十一話
その町は、暗かった。
活気づいていないとかそういうことではない。物理的に暗いのだ。暗いせいで町の様相を確認することはできない。
現在の時間は夜だが、眠りにつくにはまだ早い時間だ。それにもかかわらず、現在明かりがついている家屋は二軒だけ。
一軒は、俺たち一行の前にある「宿」と書かれた看板が掲げられた、宿屋とは到底呼べないボロボロの家屋。
そして、もう一軒はこの街を仕切っているであろう者が住んでいると思われる城。大きさは八咫城とそう変わらないだろう。
「とりあえず入ろう」
一矢がそう促すと、一矢、美幸、紀伊の二人と一柱は宿屋に入って行った。
ボロいのは気になるがまあ、屋根無しの野宿よりはマシだろう。
そう自分に言い聞かせると、後を追って中に入った。
宿屋は静まり返っていた。普通の宿屋なら宿泊客の談笑など賑やかな声や、従業員が食事などを運ぶ時に聞こえる足音や食器音が全く聞こえてこない。
「ごめんください!」
一矢が大声で言った。
しかし、返事はない。閑古鳥が鳴いているこの様子じゃ既に廃業――。
「はいはい!」
二階から声と足音が聞こえた。人は居たようだ。
そうだよな。でなければ明かりがついているわけがない。
声の主が階段から降りてきた。
それは、女性だった。接客業である宿屋に勤める者にしては相応しくないつぎはぎだらけの着物に身を包んでいる。
彼女は俺たちの前に膝を折って座った。
「ようこそおいでくださいました」
女性は手を床につき、深々と頭を下げた。
「一泊したいのだが」
「承知いたしました。こちらに」
女性は立ち上がり、俺たちを導いた。それに従い、俺たちは女性に付いて行く。
部屋に向かう途中、辺りを見渡したが酷い有様だ。部屋と廊下を仕切っている障子はどれも穴だらけで、廊下から部屋の様子が伺える。これでは仕切りの意味が無い。
「お客様のお部屋はこちらでございます。当宿では一番まともな部屋です」
案内された部屋の仕切りは、所々修繕が施された障子だった。確かに途中で目にしてきた部屋に比べるとマシだ。障子はちゃんと仕切りとしての役割を果たしているしな。
「すまない、礼を言う。少ないが取っておいてくれ」
一矢は財布を懐から取り出すと、そこから数枚の小銭を取り出し、女性に渡した。
女性は感謝の言葉を述べ、深々と頭を下げると立ち去って行った。
今の流れを見て俺は疑問に思った。
「何故今、お金を渡したのですか?」
そう、一矢が女性にお金を渡していたからだ。
普通、宿に泊まった際に支払うお金は立ち去る際に渡すもの。それを今支払ったから疑問に思ったのだ。
「あれは賄賂だ」
一矢は当然とばかりに言った。賄賂だと?
「わ、賄賂なんて何故そんな事を?」
「明日になれば分かる。取りあえず部屋に入ろう。一日歩き回って疲れただろう?」
一矢は部屋の中に入って行った。美幸と紀伊もその後を追う。
賄賂なんて悪人なんかがやること。それを、正義を掲げて名上を討伐しようという俺たちがやるなんて。
そんなことを心の中でつぶやきながら部屋に入った。
この宿にふさわしく、部屋は荒れ果てていた。
天井の一部は穴が開き、畳の一部は腐り、押入れと部屋を仕切っているふすまには穴が開いている。
そんな中、俺たちはこれまた腐りかけの机を囲み、ボロボロの座布団を尻に敷き座っている。
ちなみに俺たちが座るそれぞれの配置は、俺の対角線上に一矢、対面に美幸、そして隣に紀伊だ。
俺たち一行は何も話すことがなく口を紡ぎ、部屋に沈黙が流れている。
「俺、風呂に入ってきますね?」
俺は立ち上がった。
沈黙に耐えきれないので、風呂場に逃げ込もうと思ったのだ。
「ここに風呂場はない。ついでに言うと、食事も出ない」
一矢が言った。
そうですかとだけ言うと俺は再び席に着いた。
再び沈黙が流れる。誰かこの沈黙を破ってはくれないだろうか。
「八咫烏は取り戻すべきではないだろうか」
沈黙を破ったのは美幸だった。
俺、一矢、紀伊は視線を美幸に向ける。
「名上は天下人。相当の戦力を保持しているはずだ。戦うならばこちらも軍隊でなければと思うのだが、どうだろう?」
それは俺も思っていた。相手は天下人。龍神がいるとはいえ厳しいだろう。
