を討伐するための戦力として、八咫烏を取り返そうとしている。なのに八咫烏を取り返すために必要な八咫刀を奪取するために、名上の本拠地に乗り込むなど本末転倒であろう。
「すまん。自分のせいだ……」
一矢は目を伏せる。
それに対して紀伊が首を横に振る。
「違うよ一矢。元はといえば私があの龍に噛みつかれたせい。私より地位が低いくせに……!」
紀伊が歯を食いしばり、怒りの表情を見せる。こんな紀伊を見るのは初めてだ。
「紀伊、地位が低いって?」
「え? ああ、うん。私に噛み付いてきた龍。あれには羽がなかったよね?」
紀伊に噛み付いた龍。あれは紀伊のような羽がなく、体も緑色という皆にお馴染みの一般的な龍だ。
「龍にも位があってね、一番位が低いとなると空を飛ぶこともできないんだよ。で、私は龍の中でも最上位にいるの。そして、噛み付いてきた龍は私より位が一つ下なんだ。位が低い龍はね、位の高い龍に対して今回のように噛みつくような反抗的な態度を取っちゃいけないっていう暗黙の了解があるんだ」
「その暗黙の了解を破ったらどうなる?」
「そうだね、殺さないといけない。あの龍が悪いんだよ? 位が低いくせに私に噛み付いてきたんだから」
紀伊は不機嫌な表情でそう言って腕を組んだ。
龍も人間と同じように、地位による格差ってものがあるんだな。
「あの――」
俺たちは一斉に声のした方に顔を向ける。
女将が何やら申し訳なさそうな表情で俺たちを見ていた。
俺たちに見られた女将は一瞬目を伏せたが、意を決したのかのように顔を上げ、俺たちを再び見つめながら口を開いた。
「皆様が大変な状況であることを承知で失礼なことを申し上げます。実は、今すぐこの町から出ていってもらいたいのです」
いきなり何を言うのだこの女将は。
一矢も今目を覚ましたばかりだ。それに、紀伊の傷も癒えていない。こんな状態で旅を続けるのは危険だ。
もう少しこの町に留まらせてくれてもいいだろうに。
「分かりました。自分たちは今すぐ町を離れます。お世話になり申した」
一矢が頭を下げる。
一矢の口から発せられたのは俺が予想だにしていない言葉だった。
驚きの表情で一矢を見る。
「待ってください。あなたは今目を覚ましたばかり。紀伊の傷も癒えていません。ここは紀伊の傷が癒えるまでこの町に留まるべきでは?」
「いや、この町から出立すべきだ」
「しかし――」
「直正!」
俺の抗議は一矢による突然の大声で止められた。
一矢は分かってくれという表情で見つめてくる。
「出立だ。いいな?」