十話
黄金色の空の下、直正、一矢様、美幸様、そして少女の一行は雑木林の中を歩いていた。
「今日中にたどり着けるのかなぁ?」
少女が言った。
昨日までこの少女は俺たち一行には存在しなかった。この少女について説明せねばなるまい。
少女の名は、紀伊。龍神と同じ名だ。
察しがつく者もいるだろう。そう、この少女は龍神、紀伊そのものである。
なぜ龍の姿だった紀伊が今は少女の姿なのか。それは昨日の卯の刻(四時)まで遡る。
雑木林の中、二つの岩に一矢と美幸がそれぞれ腰掛けている。
一矢が退屈そうにあくびをした。何故、退屈そうなのか、答えは彼らの目線の先にあった。
桂月が仁王立ちし、その前には直正と紀伊の姿がある。二人のうち、直正は正座をしている。
どれくらいの時間が経っただろうか、あれから桂月様は休みなく口を動かし続けている。よくもまあ、言葉が出てくるものだ。
桂月様に気づかれぬように横目で紀伊を見ると、涙目になっている。だが、そんな顔をしたところで悪いのは俺たちだ。説教を止めてくれるはずもない。
「――以上です。分かりましたね?」
力なく返事をした。
桂月様の長い説教が終わった。ふと空を見上げると、黄金色に染まっている。
黄金色ということは恐らく卯の刻くらいだろう。説教が始まったのが、牛の刻(一時)ぐらい。と、なると、三時間ほど説教していた事になる。驚きだ。
「残念だが、今日はもう次の町に行けそうもない。また堺の国で一夜を過ごさなければいけないな」
一矢様が言った。
旅に必要なものは一通り買い集めたので、日が暮れるまで歩を進めて野宿は出来るが、近くには堺の国がある。危険な野宿よりも、寝床があり、質のいい食事ができるのでする必要はない。
野宿をする時は、態勢を整えたにも関わらず町に辿りつけなかった時だけだ。
「おや、もうそのような時間なのですか? これから、一矢と美幸。あなたたちにもお説教をしなければならないと思っていましたのに」
桂月様の言葉に、一矢様と美幸様が固まる。
お二人共、自分たちが説教されるなどとは思ってもいなかったのだろう。
「仕方がありません。時間をかけて説教するつもりでしたが、簡単に済ませましょう。一矢、美幸。あなたたちも兜を捨てましたね? 直正はそれを真似して兜を捨てたのでしょう。今回の武器にしたってそうです。あなたたちは直正の手本として、軽率な行動は慎まなければなりません。それを肝に命じておいてください」
桂月様の言葉に、一矢様と美幸様は力なく返事した。
「それでは、堺の国に――痛っ!」
立ち上がろうとしたが長時間正座していたために、足が痺れていてうまく立てずにふらつく。
そんな俺の元に美幸様が駆け寄り、手を貸してくれた。
「ありがとうございます」
俺の言葉に、美幸様は「友として当然のことをしたまでだ」と、言った。
その後、美幸様の顔は赤く染まった。今の自分の発言に対して恥ずかしさを感じたためだろう。
「ちょっと待ってよ! 私はまたここにいないといけないの!?」
「まあ、そうなるな」
と言うか、これから先、紀伊には必ず町から離れたところで就寝してもらわなければならない。
だって、町に連れていくわけには行かないだろう?