そこで軍隊だ。軍隊があれば名上と互角に渡り合えるかもしれない。
「確かに美幸の言うとおりだ。自分も思っていた。この一行で名上と戦えるのかと」
どうやら、一矢も同じことを思っていたようだ。皆、不安だったんだな。
「しかし、どうする? 自分たちでは前ならともかく今の八咫烏には敵わない」
そう、それが問題だ。すでに八咫烏は今までの鉄砲を捨て、西洋伝来の新しい鉄砲で武装しているだろう。
目にはしていないが、劣勢だった美幸の率いていた軍が八咫烏の兵士たちを蹂躙したという報告を受けた弾込めの隙がなく、連射できる鉄砲に。
この一行で八咫烏を取り返そうと挑んだ所で、あの西洋伝来の鉄砲にあっけなくやられることは目に見えている。
美幸はうつむき、三度目の沈黙が流れた。
「私がいるよ」
そう言ったのは紀伊だった。
俺、一矢、美幸の視線が紀伊へと注がれる。
「私って、お前に何ができるんだ?」
「フフン、直正。私を誰だと思っているの? 龍神様だよ!」
ドヤ顔で紀伊は立ち上がった。腰に手なんかを当ててふんぞり返っている。
なんとなく腹が立った。
「聞かせてもらおう、紀伊。お主に何ができるのだ?」
「よくぞ聞いてくれたね、一矢。まず、皆に質問するけど、龍神についてどれだけのことを知ってる?」
突然の質問に紀伊を除いた俺たちは腕を組み、うーんと唸った。
龍神についてねぇ。
「そうだな、龍神と言うより龍なのだが、龍というのは権力の象徴で、龍に愛されたものは強大な権力を手に入れると言われている」
美幸が言った。
知らなかった、武家の人間は龍についてはそのような認識なのか。農家の人間である俺の認識とは異なる。
「俺が知っているのは雨を振らせて作物を成長させてくれたり、枯渇を防いでくれたりする神様。まあ、降らせすぎて災いの神とも認識されているけど」
「そう、それ!」
紀伊が指を刺してきた。
「直正が言ったように、私には雨を降らす、つまり雨雲を呼ぶ力があるんだ」
なるほど、そういうことか。
「鉄砲は雨に弱い。雨を降らせて鉄砲を使用不可能にして、混乱したそこを攻撃するんだな」
そう、鉄砲は雨というか水に弱いのだ。鉄砲玉を撃ち出すために使用する火薬は水に濡れると使えなくなる。そうなると鉄砲はただの筒だ。
敵の兵士は鉄砲を打つ以外の訓練をされていないだろうから、唯一扱える武器を失った兵士たちは戦線を放棄して逃げ出すだろう。
そこで、守る者がなくむき出しとなった本陣を急襲し、あの憎たらしい爺や裏切り者たちを討ち取って俺たちの勝利。八咫烏を取り戻すことができると言う訳だな。
「無理だ。西洋の新しい鉄砲は水にも強い。濡れたからといって撃ち出せなくなることはない」
美幸の一言で希望は打ち砕かれた。
弾込めの隙がなく、連射でき、水にも強いなんて、そんなの打つ手なしじゃないか。
その言葉を聞いて紀伊はしょぼくれ、静かに席についた。
自信満々で言ったのを否定されたのだ。しょぼくれるのは当然だろう。
気にするなと、紀伊の頭をなでてやった。
「――そうだ、戦う必要はないかもしれない!」
突然一矢が言った。
何事だと、一矢以外の俺たちは視線を一矢に向ける。
「自分たちにはこれがあるじゃないか」
一矢は畳に置いている八咫刀を掴んで、それを机に置いた。
「そうか、八咫刀か!」
美幸は希望を見たような、そんな表情をした。
この刀一つで、何故そんな表情ができるんだ?
「あの、美幸。それが何だと言うんですか?」
「前に八咫刀について話したことがあるだろう? 覚えているか?」
覚えている。確か、「この刀を持っていれば、どこの誰でどのような経緯があろうと、正式な八咫烏の頭領と皆が認め、命令に従うようになる」と一矢は言っていた――。
「そうか!」
そうだ、八咫刀を所有しているものは誰であろうと皆から頭領と認められる。つまり、一矢はまだ八咫烏の頭領なんだ。
「今頃久虎は兵士たちが言うことを聞いてくれず頭を悩ませているだろう。そして、恐らく自分たちから八咫刀を奪うべく追手を放っているに違いない。とにかく、この刀を八咫城まで行って兵士たちの前で掲げれば兵士たちは久虎を裏切り、再び八咫烏の指揮を取れるということだ。そうと決まれば明日から八咫城を目指すぞ。そこでこの刀を見せつけ、八咫烏を取り戻す」