「私嫌だよ! ずっと一柱ぼっちじゃないか!」
一人ではなく一柱? ああ、龍神。神様だからか。
「確かに、可哀想ですね。そうです。私から紀伊、あなたに力を授けましょう」
桂月様は手を叩かれた。同じだ。俺が装備一式と能力を授かったあの時の。
すると、紀伊の体は光りに包まれたかと思うと、一瞬にして光は消え失せた。
そこにいたのは、龍ではなく一人の少女だった。
少女は自身の両手を見た後、自身の体をひねったりして全身をくまなく見ている。
「人間の少女になれる妖術を与えました。自分の意志で姿を変えることが出来ます。それでは、私は戻ります。あなたたちの健闘を祈っていますよ」
桂月様は消え去った。まるでろうそくに灯っていた火に息を吹きかけて消したように一瞬にして。
後に残されたのは、呆気にとられている俺、一矢様、美幸様、そして、嬉しいのだろう両手を広げて笑顔で走り回っている少女の姿となった紀伊だった。
あの後、一昨日泊まった宿に再び訪れた。
部屋に案内された後、女将が部屋を訪れて来て驚かれた。甲冑が印象に残っていて、俺達の事を覚えていたらしい。
その女将から「堺の国が気に入ったんですか?」などと聞かれた。
それに対して一矢様は代表して「ええ、まあ……」と苦笑いを浮かべながら、何とも歯切れの悪い返事を返していた。今まであったことを言う訳にはいかないからな。
少女の姿をした紀伊を連れていなかったことも覚えているため、聞かれた。
それについては、一矢様の従妹で、ぜひ堺の国を見てみたいと家を抜け出して一矢様の後を追ってきたと答えておいた。
その時、紀伊は不満そうな顔をしながら心の中で、「私は一矢の従妹じゃないんだけどなぁ」と、言っていた。余計なことを言わないものかと心配したものだ。
翌日、ようやく堺の国を出立して、現在この雑木林の中を歩いているというわけだ。
「一矢。次の街はまだなの?」
「もうすぐ着くだろう。そう急かすな」
紀伊と一矢様が会話をしている。しかし、今までと違って一矢様は紀伊に対して目上に対する言葉使い、つまり敬語ではない。
何故かと言うと、昨日旅館で以下の出来事があったからだ。
雑木林で俺の足が痺れて美幸様に肩を貸してもらった際、一連の会話を一矢様に聞かれていたらしく、詳しく聞かれた。
一矢様に買い出しの途中、美幸様と友人の関係になったことを伝えると一矢様に「美幸のことをよろしく頼む」と言われた。
それに対して美幸様が「貴様は私の何なのだ?」と質問すると、一矢様はさも当たり前と言わんばかりに「兄」と言った。
この発言に美幸様は怒り、また一矢様と睨み合うことになろうとした。その時、紀伊が空気を読まず――いや、俺としてはありがたく「私も友人がほしい」と口を挟んできた。
その言葉に美幸様と衝突したくなかったであろう一矢様は、すかさず紀伊に「自分で良ければどうですか」と提案した。
紀伊はこの提案に喜び、現在こうして一矢様とお互いにタメ口で話す関係となっている。
ちなみに、その後、美幸様は興が削がれたらしく、一矢様と睨み合うことはなかった。
「そう言えば、直正は私に対してタメ口で話さないな」
思いついたように美幸様が話しかけてきた。
俺と美幸様は友人だ。しかし、いまだに美幸様には敬語で話し、名前を呼ぶ時も「様」を付けている。
「友とはいえ、美幸様のほうが身分が上ですから」
そう、友人とはいえ美幸様のほうが身分は上なのだ。そんな人相手にタメ口は使えない。
「身分も何も、今の私は八咫烏の頭領でなければどこかに所属している将でもない。ただ、名上討伐を友とともに志す落ち武者だ。落ち武者に立派な身分など、持ちあわせてはいない」
美幸様の言葉に一矢様もそうだと賛同する。
「自分も美幸と同じく落ち武者。一矢と呼び捨てにしてくれても構わないし、敬語もいらない」
突然、一矢様は立ち止まった。それに合わせて俺、紀伊、美幸様も立ち止まる。
「自分もこれよりはお主のことを『直正』と呼び捨てにする。そろそろ、堅苦しい関係を止めてもいいのではないか?」
一矢様が提案してくる。
そうだな、俺たちは同じ使命を志す同志。一矢様のお言葉に従ってもいいかもしれない。
俺の答えは――。
「お断りします。落ち武者だとしてもお二人は名家、八咫の御方。そんなお二人を呼び捨てにするなど出来ません」
謝罪の意味を込めて頭を下げる。
だが待ってほしい、一矢様のお言葉を無下にするわけにもいかない。
「タメ口をきくことは出来ませんが、お二人のことはこれより『一矢』、『美幸』と呼び捨てにさせていただきます」
これが答えだ。
お二人にタメ口を使わず、一矢様――いや、一矢のお言葉を無下にしない。頭がない俺が導き出した答え。
一矢は、俺の答えに怒っているだろうか。
「不満はあるが、進歩があっただけでも良しとしよう。直正。いずれは自分たちとタメ口で話せる日が来ること、自分と美幸は待っているぞ」
一矢は怒っていないようだった。
俺たちは同じ使命を帯びた同士だ。俺だってお二人とはタメ口で話したい。いつか対等な身分になり、お二人とタメ口で話し合える。そんな日が訪れることを俺も願っている。
対等な身分になる方法は現在一つ。名上を討伐し、人々から英雄と呼ばれることだ。
「話し合いがすんだのなら早く行こうよ。日が暮れちゃうよ」
紀伊が言った。
話している間にも太陽は沈み続け、辺りが薄暗くなっているようだ。
俺たちは薄暗くなっている雑木林の中、次の町を目指して再び歩き出した。